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高山旧市街散策の後、高山陣屋跡に向かいました。江戸時代の役所跡で、全国で唯一現存する建物とされます。足かけ16年の歳月と、約20億円の費用をかけ、平成8年3月に修復・復元工事が完成しました。

2015春、飛騨高山と白川郷(4/16):高山、宮川、中橋、日枝神社、高山陣屋、式台、御役所

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2015/05/23 - 2015/05/23

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

高山旧市街散策の後、高山陣屋跡に向かいました。江戸時代の役所跡で、全国で唯一現存する建物とされます。足かけ16年の歳月と、約20億円の費用をかけ、平成8年3月に修復・復元工事が完成しました。

交通手段
観光バス

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  • 『高山市三町伝統的建造物群保存地区』を略して、『古い町並み』と呼ばれる、神明町の町並み光景です。右手が宮川方面になります。

    『高山市三町伝統的建造物群保存地区』を略して、『古い町並み』と呼ばれる、神明町の町並み光景です。右手が宮川方面になります。

  • 右手の高台は、高山城址がある城山公園の方面のようでした。時間の都合で、こちら方面の散策は省略して宮川方面に戻りました。

    右手の高台は、高山城址がある城山公園の方面のようでした。時間の都合で、こちら方面の散策は省略して宮川方面に戻りました。

  • 『高山市三町伝統的建造物群保存地区』を略して、『古い町並み』の神明町の板塀に囲まれた建物光景です。

    『高山市三町伝統的建造物群保存地区』を略して、『古い町並み』の神明町の板塀に囲まれた建物光景です。

  • 宮川脇に建っていた除夜灯とシックな造りの建物光景です。建物は『日枝(ひえ)神社』の分社である、『御旅所』でした。

    宮川脇に建っていた除夜灯とシックな造りの建物光景です。建物は『日枝(ひえ)神社』の分社である、『御旅所』でした。

  • 宮川の光景です。右手が川上、左手が川下になります。本来の名前は『神通川』ですが、イタイイタイ病の公害問題で、世界に広まった名前ですから、少なくとも高山では、その名前が使われることはないようでした。

    宮川の光景です。右手が川上、左手が川下になります。本来の名前は『神通川』ですが、イタイイタイ病の公害問題で、世界に広まった名前ですから、少なくとも高山では、その名前が使われることはないようでした。

  • 欄干が赤く彩色された、『中橋』の光景です。中橋が供用開始されたのは、1925年(大正14年)ですが、赤い欄干は、1965年(昭和40年)に取り換えられたものです。橋の長さは 35.4メートル、幅員は7.9メートルです。

    欄干が赤く彩色された、『中橋』の光景です。中橋が供用開始されたのは、1925年(大正14年)ですが、赤い欄干は、1965年(昭和40年)に取り換えられたものです。橋の長さは 35.4メートル、幅員は7.9メートルです。

  • 『日枝神社御神府授与所』の表札があった建物光景です。日枝神社(ひえじんじゃ)は、山王信仰に基づき比叡山麓の日吉大社より勧請を受けた神社の社号とされます。

    『日枝神社御神府授与所』の表札があった建物光景です。日枝神社(ひえじんじゃ)は、山王信仰に基づき比叡山麓の日吉大社より勧請を受けた神社の社号とされます。

  • 『御旅所』と呼ばれる『日枝神社』の小さな社の光景です。高山市の『日枝神社』は、『飛騨山王宮日枝神社』とも呼ばれ、城山にあります。春の例祭(山王祭)は、秋の櫻山八幡宮の例祭とともに、『高山祭』として知られます。

    『御旅所』と呼ばれる『日枝神社』の小さな社の光景です。高山市の『日枝神社』は、『飛騨山王宮日枝神社』とも呼ばれ、城山にあります。春の例祭(山王祭)は、秋の櫻山八幡宮の例祭とともに、『高山祭』として知られます。

  • 石畳の広場にあった、東屋風の休憩所です。高山陣屋跡とは通りを1本隔てた、日枝神社(ひえじんじゃ)側からも通りを1本隔てた広場にありました。

    石畳の広場にあった、東屋風の休憩所です。高山陣屋跡とは通りを1本隔てた、日枝神社(ひえじんじゃ)側からも通りを1本隔てた広場にありました。

  • 高山陣屋跡の前にある広場では、毎日9時から12時前までは朝市が開かれています。朝市も終わって静かになった広場付近の光景です。

    高山陣屋跡の前にある広場では、毎日9時から12時前までは朝市が開かれています。朝市も終わって静かになった広場付近の光景です。

  • 今回の飛騨高山見学で、一番の目的地が、この高山陣屋跡です。現在は国の史蹟ととされています。史跡(史蹟)とは、貝塚、集落跡、城跡、古墳などの遺跡のうち、歴史・学術上価値の高いものを指し、国や自治体によって指定されています。

