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旅順博物館の展示品紹介です。古銭、仏像や書画などです。小型の金銅仏や、木彫の四天王像など、素晴らしい仏像が展示されていました。

2014秋、中国旅行記24(16/18:補遺1):旅順博物館(1/2):古銭、仏像、書画

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2014/10/15 - 2014/10/18

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旅人のくまさん

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旅順博物館の展示品紹介です。古銭、仏像や書画などです。小型の金銅仏や、木彫の四天王像など、素晴らしい仏像が展示されていました。

  • 旅順博物館の古銭の展示品は、海中から引き揚げられた難破船からのものが多くあるようでした。複雑な穴が開いた古銭です。

    旅順博物館の古銭の展示品は、海中から引き揚げられた難破船からのものが多くあるようでした。複雑な穴が開いた古銭です。

  • 『中国古代貨幣』のタイトルがあった展示品からの紹介が続きます。数多くの展示品の内の一部だけの紹介です。因みに、世界で最も古い時代の貨幣に関する記録は、紀元前4500年頃のメソポタミアとされます。

    『中国古代貨幣』のタイトルがあった展示品からの紹介が続きます。数多くの展示品の内の一部だけの紹介です。因みに、世界で最も古い時代の貨幣に関する記録は、紀元前4500年頃のメソポタミアとされます。

  • 16枚全部が北宋時代の貨幣です。時代もすべて12世紀です。崇寧通宝、宣和元宝、政和重宝、大観通宝、聖和通宝、重和通宝、崇寧重宝、宣和通宝と靖康元宝です。

    16枚全部が北宋時代の貨幣です。時代もすべて12世紀です。崇寧通宝、宣和元宝、政和重宝、大観通宝、聖和通宝、重和通宝、崇寧重宝、宣和通宝と靖康元宝です。

  • 20枚とも、すべて北宋時代の通貨です。上から2段は、元符通宝、元祐通宝、聖宋元宝、熙寧元宝、紹聖通宝と治平通宝です。11世紀後半から12世紀初めの貨幣です。<br />下から2段は、熙寧重宝、祥符通宝、元豊通宝、治平元宝と紹聖元宝です。すべて11世紀の貨幣です。<br />

    20枚とも、すべて北宋時代の通貨です。上から2段は、元符通宝、元祐通宝、聖宋元宝、熙寧元宝、紹聖通宝と治平通宝です。11世紀後半から12世紀初めの貨幣です。
    下から2段は、熙寧重宝、祥符通宝、元豊通宝、治平元宝と紹聖元宝です。すべて11世紀の貨幣です。

  • 横向きに並んだ1〜4の番号が付いた貨幣は、『刀幣』、戦国時代(紀元前475〜紀元前222年)の斉の国の物です。<br />縦向きに並んだ5〜10の番号が付いた貨幣もすべて『刀幣』、戦国時代(紀元前475〜紀元前222年)の物です。左から2つが燕の国、次の2つが趙の国、右の2つが燕の国の物です。いずれも戦国七雄の時代の国です。<br />

    横向きに並んだ1〜4の番号が付いた貨幣は、『刀幣』、戦国時代(紀元前475〜紀元前222年)の斉の国の物です。
    縦向きに並んだ5〜10の番号が付いた貨幣もすべて『刀幣』、戦国時代(紀元前475〜紀元前222年)の物です。左から2つが燕の国、次の2つが趙の国、右の2つが燕の国の物です。いずれも戦国七雄の時代の国です。

  • 1〜4の番号が付いた最上段の貨幣は、春秋時代(紀元前770〜紀元前476年)のものです。『空首布幣』の呼び名がありました。<br />5〜10の番号が付いた2段目以降は、戦国時代(紀元前475〜紀元前221年)の貨幣です。『平首尖足布幣』の呼び名がありました。<br />

