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明代の上海県は小さな漁村でした。明嘉靖三十二年(1553)度々の倭寇(日本の海賊)の来襲の被害に対応する為に城壁を建造しました。その規模は城壁は周囲4.5キロ、高さは8メートル。建設当初は、大東門(朝宗門)、小東門(宝帯門)、南門(跨龍門)、西門(鳳儀門)、北門(晏海門)の5つの門がありました。その後小南門、新北門を追加、城壁の外側には広さ6丈(約20メートル)、深さ1.7丈(約5.6メートル)、周囲1500丈(約4950メートル)余りの堀を造った。清朝末期(1923)、上海経済は急速な発展を遂げた。古い城壁は市内の交通を阻害し、経済の発展に影響すると考え、取り壊しました。上海を囲む360年の歴史をもつ城壁は歴史の中から消えました。城壁を崩し外堀を埋め北側を人民路とし、南側を中華路として環状道路となりました。地図を見ると豫園の周りに環状道路が走っています。<br />上海ブルース: 二木紘三のうた物語・リンクフリー<br />https://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/09/post_f24b.html<br />夜霧のブルース: 二木紘三のうた物語・リンクフリー<br />https://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_a2ff.html<br />上海帰りのリル: 二木紘三のうた物語・リンクフリー<br />https://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/03/post_05dc.html

上海下町の旧城内統括編・2013年・(過去の旅行記のまとめ)

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2023/03/30 - 2023/03/30

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中国の風景

中国の風景さん

明代の上海県は小さな漁村でした。明嘉靖三十二年(1553)度々の倭寇(日本の海賊)の来襲の被害に対応する為に城壁を建造しました。その規模は城壁は周囲4.5キロ、高さは8メートル。建設当初は、大東門(朝宗門)、小東門(宝帯門)、南門(跨龍門)、西門(鳳儀門)、北門(晏海門)の5つの門がありました。その後小南門、新北門を追加、城壁の外側には広さ6丈(約20メートル)、深さ1.7丈(約5.6メートル)、周囲1500丈(約4950メートル)余りの堀を造った。清朝末期(1923)、上海経済は急速な発展を遂げた。古い城壁は市内の交通を阻害し、経済の発展に影響すると考え、取り壊しました。上海を囲む360年の歴史をもつ城壁は歴史の中から消えました。城壁を崩し外堀を埋め北側を人民路とし、南側を中華路として環状道路となりました。地図を見ると豫園の周りに環状道路が走っています。
上海ブルース: 二木紘三のうた物語・リンクフリー
https://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/09/post_f24b.html
夜霧のブルース: 二木紘三のうた物語・リンクフリー
https://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_a2ff.html
上海帰りのリル: 二木紘三のうた物語・リンクフリー
https://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/03/post_05dc.html

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 大境閣内に城壁工事事務所が出来た為この50mだけが残った。1995年大境閣と城壁が補修、保存され観光向けに開放されました。大境閣内に城壁の歴史資料館を設置したが今回は工事中との事で見る事が出来ませんでした。<br />上海の大境閣は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10871218

    大境閣内に城壁工事事務所が出来た為この50mだけが残った。1995年大境閣と城壁が補修、保存され観光向けに開放されました。大境閣内に城壁の歴史資料館を設置したが今回は工事中との事で見る事が出来ませんでした。
    上海の大境閣は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10871218

  • 中国の城とは城市である。街全体を城壁で囲い民が生活をしている。王宮、役所、役人、兵隊も生活している。兵隊は城市の出入口を警備し外敵から街(民)を守る、これが中国の城です。長江の河口の街が1292年に上海県(中国は市の中に県がある)になり、明の時代1553年に倭寇(日本の海賊)の襲撃を受けて焦土となった。<br />城壁の中の上海は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10538593

    中国の城とは城市である。街全体を城壁で囲い民が生活をしている。王宮、役所、役人、兵隊も生活している。兵隊は城市の出入口を警備し外敵から街(民)を守る、これが中国の城です。長江の河口の街が1292年に上海県(中国は市の中に県がある)になり、明の時代1553年に倭寇(日本の海賊)の襲撃を受けて焦土となった。
    城壁の中の上海は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10538593

  • 黄家路は地下鉄小南門駅より中華路を100m程南下すると黄家路の入り口に交差します。県城の中の一番南側(B)地区を東西に走る通りです。再開発が進んでおり、高層住宅が近くまで出来ており、古い住宅は取り壊され高層住宅の工事が始まるのを待っています。行き場の無い住民は崩れかけた住宅に住み続けていますが、いづれ強制撤去されるでしょう。これら住民には新しい住宅を買う金、借りる金も無く、所有権も無いので補償も得られません。<br />上海の下町・黄家路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826606

    黄家路は地下鉄小南門駅より中華路を100m程南下すると黄家路の入り口に交差します。県城の中の一番南側(B)地区を東西に走る通りです。再開発が進んでおり、高層住宅が近くまで出来ており、古い住宅は取り壊され高層住宅の工事が始まるのを待っています。行き場の無い住民は崩れかけた住宅に住み続けていますが、いづれ強制撤去されるでしょう。これら住民には新しい住宅を買う金、借りる金も無く、所有権も無いので補償も得られません。
    上海の下町・黄家路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826606

  • 凝和路はB地区を南北に走る路で下町らしさが多く残る所で大変賑やかな下町の商店街と言った通りです。商店街と言っても店舗より路面にシートを敷いて物を並べる露店が主流です。黄家路との交差点から蓬莱路との交差点まで北上して見ました。特に朝は朝食を食べる為の人と買い物の人とで狭い道に人がごった返しています。まだまだ下町は健在です。<br />上海の下町・凝和路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826607

    凝和路はB地区を南北に走る路で下町らしさが多く残る所で大変賑やかな下町の商店街と言った通りです。商店街と言っても店舗より路面にシートを敷いて物を並べる露店が主流です。黄家路との交差点から蓬莱路との交差点まで北上して見ました。特に朝は朝食を食べる為の人と買い物の人とで狭い道に人がごった返しています。まだまだ下町は健在です。
    上海の下町・凝和路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826607

