2011/07/10 - 2011/07/10
33位(同エリア231件中)
- #街歩き
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- #拝図拉清真寺・バイトラモスク
- #烏茲別克清真寺・ウズベクモスク
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前日、阿勒泰(アルタイ)を出発した長距離夜行寝台バスに乗り込んだSUR SHANGHAI。
21時間かかって、無事にカザフスタンとの国境も近い新疆ウイグル自治区イリ・カザフ自治州の伊寧(イーニン)に到着。
イーニンは、今回の北新疆の旅で泊まった克拉瑪依(カラマイ)や阿勒泰(アルタイ)の街とは違って、「ずいぶん大きい街に来たなあ。」というのが第一印象。
朝早く着いたものの、斯大林(スターリン)街と解放南路にある伊犁(イリ)大酒店に空き部屋があったのはラッキー。
バス旅の垢を洗い流したあとは、すぐに街の様子を見にお出かけしてみます。
表紙の画像は、解放南路と新華路の角にある拝図拉(バイトラ)清真寺。
清真という中国語には≪イスラム教の≫という意味があるので、清真寺というのはモスクを意味しています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
表紙に書いたとおりの経緯で伊寧(イーニン)に到着したSUR SHANGHAI。
この日はさっそくイーニンの街を歩いてみます。
手始めに行ってみたのは、伊犁(イリ)大酒店から1ブロック南側にある新華西路や新華東路界隈。
このあたりはウイグル族が多い地区になるんだそう。
解放南路から新華路に出ると、さっそくモスクが目に入りました。
これは拝図拉清真寺(バイトラ・モスク)。
清真寺というのはモスクを意味していますが、このモスクはマドラサ(神学校)とも呼ばれているようで、1773年に建てられたのだそう。
今見る真っ白い建物は補修や改築を重ねてきた姿なんでしょうが、そばにある仏教の廟のような宣礼塔は、古びた姿を見せていました。 -
イチオシ
真っ青な空に映えるのは、ダース・ベイダーの子分の頭を連想させる拝図拉清真寺(バイトラ・モスク)のドーム。
この白さを見ると、ごく最近にも修復があったに違いない。
フェンスが閉まっているのは、入口周辺が工事中だったからなのか、観光対象としては公開されていないためなのか。
マドラサ(神学校)とも呼ばれているから、非信者は入れないのかも? -
これも新華路沿いにあった建物だったと思うんですが、行ったり来たりしているうちにどの道の角にあったか忘れてしまったSUR SHANGHAI。(;^ω^)
これだけ見ると、仏教のお堂だと思うでしょうが、これはイスラム教関連の施設の一つのマザール。
マザールと言うのは、≪訪れるべき場所≫の意味があって、聖者の廟だったりするんだそう。
このマザールには[土敦]買里という名が付いていて、伊寧(イーニン)市の文物保護対象になっているようでした。
一見仏教のお寺やお堂に見えるイスラム教関連施設はここだけでなく中国のあちこちで見られます。
有名なのは、西安の清真大寺。知らずに見ると、仏教のお寺さんと間違えてしまいそうな造りになっています。
その様子を見てみたい方は、下記の旅行記をご参照下さい。
★春の始めの陝西省(2、完) 西安の昼と夜
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10550589/ -
これも新華路沿いにあったデパートだったかな。
建物自体も中近東風だし、漢字表記よりもウイグル語らしき言葉で書かれた宣伝文句が多い。
看板に出ている美人おねえさんたちも、ここが中国なのを忘れさせてくれる濃い顔立ち。
漢族とは明らかに見た目の違う少数民族の人々も、国籍は中国なんだなあ、と思うと不思議な気持ちになる。 -
新華東路の南側一帯は伊寧(イーニン)の旧市街地で、喀賛其民俗旅游区として開発が進んでいる場所。
ここだけでも12万を越える人々が暮らしているんだそうですが、そのうちの70%がウイグル族で、その他には回族、ウズベク族、シボ族などの人々もいるんだそう。
この界隈もちょっと拝見。
こんな立派なゲートがあったりしますが、別に入場料金は取られません。 -
喀賛其民俗旅游区に入ると、乗合馬車が多数待機しています。
