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旅行2日目です。朝食の後に、ホテル界隈を散策してきました。朝一番のツアーでの見学は、大連市内の中山広場です。その後、旅順に向かいました。

2014秋、中国旅行記24(5/18):10月16日(1):大連、早朝散策、中山広場

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2014/10/15 - 2014/10/18

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旅行記グループ 2014秋、中国旅行記24

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

旅行2日目です。朝食の後に、ホテル界隈を散策してきました。朝一番のツアーでの見学は、大連市内の中山広場です。その後、旅順に向かいました。

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  • 泊まったホテルの窓から眺めた、朝日を受けた山の黄葉の光景です。今日の天気もよさそうでした。ホテルからは道路を挟んだ西側の光景です。

    泊まったホテルの窓から眺めた、朝日を受けた山の黄葉の光景です。今日の天気もよさそうでした。ホテルからは道路を挟んだ西側の光景です。

  • 泊まったホテルの自室の紹介です。水道の水質の問題を除いて、問題はありませんでした。歯磨きなどには、ペットボトルの水を利用しました。

    泊まったホテルの自室の紹介です。水道の水質の問題を除いて、問題はありませんでした。歯磨きなどには、ペットボトルの水を利用しました。

  • 洗面室の光景です。アメニティ類は、いつも持参していますから、特段の不便はありませんでした。

    洗面室の光景です。アメニティ類は、いつも持参していますから、特段の不便はありませんでした。

  • 洗面台の下の光景です。体重計と洗濯籠も置いてありました。

    洗面台の下の光景です。体重計と洗濯籠も置いてありました。

  • バスタブの光景です。これも、水質の問題を除けば問題はありませんでした。

    バスタブの光景です。これも、水質の問題を除けば問題はありませんでした。

  • バイキング方式の朝食の紹介です。一通りの品は揃っていました。ただし、コーヒーのコーナーが混み合っていましたので、諦めました。時間がかかり過ぎる機械だったためです。

    バイキング方式の朝食の紹介です。一通りの品は揃っていました。ただし、コーヒーのコーナーが混み合っていましたので、諦めました。時間がかかり過ぎる機械だったためです。

  • ホテル内の朝食のレストラン光景です。パンや果物などの造りものの飾りは立派でしたが、食することができる本物は、今一でした。

    ホテル内の朝食のレストラン光景です。パンや果物などの造りものの飾りは立派でしたが、食することができる本物は、今一でした。

  • 中南路に面した、グランド・メルキュール・ホテルの玄関光景です。

    中南路に面した、グランド・メルキュール・ホテルの玄関光景です。

  • グランド・メルキュール・ホテルの正面光景です。ネット情報では、開業が2007年とされていましたが、赤水が出る水道からは想像できませんでした。

    グランド・メルキュール・ホテルの正面光景です。ネット情報では、開業が2007年とされていましたが、赤水が出る水道からは想像できませんでした。

  • 朝の散策の始まりです。ホテルの玄関を出て、北側方面に向かうことにしました。ホテルの前の大通りは通行量が多く、なるべく渡らないことにしました。

    朝の散策の始まりです。ホテルの玄関を出て、北側方面に向かうことにしました。ホテルの前の大通りは通行量が多く、なるべく渡らないことにしました。

  • 狛犬の光景です。左足の下に子獅子がいる、雌獅子のようです。日本風の阿吽の形相では判別が付きません。門の左手にありました。

    狛犬の光景です。左足の下に子獅子がいる、雌獅子のようです。日本風の阿吽の形相では判別が付きません。門の左手にありました。

  • 門の右手に置かれていた狛犬です。右足の下に玉を抑え込んだ雄獅子です。どちらも、艶のない白っぽい色の石材でした。

    門の右手に置かれていた狛犬です。右足の下に玉を抑え込んだ雄獅子です。どちらも、艶のない白っぽい色の石材でした。

  • 中心部からは少し離れた場所ですが、大きなホテルがいくつか隣接していました。写真中央付近に見えるホテルには、『普吉酒店』の文字がありました。このホテルは少し小規模でした。

