2014/07/20 - 2014/07/20
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平戸島は、平戸藩松浦氏の城下町であった一方で、かつては南蛮貿易で栄えた町。1637~1638に起きた島原の乱によって、1641年にオランダ商館が長崎出島に移転されるまでの南蛮貿易は、ここが中心でした。
それも、王直などの明の密貿易で知られる中国人やポルトガル人、スペイン人、イギリス人、オランダ人などが入り乱れての多彩な交易。ほぼ百年に渡って、自由な国際都市であったことは、多方面の文化に明るく開明的な考え方が自然に根付いた土地柄となったのではないかと思います。そういう意味で本当に小さな町ですが、管理された交易を担った長崎とは全く違った楽しみ方ができる場所ではないか。そうした思いを改めて持ちました。
もうひとつの生月島は、平戸島から生月大橋を渡って行きます。南北約10km・東西約2kmの島で、最北端に大バエ灯台がありますが、アクセス道はよく整備されていて、快適なドライブが楽しめます。かつては、捕鯨で繁栄を極め、平戸藩の財政を支えていた歴史も面白いと思いました。
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今日は、平戸島がメインなんですが、せっかくなので、早朝の時間を使って田平辺りで、ちょっと寄り道。
中瀬草原キャンプ場は、田平の北部。海を見下ろす丘全体が気持ちの良い草原。あちこちに、テントが張られてけっこう賑わっていました。隣りに、ユースホステルがあるのですが、キャンプする人にとってはこれで安心感があるかもしれません。 -
田平の港では、漁を終えた漁船が魚の水揚げをしていました。
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アジのような元気な魚がピンピン跳ねています。次々、網ですくい上げて、活きがいい魚ですね。
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さて、平戸大橋を渡って、平戸市街です。湾を挟んで、平戸城の方から市街を眺めます。今日の天気は、イマイチかなあ。ちょっと心配です。
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市街の中心部に入って、これは平戸港交流広場。海に面した公園です。
無料の駐車場があるし、市内のどこへでも近いので、オランダ商館に行くのにも、車の人はここに駐車するよう言われる便利な場所です。 -
広場には、じゃがたらお春の像。
ポルトガル商船の航海士であったイタリア人と日本人との間に生まれ、後にバタヴィア(ジャカルタ)へと追放されてしまいます。バタヴィアから宛てた「あら日本恋しや、ゆかしや、見たや、見たや」の手紙が切ない思いを今に伝えています。 -
こちらは、オランダ船でしょうか。それとも、ポルトガル船?
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歴史の道は、平戸港交流広場から松浦史料博物館へと続く道。
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ポルトガル人、オランダ人、中国人など平戸ゆかりの偉人の立像が並んでいます。どの人がどの人なのかよくわかりませんが、国際色がとても豊かなので、それだけでも平戸の歴史を十分感じれるのではないかと思います。
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平戸温泉うで湯あし湯は、平戸の市街中心部。松浦史料博物館に上る石段の手前です。足湯だけでなく、腕を温める湯が一緒になっているというもの。
泉質は、ナトリウム炭酸水素塩泉。微かにヌルっとした感触で、やけど等に効能があるそうです。 -
藤浦洸の歌碑は、その傍ら。
ちなみに、藤浦洸は、平戸市出身の詩人。刻まれているのは、「ひらどの歌」。紅のつつじ、カピタン、ジャガタラといった言葉が入っていて、故郷平戸の歴史的な情景を詠んでいます。 -
イチオシ
市街の端っこに建つのはオランダ商館。まだ朝早いので開いていない。ここは、明日また来ることにします。 -
常燈の鼻は、オランダ商館跡から海側に出た場所にある石積みの高台。常夜灯が建っていて、これが常橙の鼻。
1616年にオランダ商館が大増築された際、防波堤の役割も兼ねて造られたというもの。当時の記録にも鮮明に残されており、オランダ貿易が華やかであった頃を偲ぶ遺構となっています。 -
正面には、湾を挟んで平戸城が見えています。朝日を浴びて、けっこう雰囲気があります。
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オランダ商館のそばに、二つのオランダ井戸があります。大きいのと小さいのがあるのですが、これは中でつながっているのだそうです。小さな方は、オランダ商館の屋内に、大きな方は屋外にあって、使い分けをしていたようです。市街中心部には中国人が作った六角井戸もありますが、比べてみても面白いと思います。
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オランダ塀は、オランダ井戸から山の方に登って行く石段に沿って続きます。
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煉瓦のように砂石を平積みして、その上に貝殻と石炭を混ぜて作った漆喰のようなものを塗っている分厚い塀。高さは2mほど。1618年に築造されたということです。
