2014/10/15 - 2014/10/18
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金州提督府址の展示品の紹介です。金州城のセピア写真や職掌モデル、清朝時代の兵器類や軍服などが展示されていました。
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『金州城内景組照』のタイトルがあった展示の中から、4枚の写真です。かつて撮影された、城壁や櫓のセピア写真です。
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同じく、『金州城内景組照』のタイトルがあった展示の紹介です。上の2枚のセピア写真は、紹介済みのものです。創建は、干遼代、明朝の洪武時代などに回収され、清朝乾隆時代の1778年に重修されたこと等が解説されていました。右下の写真は、金州城門楼です。
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『女真人騎射図』のタイトルがあったイラスト風の2頭の騎馬像です。女真は、満洲の松花江一帯から外興安嶺(スタノヴォイ山脈)以南の外満州にかけて居住していた満州民族です。10世紀頃から記録に現れ、17世紀に『満洲』と改称しました。中国の清朝を建てた民族です。
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イチオシ
『満州勇士像』のタイトルがあった絵です。弓を携え、刀を腰に差した隙姿です。黒と緑の衣装もその精悍さを引き立てていました。
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一見、衣服の背面かと思いましたが、前面でした。告示の胸の部分に大きな飾りがありました。厳めしそうな服には意外な、可愛らしい虎の図でした。
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展示タイトルは確認できませんでしたが、馬具の鐙(あぶみ)に間違いないようです。モンゴル型と呼ばれる一種かも知れません。かつて、騎兵の戦闘力を飛躍的に向上させました。
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『満州八旗』のタイトルがあった展示パネルです。1601年に創設された『正黄旗』、『正白旗』、『正藍旗』と『正紅旗』、1615年に追加された4旗の説明パネルです。
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左上は『復州城平面図』、右上が『復州八旗駐防』の写真、左下が『守衛軍港的清兵』の写真です。康熙26年(1687年)当時の守備力は、700名に近かったようです。
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金州副都統印の押印拡大図と、その説明文です。右上から読んで、『管理金州等処副都統』で始まる25文字のようです。
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上の表は、『金州副都統営署定員及俸禄表』、下の図は、盛京将軍をトップにした、金州副都統衛門の組織図です。
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金州提督府址の復元模型図です。かなりの部分の建物が実際に復元されていました。
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実戦で使われたらしい、移動式の大砲です。頑丈な二輪付の台車の上に備え付けられていました。
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大砲を10砲装備した帆船の模型です。穂が3つありますから、ジャンク船タイプかも知れません。商船ではなく、明らかに艦船のようです。アヘン戦争時代は、イギリス艦船に翻弄されました。
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軍事教育に関する教科書の一部のようです。『子母炮説明』のタイトルがありました。図1が、大砲のような砲身、図2が銃のような細身の砲身が台にセットされた図です。
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銃のようなものを手にした、清軍兵士のセピア写真です。19世紀中頃から20世紀初めの頃の写真のようです。清朝時代の子母炮に形が似ていました。因みに、日本で最も古い写真は1854年に撮影された、田中光儀像です。ペリーが浦賀に来航した時の写真です。
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イチオシ
軍旗でしょうか、赤い地に五本指の黄金の龍が描かれていました。雲も描かれた雲竜図です。
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清朝時代の火器類の実物と写真の展示コーナーです。中央付近の図には、馬槍全図、平槍全図、猟槍全図等の説明がありました。その左の図が、『槍的簡介』のタイトルの構造説明図でした。
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実戦で使われたような、移動式の小型の大砲の展示です。19世紀中期の『清代紅衣大炮』の表示がありました。
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清軍兵士の軍服飾りの説明写真です。軍服は、『号衣』と呼ばれたようです。胸のところの円には、『兵』、『兵勇』、『新兵』等の文字が記されたようです。右の写真の文字は、『正勇』です。
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どのような立場の方が使われた什器類か分かりませんでしたが、精緻なレリーフが施された、見応えのある机と瀟洒な作りの椅子です。
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場所を変えて撮影した見事な什器類の光景です。中に立ち入ることはできませんでした。紫檀当たりを使ってあるようです。
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厚手の綿で出来た軍服のようです。近くにあった説明図には、『身着綿甲的八旗士兵』の説明とイラストがありました。
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イチオシ
色違いの軍服です。刀による切り傷には強いかもしれませんが、突きや鉄砲に対しては弱いかもしれません。満州族出身の清朝ですから、防寒には怠りないようには見えます。
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上の写真は、修復後の『真武廟』の全景です。以前の名前は、『金頂山廟』です。道教のお寺のようです。
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中央の石碑の写真には、『花園口』の表示がありました。日清戦争当時、日本軍が攻め入った場所のようです。花園口から攻め入った日本の第2軍の指揮部跡や営兵地跡の写真もありました。
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金州城の縮小模型と写真のようです。門には『永安門』の文字がありました。金州城では日清戦争の後、『南山の戦い』として日露戦争でも攻防がありました。
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日清戦争時の石門子の戦いに関する顕彰碑のようです。1996年位大連市の市級文物保存単位に指定されたようです。右側の写真は、袁世凱の墓かと思いましたが、時代がずれていました。閻世開(1853〜1894年)のような表記でした。
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日本軍が金州城を攻めて、清朝の金州副都統の福升らを捕虜にした時の戦争絵画のようです。20世紀初頭の出来事です。
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『曲氏井遺祉』に関する説明文と模型・蝋人形です。日清戦争時の出来事が記されていました。現在の場所は、友誼街道古城甲区48号楼西です。日本軍の侵攻によって、婦人や子供10名が井戸に身を投げた出来事のようです。その家族の姓が『曲』氏です。
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『金州城保衛戦』のタイトルがあった戦争絵画です。日清戦争時の1894年11月6日の攻防戦のようです。清軍の士気は低く、1日で攻略されたとされます。
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