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日帰りバスツアーに参加して、飛騨高山と世界文化遺産の合掌造りがある白川郷の見学です。最初に飛騨高山に向かいました。

2015春、飛騨高山と白川郷(1/16):名古屋から飛騨高山へ、高山郊外で昼食、高山別院

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2015/05/23 - 2015/05/23

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旅行記グループ 2015春、高山と白川郷

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

日帰りバスツアーに参加して、飛騨高山と世界文化遺産の合掌造りがある白川郷の見学です。最初に飛騨高山に向かいました。

交通手段
観光バス

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  • 街路樹が新緑となった、バスツアーの出発地点、名古屋駅の西側の光景です。少し早めに到着しましたので、ツアーの集合場所に向かう前の撮影です。受付だけは先に済ませておきました。

    街路樹が新緑となった、バスツアーの出発地点、名古屋駅の西側の光景です。少し早めに到着しましたので、ツアーの集合場所に向かう前の撮影です。受付だけは先に済ませておきました。

  • 同じく、バスツアーの出発地点、名古屋駅の西側の光景です。各社のバスツアーの参加者らしい方で溢れていました。

    同じく、バスツアーの出発地点、名古屋駅の西側の光景です。各社のバスツアーの参加者らしい方で溢れていました。

  • 時計の針が8時15分頃になりました。そろそろ、バスツアーの集合場所に向かうことにしました。出発は8時30分です。

    時計の針が8時15分頃になりました。そろそろ、バスツアーの集合場所に向かうことにしました。出発は8時30分です。

  • バスツアーの集合場所は、先ほど紹介した名古屋駅西の地下になります。8時30分の集合は一番遅い時間帯ですから、地下街は閑散としていました。

    バスツアーの集合場所は、先ほど紹介した名古屋駅西の地下になります。8時30分の集合は一番遅い時間帯ですから、地下街は閑散としていました。

  • 定刻までに全員が集合し、揃ったところで、バスの駐車場所に向かいました。実際の出発時間は8時40分頃でしたが、予定通りのようでした。渋滞もなく高速道路を走行し、最初の休憩場所の瓢ヶ岳(ふくべがたけ)SAに到着しました。

    定刻までに全員が集合し、揃ったところで、バスの駐車場所に向かいました。実際の出発時間は8時40分頃でしたが、予定通りのようでした。渋滞もなく高速道路を走行し、最初の休憩場所の瓢ヶ岳(ふくべがたけ)SAに到着しました。

  • 瓢ヶ岳(ふくべがたけ)SAの正面出入り口の光景です。岐阜県郡上市の東海北陸自動車道下り線だけにあるパーキングエリアです。管理者は第三セクターの『ネーブルみなみ』です。

    瓢ヶ岳(ふくべがたけ)SAの正面出入り口の光景です。岐阜県郡上市の東海北陸自動車道下り線だけにあるパーキングエリアです。管理者は第三セクターの『ネーブルみなみ』です。

  • 飛騨高山の郊外付近を走行中の写真です。旅程では、今日の昼食は11時半頃になると予告されていましたが、その予定通りに進んでいるようでした。

    飛騨高山の郊外付近を走行中の写真です。旅程では、今日の昼食は11時半頃になると予告されていましたが、その予定通りに進んでいるようでした。

  • 昼食予定場所の『飛騨高山まつりの森』に到着しました。高山市街までは、車で10分ほどの距離にありました。展示館の一つ、『世界の昆虫館』です。

    イチオシ

    昼食予定場所の『飛騨高山まつりの森』に到着しました。高山市街までは、車で10分ほどの距離にありました。展示館の一つ、『世界の昆虫館』です。

  • 『飛騨高山まつりの森』の建物光景です。高山観光の団体客を捌くのを目的に造られたような郊外の施設でした。昼食のレストランは、この建物の2階にありました。『飛騨高山まつりの森』の見所は、8代の屋台などがネット紹介されています。

    『飛騨高山まつりの森』の建物光景です。高山観光の団体客を捌くのを目的に造られたような郊外の施設でした。昼食のレストランは、この建物の2階にありました。『飛騨高山まつりの森』の見所は、8代の屋台などがネット紹介されています。