  • 艾家弄、趙家宅弄、東唐家弄はB地区にある住宅街でいづれも古い家が残っています。部屋にはトイレ、台所が無く、トイレは共同トイレで夜間はおまる。台所は共同で家の前に小さな流しが並んでいます。4.5畳も無い部屋に1家族が住んでいます。改装している家もあるので、取り壊しを免れるのでは無いのでしょうか。最近水洗トイレを見る事があります。<br />上海の下町・艾家弄は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826609

    艾家弄、趙家宅弄、東唐家弄はB地区にある住宅街でいづれも古い家が残っています。部屋にはトイレ、台所が無く、トイレは共同トイレで夜間はおまる。台所は共同で家の前に小さな流しが並んでいます。4.5畳も無い部屋に1家族が住んでいます。改装している家もあるので、取り壊しを免れるのでは無いのでしょうか。最近水洗トイレを見る事があります。
    上海の下町・艾家弄は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826609

  • 面筋弄、和順路はB地区で復興東路近くの住宅街です。1930年代に多く造られた中国式長屋住宅、石庫門が多く残っています。租界で急激に増えた人口を吸収する為に造られた建物で1棟の建物に何所帯もの家族が住んで居ます。トイレも無く、台所も外で住みにくいですが、現在の上海の家賃は高く、老人や、出稼ぎ労働者などは雨風をしのぐだけの生活です。<br />上海の下町・面筋弄は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826610

    面筋弄、和順路はB地区で復興東路近くの住宅街です。1930年代に多く造られた中国式長屋住宅、石庫門が多く残っています。租界で急激に増えた人口を吸収する為に造られた建物で1棟の建物に何所帯もの家族が住んで居ます。トイレも無く、台所も外で住みにくいですが、現在の上海の家賃は高く、老人や、出稼ぎ労働者などは雨風をしのぐだけの生活です。
    上海の下町・面筋弄は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826610

  • 巡道街はB地区にあり、中国,明・清時代の地方官吏を置いたのでこの名が付いた。中華路寄りを南北に走っています。かなり住宅が密集した地域です。1930年代に多く造られた中国式長屋住宅、石庫門が多く残っています。<br />租界で急激に増えた人口を吸収する為に造られた建物で1棟の建物に何所帯もの家族が住んで居ます。トイレも無く、台所も外で住みにくいですが、現在の上海の家賃は高く、老人や、出稼ぎ労働者などは雨風をしのぐだけの生活です。上海黄浦区金壇路集賢村(南門)に上海一帯の警察を司る淞濾警察庁(巡道署)となる。現在は託児所と住宅の集賢村です。巡道街128号、天灯弄入口、水仙宮、宋代に創建された道観。かつては、難病の家族を持つ信者が多くここを訪れた。1954年閉鎖。<br />上海の下町・巡道路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826616

    巡道街はB地区にあり、中国,明・清時代の地方官吏を置いたのでこの名が付いた。中華路寄りを南北に走っています。かなり住宅が密集した地域です。1930年代に多く造られた中国式長屋住宅、石庫門が多く残っています。
    租界で急激に増えた人口を吸収する為に造られた建物で1棟の建物に何所帯もの家族が住んで居ます。トイレも無く、台所も外で住みにくいですが、現在の上海の家賃は高く、老人や、出稼ぎ労働者などは雨風をしのぐだけの生活です。上海黄浦区金壇路集賢村(南門)に上海一帯の警察を司る淞濾警察庁(巡道署)となる。現在は託児所と住宅の集賢村です。巡道街128号、天灯弄入口、水仙宮、宋代に創建された道観。かつては、難病の家族を持つ信者が多くここを訪れた。1954年閉鎖。
    上海の下町・巡道路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826616

  • 光啓南路は徐光啓の名前から取りました。A地区からB地区まで同一の名前のついた道路は光啓路のみでいかに住民の為に働いた官僚であったかと言う事です。徐光啓故居(九間楼)は光啓南路と喬家路の交差点近く喬家路236号にあります。 豫園の南、方南中路から復興東路を越えて中華路までの県城内で一番長い路です。下町最大の商店街ですが得意の竹の足場を組んリホームしている光景が多く見られました。当局の指導の基に街並みを整備するのでしょうか、今後県城内の整備の方向性を打ち出す事でしょう。<br />上海の下町・光啓南路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826617

    光啓南路は徐光啓の名前から取りました。A地区からB地区まで同一の名前のついた道路は光啓路のみでいかに住民の為に働いた官僚であったかと言う事です。徐光啓故居(九間楼)は光啓南路と喬家路の交差点近く喬家路236号にあります。 豫園の南、方南中路から復興東路を越えて中華路までの県城内で一番長い路です。下町最大の商店街ですが得意の竹の足場を組んリホームしている光景が多く見られました。当局の指導の基に街並みを整備するのでしょうか、今後県城内の整備の方向性を打ち出す事でしょう。
    上海の下町・光啓南路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826617

  • 霊済街、梅家街、東梅家街はB地区にあり、この路は光啓南路と並行して南北に走っています。住宅地の中を行く路地です。路地には洗濯物が頭上に翻り、時々滴が落ちて来ます。道の脇には自転車置き場になり狭い路地をより狭くしています。更に家の前は台所になっていて、流し台が並んでいます。夜間は部屋に置いた馬桶(おまる)に小便を貯めて置きます。朝になるとパジャマノ姿のまま小便池に捨てに行きます。1室しかないので寝室以外はトイレも含めて全てが外です。狭い路地をより狭くしています。古い住宅を手作りで補修したバラック状態の家です。<br />近代的な高層住宅とバラックの下町が隣合わせになっているのが上海です。<br />上海の下町・梅家街は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826623

    霊済街、梅家街、東梅家街はB地区にあり、この路は光啓南路と並行して南北に走っています。住宅地の中を行く路地です。路地には洗濯物が頭上に翻り、時々滴が落ちて来ます。道の脇には自転車置き場になり狭い路地をより狭くしています。更に家の前は台所になっていて、流し台が並んでいます。夜間は部屋に置いた馬桶(おまる)に小便を貯めて置きます。朝になるとパジャマノ姿のまま小便池に捨てに行きます。1室しかないので寝室以外はトイレも含めて全てが外です。狭い路地をより狭くしています。古い住宅を手作りで補修したバラック状態の家です。
    近代的な高層住宅とバラックの下町が隣合わせになっているのが上海です。
    上海の下町・梅家街は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826623

