2010/01/05 - 2010/01/05
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Giraudさん
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パリの郊外にあるサン・ドニ聖堂を再訪しました。世界初のゴシック建築として知られており、また歴代フランス王家の墓所として、さまざまな仰臥像(墓碑彫刻)が安置されています。ステンドグラスの美しさは、ゴシックの大聖堂の中でもここが一番ではないかと思います。
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サン・ドニ聖堂の西正面外観
パリ地下鉄13号線の「Basilique de St.Denis」駅を降りてすぐ。
ルイ6世の学友でもあった修道院長シュジェール(Suger)によって1136年に着工、1144年6月に献堂された世界最初のゴシック建築。向かって左の北塔は1837年に落雷が直撃、さらに3年後の嵐で損傷したため解体されました。 -
サン・ドニ聖堂の身廊外観
外側から建物の重量を支えるフライング・バットレス(飛梁)はゴシック建築の画期的発明。これによって壁を減らし、ステンドグラスを大きくすることができました。外観のデザイン上も優れていると思います。 -
サン・ドニ聖堂の身廊内部
柱のデザインを細い管を束ねたようにして、天井が高いにもかかわらず、支える柱の重量を感じさせないようにしています。半円アーチではなく、先の尖った尖塔アーチもゴシック建築の特徴。 -
午前中に訪れたため、ちょうど太陽が内陣の外から当たり、ステンドグラスの光りが虹色に堂内を照らしていました。
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カラフルなステンドグラスを、カラフルな影が彩っています。
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内陣のステンドグラス
聖ドニの殉教(斬り落とされた自分の首を拾って、首なしのまま現在のサン・ドニまで歩いてきた)を描いています。 -
聖母マリアの礼拝所
左のステンドグラスに描かれているのは、『キリストの幼少時代』(キリスト降誕、東方三博士の礼拝、エジプト逃避、聖母マリアの昇天)。ステンドグラスの物語は下から上へ進行します。下の二段は12世紀、修道院長シュジェールの時代の作品。残りは19世紀の建築家ヴィオレ・ル・デュクとガラス細工師アルフレッド・ジェラントが1849年に製作。
右のステンドグラスに描かれているのは、ダビデ王の父エッサイからイエス・キリストにいたる系図を示した『エッサイの樹』。こちらは下段が建築家ヴィオレ・ル・デュクとガラス細工師ジェラントの製作。上が修道院長シュジェールの時代の作品。よく見るとステンドグラスの鮮やかさが違うのがわかります。
手前の聖遺物箱には、聖王ルイ9世の手首とされる断片が収められているそうです。 -
聖キュキュファ(St. Cucuphas)の礼拝所
ステンドグラスに描かれているのは、『エゼキエルの幻視』。物語は下から上へ、
<1>神がエゼキエルに書を与える
バビロン捕囚から5年後、エルサレムの祭司の一員エゼキエルは、それぞれ四つ首で翼のある四頭の獣と出会う。そして、天上から現れた神の言葉を聞いたエゼキエルは預言者となった。
<2>都市の罰
<3>タウ十字
預言者エゼキエルが人々の額にタウ十字の印を刻む。
<4>新たなダビデとの契約
<5>聖所の扉が閉ざされる
聖書に詳しくないので、細かい内容はわかりません・・・ -
『幼児虐殺』
14世紀のステンドグラス。
ユダヤの王ヘロデの幼児虐殺と、聖母マリアと幼子イエスのエジプト逃避を描いています。 -
『サン・モーリスの殉教』
14世紀のステンドグラス。
古代ローマ、テーベ軍団の司令官であったマウリティウス(モーリス)は、異教のために生贄をささげることを拒否し、時の皇帝ディオクレティアヌスとマクシミアヌスによって部下たちとともに処刑されました。 -
「修道院建築の変遷」