    イチオシ

    1〜4の番号が付いた最上段の貨幣は、春秋時代(紀元前770〜紀元前476年)のものです。『空首布幣』の呼び名がありました。
    5〜10の番号が付いた2段目以降は、戦国時代(紀元前475〜紀元前221年)の貨幣です。『平首尖足布幣』の呼び名がありました。

  • 『金銅大威徳金剛立像』<br />清<br />(1644〜1911年)<br />

    『金銅大威徳金剛立像』

    (1644〜1911年)

  • 金銅製のヒンドゥ教の神様のようです。インド神話におけるヴァナラ(猿族)のハヌマーンかもしれません。中国では、孫悟空のモデルとなりました。

    金銅製のヒンドゥ教の神様のようです。インド神話におけるヴァナラ(猿族)のハヌマーンかもしれません。中国では、孫悟空のモデルとなりました。

  • 『金銅宗略巴坐像』<br />清<br />(1644〜1911年)<br />

    『金銅宗略巴坐像』

    (1644〜1911年)

  • 『金銅蓮華生大師坐像』<br />清<br />(1644〜1911年)<br />

    『金銅蓮華生大師坐像』

    (1644〜1911年)

  • ガラスケースの中に仏像などが収められた展示光景です。

    ガラスケースの中に仏像などが収められた展示光景です。

  • 銘板の確認と撮影はできませんでしたが、日本で例えれば、四天王像です。北方多聞天のようです。北方を守り、毘沙門天とも呼ばれます。両足に悪鬼を踏まえ、手に宝塔と宝珠または鉾を持った姿で表されます。梵語では、ヴァイシュラヴァナ、音訳が毘沙門天です。

    銘板の確認と撮影はできませんでしたが、日本で例えれば、四天王像です。北方多聞天のようです。北方を守り、毘沙門天とも呼ばれます。両足に悪鬼を踏まえ、手に宝塔と宝珠または鉾を持った姿で表されます。梵語では、ヴァイシュラヴァナ、音訳が毘沙門天です。

  • 同じく、四天王像です。琵琶を手にしていますから、東方持国天のようです。持国天ですと、梵名はドゥリタラーシュトラ、『国を支える者』の意味です。中国の民間信仰では、白い顔で琵琶を持った姿で表わされます。

    同じく、四天王像です。琵琶を手にしていますから、東方持国天のようです。持国天ですと、梵名はドゥリタラーシュトラ、『国を支える者』の意味です。中国の民間信仰では、白い顔で琵琶を持った姿で表わされます。

  • 四天王像の紹介が続きます。南方増長天でしょうか。増長天ですと梵名はヴィルーダカ、『成長、増大した者』の意味とされます。南方を護る守護神として、手には戟を持つことが多いようです。戟は、複数の武器の機能を併せ持った鉾です。

    四天王像の紹介が続きます。南方増長天でしょうか。増長天ですと梵名はヴィルーダカ、『成長、増大した者』の意味とされます。南方を護る守護神として、手には戟を持つことが多いようです。戟は、複数の武器の機能を併せ持った鉾です。

  • 最後に紹介する像は、西方広目天でしょうか。広目天ですと、梵名はヴィルーパークシャです。語源はサンスクリット語で『種々の眼をした者』あるいは『不格好な眼をした者』という意味でしたが、後に千里眼と解釈され、広目天と呼ばれるようになりました。

    最後に紹介する像は、西方広目天でしょうか。広目天ですと、梵名はヴィルーパークシャです。語源はサンスクリット語で『種々の眼をした者』あるいは『不格好な眼をした者』という意味でしたが、後に千里眼と解釈され、広目天と呼ばれるようになりました。

  • 迫力のある四天王像が展示してあったコーナーの光景です。中々質の高い像のようでした。

    イチオシ

    迫力のある四天王像が展示してあったコーナーの光景です。中々質の高い像のようでした。

  • 酔狂な感じがする像が展示してあった一角です。中には真面目に思索するような像もありました。

    酔狂な感じがする像が展示してあった一角です。中には真面目に思索するような像もありました。

  • 木雕観音立像<br />明代<br />(1368〜1644年)<br /><br />明代の木彫の観音菩薩像です。立派な光背と蓮座です。<br />

    木雕観音立像
    明代
    (1368〜1644年)