  • 三牌楼路は豫園のあるA地区にあり、復興東路から団体観光客が豫園へ行く玄関口です。豫園商城、上海老街のある方南中路までの短い路です。屋台街で有名な四牌楼路の隣に平行する路です。両側にお土産屋、食堂が並び道の両側には多くの車が駐車しており広い路幅が駐車場化しています。光啓路は県城最大の商店街で豫園に近い側は観光客相手、離れると地元民相手に変わります。<br />上海の下町・三牌楼路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826629

    三牌楼路は豫園のあるA地区にあり、復興東路から団体観光客が豫園へ行く玄関口です。豫園商城、上海老街のある方南中路までの短い路です。屋台街で有名な四牌楼路の隣に平行する路です。両側にお土産屋、食堂が並び道の両側には多くの車が駐車しており広い路幅が駐車場化しています。光啓路は県城最大の商店街で豫園に近い側は観光客相手、離れると地元民相手に変わります。
    上海の下町・三牌楼路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826629

  • 東街はその名の通り豫園のあるA地区の東側にあり、方南中路から復興東路まで南北に走る道です。別名東街旧貨市場と言います。旧貨市場とは家電製品の中古品市場です。秋葉原の中古品型です。冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなど白物家電が多く、値段の表示がありません。交渉次第と言う事なのでしょう。相場が解らないと交渉できません。買ったら配達、据え付けはどうなるのか。故障した時は修理は、保証はあるのか?実際に買った事のある人の話を聞いてみたい物です。<br />上海の下町・東街は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826636

    東街はその名の通り豫園のあるA地区の東側にあり、方南中路から復興東路まで南北に走る道です。別名東街旧貨市場と言います。旧貨市場とは家電製品の中古品市場です。秋葉原の中古品型です。冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなど白物家電が多く、値段の表示がありません。交渉次第と言う事なのでしょう。相場が解らないと交渉できません。買ったら配達、据え付けはどうなるのか。故障した時は修理は、保証はあるのか?実際に買った事のある人の話を聞いてみたい物です。
    上海の下町・東街は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826636

  • 聚奎街・県左街・昼錦路は豫園のあるA地区で方南中路の南側を並行する住宅内の路です。豫園も近いので商店街に成っています。露店も多く出店されています。露店には実りの秋なのでしょう。果物が豊富に並べられています。特にみかんが美容にも良いと人気があります。スイカはハウスなのか1年中売っています。<br />上海の下町・県左街は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826637

    聚奎街・県左街・昼錦路は豫園のあるA地区で方南中路の南側を並行する住宅内の路です。豫園も近いので商店街に成っています。露店も多く出店されています。露店には実りの秋なのでしょう。果物が豊富に並べられています。特にみかんが美容にも良いと人気があります。スイカはハウスなのか1年中売っています。
    上海の下町・県左街は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826637

  • 学院路はA地区の復興東路の北側を東西、中華路から真ん中の河南南路を結ぶ道です。名前の学院は見当たりませんでした。古い住宅が並ぶ住宅密集地、商店、露店は少ない。近くに屋台なら四牌楼路、商店街なら光啓路があるからでしょうか?<br />上海の下町・学院路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826641

    学院路はA地区の復興東路の北側を東西、中華路から真ん中の河南南路を結ぶ道です。名前の学院は見当たりませんでした。古い住宅が並ぶ住宅密集地、商店、露店は少ない。近くに屋台なら四牌楼路、商店街なら光啓路があるからでしょうか?
    上海の下町・学院路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826641

  • 王家碼頭路は中華路、人民路に囲まれた県城と黄浦江の埠頭とを結ぶ多くの埠頭路の1本です。清末以来の租界時代には中国全土及び外国からの物産がここに集められまた各地へ運ばれて行きました。都市開発の津波に襲われて広大な面積の空地が誕生しました。今や、過去の繁栄の址は何もありません。間もなく浦東に負けない高層ビル群が出来るでしょう。<br />上海の十六舗・王家碼頭路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826643

    王家碼頭路は中華路、人民路に囲まれた県城と黄浦江の埠頭とを結ぶ多くの埠頭路の1本です。清末以来の租界時代には中国全土及び外国からの物産がここに集められまた各地へ運ばれて行きました。都市開発の津波に襲われて広大な面積の空地が誕生しました。今や、過去の繁栄の址は何もありません。間もなく浦東に負けない高層ビル群が出来るでしょう。
    上海の十六舗・王家碼頭路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826643

  • 新碼頭路は中華路、人民路に囲まれた県城と黄浦江の埠頭とを結ぶ多くの埠頭路の1本です。清末以来の租界時代には中国全土及び外国からの物産がここに集められまた各地へ運ばれて行きました。都市開発の津波に襲われて広大な面積の空地が誕生しました。今や、過去の繁栄の址は何もありません。既に片側は高層ビルが建ち並び。片側は空地となり工事が進められています。<br />上海の十六舗・新碼頭路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826650

    新碼頭路は中華路、人民路に囲まれた県城と黄浦江の埠頭とを結ぶ多くの埠頭路の1本です。清末以来の租界時代には中国全土及び外国からの物産がここに集められまた各地へ運ばれて行きました。都市開発の津波に襲われて広大な面積の空地が誕生しました。今や、過去の繁栄の址は何もありません。既に片側は高層ビルが建ち並び。片側は空地となり工事が進められています。
    上海の十六舗・新碼頭路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826650

  • 白渡路は中華路、人民路に囲まれた県城と黄浦江の埠頭とを結ぶ多くの埠頭路の1本です。復興東路の南側を並行してます。清末以来の租界時代には中国全土及び外国からの物産がここに集められまた各地へ運ばれて行きました。都市再開発が進み一部を除き新しいビルに変わっています。昔を語る物は何も残っていません。<br />上海の十六舗・白渡路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826653

