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有川港を少し南進み、鯛の浦湾の見下ろす丘の上に、マリアとヨセフそして幼きイエスの像が建つ、鯛の浦教会の下に出る。<br /><br />近づくといかにも微笑ましい3人銅像の下に、「守護者 聖家族」とある。<br /><br />えええっ・ここではイエスの義理の父親ヨセフも神様の仲間らしい。<br /><br />聖家族像の背後にはコンクリート造りの純白の教会だが、ここには左手奥に旧鯛の浦教会も遺っており、そのレンガ造りの尖塔が覗いている。<br /><br />堂内は明るいが、何の装飾も施されておらず、なんか学校の教室風。<br /><br />しかしここには堂内だけで3体の、しかもその内2体が幼いイエスを優しく抱く聖母像。<br /><br />裏に廻って旧鯛の浦教会へ。<br /><br />旧鯛の浦教会のファサードの前で振り返り、新鯛の浦教会の屋根の上の十字架の上の空を観た瞬間、思わずアッと声を出しそうになった。<br /><br />昨日最後に訪れた曽根教会の中央祭壇の十字架の背後の壁の絵が、そのまま目の前の空に広がっていたのだ。<br /><br />1880年(明治36年)建てられたと云うレンガ造りの旧鯛の浦教会は、1949年増築。<br /><br />その際四角錐の屋根を持つ塔が増築されるが、その煉瓦は旧浦上天主堂の被爆煉瓦を取り寄せたと云う。<br /><br />そお思って見る所為か、旧鯛の浦教会は建物の内外共に、どの方角から見ても美しい。<br /><br />ここには難を逃れて移住してきた熱心なキシシタンが多かったため、いわゆる五島崩れと云われる徹底的な迫害に遭い、多くの殉教者が出た。<br /><br />その一人が後に長崎駅近くの、「日本26聖殉教者」の碑の一人、聖ヨハネ五島。<br /><br /><br />*参考<br />ロマン漂う長崎・平戸教会巡礼の旅?日本二十六聖人殉教の地<br />http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10450903/<br /><br />聖ヨハネ五島を始め、殉教者たちを悼む銅像と碑が並び立つ。<br /><br />旧鯛の浦教会や殉教者たちを見守るかのように立つ、これまでも何度かお目に掛かったルルドの聖母だが、ここではルルドの聖母の他に、跪いてルルドの聖母を見上げ、祈りを捧げる、今回の旅で初めて出会う可愛い少女がいる。<br /><br />1858年、フランス郊外のマッサビエルの洞窟のそばで、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルーが、ベルナデッタしかその姿が見えない一人の女性に遭い、ベルナデッタがその女性の名を何度か尋ねると、その女性は私は「無原罪の聖母」と答えたと云う伝承が、ここにそのまま再現されている。<br /><br />これによく似た伝承は世界には他にもある。<br /><br />ポルトガル中部にファティマと云う片田舎の村が有った。<br /><br />1917年この村の3人の子供が1本のヒイラギの下で、婦人と出会い、その女性は私は聖母マリアと名乗り、その女性から向う5カ月間このヒイラギの下に来るように云われ、3人の子供は約束を守る。<br /><br />この女性も3人の子供にしかその姿は見えず、村人にその話を信じて貰えない子供たちはその女性にその姿を村人の見せて呉れるように懇願。<br /><br />姿は見せないものの、雨雲から突然光が舞い降り、そしてその女性・聖母マリアはここに礼拝堂を建てるようにと告げる。<br /><br />フランスのルルドを訪れたことは無いが、ポルトガルのファティマは2010年6月に訪れた。<br /><br />そこで見た祭日でもない普通の日曜日のミサに集まった、大聖堂の前に広がる30万人収容できると云う広場での、その群衆の数もさることながら、赤子を抱き、膝で爬行しながら延々と祈りを捧げる信者の光景に、身が竦むほど圧倒された。<br /><br />毎年5月と10月の13日にはポルトガル全土のみならず、世界中からの巡礼者や信者で街はごった返すと云う。<br /><br />下記の写真を是非ご覧頂きたい。<br /><br />prt312人々の祈りの姿に圧倒された広大なバシリカと膨大な広場 in ファティマ<br />http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10561689/<br /><br />フランスのルルドも多分同じ様な光景を目にするに違いない。<br /><br />”無原罪の聖母”がキリスト教の教義として確定されたのは1854年。<br /><br />その”無原罪の聖母”は、その直後の4年後にフランスのルルドに、70年後にポルトガルのファティマと云ういずれも片田舎に姿を現す。<br /><br />そしていずれもその姿を見たのは、一人または数人の子供たちだけと云う話。<br /><br />五島の教会がファティマの聖母でなく、ルルドの聖母なのは、当時五島に派遣された神父の大半が、たまたまパリに本拠を持つ、イエズス会出身だったからに過ぎないと思われる。<br /><br />このブログを描きながら、つい頭に浮かんだのは、イスラエルのガリラヤ湖周辺で、イエスに群がる飢えと病気に苦しむ群衆を、イエスは奇跡を以って救うが、群衆はイエスの説く”神の国”はなかなか理解できず、病気が癒え、飢えが収まると、大半の群衆はまた元の生活行動に戻ってしまう事に苛立ち、イエスが身を隠してしまう話。

