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三河の古刹、知立神社の紹介です。知立神社は、古来より『蝮よけ、長虫よけ』の特殊信仰があります。神札を身に付けると、蝮蛇に咬まれないと伝えられ、北関東から山陰地方の各地に分社があります。(ウィキペディア)

2012梅雨、知立神社(3/4):西南役石碑、井村祖風句碑、からくり人形、文化財展示品

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2012/06/08 - 2012/06/08

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旅人のくまさん

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三河の古刹、知立神社の紹介です。知立神社は、古来より『蝮よけ、長虫よけ』の特殊信仰があります。神札を身に付けると、蝮蛇に咬まれないと伝えられ、北関東から山陰地方の各地に分社があります。(ウィキペディア)

交通手段
自家用車

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  • 知立神社のHPには、井村祖風の句碑と、西南の役の石碑のことが記された一角です。立ち入りが制限されていましたので、少し離れた場所からの撮影です。一番上に横書きの『従軍碑』の文字がありますから、これが西南の役に関する石碑のようです。数多くの人名が刻まれていました。

    知立神社のHPには、井村祖風の句碑と、西南の役の石碑のことが記された一角です。立ち入りが制限されていましたので、少し離れた場所からの撮影です。一番上に横書きの『従軍碑』の文字がありますから、これが西南の役に関する石碑のようです。数多くの人名が刻まれていました。

  • 『●忠紀念碑』の文字が刻まれた石碑です。『陸軍大臣大勲位熾仁親王書』の落款がありました。有栖川宮熾仁親王(1835〜1895年)を指すようです。

    『●忠紀念碑』の文字が刻まれた石碑です。『陸軍大臣大勲位熾仁親王書』の落款がありました。有栖川宮熾仁親王(1835〜1895年)を指すようです。

  • 句碑ではないようです。草書体で多くの文字が刻まれていました。末尾に二名連署の『本居豊穎』と『小杉榲邨』らしい文字がありました。本居豊穎(もとおり・とよかい:1834〜1913年)は、明治期に活躍した国学者です。本居宣長の曾孫にあたり、紀州藩本居家の四世当主でした。小杉榲邨(こすぎ・おんそん)は本居豊穎の弟子の歌人で国文学者、東大講師、東美校教授等を務め、明治43年(1910年)に77才で没しました。

    句碑ではないようです。草書体で多くの文字が刻まれていました。末尾に二名連署の『本居豊穎』と『小杉榲邨』らしい文字がありました。本居豊穎(もとおり・とよかい:1834〜1913年)は、明治期に活躍した国学者です。本居宣長の曾孫にあたり、紀州藩本居家の四世当主でした。小杉榲邨(こすぎ・おんそん)は本居豊穎の弟子の歌人で国文学者、東大講師、東美校教授等を務め、明治43年(1910年)に77才で没しました。

  • 『神道修成●・十等霊神神山亮圓碑(?)』らしい文字が刻まれた石碑です。顕彰碑当たりでしょうか、苔生してかなり古そうです。

    『神道修成●・十等霊神神山亮圓碑(?)』らしい文字が刻まれた石碑です。顕彰碑当たりでしょうか、苔生してかなり古そうです。

  • 井村祖風の句碑です。『行戻り小川に暮る小鴨可南(かな)』の句です。井村祖風は、延享元年(1744)、江戸に生まれ、蕉風の俳諧を学び、家業の傍ら、自ら芭蕉門八世を名乗り、よく門人に蕉風を伝えた俳人です。

    井村祖風の句碑です。『行戻り小川に暮る小鴨可南(かな)』の句です。井村祖風は、延享元年(1744)、江戸に生まれ、蕉風の俳諧を学び、家業の傍ら、自ら芭蕉門八世を名乗り、よく門人に蕉風を伝えた俳人です。