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フランシスコ・ザビエル記念碑は、オランダ塀から崎方公園をどんどん登って行ったところ。ちょっと草が深い場所があったりするので、服装はちゃんとして行かないと危ないでしょう。
碑は、日本渡来400年を記念した碑だということです。 -
さらに上がって行くと、三浦按針の墓。三浦按針の墓は、横須賀にもありますが、按針が亡くなったのは平戸です。
さて、これで朝の散策はおしまい。ここからは、レンタカーを目いっぱい活用して、回りに回りたいと思います。 -
平戸海上ホテルは、平戸の市街からオランダ商館を過ぎて、少し離れたところ。海岸に立つ大きなホテルです。
前回来た時に日帰り温泉を利用しましたが、ここの名物は水族館の風呂。風呂の壁面に水槽が埋め込まれていて、泳ぐ魚を見ながら温泉に入ります。ここまでするかなあという感じもなくはないのですが、後で、ここの温泉の泉質がすごくいいとファンになった人がいると聞きましたが、泉質の方には気持ちが行っていないので、何とも答えようがない。しかし、あくまで基本は温泉にあるということは、確かにそうかもしれません。 -
で、まずは雄香寺。平戸市内から田の浦に向かう途中です。それにしても、まったくそれらしい目印というのがないので、知らないととても見つけることは難しいと思います。
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寺は、平戸藩の五代藩主、松浦棟が江戸時代前期に建立。以降、歴代平戸藩主の菩提寺となったのですが、見所は、開山当初に建てられた開山堂。通称は赤堂。格子の入った花頭窓に黒い正面扉がとても力強い印象の意匠です。
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さらに進んで、カトリック上神崎教会。建物は、昭和44年に出来たもの。
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木をふんだんに使った内部は、天井の木組みが美しい意匠となっています。
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イチオシ
入り口部分に、六角形の絵画のステンドグラスがあって、これもなかなか。
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必見だと思います。
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カーナビで目指していた田の浦温泉に到着。平戸島の北東端です。 空海が中国へ渡る前にこの地に滞在。その折に「金剛杖にて地を突いて湧出した」という伝説のある温泉です。
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事前に電話をして、日帰り温泉が可能かどうか聞いたのですが、それはできないとのこと。それでもそんなところか見てみたいと思って訪ねたのですが、入江のほとりの、道のどん詰まり。人里離れた場所にある小さな温泉宿でした。しかし、泊り客の車が何台も止っていて、人気の宿のようですね。これでは、日帰りは無理だなあ。納得いたしました。
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イチオシ
次に向かったのは、近くにある渡唐大師像。ここはカーナビに登録はないので、道の途中にあった案内板が頼りです。
田の浦は、遣唐使船が船出をしたゆかりの地。そこに、石像としては日本一の規模を誇るという弘法大師空海の像が造られました。像の高さは7m。台座を含めると16m。ただ、前もって予想していたこともあって、びっくりするほどの大きさではないような。指を指して、空海の強い決意を表しています。 -
ここから、生月島を目指しましたが、途中にあったのは、冨春園。
ここは、日本最初の茶畑。栄西が中国から茶の実を持ち帰って播いたということです。そこから、さらに細い小路を降りて行くと、「日本禅宗発祥の地、冨春庵跡」と刻まれた石碑。 -
一角には、栄西が座禅を組んだという座禅石もありました。
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さらに進んで、途中の山野教会堂です。
海沿いを走る主要道から山側にしばらく入って奥まったところ。この地区は、外海から五島を経てキリシタンが移住してきた辺境の地です。アクセスが不便なことは当然でしょう。 -
現在の教会堂は大正13年の築。外観はおとなしい感じですが、内部は見事なこうもり天井。
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コリント式の柱頭の青、緑、白の配色も、他では見たことがないような鮮やかな美しさ。
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ステンドグラスも落ち着いた色合いです。
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生月大橋はライトブルーといった薄い水色。長さ960m、幅6.5m、桁下までの高さ31mの巨大なトラス橋は、赤い平戸大橋と対比されるような色ですが、全体として重厚な迫力があって、力強い。渡っていても、重厚感が伝わってきて、こちらの方がずっとインパクトがあるように思いました。
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生月大橋を生月島に渡ってすぐにあるのが、道の駅生月大橋。生月大橋をすぐ下から見上げるアングルがここのウリです。