    中心部からは少し離れた場所ですが、大きなホテルがいくつか隣接していました。写真中央付近に見えるホテルには、『普吉酒店』の文字がありました。このホテルは少し小規模でした。

  • 『大連市公共汽車朕售公司』の標識があった建物光景です。中国での汽車は日本の自動車、火車が汽車に相当します。<br /><br />(注)朕の文字は、正しくは耳偏です。簡体字か繁体字かの判断が付きませんでした。<br />

    『大連市公共汽車朕售公司』の標識があった建物光景です。中国での汽車は日本の自動車、火車が汽車に相当します。

    (注)朕の文字は、正しくは耳偏です。簡体字か繁体字かの判断が付きませんでした。

  • 南北の幹線道路から、東方面に分岐した通りの光景です。歩道がありませんでしたから、この方面の散策は止めにしました。

    南北の幹線道路から、東方面に分岐した通りの光景です。歩道がありませんでしたから、この方面の散策は止めにしました。

  • 街路樹の枝先のアップ光景です。豆のような実が沢山生っていました。街路樹は、マメ科の落葉高木のエンジュ(槐)です。中国原産で、古くから台湾、日本、韓国などで植栽されている植物です。蕾を乾燥させたものは、槐花(かいか)とよばれる生薬で、止血作用があります。

    イチオシ

    街路樹の枝先のアップ光景です。豆のような実が沢山生っていました。街路樹は、マメ科の落葉高木のエンジュ(槐)です。中国原産で、古くから台湾、日本、韓国などで植栽されている植物です。蕾を乾燥させたものは、槐花(かいか)とよばれる生薬で、止血作用があります。

  • 青々と茂った、エンジュ(槐)の街路樹の光景です。開花樹は7月で、日本の街路樹でも満開の時期には、円錐花序に白色の蝶形花を多数開きます。蜂などの重要な蜜源植物ともなっています。

    青々と茂った、エンジュ(槐)の街路樹の光景です。開花樹は7月で、日本の街路樹でも満開の時期には、円錐花序に白色の蝶形花を多数開きます。蜂などの重要な蜜源植物ともなっています。

  • ビルの間に見えていた擁壁の光景です。推測ですが難読の大通り等を建設する時に削り取った山腹を擁壁で土止めしたようです。

    ビルの間に見えていた擁壁の光景です。推測ですが難読の大通り等を建設する時に削り取った山腹を擁壁で土止めしたようです。

  • 何回かの工事が繰り返されたようにも見える、擁壁のアップ光景です。10メートル近い高さがありました。

    何回かの工事が繰り返されたようにも見える、擁壁のアップ光景です。10メートル近い高さがありました。

  • 南北の大通りを挟んだ西側方面の光景です。ホテルの自室の窓から見えていたのは、こちらの山の光景でした。

    南北の大通りを挟んだ西側方面の光景です。ホテルの自室の窓から見えていたのは、こちらの山の光景でした。

  • 泊まったホテルではなく、近くにあった別のホテルです。壁面に『中南陽光酒店』の文字がありました。ネット情報では四つ星ホテルでした.

    泊まったホテルではなく、近くにあった別のホテルです。壁面に『中南陽光酒店』の文字がありました。ネット情報では四つ星ホテルでした.