別に観光専用と言うわけではなくて、地元の人たちもタクシー代わりに使っているようでした。 -
伊寧(イーニン)の喀賛其民俗旅游区内は、ちょっと喀什(カシュガル)の職人街を思い出させる雰囲気の所もあった。
真ん中に座っているおじさんは何をしているのかと申しますと、サンダル修理。
右に座っている女の子のサンダルかな。
そのおじさんの手元を見つめる少年もいた町角。 -
喀賛其民俗旅游区内には、ウイグル族のほかにもイスラム教を信仰する少数民族が多数。
これはそのうちのウズベク族のモスクで、そのままズバリの烏茲別克(ウズベク)清真寺という名。
チラッと表だけ見るとモスクっぽい感じがしませんが、離れた所から内部を覗くと、礼拝用の絨毯が敷き詰められていました。
その奥までは暗くて見えず。
SUR SHANGHAIはイスラム教徒ではないので、モスク内には入らないでおきました。 -
ウズベク族は、元々は中央アジアのイスラム教を信仰する民。
今の中国の新疆ウイグル自治区へは、元の時代にシルクロード経由で移り住んで来たんだそう。
このウズベク・モスクは木造でドームも無いし、ちょっと見ただけではモスクとは思えない造り。
天井裏の窓辺には、中に巣作りをしているらしいハトの姿が。 -
ウズベク・モスクのミナレット。
この形の塔があったから、ちょっと離れた場所からもウズベク・モスクの場所が分かりました。 -
喀賛其民俗旅游区内には、細い路地の両脇に民家が連なっている場所も。
その路地の奥から駆けて来る子ども達。
こういう町角風景って好きだな。(*^。^*) -
喀賛其民俗旅游区内にある有名なモスクは陝西大寺。
このモスクの名は他にもあって、伊寧回族大寺とか、回民清真大寺とも呼ばれているので、混乱にご用心。
伊寧(イーニン)の市街地地図を見ると、新華東路と勝利路の角近くにあるように見えますが、実際には細い路地の奥。
こんな小さいお店がコチャコチャ並ぶ道の脇にあってちょっとびっくり。
このモスクのゲートに当たる建物も、一見すると仏教のお堂のような造りをしています。 -
喀賛其民俗旅游区内にある陝西大寺(別名:伊寧回族大寺、回民清真大寺)のゲートに当たる建物周辺。
なんだかやけにゴチャゴチャと散らかっていて、扉が閉まっていた。
ん? (・・?
ひょっとして補修工事中? 中には入れないのかな?
せめて、この画像に写っている部分だけでももう少し近寄って見てみます。 -
喀賛其民俗旅游区内にある陝西大寺(別名:伊寧回族大寺、回民清真大寺)の入口。
この建物の造りと装飾だけ見ると、とてもモスクだとは思えません。
扁額に書いてある≪回民清真大寺≫を見て、あ、これは仏教のお寺さんではない、と言うのがやっと分かるほど。
扁額の下のプレートに出ているのは、この建物が新疆ウイグル自治区の文物保護対象になっていることを示すプレート。こちらにはこのモスクの名は≪陝西大寺≫と出ています。 -
これは、陝西大寺(別名:伊寧回族大寺、回民清真大寺)の通用門。
敷地内に立つモスク修復をしているおじさんたちが出入りしていました。
そのおじさんがかぶっているのは、イスラム教徒であることを示す新疆帽子。
バザーに行くと色々売っているので、お土産にしてみては?
信者でない人には実用にはなりませんが、お部屋のアクセントにすると素敵です。
ちょっとおじさんの後を付いて行ってみたSUR SHANGHAI。
通用門の所から敷地内を覗いてみると…、 -
イチオシ
…陝西大寺(別名:伊寧回族大寺、回民清真大寺)の礼拝殿の周囲はずいぶん取り壊されていて、補修中と言うよりは建て替え中という感じ。
作業中のおじさんたちは忙しそう。
木材を切る音、削る音があたりに響く。
う〜ん、工事が始まる前のモスクの姿を見たかったなあ。
来るのが遅すぎた…。(−−〆) -
おじさんたちがモスク建て替えをしている作業現場近くには、いろんな道具が一緒くたになって積んであった。
その構図がおもしろい。 -
陝西大寺(別名:伊寧回族大寺、回民清真大寺)近くの、小さい食堂に入ってみた。
炒麺を頼んでみたら、そのお店の人は漢族らしくて、新疆ウイグル自治区の名物ラグメンの中華風バージョン。
ラグメンは、パスタの原型のようなシコシコモチモチした手打ち麺で、よくトマト味ベースの具入りソースをかけて混ぜながらいただきます。
このお店ではその麺を使って、野菜+醤油味で炒めてありました。
湯気と共に立ち上るのは、醤油と唐辛子の食欲をそそる香り!