ただ、これはこれで悪くはないのですが、この生月大橋は、平戸大橋が眺める橋だとすれば、渡ることが楽しい橋でしょう。見上げるよりもさっき渡ってきた時の感動の方がずっと大きいように思いました。 -
生月島では、まず、生月町博物館 島の館へ。
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イチオシ
隠れキリシタンの展示もないことはないのですが、圧巻は古式捕鯨のジオラマ展示。鯨を取り囲んだ小舟には、たくさんの漁師が乗り込んで、捕られる方も捕る方も必死の姿。ちょっと感動的な光景です。
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江戸時代に日本最大規模を誇った益冨家の隆盛も知らなかったことで、意外でした。
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こちらは、生月鯨太左衛門。江戸時代に実在した日本一の巨漢。身長が227cm、体重が169kgだったという伝説の力士です。
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隠れキリシタンの
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部屋を抜けると、
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海中ジオラマもあって、楽しませる工夫がいっぱい。ちょっと軽く見ていましたが、ここの施設は見応えあります。
興味深く見せてもらいました。 -
次に向かったのは、山田カトリック教会。生月島の中央部に建つ教会です。現在の建物は、大正元年に完成したもの。鉄川与助の設計施工によるロマネスク様式の教会堂で、全面が黄色の石積。側面は赤いレンガとなったツートンカラーが特徴的です。
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内部は、見事なこうもり天井。外観の堅牢さに対して、華麗な印象を受けました。
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奥のステンドグラスも
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とても、手が込んでいます。
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ガスパル様は、山田教会から回りました。ちなみに、ガスパル様というのは、生月で最初の殉教者となった人物。元々は、平戸藩の役人で、この辺りを収める代官だったのですが、キリシタン弾圧に方針が転換。ポルトガル人宣教師によって十字架が建てられた場所だったというこの地で処刑され、妻・長男も近くで処刑されたということです。
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生月島は、江戸時代は捕鯨の島だったんですね。さきほどの島の館で知ったばかりですが。
そして、生月島の北部にある壱部浦は、その捕鯨で名をはせた益冨組の本拠地だった集落。その益冨家の住宅は、港を見渡す一段高くなった敷地に石垣を巡らせたものでした。案内板があって、外から中の様子をうかがうしかありませんが、生月島の往時の繁栄を偲ぶ重要な建物です。 -
生月島の北へ向かってどんどん進みます。
塩俵の断崖は、生月島の北。大バエ灯台に行く少し手前です。あずま屋のような建物が建った広場から、柱状節理というのだそうですが、海岸に迫る崖を構成する奇岩を眺めます。 -
イチオシ
五〜七角形の柱状の石が重なった景観は、珍しい地形。長崎県新観光百選の一つともなっています。ただ、想像していたより、規模はそうでもなかったような気もします。
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大バエ灯台は、生月島の最北端。アクセス道路はかなりよく整備されているので、結局のところ、さほどの苦労なく来たような。駐車場に車を止めて、灯台はしばらく歩いた先です。
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灯台の立っている岩山は海に向かってかなり切り立った場所です。少し手前に休憩所があって、見上げた時にそのダイナミックさに気が付きました。
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周囲の眺めは、生月島の全景を見る感じ。生月島では、ここが一番高い場所だということがよく分かります。
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カフェ パヤラは、塩俵の断崖のそば。県道沿いの広い空地の中に建っています。ピンクというか茶色というか、ぼかしたような色彩の外観がちょっと怪しげだったのですが、ほかにお店もないし、パンを買おうと寄ってみました。
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パンは、ハード系で本格的なもの。一方で、店内にはバンド演奏がすぐにでもできる感じのステージ。店内の雰囲気もゆったりそれに合わせたような、なかなかのもの。外観がもう少し何とかなれば寄りやすいし、もっと正当に評価されるのではないか。ちょっと惜しいと思いました。
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生月島の帰りに、もう一つ、生月大魚籃観音へ。観音は、生月大橋を渡ってすぐなのですが、入口がなかなか分かりにくいと思います。