    白渡路は中華路、人民路に囲まれた県城と黄浦江の埠頭とを結ぶ多くの埠頭路の1本です。復興東路の南側を並行してます。清末以来の租界時代には中国全土及び外国からの物産がここに集められまた各地へ運ばれて行きました。都市再開発が進み一部を除き新しいビルに変わっています。昔を語る物は何も残っていません。
    上海の十六舗・白渡路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826653

  • 毛家園路は旧県城から十六舗埠頭を結ぶ自由市場の中の路です。中山南路と黄浦江の間は老碼頭として再開発され、中山南路から旧県城までの路は高級マンションに変わっていて、昔の十六舗の面影は何も残っていません。昔穀物類を扱った業者が集まっていたと言う豆市街の道標のみが過ぎ去った十六舗の繁栄を物語っています。<br />上海の十六舗・毛家園路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10837721

    毛家園路は旧県城から十六舗埠頭を結ぶ自由市場の中の路です。中山南路と黄浦江の間は老碼頭として再開発され、中山南路から旧県城までの路は高級マンションに変わっていて、昔の十六舗の面影は何も残っていません。昔穀物類を扱った業者が集まっていたと言う豆市街の道標のみが過ぎ去った十六舗の繁栄を物語っています。
    上海の十六舗・毛家園路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10837721

  • 南倉路は旧県城と十六舗埠頭とを結ぶ多くの埠頭路を横切る路です。南倉路沿いはほとんど廃屋の中を進んで行きます。昔ここは服飾関連の業者が多く集まった通りです。廃屋に成った今も南倉路の路面には多くの露店が集まっています。廃屋の中には多くの住民が住んでいます。広大な面積が再開発を待っています。<br />上海の十六舗・南倉路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10837727

    南倉路は旧県城と十六舗埠頭とを結ぶ多くの埠頭路を横切る路です。南倉路沿いはほとんど廃屋の中を進んで行きます。昔ここは服飾関連の業者が多く集まった通りです。廃屋に成った今も南倉路の路面には多くの露店が集まっています。廃屋の中には多くの住民が住んでいます。広大な面積が再開発を待っています。
    上海の十六舗・南倉路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10837727

  • 多稼路は旧県城から黄浦江を繋ぐ埠頭路です。片側がマンションで片側は廃屋、再開発の境目の路です。昔の物は中山南路から黄浦江までの間の両側に建つ上海市第二人民医院です。上海市第二人民医院、多稼路1号。名望家の李平書が1904年公共租界新馬路に開設。1909年現在地に移転。中国人が開設した最初の西洋式近代医院。1916年上海県立の公立上海医院となる。抗戦開始とともに租界内へ移り、汪政権下では岳陽路で診療を継続。日本敗戦後、現在地に戻り上海市立第二医院と改称。上海の十六舗・多稼路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10837957

    多稼路は旧県城から黄浦江を繋ぐ埠頭路です。片側がマンションで片側は廃屋、再開発の境目の路です。昔の物は中山南路から黄浦江までの間の両側に建つ上海市第二人民医院です。上海市第二人民医院、多稼路1号。名望家の李平書が1904年公共租界新馬路に開設。1909年現在地に移転。中国人が開設した最初の西洋式近代医院。1916年上海県立の公立上海医院となる。抗戦開始とともに租界内へ移り、汪政権下では岳陽路で診療を継続。日本敗戦後、現在地に戻り上海市立第二医院と改称。上海の十六舗・多稼路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10837957

  • 油車碼頭路は旧県城と黄浦江を結ぶ埠頭路の一つです。黄浦江は南浦大橋の下を行く渡し舟の乗り場から始まり途中で多家路と交差し廃屋の瓦礫の中を進みます。立ち退きが決まっても借家人は何も保障も無く行く場所も金も無い。そんな人びとが瓦礫の中に大勢住んで居ます。道端に露店の市場が出ると大勢の人が買い物に出て来ます。勿論再開発で出来たマンションなんて高くて住めません。<br />上海の十六舗・油車碼頭路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10837989

    油車碼頭路は旧県城と黄浦江を結ぶ埠頭路の一つです。黄浦江は南浦大橋の下を行く渡し舟の乗り場から始まり途中で多家路と交差し廃屋の瓦礫の中を進みます。立ち退きが決まっても借家人は何も保障も無く行く場所も金も無い。そんな人びとが瓦礫の中に大勢住んで居ます。道端に露店の市場が出ると大勢の人が買い物に出て来ます。勿論再開発で出来たマンションなんて高くて住めません。
    上海の十六舗・油車碼頭路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10837989

  • 会館碼頭路は商船会館があった所から付いた名前です。商船会館は上海最初の同業会館で1715年、水運業者が集まり寄付で造った建築物です。日本で言えば業界団体で業界の利益を守る為のもので当時の物流は水運が主力で莫大な金が集まったので上海の会館中最大規模な建築物になった。廃屋と瓦礫の山の中に塀で囲って保存されていますので再開発の際には再建されるでしょう。中山南路沿いに企業新天地とも言われる幸福碼頭があります。古い工場をリノベーションしてショールームを開設しています。13棟の建物に30社程の企業が入居しています。<br />上海の十六舗・会館碼頭路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838087

    会館碼頭路は商船会館があった所から付いた名前です。商船会館は上海最初の同業会館で1715年、水運業者が集まり寄付で造った建築物です。日本で言えば業界団体で業界の利益を守る為のもので当時の物流は水運が主力で莫大な金が集まったので上海の会館中最大規模な建築物になった。廃屋と瓦礫の山の中に塀で囲って保存されていますので再開発の際には再建されるでしょう。中山南路沿いに企業新天地とも言われる幸福碼頭があります。古い工場をリノベーションしてショールームを開設しています。13棟の建物に30社程の企業が入居しています。
    上海の十六舗・会館碼頭路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838087

