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大連からの日帰りでの旅順見学です。最初に旅順博物館を見学しました。日本の大谷探検隊・第三次探検がトルファンで発掘したミイラなども展示されていました。<br /><br />

2014秋、中国旅行記24(7/18):10月16日(3):旅順、旅順博物館、関東軍司令部址

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2014/10/15 - 2014/10/18

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旅行記グループ 2014秋、中国旅行記24

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

大連からの日帰りでの旅順見学です。最初に旅順博物館を見学しました。日本の大谷探検隊・第三次探検がトルファンで発掘したミイラなども展示されていました。

  • 入口近くの左手にあった建物ではなく、真っ直ぐ進んで右手にあった建物です。この建物の中の展示物を中心に見学しました。展示品については、補遺で纏めて紹介しました。

    入口近くの左手にあった建物ではなく、真っ直ぐ進んで右手にあった建物です。この建物の中の展示物を中心に見学しました。展示品については、補遺で纏めて紹介しました。

  • 全国重要文物保存単位の文字とともに『関東庁博物館旧址』の文字があった真新しい石碑の光景です。

    全国重要文物保存単位の文字とともに『関東庁博物館旧址』の文字があった真新しい石碑の光景です。

  • 『旅順博物館』の扁額が懸った建物正面光景です。文化大革命中の1972年からは、一時閉鎖されていたようです。

    『旅順博物館』の扁額が懸った建物正面光景です。文化大革命中の1972年からは、一時閉鎖されていたようです。

  • 狛犬を見ますと、ついカメラが向きます。その内、狛犬特集でも纏めてみたい気もします。右足の下に球を抑え込んだ雄の方です。入口右手にあるのも型通りです。

    狛犬を見ますと、ついカメラが向きます。その内、狛犬特集でも纏めてみたい気もします。右足の下に球を抑え込んだ雄の方です。入口右手にあるのも型通りです。

  • 入口左手にあったのは、雌の獅子です。左足の下に子獅子がいるのも型通りです。

    入口左手にあったのは、雌の獅子です。左足の下に子獅子がいるのも型通りです。

  • 入口近くのフロアーに飾ってあった梵鐘です。これも展示品の一部でした。元時代(1271〜1368年)のものです。大元元朝とも呼ばれ、中国とモンゴル高原を中心とした領域を支配しました。日本への蒙古襲来は、鎌倉時代の1274年の文永の役と、1281年の弘安の役の2度です。主に九州北部が戦場となりました。モンゴル帝国とその属国の高麗王国の艦隊が押し寄せました。それまでの戦役では、世界史上最大規模の艦隊とされます。

    入口近くのフロアーに飾ってあった梵鐘です。これも展示品の一部でした。元時代(1271〜1368年)のものです。大元元朝とも呼ばれ、中国とモンゴル高原を中心とした領域を支配しました。日本への蒙古襲来は、鎌倉時代の1274年の文永の役と、1281年の弘安の役の2度です。主に九州北部が戦場となりました。モンゴル帝国とその属国の高麗王国の艦隊が押し寄せました。それまでの戦役では、世界史上最大規模の艦隊とされます。

  • 『中国古代貨幣』のタイトルがあった案内看板です。中国は世界で最も早くからコインを使用した国であることなどが説明されていました。

    『中国古代貨幣』のタイトルがあった案内看板です。中国は世界で最も早くからコインを使用した国であることなどが説明されていました。

  • 古銭の展示コーナーの光景です。近年では水中考古学が充実してきたようですが、旅順でも海中から引き揚げられた古銭などが豊富なようです。ユネスコでは、水の中に100年以上ある遺跡を水中文化遺産と定義しています。水中の遺跡をはじめ遺物の発見や調査は、日本でも盛んになっています。

    古銭の展示コーナーの光景です。近年では水中考古学が充実してきたようですが、旅順でも海中から引き揚げられた古銭などが豊富なようです。ユネスコでは、水の中に100年以上ある遺跡を水中文化遺産と定義しています。水中の遺跡をはじめ遺物の発見や調査は、日本でも盛んになっています。