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何度も迷って辿り着きましたが、これはやっぱり一見の価値あり。高さ18m、重量150tの大きさは、鎌倉の大仏と比べても大きさは引けを取らないし、上品な顔立ちも印象的です。内部にも入れるようでしたが、どうだったのか。ちょっと、よくわかりません。
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生月島を出て、漁師食堂 母々の手へ。
生月大橋に近い海岸まで下りて行った場所。想像していたよりも、分かりやすい場所でした。 -
メニューはバイキングの一種類。刺身の盛り合わせはバイキングではありませんが、それ以外は、自由。
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イチオシ
店名からすると、素材が新鮮で量が多いだけかなあとか思ってしまうかもしれませんが、そうではない。
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それぞれが洗練された味わいで、味に変化もある。
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体が自然の恵みで満たされていくような濃い時間を過ごさせてもらいました。ちょっと無理をしても寄ってみるべきお店ではないかと思います。
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なお、こちらのお店からも、生月大橋がこんな風に見えています。
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さて、ここから先もまだまだ長いですよ〜。
春日の棚田は、国の重要文化的景観ともなっている平戸島の自然の豊かさを象徴するもの。生月から紐差に向かう県道沿いにあって、海岸から山間に続く棚田を車の中からでも眺めることができます。青々とした稲がとても美しい。よくある風景のようなんですが、けっこう心に沁みました。 -
人津久海水浴場は、春田の棚田からすぐ。道路を走っていると、駐車場へ招くおばさんの旗が見えて、ここが海水浴場と分かりました。平戸にはいくつも海水浴場があるのでしょうが、ここはとても人気があるようですね。かなりの賑わいです。たぶん、施設が整っているのではないかと思います。
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平戸市切支丹資料館は、平戸のカクレキリシタンの里、根獅子にある資料館。隠れキリシタンの資料なんて、あちこちであるしという感じもしないではなかったのですが、強く心に残ったのは、「おろくにん様」の話。
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資料館にあったものをそのまま紹介すると以下のとおり。何んとも胸に迫る話です。
両親と娘3人の5人家族の家に、ある男が居候し、その男は長女の婿となります。ある日、婿に、一家は自分たちはキリシタンだと打ち明けますが、次の日の朝には婿の姿はありませんでした。男は一家がキリシタンだと密告したのです。一家は根獅子の浜の小岩で処刑されました。「おろくにん様」の6人目は長女のお腹にいた赤ちゃんのことです。 -
イチオシ
カトリック紐差教会は、平戸島の中央部。
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真っ白な建物は、鉄川与助の設計によるロマネスク様式です。
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内部はこうもり天井ではなく、格天井のような箱型。初めて見ると、かなりインパクトがあると思います。
平戸のポスターでも、この写真はよく使われていて、平戸を代表するものとなっています。 -
大規模な天主堂で、旧浦上天主堂が原爆によって倒壊した後は、日本最大の天主堂といわれたそうです。
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次に向かったのは普門寺。木ヶ津にあるのですが、この辺りの道はくねくね道で方向感が分からなくなるよう。カーナビはありましたが、けっこう迷うかもしれません。
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元は龍端寺。石段を上がると、境内には、1本の大杉だけで建てられたといわれる景粛堂(通称一本堂)。
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苔むした石塀で囲まれて、正面にはこれも歴史を感じる石灯籠。教会もいいけど、古寺もいい。そんな思いになるお寺です。
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続いて、カトリック木ヶ津教会。平戸島の真ん中あたりになります。もっと島の南にも観光スポットはなくはないのですが、通常の観光エリアとしてはここが南限と言ってもいいかと思います。
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この教会は、高校の体育館を移築してできた教会。
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特筆は、永井博士の絶筆「十字架の道行き」が内部に飾られていること。博士の死後、長崎の浦上教会に寄進されていたのを譲り受けたということです。
ちなみに、佐々教会では、この絵のレプリカを飾っていました。 -
イチオシ
カトリック宝亀教会も平戸を代表する教会の一つ。