  • 董家渡路は旧県城と埠頭を結ぶ埠頭路の一つです。董さんの家の路など家の名前の路が多く見られます。廃屋、瓦礫の撤去も進み、更地となり、駐車場に使われています。高層マンションも余りぎみ、不動産バブルも心配されています。昔の面影は唯一残る董家渡天主堂(フランシスコ・ザビエル教会)董家渡路185号だけです。上海現存最古の本格的教会建築で江南での布教活動の中心となった中国最大のカトリック教会でした。上海市優秀歴史建築に認定されており保護されています。<br />上海の十六舗・董家渡路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838091

    董家渡路は旧県城と埠頭を結ぶ埠頭路の一つです。董さんの家の路など家の名前の路が多く見られます。廃屋、瓦礫の撤去も進み、更地となり、駐車場に使われています。高層マンションも余りぎみ、不動産バブルも心配されています。昔の面影は唯一残る董家渡天主堂(フランシスコ・ザビエル教会)董家渡路185号だけです。上海現存最古の本格的教会建築で江南での布教活動の中心となった中国最大のカトリック教会でした。上海市優秀歴史建築に認定されており保護されています。
    上海の十六舗・董家渡路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838091

  • 東江陰街は外倉路から旧県城の外を西の河南南路まで伸びています。路の片側はマンションが建ち、左側は古民居が建ち並んでいます。東江陰街の古民居側は道路に面した外面だけ補修をして体裁を整えています。万博の時に使った手法です。短時間で外面だけ綺麗にしました。新旧境目の通りです。<br />上海の十六舗・東江陰街は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838093

    東江陰街は外倉路から旧県城の外を西の河南南路まで伸びています。路の片側はマンションが建ち、左側は古民居が建ち並んでいます。東江陰街の古民居側は道路に面した外面だけ補修をして体裁を整えています。万博の時に使った手法です。短時間で外面だけ綺麗にしました。新旧境目の通りです。
    上海の十六舗・東江陰街は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838093

  • 跨龍路は旧県城から南の陸家浜路へ延びる路ですが、陸家浜路の交差点を挟んで1860年米国長老会が創設した清心女塾(現・第八中学)、清心中学堂(現・南市中学)、同じくキリスト教会堂として清心堂が今も往時の姿を留めて、立派な学校に発展している。往時の建物が残って今尚発展しているのは跨龍路だけです。<br />上海の十六舗・跨龍路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838095

    跨龍路は旧県城から南の陸家浜路へ延びる路ですが、陸家浜路の交差点を挟んで1860年米国長老会が創設した清心女塾(現・第八中学)、清心中学堂(現・南市中学)、同じくキリスト教会堂として清心堂が今も往時の姿を留めて、立派な学校に発展している。往時の建物が残って今尚発展しているのは跨龍路だけです。
    上海の十六舗・跨龍路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838095

  • 普育西路は旧県城の外を南へ下った陸家浜路を更に南へ伸びる路です。名前の由来は1911年カトリック教会が設立した新普育堂があった。孤児院、養老院、病院、小学校として使われ、その後上海市児童福利院となったが、暫らくの間放置されていた。最近公益新天地として建物をリノベイションしました。名前の通り公益団体に活用されています。中でも上海民政博物館として商業や労働者に関する資料が保管、展示されています。無料ですのでぜひお立ち寄りください。<br />上海の十六舗・普育西路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838099

    普育西路は旧県城の外を南へ下った陸家浜路を更に南へ伸びる路です。名前の由来は1911年カトリック教会が設立した新普育堂があった。孤児院、養老院、病院、小学校として使われ、その後上海市児童福利院となったが、暫らくの間放置されていた。最近公益新天地として建物をリノベイションしました。名前の通り公益団体に活用されています。中でも上海民政博物館として商業や労働者に関する資料が保管、展示されています。無料ですのでぜひお立ち寄りください。
    上海の十六舗・普育西路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838099

  • 先棉祠街は旧県城南の二番目の路で河南南路から西へ伸びる路です。旧県城で一番古い石庫門住宅である龍門村の裏の通りです。多くの石庫門住宅が残っていますが、皆綺麗に使用されていて残されています。永寧路には歴史のある梅渓小学と向かいの上海市第十中学が今も健在です。<br />上海の下町・先棉祠街は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838108

    先棉祠街は旧県城南の二番目の路で河南南路から西へ伸びる路です。旧県城で一番古い石庫門住宅である龍門村の裏の通りです。多くの石庫門住宅が残っていますが、皆綺麗に使用されていて残されています。永寧路には歴史のある梅渓小学と向かいの上海市第十中学が今も健在です。
    上海の下町・先棉祠街は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838108

  • 方斜路は地下鉄8号線陸家浜路駅より陸家浜路を西へ行った所に入口があり、産婦人科院と育児用品の店が多い通りです。ここには復旦大学付属婦産科医院・上海市紅房子婦産科医院があり、病棟が8棟もある上海では最大の産婦人科医院です。通称紅房子医院と言い赤煉瓦の建物からこの名前が付きました。1884年建設。方斜路419号。米国の婦女連合布教会(W.U.)が創設した産婦人科、小児科病院です。病棟内には入れませんが建物の撮影は許可いただきました。男の入る所では有りません。<br />上海の下町・方斜路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838112

    方斜路は地下鉄8号線陸家浜路駅より陸家浜路を西へ行った所に入口があり、産婦人科院と育児用品の店が多い通りです。ここには復旦大学付属婦産科医院・上海市紅房子婦産科医院があり、病棟が8棟もある上海では最大の産婦人科医院です。通称紅房子医院と言い赤煉瓦の建物からこの名前が付きました。1884年建設。方斜路419号。米国の婦女連合布教会(W.U.)が創設した産婦人科、小児科病院です。病棟内には入れませんが建物の撮影は許可いただきました。男の入る所では有りません。
    上海の下町・方斜路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838112

  • 蓬莱路は旧県城内の河南南路を挟んで両方の地域に存在します。蓬莱路は旧県城内では珍しくプラタナス並木のあり、歩道も確保された商店街の路です。また沿道には歴史的な建造物も多く、旧県城内ではさぞかし主だった路だと思われます。1748年創建の申江書院は現在敬業中学と成り、1923年建造された石庫門住宅の普育里、1915年建造の上海市特別市臨時政府旧址など文廟路の隣だけに学校が多い。いずれも改装されていて地元政府の保存して行こうと言う姿勢が見られます。<br />上海の下町・蓬莱路・2は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838127<br />上海の下町・蓬莱路・1は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10826608

