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三河地区の古刹、知立神社紹介の締め括りです。(ウィキペディア)

2012梅雨、知立神社(4/4):松平秀康公肖像、徳川家康寄進状、松平秀康寄進状、銅鏡

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2012/06/08 - 2012/06/08

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旅人のくまさん

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三河地区の古刹、知立神社紹介の締め括りです。(ウィキペディア)

交通手段
自家用車

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  • 中央の武者姿の人物像の傍らには、戒名の『前越太守三品黄門・吹毛月珊大居士』らしい文字がありました。34歳で亡くなった、徳川家康の二男、結城秀康(1574〜1612年)です。越前国北ノ庄藩(福井藩)初代藩主で、越前松平家宗家初代です。

    中央の武者姿の人物像の傍らには、戒名の『前越太守三品黄門・吹毛月珊大居士』らしい文字がありました。34歳で亡くなった、徳川家康の二男、結城秀康(1574〜1612年)です。越前国北ノ庄藩(福井藩)初代藩主で、越前松平家宗家初代です。

  • 松平秀康公肖像です。秀康公は、豊臣秀吉の時代に養子の名の元に人質とされていたようです。障害の名前の変遷は次の通りです。『徳川義伊丸(幼名)→羽柴秀康→結城秀康→秀朝→秀康→松平秀康』越前卿、越前黄門、越前宰相や結城少将等の尊称もあります。

    松平秀康公肖像です。秀康公は、豊臣秀吉の時代に養子の名の元に人質とされていたようです。障害の名前の変遷は次の通りです。『徳川義伊丸(幼名)→羽柴秀康→結城秀康→秀朝→秀康→松平秀康』越前卿、越前黄門、越前宰相や結城少将等の尊称もあります。

  • 氷見右金吾肖像です。松平秀康公の父は徳川家康公、母は家康の側室の於万の方(長勝院)です。於万の方は、三河国知鯉鮒明神の社人、永見吉英の娘とされますので、姻戚関係の人のようです。

    氷見右金吾肖像です。松平秀康公の父は徳川家康公、母は家康の側室の於万の方(長勝院)です。於万の方は、三河国知鯉鮒明神の社人、永見吉英の娘とされますので、姻戚関係の人のようです。

  • 『東海道と知立城』です。旧財閥三井家の伝来品を収蔵展示するために設立された、三井記念美術館が所蔵する屏風の写(部分図)のようです。三井記念美術館は、国宝や重要文化財を多数所蔵する私設の美術館です。

    『東海道と知立城』です。旧財閥三井家の伝来品を収蔵展示するために設立された、三井記念美術館が所蔵する屏風の写(部分図)のようです。三井記念美術館は、国宝や重要文化財を多数所蔵する私設の美術館です。

  • 『蛙の面』<br />室町時代<br /><br />雨乞いの神事に使われたとされる秘宝です。

    『蛙の面』
    室町時代

    雨乞いの神事に使われたとされる秘宝です。

  • 『櫛』<br />年代不明<br /><br />説明書がなかった櫛のセットです。雄等に古い時代の品のようです。材質は黄楊でしょうか。

    『櫛』
    年代不明

    説明書がなかった櫛のセットです。雄等に古い時代の品のようです。材質は黄楊でしょうか。

  • 『八ツ蛇目紋双鶴鏡』<br />推・室町時代

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    『八ツ蛇目紋双鶴鏡』
    推・室町時代

  • 『離菊紋双雀鏡』<br />推・鎌倉時代<br /><br />離は、正しくは竹冠の文字です。

    『離菊紋双雀鏡』
    推・鎌倉時代

    離は、正しくは竹冠の文字です。

  • 『鏡』<br />年代不明<br /><br />説明文はありませんでした。透かし彫りの鳳凰の図柄です。

    『鏡』
    年代不明

    説明文はありませんでした。透かし彫りの鳳凰の図柄です。

  • 『知立文庫』の文字が読み取れる拓本です。『知立文庫』は、明治時代の神仏分離の政策を切り抜けるため、現在の多宝塔が相輪が取り外され、瓦葺にされた時の建物の名前です。

    『知立文庫』の文字が読み取れる拓本です。『知立文庫』は、明治時代の神仏分離の政策を切り抜けるため、現在の多宝塔が相輪が取り外され、瓦葺にされた時の建物の名前です。