  • 小さめの金銅仏などが展示されていたコーナーの紹介です。時間の都合で、その一部だけか撮影できませんでした。

    小さめの金銅仏などが展示されていたコーナーの紹介です。時間の都合で、その一部だけか撮影できませんでした。

  • 四天王像が展示してあったコーナーの光景です。この写真では三天王像になってしまいましたが、四天王像は個別の写真を補遺で紹介しました。

    イチオシ

    四天王像が展示してあったコーナーの光景です。この写真では三天王像になってしまいましたが、四天王像は個別の写真を補遺で紹介しました。

  • 扇子に描かれた画や書の展示コーナーです。いくつかは個別に写真を撮り、補遺で紹介しました。

    扇子に描かれた画や書の展示コーナーです。いくつかは個別に写真を撮り、補遺で紹介しました。

  • 同じく、扇子に描かれた画や書の展示コーナーの紹介です。書では、後代に臨書された王羲之の蘭亭序などもありました。書道史上最も有名な作品です。その書が書かれた、曲水の宴の開かれた蘭亭は2度見学しました。

    同じく、扇子に描かれた画や書の展示コーナーの紹介です。書では、後代に臨書された王羲之の蘭亭序などもありました。書道史上最も有名な作品です。その書が書かれた、曲水の宴の開かれた蘭亭は2度見学しました。

  • 玉製品の展示状況です。清代(1644〜1911年)のメノウ(瑪瑙)製品です。メノウは、縞状の玉髄の一種です。玉髄は、石英の非常に細かい結晶が網目状に集まり、緻密に固まった鉱物を指します。

    玉製品の展示状況です。清代(1644〜1911年)のメノウ(瑪瑙)製品です。メノウは、縞状の玉髄の一種です。玉髄は、石英の非常に細かい結晶が網目状に集まり、緻密に固まった鉱物を指します。

  • 博物館内の陶磁器類の展示状況です。『画琺瑯工芸』のタイトルがありました。収蔵品が少ないのか、ゆったりとしたスペースの展示でした。琺瑯工芸品が中国伝統工芸の一部門として成立したのは、元代とされます。

    博物館内の陶磁器類の展示状況です。『画琺瑯工芸』のタイトルがありました。収蔵品が少ないのか、ゆったりとしたスペースの展示でした。琺瑯工芸品が中国伝統工芸の一部門として成立したのは、元代とされます。

  • 大きな戦いなどの時に、戦場に持ち込んだ太鼓でしょうか、銅鼓と呼ばれているようです。中国南部からインドシナ半島,インドネシアに分布する青銅製の片面鼓です。起源前2世紀頃に始まり、近代まで作製されていたようです。

    大きな戦いなどの時に、戦場に持ち込んだ太鼓でしょうか、銅鼓と呼ばれているようです。中国南部からインドシナ半島,インドネシアに分布する青銅製の片面鼓です。起源前2世紀頃に始まり、近代まで作製されていたようです。

  • 『旅順博物館』の室内光景です。1階から見上げた階上の光景です。中国風ではなく、欧風の室内光景でした。

    『旅順博物館』の室内光景です。1階から見上げた階上の光景です。中国風ではなく、欧風の室内光景でした。

  • 『旅順博物館』の室内光景です。2階から見下ろした1階の光景です。中央付近に先に紹介した元時代の梵鐘が見えています。

    『旅順博物館』の室内光景です。2階から見下ろした1階の光景です。中央付近に先に紹介した元時代の梵鐘が見えています。

  • 1階に飾ってあった仏像の紹介です。阿弥陀仏銅立像です。余り目にしたことが手印の像です。明代(1368〜1644年)の製作です。右手は施無畏印、左手は結与愿印と解説されていました。

    イチオシ

    1階に飾ってあった仏像の紹介です。阿弥陀仏銅立像です。余り目にしたことが手印の像です。明代(1368〜1644年)の製作です。右手は施無畏印、左手は結与愿印と解説されていました。

  • 立像の金銅仏です。この像も1階に展示してありました。剃髪の姿ですから、螺髪が普通の姿である、仏陀とは違うようです。

    立像の金銅仏です。この像も1階に展示してありました。剃髪の姿ですから、螺髪が普通の姿である、仏陀とは違うようです。

  • 同じく、立像の金銅仏です。ミイラをはじめ、仏像なども大谷探検隊の主催者、大谷光瑞が寄贈した品が多いようです。

    同じく、立像の金銅仏です。ミイラをはじめ、仏像なども大谷探検隊の主催者、大谷光瑞が寄贈した品が多いようです。

  • 博物館の見学を終わった後での撮影です。『旅順博物館』の建物正面の光景です。

    博物館の見学を終わった後での撮影です。『旅順博物館』の建物正面の光景です。

  • 『旅順博物館』の扁額のアップ光景です。郭沫若の揮毫のようです。私は目にしませんでしたが、ネットで調べた、敷地内にある郭沫若揮毫の石碑の文字と一致していました。