    蓬莱路は旧県城内の河南南路を挟んで両方の地域に存在します。蓬莱路は旧県城内では珍しくプラタナス並木のあり、歩道も確保された商店街の路です。また沿道には歴史的な建造物も多く、旧県城内ではさぞかし主だった路だと思われます。1748年創建の申江書院は現在敬業中学と成り、1923年建造された石庫門住宅の普育里、1915年建造の上海市特別市臨時政府旧址など文廟路の隣だけに学校が多い。いずれも改装されていて地元政府の保存して行こうと言う姿勢が見られます。
    上海の下町・蓬莱路・2は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838127
    上海の下町・蓬莱路・1は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10826608

  • 文廟路は旧県城の中にある文廟に通じる道なので文廟路です。文廟は1294年に建造された孔子を祀った廟です。中国では武の関羽、文の孔子と人気の神様です。文廟路は門前町として大変繁盛したようです。文の神様なので書店、文房具、児童向けに玩具等の店が多かったようです。毎週日曜日には書籍業者が集まって古本市を開催、多くの客が集まっています。入場料1元。7:30〜16:00<br />上海の下町・文廟路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838133

    文廟路は旧県城の中にある文廟に通じる道なので文廟路です。文廟は1294年に建造された孔子を祀った廟です。中国では武の関羽、文の孔子と人気の神様です。文廟路は門前町として大変繁盛したようです。文の神様なので書店、文房具、児童向けに玩具等の店が多かったようです。毎週日曜日には書籍業者が集まって古本市を開催、多くの客が集まっています。入場料1元。7:30〜16:00
    上海の下町・文廟路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838133

  • 夢花街は旧県城の中の文廟路の北側に位置する道です。色気のある名前ですが花街でもあったのでしょうか?木造の古い住宅が建ち並んだ本当の下町と言う所です。室内に台所、シャワー、トイレが無く、台所は屋外で、トイレは馬桶に朝になって処理する。一軒の家に何所帯もの人が住んでいます。一所帯当りの広さは三畳ほど、これが下町です。<br />上海の下町・夢花街は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838157

    夢花街は旧県城の中の文廟路の北側に位置する道です。色気のある名前ですが花街でもあったのでしょうか?木造の古い住宅が建ち並んだ本当の下町と言う所です。室内に台所、シャワー、トイレが無く、台所は屋外で、トイレは馬桶に朝になって処理する。一軒の家に何所帯もの人が住んでいます。一所帯当りの広さは三畳ほど、これが下町です。
    上海の下町・夢花街は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838157

  • 西倉橋街は旧県城内の中心である復興東路と河南南路の交差点近くから復興東路と並行する裏道です。表の通りは高層ビルが建ち並ぶ近代都市、裏道は古い木造家屋に洗濯物がなびいている下町、これが魔都上海の裏表、余りにも差のある世界が面白いです。<br />上海の下町・西倉橋街は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838161

    西倉橋街は旧県城内の中心である復興東路と河南南路の交差点近くから復興東路と並行する裏道です。表の通りは高層ビルが建ち並ぶ近代都市、裏道は古い木造家屋に洗濯物がなびいている下町、これが魔都上海の裏表、余りにも差のある世界が面白いです。
    上海の下町・西倉橋街は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838161

  • 学前街は旧県城内の夢花街から五本の路を横切って中華路までの商店街の路です。途中には文廟脇の孔乙己酒家や蓬莱路の石庫門住宅普育里。上海黄浦区蓬莱老年公寓。蓬莱大戯院跡地。石庫門住宅の敬楽坊などがあり、歴史を感じる路です。<br />上海の下町・学前街は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838171

    学前街は旧県城内の夢花街から五本の路を横切って中華路までの商店街の路です。途中には文廟脇の孔乙己酒家や蓬莱路の石庫門住宅普育里。上海黄浦区蓬莱老年公寓。蓬莱大戯院跡地。石庫門住宅の敬楽坊などがあり、歴史を感じる路です。
    上海の下町・学前街は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838171

  • 老西門古玩茶城は地下鉄8号線、10号線の老西門駅6号口より徒歩1分と便利です。お茶市場だと雑然として観光客は買い難いがここはお茶の専門店が集まったショピングセンターで得意のお茶の名前が店頭に表示されているので目的の物を探しやすい。ゆったりとした空間が落ち着いた気持ちでじっくりと目当ての品を手にする事が出来ます。お茶だけで無く茶器、工芸品もあります。4階は骨董品ですが眼力の無い人は止めましょう。<br />上海の下町・老西門古玩茶城は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838193

    老西門古玩茶城は地下鉄8号線、10号線の老西門駅6号口より徒歩1分と便利です。お茶市場だと雑然として観光客は買い難いがここはお茶の専門店が集まったショピングセンターで得意のお茶の名前が店頭に表示されているので目的の物を探しやすい。ゆったりとした空間が落ち着いた気持ちでじっくりと目当ての品を手にする事が出来ます。お茶だけで無く茶器、工芸品もあります。4階は骨董品ですが眼力の無い人は止めましょう。
    上海の下町・老西門古玩茶城は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838193

  • 大方弄は旧県城内で西側人民路と並行している路ですが、現在大きな再開発工事に隣接している路です。大境路近くは建物の形が解る程進んでいます。方浜中路側はまだ更地状態です。何年掛かるか解りませんが高層ビル群に生まれ変わるでしょう。<br />上海の下町・大方弄は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838196

    大方弄は旧県城内で西側人民路と並行している路ですが、現在大きな再開発工事に隣接している路です。大境路近くは建物の形が解る程進んでいます。方浜中路側はまだ更地状態です。何年掛かるか解りませんが高層ビル群に生まれ変わるでしょう。
    上海の下町・大方弄は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838196