う〜ん、シンプルながら絶品。(^◇^) -
炒麺の昼食が済んだ後は、屋台のおばさんからおやつを購入。
このおばさんのスナックは油で揚げたもの主体。
餃子型、円盤型、小判型に揚げた中身は、卵とニラだったり、レーズン・ペーストだったり。
1個0.5元位の手頃なお値段。
他のお店では、大きく焼いて切り売りするフルーツ・ジャムのケーキもありました。 -
同じ伊寧(イーニン)の街でも、新市街地の道は広くて緑化も進行中。
こういう濃い色の花の取り合わせが、いわゆる中華風とも違う。
目が、パッ!!(◎o◎)と覚めるこの彩り。 -
お次に行ってみたのは、伊寧(イーニン)市ウイグル民居一条街。
場所は、新華西路から阿合買提江路に入ってすぐの枝道で、ウイグル族の人々がまとまって住んでいる地域。
道沿いに民家が並んでいたり、モスクが点在しているだけで、特に何があるわけでもないんですが、独特の雰囲気あり。
興味がある方は散策がてら訪れてみるといいですよ。
入場料などはありません。 -
伊寧(イーニン)市ウイグル民居一条街にあるウイグル族の人々の民家を見て回る。
シンプルな門構えのお宅でも、開いている扉の向こうを見ると広い中庭があったりブドウ棚の日陰が出来ていたり。
お宅の中まではどうなのかは分からないけれど、明るくて爽やかな雰囲気。 -
伊寧(イーニン)市ウイグル民居一条街にあるウイグル族の人々の民家。
凝った装飾や色使いがエキゾチックな門構えと窓辺。 -
イチオシ
ウイグル族の民家の一軒。
門の上部に描かれたバラの花。
その色形がクラシックで、なんとも言えず美しい。 -
ウイグル族の民家の一軒。
このお宅の門には、模範家庭であることを示したプレートがたくさん。
画像をクリックして元画像にすると大きく表示されます。
一番左側のプレートは≪五好文明家庭≫のプレート。
≪五好文明家庭≫というのは、全国婦女聯合会による模範的家庭の選定活動で、1996年の選定基準は下記の通り。
1、愛国心があり、法律を守り、公益活動に熱心な家庭。
2、勉強熱心で向上心があり、仕事熱心な家庭。
3、男女平等の意識があり、老人を敬い子どもを愛する家庭。
4、古い風俗習慣を改め、計画出産に努め、優良な環境を作る家庭。
5、勤勉で倹約に励み、環境保護に努める家庭。
元々は1950年代に≪五好家庭≫という名称で始まったこの選定活動は、時代と共に名称や選定基準が変わり、2009年の選定基準では≪五好文明家庭≫の内容も、下記のとおりになったそうです。
1、愛国心があり、法律を守り、礼儀正しく、信頼度が高い家庭。
2、夫婦円満で親孝行に励む家庭。
3、勉強熱心で向上心があり、合理的な方法で教育する家庭。
4、近隣同士が仲良く、助け合いの精神を持つ家庭。
5、環境に優しい生活を心がけ、公益活動に熱心な家庭。
このお宅は、≪五好文明家庭≫以外にも、さまざまな機関から≪十星級文明戸≫、≪治安模範戸≫、≪平安家庭≫としても選ばれているようです。 -
あ、モスクらしき建物が見えて来た。
ウイグル族の人々が暮らす地区だから当然だよね。
ちょっと行ってみようっと。 -
イチオシ
渦巻き模様のフェンスの合間から覗いてみたそのモスクらしき建物。
ずいぶん新しく建てられたようで、装飾の色も鮮やか。 -
そのモスクらしき建物のゲート。
金色のプレートに名前が出ているのかなと思って見てみると、
…あれ? (・・? ≪平安宗教活動場所≫とか、≪五好宗教活動場所≫としか出ていない。
ウイグル語でも表記があるけど、SUR SHANGHAIはウイグル語は一言も分からない…。(;^ω^)
それに、五好宗教活動場所って、模範的宗教活動場所っていうこと?