<上>カロリング朝時代(775年)
広大な教会堂が殉教した聖ドニの墓の上に建築されました。
<中>12世紀の修道院長シュジェールの改築後(1144年)
まず西正面(massif occidental)、次に放射状礼拝室(chevet:シュヴェ)が増築されました。
<下>13世紀(1281年)
背の高い身廊が西正面と放射状礼拝室をつなぎ、北の尖塔が建てられます。 -
19世紀のサン・ドニ聖堂の復元模型
まだ北塔が解体される前。 -
「ヴィオレ・ル・デュクによる西正面の改築計画(1860年)」
19世紀の建築家ヴィオレ・ル・デュクは、パリのノートルダム大聖堂の修復など、朽ち果てていた中世建築の再評価に功績がありますが、南仏カルカッソンヌの城壁に北フランス風の塔を付け加えたり、ゴシック様式に改築されていたヴェズレーの教会堂を前時代のロマネスク様式に再改造したり・・・と、現代から見れば強引な修復活動でも有名。
サン・ドニ聖堂の西正面にも対の尖塔を増築しようと計画していましたが、これは実現しませんでした。 -
ダゴベルト王の墓
Le tombeau du roi Dagobert
メロヴィング朝4代目の王。サン・ドニに修道院を創立。 -
ここからは、ひたすら歴代フランス王家の仰臥像を・・・
<左>
クローヴィス1世
Clovis I(465-511)
メロヴィング朝初代の王。ゲルマン諸族の王で初めてカトリックに改宗。
<右>
キルデベルト(シルデベル)1世
Childebert I(496-558)
クローヴィスの息子。パリのサン・ジェルマン・デ・プレ修道院を建立。
右手に教会の模型を掲げています。 -
<奥右>
カール・マルテル
Charles Martel(685-741)
メロヴィング朝の宮宰にして後のカロリング朝の祖。
トゥール・ポワティエ間の戦いでイスラム教徒の侵攻を阻みました。
<奥左>
クローヴィス2世
Clovis II(635-657)
メロヴィング朝5代目の王。ここに墓廟があるダゴベルト1世の子。
<手前右>
フィリップ4世美顔王
Philippe IV le Bel(1268-1314)
教皇庁のアヴィニョン移転、テンプル騎士団の弾圧・解散で有名。
<手前中>
フィリップ3世大胆王
Philippe III le Hardi(1245-1285)
フィリップ4世美顔王の父。
<手前左>
イザベル・ダラゴン
Isabelle d'Aragon(1247-1271)
フィリップ3世大胆王の妻。フィリップ4世美顔王の母。 -
<奥右>
ルイ3世
Louis III(863-882)
カロリング朝の王。弟カルロマン2世と共同即位。
<奥左>
カルロマン2世
Carloman(866-884)
カロリング朝の王。兄ルイ3世と共同即位。
<手前右>
ピピン短躯王(小ピピン、ピピン3世)
Pepin le Bref(714-768)
カロリング朝初代の王。カール・マルテルの子。シャルルマーニュの父。教皇領を寄進。
<手前左>
“大足”のベルト
Berthe dite au grand pied(726-783)
ピピン短躯王の妻。シャルルマーニュの母。 -
<手前左>
カルロマン
Carioman(751-771)
カロリング朝の王。シャルルマーニュの弟。
<手前右>
エルマントルド
Ermentrude(825-869)
西フランク王シャルル2世禿頭王の妻。
<奥左>
フィリップ・ド・フランス
Philippe de France(1116-1131)
ルイ7世の早逝した兄。後のフィリップ・オーギュスト(尊厳王)の伯父。
<奥右>
コンスタンス・ド・カスティーユ
Constance de Castille(1136-1160)
ルイ7世の妻。 -
<手前左から>
ルイ6世肥満王
Louis VI le Gros(1080-1137)
親友のサン・ドニ修道院院長シュジェールを重用。
アンリ1世
Henri I(1008-1060)
カペー朝第3代の王。
ジャン1世“遺児王”
Jean I dit le Posthume(1316-1316)
カペー朝第13代の王。出生と同時に即位したが、生後1週間もたたずに死去。