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現在の教会堂は、明治31年の建立。赤い地の煉瓦に白い漆喰のデザインが印象的です。また、側面のベランダも、けっこう珍しいかもしれません。
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内部は、見事なこうもり天井。柱の装飾が白地に緑の葉っぱ。これも美しい意匠でしょう。
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ステンドグラスは、ちょっと控えめです。
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ここからは、平戸の市街に向けて帰ることになります。
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朝来たのと反対側の南側の海岸線を辿ります。
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鄭成功居宅跡は、平戸の川内町。通りに中国風の灯籠が飾ってあったりして、鄭成功ゆかりの地区であることをアピールしているようです。
今は、鄭成功記念館が建っていて、鄭成功の功績を伝える内容。 -
しかし、名前は聞いたことがあっても、何をした人かと言われれば「さあ?」というしかないような。
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展示物を見たり、記念館の人に話を聞いたりしながら、人物像が分かって来ました。
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鄭成功は、清朝から攻められていた明朝を助け、その反抗の拠点として、台湾を支配していたオランダ人を追い出し台湾を解放したということ。
中国の貿易商を父に持ち、母は日本人。アジアを股にかけた英雄として、語り継がれている人物だということです。なるほど。 -
鄭成功廟にも寄ってみます。
川内町の集落を抜けて千里ヶ浜に向かう途中から右折して少し登るのですが、その右折をどこでするかがかなり難しい。 鄭成功記念館の人に詳しく教えてもらっていなかったら、絶対に分からなかったと思います。 -
さて、廟は、小さいながら美しい建物で、意外に見応えがあります。
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イチオシ
中には、極彩色の鄭成功の像が安置されていて、これも見逃さないよう。ご注意。
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さらに進むと、鄭成功児誕石。海辺にあるこの岩の上で鄭成功が産まれたと伝わることから、鄭成功児誕石と呼ばれます。
成功の父は、芝龍という福建省の人。母はマツ。母マツが千里ヶ浜に貝拾いに行った時に産気づいたと言われます。 -
千里ケ浜は、直線道路に沿って続く砂浜。平戸島の海水浴場は湾に囲まれた砂浜が多いのですが、ここは、まっすぐに開けた地形です。
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大きさで言えば、平戸島ではこの千里ケ浜海水浴場が一番かも。この海水浴場を知らなかった人でも、この景気を見たらちょっと寄ってみたくなると思います。
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海岸を望んで、巨大ホテルのホテル蘭風も建っていて、リゾートな雰囲気がいっぱいのエリアです。
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ここからがんばって、川内峠へ。ここは、平戸の観光パンフレットでも、大きく取り上げられていて、島なのに峠なんて見どころかなあと、半分疑いながら訪ねました。
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場所的には、平戸の市街から車で30分くらいかと思います。そんなに不便な場所ではありませんね。
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さて、駐車場に車を止めて、開けた草原の小山に向かって、なだらかな坂道を登って行くと、
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周囲360°が海まで見渡せるすばらしい絶景が待っていました。
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平戸島全体を掌中にしたような気分になって、
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イチオシ
痛快この上なし。
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確かに、平戸の必見ポイントの一つだと思います。
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がんばって来た甲斐がありました。
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帰りの足取りも軽く、ルンルン気分です。
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平戸の市街に帰ってきました。遠いところから回りましたが、この市内探索も重要です。三回目とはいえ、マイナーなスポットとか回っていませんでしたから。