    明代の木彫の観音菩薩像です。立派な光背と蓮座です。

  • 木刻托瓶観音立像<br />宋代<br />(960〜1276年)<br /><br />宋代の木彫の観音菩薩像です。<br />

    木刻托瓶観音立像
    宋代
    (960〜1276年)

    宋代の木彫の観音菩薩像です。

  • 石雕提瓶観音立像<br />隋代<br />(581-618年)<br /><br />日本から遣隋使を派遣していた時代の観音菩薩像です。<br />

    石雕提瓶観音立像
    隋代
    (581-618年)

    日本から遣隋使を派遣していた時代の観音菩薩像です。

  • 石雕菩薩頭像<br />隋代<br />(581-618年)<br /><br />仏像の頭部だけが切り取られてきたようです。精緻な彫刻と表情などの表現力は、技術の高さを感じさせます。<br />

    イチオシ

    石雕菩薩頭像
    隋代
    (581-618年)

    仏像の頭部だけが切り取られてきたようです。精緻な彫刻と表情などの表現力は、技術の高さを感じさせます。

  • 石雕菩薩頭像<br />北魏<br />(386〜557年)<br /><br />こちらも頭部だけが蒐集されたもののようです。堀が深く、大らかな表情の仏像です。<br />

    石雕菩薩頭像
    北魏
    (386〜557年)

    こちらも頭部だけが蒐集されたもののようです。堀が深く、大らかな表情の仏像です。

  • 銘板の撮影をする時間がありませんでした。比較的新しい仏坐像のようです。保存状態も申し分ありませんでした。

    銘板の撮影をする時間がありませんでした。比較的新しい仏坐像のようです。保存状態も申し分ありませんでした。

  • 銭泳<br />臨蘇才翁蔵本『蘭亭序』<br />清代<br /><br />清代に臨書された王羲之の『蘭亭序』です。手本も王義士の書を写したもののようです。<br />

    銭泳
    臨蘇才翁蔵本『蘭亭序』
    清代

    清代に臨書された王羲之の『蘭亭序』です。手本も王義士の書を写したもののようです。

  • 『軾老矣年』で始まる漢文です。『清臥而己』で締め括られていました。私の好きな書体ではありませんでした。

    『軾老矣年』で始まる漢文です。『清臥而己』で締め括られていました。私の好きな書体ではありませんでした。

  • 『指画菊花図』<br />清<br />王世昌作<br />(生没年不詳)<br />

    『指画菊花図』

    王世昌作
    (生没年不詳)

  • 『桃花図』<br />清<br />闕嵐作<br />(1758〜1844年)<br />

    『桃花図』

    闕嵐作
    (1758〜1844年)

  • (上)<br />●渡江図<br />清<br />蓋遅(?)作<br />(生没年不詳)<br /><br />(下)<br />『人物図』<br />清<br />銭慧安作<br />(19世紀末〜20世紀初頭)<br />

    (上)
    ●渡江図

    蓋遅(?)作
    (生没年不詳)

    (下)
    『人物図』

    銭慧安作
    (19世紀末〜20世紀初頭)

  • 左は明代の文嘉の山水画、右上が明代の王何の山水画、右下は清代の王経の山水画です。

    左は明代の文嘉の山水画、右上が明代の王何の山水画、右下は清代の王経の山水画です。

  • 『山水清音』のタイトルで展示してあった扇形の絵の続きです。かなりの年代を経た山水画のようですが、清代の作品のようです。

    『山水清音』のタイトルで展示してあった扇形の絵の続きです。かなりの年代を経た山水画のようですが、清代の作品のようです。

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