彫像も(赤ん坊ではありませんが)子供の姿。
ジャンヌ・ド・フランス
Jeanne de France(1311-1349)
ジャン1世遺児王の姉。
女であるためフランス王位を継げず、ナバラの女王フアナ2世となる。
<奥左から>
ロベール2世敬虔王
Robert II le Pieux(970-1031)
カペー朝第2代の王。
コンスタンス・ダルル
Constance d'Arles(984-1032)
ロベール2世敬虔王の妻。
ルイ10世喧嘩王
Louis X le Hutin(1289-1306)
ジャンヌ・ド・フランスとジャン1世遺児王の父。 -
シャルル・ダンジュー
Charles I d'Anjou(1226-1285)
フランス王家の一員としてシチリアを征服するも、「シチリアの晩鐘」事件で挫折。 -
<奥>アンリ2世夫妻の墓廟
アンリ2世
Henri II(1519-1559)
ヴァロワ朝第10代の王。フランソワ1世の子。
カトリーヌ・ド・メディシス
Catherine de Medicis(1519-1589)
アンリ2世の妻。イタリア出身。フランスの食文化の発展に貢献。
<手前右から>
ブランシュ
Blanche(1328-1393)
シャルル4世とジャンヌ・デヴルーの娘。
この人が男でなかったためにカペー朝が断絶。
シャルル4世美顔王
Charles IV le Bel(1294-1328)
カペー朝最後のフランス王。
ジャンヌ・デヴルー
Jeanne d'Evreux(1307-1371)
シャルル4世の妻。
フィリップ5世長身王
Philippe V le Long(1294-1322)
カペー朝第14代の王。シャルル4世の兄。
フィリップ6世ド・ヴァロワ
Philippe VI de Valois(1293-1350)
ヴァロワ朝初代の王。登位を巡って英仏百年戦争が開戦。
ジャン2世善良王
Jean II le Bon(1319-1364)
ヴァロワ朝第2代の王。百年戦争期、ロンドンで虜囚のまま死去。 -
<奥左>
シャルル6世“狂気王”
Charles VI dit le Fou(1368-1422)
精神異常者。
<奥右>
イザボー・ド・バヴィエール
Isabeau de Baviere(1371-1435)
シャルル6世狂気王の妻。”淫乱王妃”
<手前左>
ベルトラン・デュ・ゲクラン
Bertrand Du Guesclin(1320-1380)
百年戦争時代の軍人。
<手前右>
ルイ・ド・サンセール
Louis de Sancerre(1342-1402)
百年戦争時代の軍人。 -
ルイ12世夫妻の墓廟
ルイ12世
Louis XII(1462-1515)
ヴァロワ朝第8代の王。フランソワ1世の義父。
アンヌ・ド・ブルタ−ニュ
Anne de Bretagne(1477-1514)
シャルル8世、ルイ12世の2代の王の妻。 -
フランソワ1世夫妻の墓廟
フランソワ1世
Francois I(1494-1547)
ヴァロワ朝第9代フランス王。
最盛期の神聖ローマ皇帝カルロス5世の生涯のライバル。
異教徒のオスマン・トルコと同盟したり、敵地攪乱のため(自分はカトリックなのに)プロテスタントに資金援助したり、自由な発想の人。城館建築の発展にも貢献。フランスの織田信長といった感じ。
ノストラダムスの預言書に登場する「アンゴルモアの大王」の有力なモデルでもある。
クロード・ド・フランス
Claude de France(1499-1524)
フランソワ1世の妻。ルイ12世の娘。 -
フランソワ1世夫妻の墓廟
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最後は説明不要のこの人たち。
<左>
ルイ16世
Louis XVI(1754-1793)
<右>
マリー・アントワネット
Marie-Antoinette(1755-1793) -
フランス歴代の国王夫妻は、ステンドグラスにも描かれています。
-
「出口」
解放する・・・?
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