  • 大境路は旧県城内の北東部、昔の城壁が残る大境閣から東へ進み河南南路までの路です。この地域は大規模再開発の真っただ中で完成すれば大境閣はビルの谷間に埋もれます。露香園路過ぎた辺りは昔ながらの下町の商店街が残っています。更に東へ進み河南南路が近づきますと古い建物を撤去する動きが見て取れます。河南南路を越えますとここも大規模再開発ですでに基礎工事が始まっています。景色が変わるのも時間の問題です。<br />上海の下町・松雪街は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838203

    大境路は旧県城内の北東部、昔の城壁が残る大境閣から東へ進み河南南路までの路です。この地域は大規模再開発の真っただ中で完成すれば大境閣はビルの谷間に埋もれます。露香園路過ぎた辺りは昔ながらの下町の商店街が残っています。更に東へ進み河南南路が近づきますと古い建物を撤去する動きが見て取れます。河南南路を越えますとここも大規模再開発ですでに基礎工事が始まっています。景色が変わるのも時間の問題です。
    上海の下町・松雪街は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838203

  • 松雪街、長生街、旧倉街等は旧県城の北西部で河南南路と並行する路ですが解体撤去すべく破壊された住宅が並んでいます。廃屋の中に所々洗濯物が干してあり、居残っている住民があるようです。かなりの面積が再開発されるようです。<br />上海の下町・松雪街は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838203

    松雪街、長生街、旧倉街等は旧県城の北西部で河南南路と並行する路ですが解体撤去すべく破壊された住宅が並んでいます。廃屋の中に所々洗濯物が干してあり、居残っている住民があるようです。かなりの面積が再開発されるようです。
    上海の下町・松雪街は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838203

  • 金家坊は旧県城内の北西部で復興東路と平行に伸びる路です。狭い通路、風になびく洗濯物、道端の露店、古い住宅、パジャマで買い物、これが上海の下町の代表です。観光では解らない真の生活を見て下さい。古い住宅を解体撤去して再開発を推し進めていますが、そこで出た家具、扉を中古品として販売する商売が増えてます。<br />上海の下町・金家坊は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838208

    金家坊は旧県城内の北西部で復興東路と平行に伸びる路です。狭い通路、風になびく洗濯物、道端の露店、古い住宅、パジャマで買い物、これが上海の下町の代表です。観光では解らない真の生活を見て下さい。古い住宅を解体撤去して再開発を推し進めていますが、そこで出た家具、扉を中古品として販売する商売が増えてます。
    上海の下町・金家坊は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838208

  • 方浜中路を西側の中華路側から進みます。右側は商店街、食堂も多い。左側は再開発工事現場が露香園路まで続きます。この大規模な再開発工事は6年前に来た時は更地になってました。やっと基礎工事が始まりました。表通りは多少綺麗に成ってますが、路地の中は古い住宅のようです。河南南路に出ますと向かいは豫園の上海老街です。<br />上海の下町・方浜中路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838222

    方浜中路を西側の中華路側から進みます。右側は商店街、食堂も多い。左側は再開発工事現場が露香園路まで続きます。この大規模な再開発工事は6年前に来た時は更地になってました。やっと基礎工事が始まりました。表通りは多少綺麗に成ってますが、路地の中は古い住宅のようです。河南南路に出ますと向かいは豫園の上海老街です。
    上海の下町・方浜中路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838222

  • 露香園路は旧県城内の北西部を方浜中路から大境路を越えて人民路まで南北に走る路です。露香園路の西側は全て再開発工事に隣接しています。特に大境路から人民路の間は建物の形が出来上がり、露香園路と大境路の間は基礎工事に入っています。歴史的な建物は万竹小学・上海市実験小学・1911年10月上海城自治公所により創設された名門小学校が工事区域の中に残されています。露香園路の東側は古い住宅があり、道路沿いは商店になっています。いずれこちら側も再開発されるでしょう。<br />上海の下町・露香園路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838222

    露香園路は旧県城内の北西部を方浜中路から大境路を越えて人民路まで南北に走る路です。露香園路の西側は全て再開発工事に隣接しています。特に大境路から人民路の間は建物の形が出来上がり、露香園路と大境路の間は基礎工事に入っています。歴史的な建物は万竹小学・上海市実験小学・1911年10月上海城自治公所により創設された名門小学校が工事区域の中に残されています。露香園路の東側は古い住宅があり、道路沿いは商店になっています。いずれこちら側も再開発されるでしょう。
    上海の下町・露香園路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838222

  • 中古品の事を中国語で二手貨と言います。旧品と言う中国語もあります。二手とは文字通り2度の手に渡る事、貨は品物を表します。中古自動車は二手車と言います。ここ人民路と方浜西路の交差点にある携帯電話の二手貨市場です。携帯の中でも携帯端末はとても高い物で安く手に入ればと人気があります。日本でも古い携帯(スマホ、アイホンではない)物に人気があるそうです。これを「ガラケイ」と言うそうです。「ガラ」はガラパゴスから来ていて進化しないと言う意味です。日本では老人は新しい物に付いていけないので壊れたら同じ型の物があれば使い方も一緒で済む為です。プレミアの付く物もあるそうです。中国の形態は「シムカード」なので買い替えた携帯に入れ替えればすぐ使えます。使用料もプリベートなので登録の手続きは不要です。<br />上海の下町・二手貨市場は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838229

    中古品の事を中国語で二手貨と言います。旧品と言う中国語もあります。二手とは文字通り2度の手に渡る事、貨は品物を表します。中古自動車は二手車と言います。ここ人民路と方浜西路の交差点にある携帯電話の二手貨市場です。携帯の中でも携帯端末はとても高い物で安く手に入ればと人気があります。日本でも古い携帯(スマホ、アイホンではない)物に人気があるそうです。これを「ガラケイ」と言うそうです。「ガラ」はガラパゴスから来ていて進化しないと言う意味です。日本では老人は新しい物に付いていけないので壊れたら同じ型の物があれば使い方も一緒で済む為です。プレミアの付く物もあるそうです。中国の形態は「シムカード」なので買い替えた携帯に入れ替えればすぐ使えます。使用料もプリベートなので登録の手続きは不要です。
    上海の下町・二手貨市場は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838229