  • 『飛騨高山まつりの森』から眺めた周りの光景です。ホテルらしい、高層建築が見えました。ネット検索しましたら、『ホテルアソシア高山リゾート』がヒットしました。

    『飛騨高山まつりの森』から眺めた周りの光景です。ホテルらしい、高層建築が見えました。ネット検索しましたら、『ホテルアソシア高山リゾート』がヒットしました。

  • 日帰りツアーの少し早い昼食です。メインは、飛騨牛の朴葉味噌焼きです。右上に加熱する前の赤い肉が見えています。生ビールを1杯注文し、美味しく戴きました。

    日帰りツアーの少し早い昼食です。メインは、飛騨牛の朴葉味噌焼きです。右上に加熱する前の赤い肉が見えています。生ビールを1杯注文し、美味しく戴きました。

  • 大型バスで到着した、大陸からの観光客が大勢いました。バスの駐車の案内にも中国語が飛び交っていました。お店の看板も中国語別記です。

    大型バスで到着した、大陸からの観光客が大勢いました。バスの駐車の案内にも中国語が飛び交っていました。お店の看板も中国語別記です。

  • 記念撮影用の場所です。ネット検索では、同じ木で造られた、世界最大と言われる太鼓がっ写真入りで紹介されてました。皮を張った部分で7尺(2m12cm)、中央部でなんと9尺(2m73?)、重さ4.5トンとされます。その太鼓や8台の屋台があるミュージアムの入口が右手にありました。残念ながら、見学する時間はありませんでした。

    イチオシ

    記念撮影用の場所です。ネット検索では、同じ木で造られた、世界最大と言われる太鼓がっ写真入りで紹介されてました。皮を張った部分で7尺(2m12cm)、中央部でなんと9尺(2m73?)、重さ4.5トンとされます。その太鼓や8台の屋台があるミュージアムの入口が右手にありました。残念ながら、見学する時間はありませんでした。

  • 観光バスの駐車場所、高山別院に到着しました。この場所に移動する途中に、高山市街のメインストリートを通ってきましたので、方向感覚と距離感覚が呑み込めました。再集合場所にもなりました。

    観光バスの駐車場所、高山別院に到着しました。この場所に移動する途中に、高山市街のメインストリートを通ってきましたので、方向感覚と距離感覚が呑み込めました。再集合場所にもなりました。

  • 高山別院の前庭の光景です。高山別院の正式名称は、『真宗大谷派・高山別院照蓮寺』です。山号は、『光曜山(こうようざん)』です。本山は、真宗本廟(東本願寺)です。ご本尊は、阿弥陀如来です。

    高山別院の前庭の光景です。高山別院の正式名称は、『真宗大谷派・高山別院照蓮寺』です。山号は、『光曜山(こうようざん)』です。本山は、真宗本廟(東本願寺)です。ご本尊は、阿弥陀如来です。

  • 高山別院の本堂光景です。その起源は遠く鎌倉時代に遡ります。開基は親鸞聖人の弟子、嘉念坊善俊(かねんぼうぜんしゅん)です。善俊は、後鳥羽上皇の孫とも皇子ともいわれます。関東より上洛途中の親鸞聖人に、伊豆の三島で門弟となったと伝えられます。

    高山別院の本堂光景です。その起源は遠く鎌倉時代に遡ります。開基は親鸞聖人の弟子、嘉念坊善俊(かねんぼうぜんしゅん)です。善俊は、後鳥羽上皇の孫とも皇子ともいわれます。関東より上洛途中の親鸞聖人に、伊豆の三島で門弟となったと伝えられます。

  • 開基である、『嘉念坊善俊上人』の文字が刻まれた巨大な石碑です。高山別院は、『高山御坊』や『ひだご坊』の別名を持ちます。

    開基である、『嘉念坊善俊上人』の文字が刻まれた巨大な石碑です。高山別院は、『高山御坊』や『ひだご坊』の別名を持ちます。

  • 鐘楼の光景です。『正蓮寺』から『光曜山照蓮寺』に改称されたのは、1504年(永正元年)、飛騨国白川郷に寺院が再建された、中野正蓮寺第十世明心の時代です。三木氏の後に飛騨国を治めた金森長近は『照蓮寺』の勢力の台頭を恐れ、1588年(天正16年)、高山城城下の現在地に『照蓮寺』を移転させました。白川郷に再建された『照蓮寺』はそのまま残り、『中野照蓮寺』と呼ばれています。

    鐘楼の光景です。『正蓮寺』から『光曜山照蓮寺』に改称されたのは、1504年(永正元年)、飛騨国白川郷に寺院が再建された、中野正蓮寺第十世明心の時代です。三木氏の後に飛騨国を治めた金森長近は『照蓮寺』の勢力の台頭を恐れ、1588年(天正16年)、高山城城下の現在地に『照蓮寺』を移転させました。白川郷に再建された『照蓮寺』はそのまま残り、『中野照蓮寺』と呼ばれています。

  • 高山別院のものと思われる、丸い金色の紋章です。高山に移転した『照蓮寺』は、金森氏と手を結び、勢力を拡大しました。1641年(寛永18年)、宣心(金森重頼の三男、金森従純)は、東本願寺十三代宣如の六女の佐奈姫を迎え入れ、本山との関係を濃くしました。1644年(正保元年)、宣心は照蓮寺第十五世を継ぐと、さらに金森氏と密接となりました。<br />