    『旅順博物館』の扁額のアップ光景です。郭沫若の揮毫のようです。私は目にしませんでしたが、ネットで調べた、敷地内にある郭沫若揮毫の石碑の文字と一致していました。

  • 『旅順博物館』の敷地内の黄葉の光景です。散り始めた公孫樹の黄葉のようでした。

    『旅順博物館』の敷地内の黄葉の光景です。散り始めた公孫樹の黄葉のようでした。

  • 旅順博物館内にあった建物光景です。この建物に入場して見学する時間はありませんでした。

    旅順博物館内にあった建物光景です。この建物に入場して見学する時間はありませんでした。

  • 日本統治時代の関東軍司令部の建物址です。現在は関東軍旧蹟博物館として使用されています。リニューアルされたらしい綺麗な外壁です。

    イチオシ

    日本統治時代の関東軍司令部の建物址です。現在は関東軍旧蹟博物館として使用されています。リニューアルされたらしい綺麗な外壁です。

  • 関東軍司令部の建物址近くに建っていた新しい記念碑の光景です。『中露友好記念塔』と呼ばれています。ネット情報では、1957年2月に『中ソ友好同盟協力条約』の締結7周年の際、落成したものと紹介されていました。原条約は、中華民国とソビエト連邦の間で1945年(民国34年)8月14日に締結されました。署名者は、ソビエト側が最高会議幹部会全権委員のモロトフ、中華民国国民政府側が全権委員の王時沢でした。

    関東軍司令部の建物址近くに建っていた新しい記念碑の光景です。『中露友好記念塔』と呼ばれています。ネット情報では、1957年2月に『中ソ友好同盟協力条約』の締結7周年の際、落成したものと紹介されていました。原条約は、中華民国とソビエト連邦の間で1945年(民国34年)8月14日に締結されました。署名者は、ソビエト側が最高会議幹部会全権委員のモロトフ、中華民国国民政府側が全権委員の王時沢でした。

  • 『中露友好記念塔』の側面光景です。建設年や謂れを探してみましたが、レリーフ像があるだけでした。この条約の締結により、ソ連は中国共産党軍に全面的な支援を与えることが制限されました。

    『中露友好記念塔』の側面光景です。建設年や謂れを探してみましたが、レリーフ像があるだけでした。この条約の締結により、ソ連は中国共産党軍に全面的な支援を与えることが制限されました。

  • 『関東軍旧蹟博物館』と『中露友好記念塔』の光景です。頂部には両国の国旗をイメージする飾りがありましたが、中国側は現在の中華人民共和国ではなく、中華民国国民政府です。こちらにも記念碑の説明文が見当たりませんでした。時間が少なかったので、探しきれなかったのかも知れません。

    『関東軍旧蹟博物館』と『中露友好記念塔』の光景です。頂部には両国の国旗をイメージする飾りがありましたが、中国側は現在の中華人民共和国ではなく、中華民国国民政府です。こちらにも記念碑の説明文が見当たりませんでした。時間が少なかったので、探しきれなかったのかも知れません。

  • 詳しい謂れは現地では分かりませんでしたが、景色にはなりましたので、『関東軍旧蹟博物館』と『中露友好記念塔』を重ねての記念撮影です。

    詳しい謂れは現地では分かりませんでしたが、景色にはなりましたので、『関東軍旧蹟博物館』と『中露友好記念塔』を重ねての記念撮影です。

  • 旅順博物館の見学を終え、次に向かったのは水師営の会見所跡です。その途中の車窓光景です。日露戦争時、日本の乃木大将と、ロシアのステッセル将軍が終戦の会見した場所として有名です。

    旅順博物館の見学を終え、次に向かったのは水師営の会見所跡です。その途中の車窓光景です。日露戦争時、日本の乃木大将と、ロシアのステッセル将軍が終戦の会見した場所として有名です。

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2014秋、中国旅行記24

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