  • 甲高い鳴き声で居場所を教えてくれました。交通標識の金属ポールの上にいたカササギ(鵲)さんです。コウライガラス(高麗烏)の和名があるように、韓国でよく見かけますが、中国や欧州でもよく出会いました。

    イチオシ

    甲高い鳴き声で居場所を教えてくれました。交通標識の金属ポールの上にいたカササギ(鵲)さんです。コウライガラス(高麗烏)の和名があるように、韓国でよく見かけますが、中国や欧州でもよく出会いました。

  • 朝の散策から戻り、一旦部屋に戻って、今日の観光出発の用意を済ませました。出掛ける直前の1階ロビーの光景です。

    朝の散策から戻り、一旦部屋に戻って、今日の観光出発の用意を済ませました。出掛ける直前の1階ロビーの光景です。

  • 定刻でのホテル出発ですが、ツアーメンバーが全員揃っても、現地ガイドだはまだ姿が見えませんでした。

    定刻でのホテル出発ですが、ツアーメンバーが全員揃っても、現地ガイドだはまだ姿が見えませんでした。

  • 今日の観光の始まりです。最初は大連中山広場です。中山広場4号に位置する、大連ヤマトホテル前に到着しました。現在の建物の呼び名は大連賓館です。1914年に竣工した建物です。

    今日の観光の始まりです。最初は大連中山広場です。中山広場4号に位置する、大連ヤマトホテル前に到着しました。現在の建物の呼び名は大連賓館です。1914年に竣工した建物です。

  • 大連中山広場は、10本の道が放射状に延びている大連の中心地です。その10本の道路は、北から時計回りに、上海路(北)、民生街、七一街、人民路(東)、魯迅路、解放街、延安路(南)、玉光街、中山路(東)、と民康街になります。

    イチオシ

    大連中山広場は、10本の道が放射状に延びている大連の中心地です。その10本の道路は、北から時計回りに、上海路(北)、民生街、七一街、人民路(東)、魯迅路、解放街、延安路(南)、玉光街、中山路(東)、と民康街になります。

  • まずは、大連中山広場の中央付近からぐるりと見渡した四方の建物光景です。大連中山広場は、帝政ロシアが統治する時代に建設され、ニコライェフスカヤ広場と呼ばれました。日本統治時代の呼び名は大広場でした。

    まずは、大連中山広場の中央付近からぐるりと見渡した四方の建物光景です。大連中山広場は、帝政ロシアが統治する時代に建設され、ニコライェフスカヤ広場と呼ばれました。日本統治時代の呼び名は大広場でした。

  • 1908年から1935年まで、日本人などの建築家の設計により、広場の周辺は続々と10基のルネッサンス様式やゴシック様式などのシンボル的な建築物が建てられました。それらの建物は壊されずに残され、大連中山広場近代建築群として、2001年、中国の全国重点文物保護単位に登録されました。その背後を近代ビルが取り囲みます。

    1908年から1935年まで、日本人などの建築家の設計により、広場の周辺は続々と10基のルネッサンス様式やゴシック様式などのシンボル的な建築物が建てられました。それらの建物は壊されずに残され、大連中山広場近代建築群として、2001年、中国の全国重点文物保護単位に登録されました。その背後を近代ビルが取り囲みます。

  • 四方に伸びる10本の道路と合わせて建築された建物は10棟です。中山広場1号に位置する朝鮮銀行大連支店から順次、大連民政署(大連警察署)、英国駐大連領事館、大連ヤマトホテル、大連市役所、東洋拓殖株式会社大連支店、中国銀行大連支店、大連人民文化クラブ、横浜正金銀行大連支店と関東逓信局(中山広場10号)の10棟です。現在の名称などは代わっています。

    四方に伸びる10本の道路と合わせて建築された建物は10棟です。中山広場1号に位置する朝鮮銀行大連支店から順次、大連民政署(大連警察署)、英国駐大連領事館、大連ヤマトホテル、大連市役所、東洋拓殖株式会社大連支店、中国銀行大連支店、大連人民文化クラブ、横浜正金銀行大連支店と関東逓信局(中山広場10号)の10棟です。現在の名称などは代わっています。

  • 中山広場3号の英国駐大連領事館の建物だけは現存しませんが、2000年に大連金融大廈がその場所に建てられています。個別の建物は、この後に紹介します。

    中山広場3号の英国駐大連領事館の建物だけは現存しませんが、2000年に大連金融大廈がその場所に建てられています。個別の建物は、この後に紹介します。

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