    高山別院のものと思われる、丸い金色の紋章です。高山に移転した『照蓮寺』は、金森氏と手を結び、勢力を拡大しました。1641年(寛永18年)、宣心(金森重頼の三男、金森従純)は、東本願寺十三代宣如の六女の佐奈姫を迎え入れ、本山との関係を濃くしました。1644年(正保元年)、宣心は照蓮寺第十五世を継ぐと、さらに金森氏と密接となりました。

  • 振り返って眺めた、『光曜山』の文字があった山門の扁額です。1692年(元禄5年)、金森頼時が出羽国上山藩に転封され飛騨国は、徳川幕府直轄の天領となりました。寺領は安堵されましたが、後ろ楯を失った『照蓮寺』は一気に衰退しました。

    イチオシ

    振り返って眺めた、『光曜山』の文字があった山門の扁額です。1692年(元禄5年)、金森頼時が出羽国上山藩に転封され飛騨国は、徳川幕府直轄の天領となりました。寺領は安堵されましたが、後ろ楯を失った『照蓮寺』は一気に衰退しました。

  • 高山別院のすぐ近くにあった案内標識です。照蓮寺第十五世宣心の死後、照蓮寺と末寺に軋轢が生じたこともあり、衰退の一途を辿りました。1703年(元禄16年)、照蓮寺第十七世の一乗は、この事態を打開するため、『照蓮寺』を本山に献上し、本山の掛所『高山御坊』となりました。

    高山別院のすぐ近くにあった案内標識です。照蓮寺第十五世宣心の死後、照蓮寺と末寺に軋轢が生じたこともあり、衰退の一途を辿りました。1703年(元禄16年)、照蓮寺第十七世の一乗は、この事態を打開するため、『照蓮寺』を本山に献上し、本山の掛所『高山御坊』となりました。

  • 高山別院の付属施設に見えましたが、別の寺院です。『専念寺』の表札がありました。昭和22年(1947年)4月の高山別院の火災で焼失しましたが、昭和39年に鉄筋コンクリート造りの本堂が再建され、庫裡は平成11年(1999年)に再建されました。

    高山別院の付属施設に見えましたが、別の寺院です。『専念寺』の表札がありました。昭和22年(1947年)4月の高山別院の火災で焼失しましたが、昭和39年に鉄筋コンクリート造りの本堂が再建され、庫裡は平成11年(1999年)に再建されました。

  • アカメガシ(紅要黐)の白い花です。赤い新芽が次第に緑っぽくなってきていました。正式には、バラ科カナメモチ属のベニカナメモチです。

    アカメガシ(紅要黐)の白い花です。赤い新芽が次第に緑っぽくなってきていました。正式には、バラ科カナメモチ属のベニカナメモチです。

  • 高山別院近くの建物光景です。飛騨の小京都と呼ばれるに相応しい、風格のある建物と庭木の光景です。

    高山別院近くの建物光景です。飛騨の小京都と呼ばれるに相応しい、風格のある建物と庭木の光景です。

  • この建物も、高山別院の近くにありました。表札は見当たりませんでしたが、寺院でしょうか。

    この建物も、高山別院の近くにありました。表札は見当たりませんでしたが、寺院でしょうか。

  • カワラナデシコ(河原撫子)です。ナデシコ科ナデシコ属の多年草です。秋の七草の一つとされています。

    カワラナデシコ(河原撫子)です。ナデシコ科ナデシコ属の多年草です。秋の七草の一つとされています。

  • この建物には、『真宗大谷派・高山別院』の表札がありました。近代的な造りの宿坊のような外観でした。

    この建物には、『真宗大谷派・高山別院』の表札がありました。近代的な造りの宿坊のような外観でした。

  • 飛騨高山のメインストリートの一つ、『安川通り』に面したお店の光景です。山盛りに展示してあったお土産品の数々です。

    飛騨高山のメインストリートの一つ、『安川通り』に面したお店の光景です。山盛りに展示してあったお土産品の数々です。

  • 同じく、『安川通り』に面したお店の光景です。高山名物の漬物を入れた樽が、お店の中央に並んでいました。漬物は、やいて食べるものと、高山出身の友達から何度もお聞きしました。

    同じく、『安川通り』に面したお店の光景です。高山名物の漬物を入れた樽が、お店の中央に並んでいました。漬物は、やいて食べるものと、高山出身の友達から何度もお聞きしました。

  • 『安川通り』に面したお店の光景が続きます。店先にはお菓子類、店の中には地酒などが置かれていました。お菓子では、『栗蒸しきんつば』と『飛騨栗しぼり』がお勧め品のようでした。

    『安川通り』に面したお店の光景が続きます。店先にはお菓子類、店の中には地酒などが置かれていました。お菓子では、『栗蒸しきんつば』と『飛騨栗しぼり』がお勧め品のようでした。

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