2011/10/23 - 2011/10/23
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ドクターキムルさん
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大船駅西口に連絡橋ができ、玉縄首塚が近くなった(感じがする)。鎌倉市岡本にある玉縄首塚は甘糟塚とも呼ばれている。大永6 年(1526年)、安房の武将里見氏が鎌倉に攻め込んで来た時、玉縄城主北条氏時らは大船の甘糟氏らと共にこの川の畔に出て応戦した。数度の戦いで里見氏を追撃できたが、戦後、両陣営で首を交換し、戦死した渡内福原氏や大船甘糟氏一族35名を弔い供養した塚である。したがって、昭和42年(1967年)に建てられた「怨親平等 玉縄首塚由来」の石碑は意味を成さない史跡碑である。古くから住む地元の有力者によって建てられたというが、題目が「怨親平等」では敵味方を問わず、一切の犠牲者を供養した首塚のような誤解を与え、さも円覚寺の他にも玉縄首塚があるかのような錯覚を抱かせている。
弘治2年(1556年)に鎌倉に攻め込んだ安房の里見義弘は、西御門にあった太平寺の尼僧、青岳尼(しょうがくに)を安房へと連れ去り、還俗させ、夫人としたため、これに激怒した北条氏康は太平寺を廃絶してしまった。この際に、太平寺の本尊、聖観音立像も略奪されて安房へと持ち去られたが、その後、東慶寺の蔭涼軒主の交渉によって鎌倉に戻され、現在も東慶寺にある。また廃寺となった太平寺の仏殿は移築されて円覚寺舎利殿として残っている。
このように、安房の里見氏は何度か鎌倉に攻め込んで来ており、玉縄首塚が石碑にあるような「怨親平等」であったなら、太平寺は廃寺とはならなかったかも知れない。
(表紙写真は玉縄首塚五輪塔)
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玉縄首塚。
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手水鉢。
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賽銭箱。
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玉縄首塚五輪塔。このあたりの7寺が輪番で供養しているという。
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玉縄首塚五輪塔。
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「玉縄首塚碑」。建立年は大正であるが、剥離して年号が読めない。
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お地蔵さま。
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六地蔵。昭和10年(1935年)に建てられたもの。
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六地蔵。
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玉縄首塚のお地蔵さま。道標を兼ねている。
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馬頭観世音。今は道路になっているが、交番の横にあったという。
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石塔(前面剥離)、馬頭観世音、石仏。
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石祠と銀杏の木。銀杏の木は90歳近いお婆さんが子供の頃には若木であったというから樹齢80年といったところか。
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石祠。
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「怨親平等 玉縄首塚由来」(昭和42年(1967年)、玉縄史蹟顕彰会)の石碑。
玉縄の史蹟顕彰からは程遠い。 -
「玉縄まつり」のポスター。
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