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港の近所でレンタカー(電気自動車)を借りていよいよ教会巡礼に出発。<br /><br />福江港から福江港の東側の海岸線に沿って北上すると、海水が綺麗で岩盤の海底がはっきり見える入り江に出る。<br /><br />その入り江に沿って建つ赤煉瓦の教会が五島列島で訪れた最初の教会・天主堂 堂崎教会。<br /><br />明治12年(1879)、ここに禁教令解除後の五島における最初の教会として設立された。<br /><br />1849年、フランシスコ・ザビエルが、インドのゴアから中国の澳門経由で鹿児島に上陸した年を日本のキリシタン元年とするならば、五島列島のキリシタンは30年後にして漸く教会で祈りを捧げることが可能になる。<br /><br />パリ留学中に友人と共同でイエズス会を立ち上げ、パリに住んでいた、スペイン貴族の大金持ち息子フランシスコ・ザビエルは、ポルトガル王の要請による、ヴァチカン教皇庁の命で、インドのゴアに派遣されることになる。<br /><br />ポルトガル王の狙いは、香辛料貿易で莫大な利益を確保することを保証するには、現地住民の懐柔にキリスト教が有益だと悟ったからに他ならない。<br /><br />来日したフランシスコ・ザビエルの後継宣教師たちが、真摯な態度でキリスト教布教と、貧民の救済をしたにも拘わらず、当初は宣教師たちが齎す欧米の知識に惹かれた秀吉が、その裏に潜むポルトガルから始まる列強の植民地化政策の匂いを敏感に嗅ぎとり、一転して禁教政策を採り、キリシタンへの過酷なまでの弾圧を開始する。<br /><br />その政策は徳川幕府に引き継がれ、1614年に禁教令を発布。<br /><br />日米通商条約が締結され、明治政府の世に移っても、一段と強まった列強の植民地化政策を恐れ、禁教政策は続いたが、列強の圧力で禁教政策が中止されたのが明治6年、そしてその6年後にようやくの福江に五島列島で初めて建った教会が堂崎教会。<br /><br /><br />余談1:キリシタンでもあった遠藤周作の谷崎潤一郎賞受賞作「沈黙」は、五島列島に布教に来た宣教師たちとキリシタンになった人々の苦悩の物語。<br /><br />牢獄の主人公の宣教師の苦悩が、エルサレムの大祭司カヤパの館で磔刑判決を受け、地下の牢獄で最後の夜を過ごしたイエスに準えて語られている。<br /><br />祈れど沈黙を続ける神に堪り兼ねて呟く、<br />”「なんのために、こげん苦しみばデウスさまはおらになさっとやろか」<br />それから彼は恨めしそうな眼を私にふりむけて言ったのです。<br />「パードレ(神父様)、おらたちあ、なあんも悪いことばしとらんとに」<br /> <br />「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」”(遠藤周作「沈黙」より)<br /><br /><br />余談2:2010年6月、ユーラシア大陸の最西端の国ポルトガルを旅し、テージョ河口で、カラベル船の船首で海の向こうをキット見つめるエンリケ航海王子が立つ大航海時代の記念塔を観た。<br /><br />当時イベリア半島を支配していたオスマン帝国を、スペインに先んじて、ポルトガルから追放(レコンキスタ:失地回復運動))するのに功績があったエンリケ王子だったが、流行した黒死病の影響もあり、救いを求めて民衆は進んで教会に財産や土地を寄進するも、国王の税収は減る一方であった。<br /><br />その時代を象徴するかのように、ポルトの港の景観は、崖の上に大聖堂や修道院が控え、そこから見下ろす海岸に王の城は建っている。<br /><br />エンリケ王子は止む無く海に目を向け、それが世界大航海時代の始まりとなる。<br /><br />しかし皮肉なことに、大航海で占拠した土地の住民懐柔の手段として、王たちは教会を利用することとなる。

第3部五島列島(長崎)の小さく質素だが美しい教会群巡礼06五島に初めて建てられた天主堂・堂崎教会

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2012/04/19 - 2012/04/19

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WT信

WT信さん

港の近所でレンタカー(電気自動車)を借りていよいよ教会巡礼に出発。

福江港から福江港の東側の海岸線に沿って北上すると、海水が綺麗で岩盤の海底がはっきり見える入り江に出る。

その入り江に沿って建つ赤煉瓦の教会が五島列島で訪れた最初の教会・天主堂 堂崎教会。

明治12年(1879)、ここに禁教令解除後の五島における最初の教会として設立された。

1849年、フランシスコ・ザビエルが、インドのゴアから中国の澳門経由で鹿児島に上陸した年を日本のキリシタン元年とするならば、五島列島のキリシタンは30年後にして漸く教会で祈りを捧げることが可能になる。

パリ留学中に友人と共同でイエズス会を立ち上げ、パリに住んでいた、スペイン貴族の大金持ち息子フランシスコ・ザビエルは、ポルトガル王の要請による、ヴァチカン教皇庁の命で、インドのゴアに派遣されることになる。

ポルトガル王の狙いは、香辛料貿易で莫大な利益を確保することを保証するには、現地住民の懐柔にキリスト教が有益だと悟ったからに他ならない。

来日したフランシスコ・ザビエルの後継宣教師たちが、真摯な態度でキリスト教布教と、貧民の救済をしたにも拘わらず、当初は宣教師たちが齎す欧米の知識に惹かれた秀吉が、その裏に潜むポルトガルから始まる列強の植民地化政策の匂いを敏感に嗅ぎとり、一転して禁教政策を採り、キリシタンへの過酷なまでの弾圧を開始する。

その政策は徳川幕府に引き継がれ、1614年に禁教令を発布。

日米通商条約が締結され、明治政府の世に移っても、一段と強まった列強の植民地化政策を恐れ、禁教政策は続いたが、列強の圧力で禁教政策が中止されたのが明治6年、そしてその6年後にようやくの福江に五島列島で初めて建った教会が堂崎教会。


余談1:キリシタンでもあった遠藤周作の谷崎潤一郎賞受賞作「沈黙」は、五島列島に布教に来た宣教師たちとキリシタンになった人々の苦悩の物語。

牢獄の主人公の宣教師の苦悩が、エルサレムの大祭司カヤパの館で磔刑判決を受け、地下の牢獄で最後の夜を過ごしたイエスに準えて語られている。

祈れど沈黙を続ける神に堪り兼ねて呟く、
”「なんのために、こげん苦しみばデウスさまはおらになさっとやろか」
それから彼は恨めしそうな眼を私にふりむけて言ったのです。
「パードレ(神父様)、おらたちあ、なあんも悪いことばしとらんとに」
 
「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」”(遠藤周作「沈黙」より)


余談2:2010年6月、ユーラシア大陸の最西端の国ポルトガルを旅し、テージョ河口で、カラベル船の船首で海の向こうをキット見つめるエンリケ航海王子が立つ大航海時代の記念塔を観た。

当時イベリア半島を支配していたオスマン帝国を、スペインに先んじて、ポルトガルから追放(レコンキスタ:失地回復運動))するのに功績があったエンリケ王子だったが、流行した黒死病の影響もあり、救いを求めて民衆は進んで教会に財産や土地を寄進するも、国王の税収は減る一方であった。

その時代を象徴するかのように、ポルトの港の景観は、崖の上に大聖堂や修道院が控え、そこから見下ろす海岸に王の城は建っている。

エンリケ王子は止む無く海に目を向け、それが世界大航海時代の始まりとなる。

しかし皮肉なことに、大航海で占拠した土地の住民懐柔の手段として、王たちは教会を利用することとなる。

同行者
家族旅行
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配

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