で、このゲートをくぐって中に入ろうとしたら、土地の人に「ダメ!」という仕草をされた。
SUR SHANGHAIが見るからに非イスラム教徒だったから?
カメラを持って近寄ってきた冒涜者だと思われたかも…? ちょっと悲しい。 -
伊寧(イーニン)市ウイグル民居一条街で見かけた幼稚園。
看板に≪双語≫って出ているから、ウイグル語と中国語で教えているのかな。
この壁画は、お父さんやお母さんたちの作品?(*^。^*) -
さて、お次はガラリと趣を変えて、伊犁(イリ)林則徐紀念館へ行ってみます。
所在地: 伊寧市福州路885号 市の中心部からタクシーで行くと、10分ちょっとで10元くらい。
●注: ゲート脇には、夏の開館は10:00?19:30と書いてありましたが、SUR SHANGHAIが訪れた2011年7月中旬には、午後の開館は16:00?19:00になっていたのでご注意を。
●注: 見学の前にゲートで身分証を提示して訪問者登録するようになっていたので、パスポートをお忘れなく。
チケットは20元で、中国語による説明ガイドさんも付けてもらえます。小一時間あれば見終わる規模でした。
記念館の敷地内や周辺では飲み物を売るお店は見かけなかったので持参が吉。
和式になった水洗トイレはありましたが、ペーパーは持参でどうぞ。 -
林則徐は、清末の政治家だった人物。
出身地である現在の福建省・福州市にも記念館があるほか、アヘン戦争で敗れて左遷された先の新疆(現在の新疆ウイグル自治区)の伊寧(イーニン)にもこの≪伊犁(イリ)林則徐紀念館≫があります。
ここでは、林則徐の生い立ちから、アヘン戦争にいたるアヘン取り締まりの過程、新疆に左遷された後の水利・開墾事業の功績などが紹介されています。 -
伊犁(イリ)林則徐紀念館の敷地内。
結構大きな中庭があって、バラ園や蓮池もありました。
その奥に立っているのが林則徐の像。 -
伊犁(イリ)林則徐紀念館の敷地内に立つ林則徐の像。
敷地外には、新しい高層マンションがいくつも並ぶ現代の伊寧(イーニン)の街が見える。
福建省の福州出身だった林則徐がなぜこの新疆ウイグル自治区のイーニンでも記念館が出来るほど称えられているのかというと、アヘン戦争に敗れてこの地に左遷させられた後、農地改革、水利・開墾事業に大きな功績があったため。
林則徐の生い立ちなどの詳細は、次のウィキペディアのページでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%89%87%E5%BE%90 -
伊犁(イリ)林則徐紀念館の敷地内。
林則徐の功績を称える碑の向こうに見えるのが記念館。
中国語で説明を付けてくれる女性スタッフと一緒に行ってみます。
そうそう、SUR SHANGHAIは以前、福建省福州市にあるもう一つの林則徐紀念館にも行ってみた事があります。
そちらの様子も見てみたい方は、次の旅行記をご参照下さい。
★福建省ドライブ旅 ? −南溪実佳土楼群から厦門(アモイ)、そして福州へ
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10188513/ -
伊犁(イリ)林則徐紀念館内の林則徐の肖像画。
このほかにも彫像などが多数ありました。 -
伊犁(イリ)林則徐紀念館内で大きなスペースを取っていたのは、アヘン戦争前後の林則徐の動向に関する展示や、アヘンやその他の麻薬の害に関するコーナー。
上段の画像は、イギリス商人などから中国に持ち込まれていたアヘン。
●注: これはレプリカです。
説明を付けてくれた記念館の女性スタッフに、1個どのくらいの重さがあったのか聞いてみたところ、答えがなかったのは残念。
下段の画像は、アヘン吸引のために使われていた器具の一例。 -
アヘンがイギリス商人などから中国に持ち込まれたことによって起こったのは、大量の銀の流出と増え続ける中毒患者。
伊犁(イリ)林則徐紀念館内には、当時の阿片窟の様子の写真や、中毒患者が廃人になって行く過程が、人形などでおどろおどろしく展示されていました。