最初は、最教寺霊宝館です。
最教寺は、空海ゆかりの寺。しかし、空海が渡唐する前に寄ったのか、後から寄ったのか尋ねたら、空海の記念祭が他の寺より早かったので前ではないかとのことでしたが、説明では後に寄ったと書かれていて、まあ、これもどっちでもいいんですが。。
展示品は、真言宗の仏具や空海の手紙の模写など。いずれも大切に保管されてきたことがこちらに伝わってきて、それだけでもここに来た意味があるように感じました。ゆかりも大事ですが、その後の伝承や広がりも同じくらいに重要です。 -
ところで、最教寺で寺の由来を聞いていたら、子泣き相撲というのがあるそうで。
というのも、この寺は、平戸藩初代藩主の松浦鎮信により建立されたのですが、元々は曹洞宗の勝音院という寺院がありまして、鎮信が移転を要望したところ拒否され、結局、勝音院を住職諸共焼き払ったのだとか。
その後、鎮信は住職の霊に悩まされていたのですが、赤子の泣き声で亡霊が退散したのだとか。毎年2月3日の節分の日に行われる「子泣き相撲」はこんなところに起源をもっているのだということでした。 -
平戸観光交流センターは、平戸城の標識を進んで、一番奥に行くとここにたどり着きます。平戸城には、ここの駐車場に車を止めてから登るのが一番便利なんですね。
なお、センターではひらめ祭りとかの看板。食堂もあって、いろんな企画をしているようでした。 -
平戸城も、久しぶりに寄ってみましょう。
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ここは、豊臣秀吉の九州平定に加わり松浦郡と壱岐の所領を安堵された松浦鎮信の築城が始まりだったのですが、江戸幕府との関係もあってか完成前に破却されます。
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その後、江戸時代中期になって、4代藩主が幕府に築城を願い出て築城。
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山鹿流軍学に基づく縄張りがなされたという城です。
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ただ、今回、特に強く思ったのですが、見所は内部の展示品でしょう。これは入ってすぐの展示品。神功皇后の三韓征伐に従った際の刀だということですが、本物かどうか。しかし、どちらにしても、ちょっととんでもない代物だと思います。
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当然、隠れキリシタン関係の資料や
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松浦氏の大名道具に加えて、
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明治天皇を生んだ愛子様の実家が松浦家だったことの説明や
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櫓では、
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中野焼も価値あるもの。
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陶器に呉須で絵を描いたものですが、上品な風合いが大名道具の格式を醸し出しています。
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これは時代が下っての三川内焼。
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ちょっと艶っぽい表面の感じは
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デルフト焼の感じにも似ています。
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亀岡神社は、平戸城の敷地内にある神社。
松浦氏の祖である源大夫判官久命ほか、松浦氏歴代当主の霊も祀っています。始まりは1631年で、平戸藩藩主松浦棟の創建だとか。歴代藩主の尊崇厚く、平戸の産土神とされています。
亀岡公園は、亀岡神社を含む平戸城の周辺を整備した公園。桜の名所でもあるようですが、記念碑がいくつもあって、中山愛子像もその一つ。これは、明治天皇の生母、中山慶子の母で、平戸藩主松浦清の11女。明治天皇の養育にもつとめたということです。 -
ところで、平戸の茶の流派である鎮信流は、皇室でも取り入れられています。とくれば、当然にお菓子が気になります。ここからは、市内を歩いて、その片鱗を探しましょう。
プチ・イケガメは、平戸の中心部からは少し外れですが、地元に密着している活気を感じるお店です。 -
いただいたのは、黄色が印象的なpuff cake。卵の香りのカステラ生地と甘いクリームがしっとり合体した安定感のある味わい。たぶん、地元では当たり前の味と思われているんでしょうが、そうではない。さすが老舗と思わせる仕上がりだと思います。
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蔦屋茶寮は、元祖カスドースの看板が掛かってますが、元祖は湖月堂じゃなかったかなあ。。平戸は今回で3回目ですが、蔦屋さんて昔はなかったように思いますけどねえ。
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ただ、店舗は立派で、老舗らしい格調が感じられる。若い女性の店員さんは、その分、お高くとまっている感じがしないでもないような。カスドースは、半熟の感じがよく出ていて悪くないんですが、悪く言えば、今風にアレンジしたもののようにも感じました。