キリストの神を覗く旅路第3部五島列島の小さく質素だが美しい教会群巡礼32新・旧聖堂の姿を同時に見ることが出来る鯛の浦教会

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2012/04/21 - 2012/04/21

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WT信

WT信さん

有川港を少し南進み、鯛の浦湾の見下ろす丘の上に、マリアとヨセフそして幼きイエスの像が建つ、鯛の浦教会の下に出る。

近づくといかにも微笑ましい3人銅像の下に、「守護者 聖家族」とある。

えええっ・ここではイエスの義理の父親ヨセフも神様の仲間らしい。

聖家族像の背後にはコンクリート造りの純白の教会だが、ここには左手奥に旧鯛の浦教会も遺っており、そのレンガ造りの尖塔が覗いている。

堂内は明るいが、何の装飾も施されておらず、なんか学校の教室風。

しかしここには堂内だけで3体の、しかもその内2体が幼いイエスを優しく抱く聖母像。

裏に廻って旧鯛の浦教会へ。

旧鯛の浦教会のファサードの前で振り返り、新鯛の浦教会の屋根の上の十字架の上の空を観た瞬間、思わずアッと声を出しそうになった。

昨日最後に訪れた曽根教会の中央祭壇の十字架の背後の壁の絵が、そのまま目の前の空に広がっていたのだ。

1880年(明治36年)建てられたと云うレンガ造りの旧鯛の浦教会は、1949年増築。

その際四角錐の屋根を持つ塔が増築されるが、その煉瓦は旧浦上天主堂の被爆煉瓦を取り寄せたと云う。

そお思って見る所為か、旧鯛の浦教会は建物の内外共に、どの方角から見ても美しい。

ここには難を逃れて移住してきた熱心なキシシタンが多かったため、いわゆる五島崩れと云われる徹底的な迫害に遭い、多くの殉教者が出た。

その一人が後に長崎駅近くの、「日本26聖殉教者」の碑の一人、聖ヨハネ五島。


*参考
ロマン漂う長崎・平戸教会巡礼の旅?日本二十六聖人殉教の地
http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10450903/

聖ヨハネ五島を始め、殉教者たちを悼む銅像と碑が並び立つ。

旧鯛の浦教会や殉教者たちを見守るかのように立つ、これまでも何度かお目に掛かったルルドの聖母だが、ここではルルドの聖母の他に、跪いてルルドの聖母を見上げ、祈りを捧げる、今回の旅で初めて出会う可愛い少女がいる。

1858年、フランス郊外のマッサビエルの洞窟のそばで、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルーが、ベルナデッタしかその姿が見えない一人の女性に遭い、ベルナデッタがその女性の名を何度か尋ねると、その女性は私は「無原罪の聖母」と答えたと云う伝承が、ここにそのまま再現されている。

これによく似た伝承は世界には他にもある。

ポルトガル中部にファティマと云う片田舎の村が有った。

1917年この村の3人の子供が1本のヒイラギの下で、婦人と出会い、その女性は私は聖母マリアと名乗り、その女性から向う5カ月間このヒイラギの下に来るように云われ、3人の子供は約束を守る。

この女性も3人の子供にしかその姿は見えず、村人にその話を信じて貰えない子供たちはその女性にその姿を村人の見せて呉れるように懇願。

姿は見せないものの、雨雲から突然光が舞い降り、そしてその女性・聖母マリアはここに礼拝堂を建てるようにと告げる。

フランスのルルドを訪れたことは無いが、ポルトガルのファティマは2010年6月に訪れた。

そこで見た祭日でもない普通の日曜日のミサに集まった、大聖堂の前に広がる30万人収容できると云う広場での、その群衆の数もさることながら、赤子を抱き、膝で爬行しながら延々と祈りを捧げる信者の光景に、身が竦むほど圧倒された。

毎年5月と10月の13日にはポルトガル全土のみならず、世界中からの巡礼者や信者で街はごった返すと云う。

下記の写真を是非ご覧頂きたい。

prt312人々の祈りの姿に圧倒された広大なバシリカと膨大な広場 in ファティマ
http://4travel.jp/traveler/shintch/album/10561689/

フランスのルルドも多分同じ様な光景を目にするに違いない。

”無原罪の聖母”がキリスト教の教義として確定されたのは1854年。

その”無原罪の聖母”は、その直後の4年後にフランスのルルドに、70年後にポルトガルのファティマと云ういずれも片田舎に姿を現す。

そしていずれもその姿を見たのは、一人または数人の子供たちだけと云う話。

五島の教会がファティマの聖母でなく、ルルドの聖母なのは、当時五島に派遣された神父の大半が、たまたまパリに本拠を持つ、イエズス会出身だったからに過ぎないと思われる。

このブログを描きながら、つい頭に浮かんだのは、イスラエルのガリラヤ湖周辺で、イエスに群がる飢えと病気に苦しむ群衆を、イエスは奇跡を以って救うが、群衆はイエスの説く”神の国”はなかなか理解できず、病気が癒え、飢えが収まると、大半の群衆はまた元の生活行動に戻ってしまう事に苛立ち、イエスが身を隠してしまう話。

同行者
家族旅行
交通手段
レンタカー JALグループ 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
個別手配

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