    今回の飛騨高山見学で、一番の目的地が、この高山陣屋跡です。現在は国の史蹟ととされています。史跡(史蹟)とは、貝塚、集落跡、城跡、古墳などの遺跡のうち、歴史・学術上価値の高いものを指し、国や自治体によって指定されています。

  • 『史蹟高山陣屋址』の石碑です。高山陣屋は、当初は飛騨高山藩主の金森氏が所有する下屋敷でしたが、1692年(元禄5年)に金森氏が出羽国上ノ山藩に転封となり、幕府が飛騨を直轄領として以降、関東郡代で飛騨代官を兼務した伊奈忠篤によって代官屋敷として整備され、代官所として用いられるようになりました。

    『史蹟高山陣屋址』の石碑です。高山陣屋は、当初は飛騨高山藩主の金森氏が所有する下屋敷でしたが、1692年(元禄5年)に金森氏が出羽国上ノ山藩に転封となり、幕府が飛騨を直轄領として以降、関東郡代で飛騨代官を兼務した伊奈忠篤によって代官屋敷として整備され、代官所として用いられるようになりました。

  • 『国史蹟・高山陣屋跡』のタイトルがあった立看板などです。旧法では、1919年(大正8年)の『史蹟名勝天然記念物保存法』により、史跡の法的な保護制度が確立しました。その後、この法律は、1950年(昭和25年)制定の文化財保護法に引き継がれました。

    『国史蹟・高山陣屋跡』のタイトルがあった立看板などです。旧法では、1919年(大正8年)の『史蹟名勝天然記念物保存法』により、史跡の法的な保護制度が確立しました。その後、この法律は、1950年(昭和25年)制定の文化財保護法に引き継がれました。

  • 入場した後で、振り返って眺めた高山陣屋跡の入口門の光景です。最初は代官所でしたが、1777年(安永6年)以降は郡代役所に昇格されました。明治維新後は、高山陣屋は高山県庁舎として用いらました。

    イチオシ

    入場した後で、振り返って眺めた高山陣屋跡の入口門の光景です。最初は代官所でしたが、1777年(安永6年)以降は郡代役所に昇格されました。明治維新後は、高山陣屋は高山県庁舎として用いらました。

  • 山岡鉄舟が13歳の時の書の模作のようです。『十三童・小野鉄太郎・降雪と力くらべや松の枝・亀半』の文字です。山岡鉄舟は、勝海舟、高橋泥舟と並び『幕末の三舟』と称された政治家で思想家です。

    山岡鉄舟が13歳の時の書の模作のようです。『十三童・小野鉄太郎・降雪と力くらべや松の枝・亀半』の文字です。山岡鉄舟は、勝海舟、高橋泥舟と並び『幕末の三舟』と称された政治家で思想家です。

  • 『式台』の立札と、その説明パネルです。『代官や来客に送迎の挨拶をするところ』と解説されていました。式台の英訳は、ポーチ(Porch)でした。

    『式台』の立札と、その説明パネルです。『代官や来客に送迎の挨拶をするところ』と解説されていました。式台の英訳は、ポーチ(Porch)でした。

  • 『玄関の間』の光景です。『青海波大床』に飾られた、『花もち』の光景です。『玄関の間』は、『エントランス・ホール(Entrance hall)』と英訳されていました。

    イチオシ

    『玄関の間』の光景です。『青海波大床』に飾られた、『花もち』の光景です。『玄関の間』は、『エントランス・ホール(Entrance hall)』と英訳されていました。

  • 『青海波大床』に飾られた、『花もち』のアップ光景です。高山陣屋前朝市組合からの寄贈品でした。岐阜県(主に高山市・飛騨市)では、『花餅(はなもち)』は正月の装飾用品として定着していると紹介されていました。(ウィキペディア)

    『青海波大床』に飾られた、『花もち』のアップ光景です。高山陣屋前朝市組合からの寄贈品でした。岐阜県(主に高山市・飛騨市)では、『花餅(はなもち)』は正月の装飾用品として定着していると紹介されていました。(ウィキペディア)

  • 『高山陣屋跡』の室内光景です。明治維新以後も現役の役所として使われたことが幸いして、今日の姿を留めているようです。慎重に下調べと計画が練られて、補修工事が行なわれました。左手に見えているのは、高級役人が執務した『御役所(おんやくしょ)』の部屋です。

    『高山陣屋跡』の室内光景です。明治維新以後も現役の役所として使われたことが幸いして、今日の姿を留めているようです。慎重に下調べと計画が練られて、補修工事が行なわれました。左手に見えているのは、高級役人が執務した『御役所(おんやくしょ)』の部屋です。

  • 幕府から派遣された手付、手代と呼ばれる上級役人が執務した、『御役所(おんやくしょ)』の室内光景です。畳が紋縁となっていて、地元採用の役人が執務した『御用場(ごようば)』の畳の黒縁とは差別されています。