  • 知立市指定の天然記念物、トネリコ(梣)の古木です。西三河地区での一番の古木とされます。モクセイ科トネリコ属の落葉樹です。

    知立市指定の天然記念物、トネリコ(梣)の古木です。西三河地区での一番の古木とされます。モクセイ科トネリコ属の落葉樹です。

  • 同じく、知立市指定の天然記念物のトネリコの古木の光景です。名前の由来は、樹皮に付着しているイボタロウムシが分泌する蝋物質が、動きの悪くなった敷居の溝にこの白蝋を塗って滑りを良くすることから、『戸に塗る木:トニヌルキ』の転化と考えられています。

    同じく、知立市指定の天然記念物のトネリコの古木の光景です。名前の由来は、樹皮に付着しているイボタロウムシが分泌する蝋物質が、動きの悪くなった敷居の溝にこの白蝋を塗って滑りを良くすることから、『戸に塗る木:トニヌルキ』の転化と考えられています。

  • 無料で開放されていたからくり人形展と、宝物展の見学です。展示が行われていた、『儀式殿』の玄関付近の光景です。

    無料で開放されていたからくり人形展と、宝物展の見学です。展示が行われていた、『儀式殿』の玄関付近の光景です。

  • 宝物展が行われていた室内光景です。ガラスケースに納まった、からくり人形の山車の模型が展示されていました。

    宝物展が行われていた室内光景です。ガラスケースに納まった、からくり人形の山車の模型が展示されていました。

  • 『一の谷合戦』の場面を繰り広げる、からくり人形芝居です。時は寿永3年(1184年)の春、平家は木曽義仲に追われ、北九州まで落ち延びましたが、再起して東上、北は断崖絶壁、南は海に面した天然の要塞、一の谷(兵庫県)に堀を作り、乱杭逆茂木を並べ野陣を作って立て籠りました。

    『一の谷合戦』の場面を繰り広げる、からくり人形芝居です。時は寿永3年(1184年)の春、平家は木曽義仲に追われ、北九州まで落ち延びましたが、再起して東上、北は断崖絶壁、南は海に面した天然の要塞、一の谷(兵庫県)に堀を作り、乱杭逆茂木を並べ野陣を作って立て籠りました。

  • 知立のからくり人形の最大の特徴は、頭以外は、浄瑠璃による演出と庶民の手で作られた民俗芸能にあるとされます。

    知立のからくり人形の最大の特徴は、頭以外は、浄瑠璃による演出と庶民の手で作られた民俗芸能にあるとされます。

  • 主人公の熊谷次郎直実を演じる人形です。直実。時に43歳です。知立のからくり人形は、専門の人形師が作ったものではなく、衣装も地元で仕立てられたものとされます。 

    主人公の熊谷次郎直実を演じる人形です。直実。時に43歳です。知立のからくり人形は、専門の人形師が作ったものではなく、衣装も地元で仕立てられたものとされます。 

  • 熊谷小次郎直家、時に16歳です。小桜縅で身を固めた、初陣の場面です。弓で多義を射落し、鎧兜を脱ぎ棄てて、敵陣に切り込みます。

    イチオシ

    熊谷小次郎直家、時に16歳です。小桜縅で身を固めた、初陣の場面です。弓で多義を射落し、鎧兜を脱ぎ棄てて、敵陣に切り込みます。

  • 26歳の岡部六弥太忠澄を演じる人形です。謀反を企てた平山武者所秀重を芋刺しにする役どころです。

    26歳の岡部六弥太忠澄を演じる人形です。謀反を企てた平山武者所秀重を芋刺しにする役どころです。

  • 平山武者所秀重、時に32歳です。源氏の禄を貰いながら謀反を起こしたとされる悪役になっています。最後は岡部六弥太忠澄と熊谷次郎直実に討ち取られます。

    平山武者所秀重、時に32歳です。源氏の禄を貰いながら謀反を起こしたとされる悪役になっています。最後は岡部六弥太忠澄と熊谷次郎直実に討ち取られます。

  • 『手焙型土器』<br />弥生時代中期<br />刈谷市指定文化財<br />高さ18センチ、胴周り53センチ<br />知立市西町・神宮寺跡付近出土<br />

