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 これまでにも、鎌倉国宝館や金沢文庫、県立歴史博物館では世界遺産と銘打った展示を行ってきている。しかし、3館が連携して特別展を行うのは初めての試みだ。<br /> 鶴岡八幡宮境内にある鎌倉国宝館では「古都鎌倉と武家文化」と題して、仏像や仏画、お坊さんの肖像画や木像、墨蹟、将軍や執権の木像、鶴岡八幡宮の神宝である、頼朝奉納の太刀、弓、矢等(国宝)も展示されていた。<br /> 頼朝が創建した證菩提寺の3尊を久々に拝めたことも嬉しかった。今回の仏像の展示は中々のものである。また、高僧の木像も引き付けられた。しかし、将軍・頼朝や執権・時頼の木像には驚いた。教科書に載っている頼朝像(肖像画)は神護寺に伝えられた伝頼朝像(京都国立博物館に寄託)やそれ模写した大英博物館所蔵の源頼朝像が知られているが、源頼朝木像にも北条時頼木像(建長寺)と良く似た木像(東博)と垂れ繭毛の木像(山梨・善光寺)があり、最後の善光寺の木像が源頼朝像と確証できる唯一の例とされている。すなわち、鎌倉を全国に知らしめ、武士の政権を打ち立てた主人公の肖像さえもまだ確定に到ってはいないのだ。<br /> 鎌倉時代の人で頼朝に次いで著名なのは頼朝の御台所であった尼将軍の名で知られる政子であるが、これは晩年の名であり、頼朝生前は何と呼ばれていたかは記録がなく、分からない。他にも在り来たりのことでさえ定説がないことも多く見受けられるが、そうした件は別に譲る。<br /> 私たちは教科書で「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」(頼朝が征夷大将軍に叙任されて幕府が開かれ鎌倉時代が始まった)と習ったが現在では平家を滅ぼした1185年からが鎌倉時代だと教科書に記載されている。どうにか鎌倉時代の始まりと終りが確定したに過ぎないようだ。<br /> 鎌倉国宝館の展示の弓矢(朱漆弓(国宝)と黒漆矢(国宝))に12〜13世紀との表記があり、学芸員を呼んで質した。「12〜13世紀では200年の幅があるが、鎌倉時代の初めならともかく鎌倉時代中期になっても弓矢が奉納されようか?」それに対し、学芸員は、「12〜13世紀の表記は12世紀末〜13世紀初期の意味で表記しています。」と言う。30代の若い学芸員なのでもうそれ以上は言う気にはなれなかった。鎌倉時代になると神社に弓矢が奉納されることはなくなる。そういったことを伝えると、「この助言を基に勉強します。」と言って戻っていった。鶴岡八幡宮の寺(社)伝では平安末期に源頼義が奉納したと伝えられている。それを1191年の再建時に頼朝が奉納したとしているのである。鎌倉時代になっても弓矢が奉納されたとしたら鶴岡八幡宮寺は特殊な寺(神社)であったに違いない。<br />(表紙写真は「古都鎌倉と武家文化」のポスター)

古都鎌倉と武家文化(鎌倉国宝館)(3館連携特別展巡り)

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2012/11/17 - 2012/11/17

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 これまでにも、鎌倉国宝館や金沢文庫、県立歴史博物館では世界遺産と銘打った展示を行ってきている。しかし、3館が連携して特別展を行うのは初めての試みだ。
 鶴岡八幡宮境内にある鎌倉国宝館では「古都鎌倉と武家文化」と題して、仏像や仏画、お坊さんの肖像画や木像、墨蹟、将軍や執権の木像、鶴岡八幡宮の神宝である、頼朝奉納の太刀、弓、矢等(国宝)も展示されていた。
 頼朝が創建した證菩提寺の3尊を久々に拝めたことも嬉しかった。今回の仏像の展示は中々のものである。また、高僧の木像も引き付けられた。しかし、将軍・頼朝や執権・時頼の木像には驚いた。教科書に載っている頼朝像(肖像画)は神護寺に伝えられた伝頼朝像(京都国立博物館に寄託)やそれ模写した大英博物館所蔵の源頼朝像が知られているが、源頼朝木像にも北条時頼木像(建長寺)と良く似た木像(東博)と垂れ繭毛の木像(山梨・善光寺)があり、最後の善光寺の木像が源頼朝像と確証できる唯一の例とされている。すなわち、鎌倉を全国に知らしめ、武士の政権を打ち立てた主人公の肖像さえもまだ確定に到ってはいないのだ。
 鎌倉時代の人で頼朝に次いで著名なのは頼朝の御台所であった尼将軍の名で知られる政子であるが、これは晩年の名であり、頼朝生前は何と呼ばれていたかは記録がなく、分からない。他にも在り来たりのことでさえ定説がないことも多く見受けられるが、そうした件は別に譲る。
 私たちは教科書で「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」(頼朝が征夷大将軍に叙任されて幕府が開かれ鎌倉時代が始まった)と習ったが現在では平家を滅ぼした1185年からが鎌倉時代だと教科書に記載されている。どうにか鎌倉時代の始まりと終りが確定したに過ぎないようだ。
 鎌倉国宝館の展示の弓矢(朱漆弓(国宝)と黒漆矢(国宝))に12〜13世紀との表記があり、学芸員を呼んで質した。「12〜13世紀では200年の幅があるが、鎌倉時代の初めならともかく鎌倉時代中期になっても弓矢が奉納されようか?」それに対し、学芸員は、「12〜13世紀の表記は12世紀末〜13世紀初期の意味で表記しています。」と言う。30代の若い学芸員なのでもうそれ以上は言う気にはなれなかった。鎌倉時代になると神社に弓矢が奉納されることはなくなる。そういったことを伝えると、「この助言を基に勉強します。」と言って戻っていった。鶴岡八幡宮の寺(社)伝では平安末期に源頼義が奉納したと伝えられている。それを1191年の再建時に頼朝が奉納したとしているのである。鎌倉時代になっても弓矢が奉納されたとしたら鶴岡八幡宮寺は特殊な寺(神社)であったに違いない。
(表紙写真は「古都鎌倉と武家文化」のポスター)

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  • 「古都鎌倉と武家文化」のポスター。

    「古都鎌倉と武家文化」のポスター。

  • 「古都鎌倉と武家文化」の入場券。

    「古都鎌倉と武家文化」の入場券。

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