左上の写真には、阿片を吸っている男性の横に幼い子が写っているのが衝撃的。
そういえば、以前浙江省の石浦と言う漁港を訪れた時にも、かつては阿片窟だったと言う場所がミニ博物館になって公開されていた。
こんなのどかな港町にも阿片窟が? と驚いたのを思い出したSUR SHANGHAI。それほど阿片は中国各地に蔓延していたんだと再認識。
その博物館の内部にも、同じような展示が並んでいましたが、内部撮影禁止だったので画像はありません。 -
伊犁(イリ)林則徐紀念館内に展示されていた、阿片中毒患者を救うために処方されたと言う漢方薬の処方箋。
あ、これと同じ処方箋の展示は、上の方で書いた浙江省石浦の元は阿片窟だったミニ博物館でも見た覚えがある。
これで阿片吸引を止めることが出来た人はどの位いたんだろう。 -
大量の銀の流出と中毒患者をもたらしていた外国からの阿片禁止のため広東に赴任した林則徐。
イギリス商人などから阿片2万箱あまりを押収し、虎門海岸で海水と石灰に漬けて処分。
その場所は、≪林則徐銷烟池旧址≫として今も残されているんだそう。
これは、その阿片処分の様子を再現した伊犁(イリ)林則徐紀念館内の展示。
ところが、林則徐の上記のような強硬な阿片対策が、結局はイギリスにアヘン戦争(1840〜1842)を起こす口実を与えてしまった形になり、敗戦後、責任を負わされた林則徐は新疆に左遷されてしまったのだそう。 -
現在の新疆ウイグル自治区に左遷になった林則徐。
その3年間は、農地改革、水利・開墾事業に力を尽くしたことから、人々から称えられたのだそう。
これは、その事業に従事する人々の様子を表した伊犁(イリ)林則徐紀念館内の展示。
その後、1845年に召還されて後、1850年に起こった太平天国の乱を平定に向かった道中の潮州で病死したという林則徐は、波乱万丈の経歴の持ち主だったんだと思う。 -
イチオシ
林則徐紀念館敷地の蓮池に咲いていたハスの花。
林則徐の功績は、新疆ウイグル自治区では清廉潔白な純白のハスの花に例えられているんだなあと思った伊寧(イーニン)の街歩きのフィナーレ。
この後は、イーニン近郊を流れる伊犁(イリ)河へ夕日を眺めに行ってみようと思います。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- eahawkさん 2012/02/16 17:20:19
- こんにちは!!eahawkです。
- SUR SHANGHAIさん
今日は!
楽しく拝見させていただきました。
しかし、ここを中国と呼ぶのは無理があるような気がしますね。
でも、とても異国情緒があって良いですね、旅行欲をかき立てられます!!
eahawk
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2012/02/17 10:58:43
- RE: こんにちは!!eahawkです。
- こんにちは、ご訪問ありがとうございます。
中国も、西の新疆ウイグル自治区まで行くと、人も街並みも風景も中近東色が濃くなってエキゾチック。
この一連の北新疆の旅では、中央アジア色も入り混じって一層不思議な雰囲気でした。
新疆ウイグル自治区は、私にとって何度でも行きたくなる場所なんです。
出来たら今年も行きたいくらい。(^◇^)
もちろん、人によっては「もう行きたくない!!」と言う人もいますが、人それぞれの好みですから仕方ないですよね。
eahawkさんも、興味がおありでしたら試しに一度訪れてみてはいかがでしょう。(*^。^*)
> SUR SHANGHAIさん
>
> 今日は!
> 楽しく拝見させていただきました。
>
> しかし、ここを中国と呼ぶのは無理があるような気がしますね。
> でも、とても異国情緒があって良いですね、旅行欲をかき立てられます!!
>
> eahawk
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