    『手焙型土器』
    弥生時代中期
    刈谷市指定文化財
    高さ18センチ、胴周り53センチ
    知立市西町・神宮寺跡付近出土

  • 『竹ササラ紋土器壺』<br />弥生時代中期<br />高さ17センチ、胴周り60センチ<br />知立市西町・神宮寺跡出土<br />

    『竹ササラ紋土器壺』
    弥生時代中期
    高さ17センチ、胴周り60センチ
    知立市西町・神宮寺跡出土

  • 『土器壺』<br />弥生時代中期<br />高さ20センチ、口周り21.5センチ、胴周り53.5センチ<br />知立市西町・神宮寺跡出土<br />

    『土器壺』
    弥生時代中期
    高さ20センチ、口周り21.5センチ、胴周り53.5センチ
    知立市西町・神宮寺跡出土

  • 『知立神社扁額』<br />鎌倉時代(1301年)<br />県指定文化財<br /><br />表に『正弌位智鯉鮒大明神』の文字が記されています。『ヤゲン彫』とされる力強い彫刻です。

    『知立神社扁額』
    鎌倉時代(1301年)
    県指定文化財

    表に『正弌位智鯉鮒大明神』の文字が記されています。『ヤゲン彫』とされる力強い彫刻です。

  • 『獅子頭面』<br />鎌倉時代末期〜室町時代初期<br />知立市指定文化財<br /><br />正倉院造りとされる造作です。

    『獅子頭面』
    鎌倉時代末期〜室町時代初期
    知立市指定文化財

    正倉院造りとされる造作です。

  • 『木造舞楽面・陵王』<br />鎌倉時代<br />愛知県指定文化財<br /><br />陵王は龍王とも見做され、雨乞いにも多く用いられたようです。

    『木造舞楽面・陵王』
    鎌倉時代
    愛知県指定文化財

    陵王は龍王とも見做され、雨乞いにも多く用いられたようです。

  • 『木造舞楽面・納曽利』<br />鎌倉時代(1256年)<br />愛知県指定文化財

    『木造舞楽面・納曽利』
    鎌倉時代(1256年)
    愛知県指定文化財

  • 『木造行道面・王鼻』<br />鎌倉時代<br />愛知県指定文化財

    『木造行道面・王鼻』
    鎌倉時代
    愛知県指定文化財

  • 『木造行道面・王鼻』<br />鎌倉時代<br />愛知県指定文化財

    『木造行道面・王鼻』
    鎌倉時代
    愛知県指定文化財

  • 銅鏡でしょうか、展示の説明は見当たりませんでした。同時代のものと思われるケース付きです。使い古された跡が見えます。

    イチオシ

    銅鏡でしょうか、展示の説明は見当たりませんでした。同時代のものと思われるケース付きです。使い古された跡が見えます。

  • 『智鯉鮒大明神銘鰐口』<br />寛永15年(1638年)<br /><br />江戸時代には、拝殿の前に掛けてあったようです。

    『智鯉鮒大明神銘鰐口』
    寛永15年(1638年)

    江戸時代には、拝殿の前に掛けてあったようです。

  • 『能面・小表』<br />室町時代<br />愛知県指定文化財

    イチオシ

    『能面・小表』
    室町時代
    愛知県指定文化財

  • 『能面・跳出』<br />室町時代<br />愛知県指定文化財

    『能面・跳出』
    室町時代
    愛知県指定文化財

  • 展示室の展示状況です。広くない展示室でしたが、三河地区の古刹に相応しい品が揃っていました。

    展示室の展示状況です。広くない展示室でしたが、三河地区の古刹に相応しい品が揃っていました。

  • からくり人形でしょうか。ガラスケースの中に納まっていました。通路脇に展示してありました。

    からくり人形でしょうか。ガラスケースの中に納まっていました。通路脇に展示してありました。

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