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カスドースの蔦屋には、按針の館のプレートがありました。
三浦按針は、オランダ艦隊の航海長だったイギリス人。リーフデ号で日本に漂着したのですが、家康に認められ外交顧問となります。
平戸で始まったオランダ貿易・イギリス貿易に携わり、ここを住まいにしたということですが、最後は病のため平戸で亡くなっています。 -
サンキタガワというお店がサンブロートに名前が変わったようですが、平戸のメインストリートにあるきれいなパン屋さん。朝飯にとアンパンを買いました。その間にも、地元の常連さんがポツポツやってきて、けっこう大量に買っていきます。まあ、結局は普通のパン屋さんではあるのですが、ちょっと地元の日常に触れたような気もして、楽しい旅の一コマとなりました。
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平戸のメインストリートの端っこ。津乃上ってどこですかと道を聞いたら、「最中ですね」と言われて、逆に名物が最中だということが分かりました。
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さっそくそれをいただきましたが、最中の皮がけっこう粘り気があって簡単には噛み切れない。その分、しっかり噛む必要があって、そうすると餡子がどばっと口に入ってくる。むむ。これはいい。この餡子は、こうして口いっぱいにほうばることで、そのうまさがより引き立つようにできています。粘り気のある皮も、こうしてみるといい組み合わせ。「おぬしできるな」とニンマリするような最中でした。この最中は正真正銘、絶品です。
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熊屋は、ごぼう餅のお店。ごぼう餅も平戸の銘菓。
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ごぼうに似た形からごぼう餅の名前になったのだそうですが、お客さんから「ごぼうは入ってないんですか」の声が多く寄せられて、今ではごぼう入りのごぼう餅も作ったのだそうです。日保ちがしないし、量が多いので、これは断念。
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代わりに、一番人気の麩まんじゅうをいただきました。いやー、これがまたうまい。表面がちょっとごつごつしていていましたが、これがまたいい舌触り。滑らかな餡子の甘さも絶妙です。平戸のお菓子のレベルの高さをまた実感させられたひと品でした。これで抹茶をいただいたら、たまらないでしょう。これもすばらしいお菓子です。
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六曜館は、煉瓦造りの喫茶店。街案内の看板が出ていたので、鯛茶着けのお店の情報を聞こうと入ってみました。すると、「あそこがいいけど、やってるかなあ。じゃあ電話してみましょう」とか親切この上なし。傍らでは地元の常連さんと思しき方々が何人かカウンターで珈琲を飲んで寛いでいる姿。落ち着いた店内の空間もとても印象に残りました。これは、平戸の穴場喫茶かと思います。
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紹介してもらった大徳利です。
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平戸では、ずっと魚が続いていたし、もういい加減くたびれてきていたんですが、せっかくなのでこちらでも刺身定食をいただくことに。
しかし、やっぱりそこは老舗のお店。やっぱり刺身の包丁の入れ方とか、ヒラメも含む、魚の組み合わせなど、そこここに何かとプロの技を感じるような。結局、とてもおいしくいただきまして、平戸の海の幸を堪能いたしました。昔、晴れたり曇ったりという店があって、評判だったのですが、その店は閉まってしまいました。今ではここが一番店ではないかと思います。 -
今夜の宿は、井元旅館。平戸に来た時はここばっかりです。
平戸市街の端で、オランダ商館に近い側なので、平戸の観光にはベストポジションだと思います。 -
海側の部屋は初めてでしたが、正面にこんな風に平戸城が望めて、これもすばらしいと思いました。
また、宿泊客には、例によって市内の他のホテルで使える日帰り温泉の割引チケットをくれたので、今回は、旗松亭にしてみました。 -
旗松亭は、平戸の市街を見下ろす山の中腹に建つ巨大ホテル。平戸城と湾を挟んで向かい側正面です。オランダ坂を登ったところが入口です。
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展望風呂に入りましたが、眼下に平戸市街と正面に平戸城が見えるのは予想通りなのですが、硝子が曇っていて、絶景を眺めながら温泉を楽しむというところまではいかないかも。
しかし、浴室は広いし、大型ホテルらしいゆったり感があって、利用価値は十分あると思います。他に、露天風呂もあるようですが、そっちはよくわかりません。
これで、3日目はおしまい。今日はあっという間の一日でした。
さて、明日は最終日。長崎空港まで帰らないといけないので、余裕をもって、回りたいと思いますが、しかし、まだまだ、メジャースポットが残っている。最後まで気を抜けない日が続きます。
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