  • 『知立文庫』の古い写真です。明治元年から大正10年までは、多宝塔の相輪が外され、瓦葺の建物でした。

    『知立文庫』の古い写真です。明治元年から大正10年までは、多宝塔の相輪が外され、瓦葺の建物でした。

  • 古文書です。知立神社に関する縁起などが取り纏められているようです。中央付近に『於万の方』の名前が見えます。

    古文書です。知立神社に関する縁起などが取り纏められているようです。中央付近に『於万の方』の名前が見えます。

  • 『徳川家康寄進状』<br />永禄11年(1568年)<br />知立市指定文化財<br /><br />知立神社の神官の永見淡路守宛の寄進状です。

    イチオシ

    『徳川家康寄進状』
    永禄11年(1568年)
    知立市指定文化財

    知立神社の神官の永見淡路守宛の寄進状です。

  • 秀康の生母、於万の方に関する資料の展示です。

    秀康の生母、於万の方に関する資料の展示です。

  • 『松平清康寄進状』<br />天文2年(1533年)<br />知立市指定文化財<br /><br />神社の宮司で知立城主の永見大膳宛の寄進状です。

    イチオシ

    『松平清康寄進状』
    天文2年(1533年)
    知立市指定文化財

    神社の宮司で知立城主の永見大膳宛の寄進状です。

  • 儀式殿から披露宴会場への通路は立ち入り制限されていませんでした。その廊下の光景です。

    儀式殿から披露宴会場への通路は立ち入り制限されていませんでした。その廊下の光景です。

  • 披露宴会場の床の間の掛け軸の光景です。何文字化は怪しい読み方ですが、『祭祀神祇園之大典・落不洗敬何以到福』らしい文字がありました。

    披露宴会場の床の間の掛け軸の光景です。何文字化は怪しい読み方ですが、『祭祀神祇園之大典・落不洗敬何以到福』らしい文字がありました。

  • 披露宴会場の床の間の横に飾ってあった『奉賛・平成25年伊勢神宮式年遷宮』の垂れ幕です。数多くの座布団席がセットしてありました。

    披露宴会場の床の間の横に飾ってあった『奉賛・平成25年伊勢神宮式年遷宮』の垂れ幕です。数多くの座布団席がセットしてありました。

  • 両脇を長い廊下で挟まれた中庭の光景です。

    両脇を長い廊下で挟まれた中庭の光景です。

  • からくり山車人形の展示です。『壺坂霊験記』の文字がありました。盲目のあんま師沢市と、その貞淑な妻お里との夫婦愛を軸に、壺阪寺の観音のご利益によって沢市の目が開くまでを描いた浄瑠璃作品です。<br /><br />

    からくり山車人形の展示です。『壺坂霊験記』の文字がありました。盲目のあんま師沢市と、その貞淑な妻お里との夫婦愛を軸に、壺阪寺の観音のご利益によって沢市の目が開くまでを描いた浄瑠璃作品です。

  • 長い廊下の光景です。赤い絨毯が敷かれていました。途中に立ち入り禁止区域が柵で表示してありました。

    長い廊下の光景です。赤い絨毯が敷かれていました。途中に立ち入り禁止区域が柵で表示してありました。

  • 中庭の光景です。石灯篭の脇に満開の皐月の花がありました。

    中庭の光景です。石灯篭の脇に満開の皐月の花がありました。

  • 花菖蒲の写真展の光景です。

    花菖蒲の写真展の光景です。

  • 『拓本の採り方』と題された説明プレートです。6段階に分けて、写真入りで説明されていました。

    『拓本の採り方』と題された説明プレートです。6段階に分けて、写真入りで説明されていました。

  • 拓本の作品展示です。

    拓本の作品展示です。

  • 拓本の作品展示です。

    拓本の作品展示です。

  • 儀式殿の廊下の光景です。

    儀式殿の廊下の光景です。

  • 玄関付近の光景です。右手の部屋に文物が展示してありました。

    玄関付近の光景です。右手の部屋に文物が展示してありました。

  • 儀式殿の中から眺めた境内の光景です。拝殿の光景です。

    儀式殿の中から眺めた境内の光景です。拝殿の光景です。

  • 儀式殿の中から眺めた境内の光景です。拝殿の前にある狛犬などの光景です。

    儀式殿の中から眺めた境内の光景です。拝殿の前にある狛犬などの光景です。

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