    幕府から派遣された手付、手代と呼ばれる上級役人が執務した、『御役所(おんやくしょ)』の室内光景です。畳が紋縁となっていて、地元採用の役人が執務した『御用場(ごようば)』の畳の黒縁とは差別されています。

  • 『北の御白洲』の表示があった場所です。民事を扱った法廷とされますが、時には、孝子節婦の表彰も行われたと解説されていました。幕府から派遣された手付、手代と呼ばれる上級役人が執務する『御役所』の前に位置します。

    『北の御白洲』の表示があった場所です。民事を扱った法廷とされますが、時には、孝子節婦の表彰も行われたと解説されていました。幕府から派遣された手付、手代と呼ばれる上級役人が執務する『御役所』の前に位置します。

  • 地元の役人が勤務した場所の『御用場(ごようば)』です。広さが35畳と紹介されていました。『口留番所役は不在』と添書きされていました。『口留番所』は、江戸時代に諸藩が境界や要所に設けた見張り所で、物資の他藩流出などを統制しました。

    地元の役人が勤務した場所の『御用場(ごようば)』です。広さが35畳と紹介されていました。『口留番所役は不在』と添書きされていました。『口留番所』は、江戸時代に諸藩が境界や要所に設けた見張り所で、物資の他藩流出などを統制しました。

  • 陣屋内の廊下と中庭のような場所の光景です。20億円をかけて補修工事などが行なわれたとは言え、非常に保存状態のよい木造建築でした。

    陣屋内の廊下と中庭のような場所の光景です。20億円をかけて補修工事などが行なわれたとは言え、非常に保存状態のよい木造建築でした。

  • 『高山陣屋・順路案内図』です。要所にかなりの数の案内図が整備されていました。式台から入場し、まだわずかに見学したばかりの場所に現在位置が記されていました。

    『高山陣屋・順路案内図』です。要所にかなりの数の案内図が整備されていました。式台から入場し、まだわずかに見学したばかりの場所に現在位置が記されていました。

  • 陣屋内の中庭光景です。飛騨高山が江戸幕府の直轄領になったのは、元禄五年(1692年)のことです。以来、慶応四年(1868年)に至るまで176年間、25代の代官、郡代を派遣して飛騨の国を支配してきました。

    イチオシ

    陣屋内の中庭光景です。飛騨高山が江戸幕府の直轄領になったのは、元禄五年(1692年)のことです。以来、慶応四年(1868年)に至るまで176年間、25代の代官、郡代を派遣して飛騨の国を支配してきました。

  • 陣屋内の中庭を仕切る建物と、輝度の光景です。『帳綴場』から『湯呑所』に向かう途中の光景だったようです。

    陣屋内の中庭を仕切る建物と、輝度の光景です。『帳綴場』から『湯呑所』に向かう途中の光景だったようです。

  • 『町組頭詰所(まちくみかしたつめしょ)』の表示があった部屋です。町年寄詰所と同じような役割を持たされていたようです。

    『町組頭詰所(まちくみかしたつめしょ)』の表示があった部屋です。町年寄詰所と同じような役割を持たされていたようです。

  • 窓から見える光景は、『帳面土蔵跡』のようです。『帳面土蔵』の建物は再建されていませんでした。図面からの推測ですが、前方の塀は『陣屋北東広場』との境のようです。

    窓から見える光景は、『帳面土蔵跡』のようです。『帳面土蔵』の建物は再建されていませんでした。図面からの推測ですが、前方の塀は『陣屋北東広場』との境のようです。

  • 手前の部屋が『町年寄詰所』、奥の部屋が『寺院詰所』です。寺院詰所には、求めに応じて、寺院代表の僧侶が詰め、宗門改めの事務を援けていたようです。

    手前の部屋が『町年寄詰所』、奥の部屋が『寺院詰所』です。寺院詰所には、求めに応じて、寺院代表の僧侶が詰め、宗門改めの事務を援けていたようです。

  • 『町年寄詰所』の表示があった部屋です。『町年寄(まちどしより)』は、江戸時代の町政を司る町役人の筆頭に位置する役職です。選任方法は、世襲制の場合と選挙で決められる場合とがありました。呼び名は地方によって異なり、総年寄や町頭など様々でした。御白洲に向かう人物の顔改めや身元保証などをしたり、代官、役人からの通達を受け取ったりしていたようです。

    『町年寄詰所』の表示があった部屋です。『町年寄(まちどしより)』は、江戸時代の町政を司る町役人の筆頭に位置する役職です。選任方法は、世襲制の場合と選挙で決められる場合とがありました。呼び名は地方によって異なり、総年寄や町頭など様々でした。御白洲に向かう人物の顔改めや身元保証などをしたり、代官、役人からの通達を受け取ったりしていたようです。

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