  • 法蔵寺は玉仏寺、龍華寺、静安寺と並ぶ上海四大僧林(大寺院)」の一つで1923年に天台宗の高僧、興慈大師によって創建されました。大雄宝堂の下にある講経堂(千人のホール)は外観は半地下になっていて大変広く600人が同時に講義を聞くこともできます。地下鉄老西門駅下車 西蔵南路の西2本路目、吉安路、徒歩五分。<br />上海の下町・法蔵寺は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838232

    法蔵寺は玉仏寺、龍華寺、静安寺と並ぶ上海四大僧林(大寺院)」の一つで1923年に天台宗の高僧、興慈大師によって創建されました。大雄宝堂の下にある講経堂(千人のホール)は外観は半地下になっていて大変広く600人が同時に講義を聞くこともできます。地下鉄老西門駅下車 西蔵南路の西2本路目、吉安路、徒歩五分。
    上海の下町・法蔵寺は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838232

  • 古城公園は旧県城の北東、人民路沿い(人民路333号)に2002年に公開された公園です。黄浦江を挟んで浦東の高層ビル群を眺める恰好の展望スポットになっています。旧県城にあった歴史建築物を移築して保存されています。蘆南銭業公所は末1883年創建の両替商の同業組合です。大東門外北、施家弄にあった物を移築復原しました。上海市優秀歴史建築。丹鳳楼は南宋1271年の創建、明代に城壁を造った時に城壁上に物見台として再建されました。1912年城壁と共に撤去されましたが古城<br />公園の中の展望台として復活しました。<br />上海の下町・古城公園は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838233

    古城公園は旧県城の北東、人民路沿い(人民路333号)に2002年に公開された公園です。黄浦江を挟んで浦東の高層ビル群を眺める恰好の展望スポットになっています。旧県城にあった歴史建築物を移築して保存されています。蘆南銭業公所は末1883年創建の両替商の同業組合です。大東門外北、施家弄にあった物を移築復原しました。上海市優秀歴史建築。丹鳳楼は南宋1271年の創建、明代に城壁を造った時に城壁上に物見台として再建されました。1912年城壁と共に撤去されましたが古城
    公園の中の展望台として復活しました。
    上海の下町・古城公園は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838233

  • 旧上海の南市、現在の人民路と中華路が環状に成っているのは城壁の址です。豫園はその中心にあったようです。城壁の南側にあったのが小南門です。この小南門から中心に向かって伸びている路が喬家路といいます。租界が始まるまでの上海で600年の歴史を持つ狭い路地です。通りの両側は古いながらも味のある建物が続きます。小南門警鐘楼、梓園、徐光啓故居、書隠楼等の歴史的建築物があります。住民の生活は浦東のような世界に誇る近代的な建物と違い、百年も前の古い住宅を小割にして一間に一所帯が住むスラム街です。勿論トイレなど無く夜間は馬桶(尿瓶)に用をたして朝、糞尿処理をします。当然部屋の中に臭気が残ります。それでも人々は元気に活気を持って生活しています。上海の表と裏を見てください。住民の生活の場ですのであまり深く立ち入らないよう注意して下さい。<br />上海の下町・喬家路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10747360

    旧上海の南市、現在の人民路と中華路が環状に成っているのは城壁の址です。豫園はその中心にあったようです。城壁の南側にあったのが小南門です。この小南門から中心に向かって伸びている路が喬家路といいます。租界が始まるまでの上海で600年の歴史を持つ狭い路地です。通りの両側は古いながらも味のある建物が続きます。小南門警鐘楼、梓園、徐光啓故居、書隠楼等の歴史的建築物があります。住民の生活は浦東のような世界に誇る近代的な建物と違い、百年も前の古い住宅を小割にして一間に一所帯が住むスラム街です。勿論トイレなど無く夜間は馬桶(尿瓶)に用をたして朝、糞尿処理をします。当然部屋の中に臭気が残ります。それでも人々は元気に活気を持って生活しています。上海の表と裏を見てください。住民の生活の場ですのであまり深く立ち入らないよう注意して下さい。
    上海の下町・喬家路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10747360

  • 下町は一軒の大きな邸宅に十世帯以上の人が住んで居ます。一世帯当り夫婦で3〜4畳です。当然部屋には台所、トイレ、シャワーはありません、台所は通路に小さな共同流しが有ります。シャワーは洗面器で体を拭きます。問題はトイレ、夜間、部屋に置いた馬桶(おまる)に用を足して、朝になると小便池に捨てに行きます。そこで洗って持って帰って来ます。これが毎日の日課です。捨てに行く職業もあります。最近一部水洗になった所もあります。<br />上海の下町・トイレ・鶏は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10838239

    下町は一軒の大きな邸宅に十世帯以上の人が住んで居ます。一世帯当り夫婦で3〜4畳です。当然部屋には台所、トイレ、シャワーはありません、台所は通路に小さな共同流しが有ります。シャワーは洗面器で体を拭きます。問題はトイレ、夜間、部屋に置いた馬桶(おまる)に用を足して、朝になると小便池に捨てに行きます。そこで洗って持って帰って来ます。これが毎日の日課です。捨てに行く職業もあります。最近一部水洗になった所もあります。
    上海の下町・トイレ・鶏は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10838239

  • ここは昔上海(村)城と呼ばれた地域。今の上海の元となった地域です。豫園を中心とする豫園商場、豫園老街は今や上海の観光スポットになったが、その裏通りは昔のまま、日本の戦前のような生活(私の生まれる前)を送っています。毎日がお祭りの屋台が並んでいるようなものです。時間が有りましたら裏の上海をちょっと覗いて見ませんか?朝だけでなく夕方も活気が溢れてます。<br />上海の下町・四牌楼路は下記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10675236

    ここは昔上海(村)城と呼ばれた地域。今の上海の元となった地域です。豫園を中心とする豫園商場、豫園老街は今や上海の観光スポットになったが、その裏通りは昔のまま、日本の戦前のような生活(私の生まれる前)を送っています。毎日がお祭りの屋台が並んでいるようなものです。時間が有りましたら裏の上海をちょっと覗いて見ませんか?朝だけでなく夕方も活気が溢れてます。
    上海の下町・四牌楼路は下記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10675236

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