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 鎌倉市小町3にある宝戒寺は天台宗の寺で金龍山釈満院円頓宝戒寺という。建武2年(1335年)の足利尊氏寄進状(宝戒寺蔵)に、「北条高時の慰霊のため、その屋敷跡に後醍醐天皇が建立した」旨の記述があり、後醍醐天皇が天台宗の高僧・円観慧鎮を開山として寺の造営を命じていた。しかし、実際には後醍醐天皇による建武の新政が崩壊した後に、足利尊氏が造営したと考えられている。本尊は地蔵菩薩である。<br /> 寺域は、北条義時以来、歴代の鎌倉幕府執権の屋敷地跡と伝えられており、それを示す「北条執権亭旧蹟」(大正7年(1918年)3月、鎌倉町青年会)の史跡碑が建っている。<br /> 最後の執権・北条高時は、元弘3年(1333年)、鎌倉に攻め上った新田義貞の軍に追い詰められて宝戒寺の裏にあたる葛西ヶ谷の奥の東勝寺で、一族郎党870余名と共に自害し、鎌倉幕府は滅亡した。<br /> 宝戒寺は萩(はぎ)寺と呼ばれており、秋のこの時期には参道から白い萩の花が咲き乱れている。しかし、裏に回ると景色が一変する。宝戒寺橋あたりからの宝戒寺の眺めは、明かり採りの天窓が付いた瓦屋根の伽藍が見えて斬新でもある。また、宝戒寺橋袂にある紅葉山やぐらも近代的な鉄筋コンクリート製であり、北条氏執権の古いお墓の跡であることは想像もできない。宝戒寺橋の欄干の擬宝珠がそうした史跡であることを伝えているようだ。<br />(表紙写真は宝戒寺の客殿・書院)<br />

鎌倉宝戒寺-2011年秋(宝戒寺橋からの眺め)

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2011/09/24 - 2011/09/24

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉市小町3にある宝戒寺は天台宗の寺で金龍山釈満院円頓宝戒寺という。建武2年(1335年)の足利尊氏寄進状(宝戒寺蔵)に、「北条高時の慰霊のため、その屋敷跡に後醍醐天皇が建立した」旨の記述があり、後醍醐天皇が天台宗の高僧・円観慧鎮を開山として寺の造営を命じていた。しかし、実際には後醍醐天皇による建武の新政が崩壊した後に、足利尊氏が造営したと考えられている。本尊は地蔵菩薩である。
 寺域は、北条義時以来、歴代の鎌倉幕府執権の屋敷地跡と伝えられており、それを示す「北条執権亭旧蹟」(大正7年(1918年)3月、鎌倉町青年会)の史跡碑が建っている。
 最後の執権・北条高時は、元弘3年(1333年)、鎌倉に攻め上った新田義貞の軍に追い詰められて宝戒寺の裏にあたる葛西ヶ谷の奥の東勝寺で、一族郎党870余名と共に自害し、鎌倉幕府は滅亡した。
 宝戒寺は萩(はぎ)寺と呼ばれており、秋のこの時期には参道から白い萩の花が咲き乱れている。しかし、裏に回ると景色が一変する。宝戒寺橋あたりからの宝戒寺の眺めは、明かり採りの天窓が付いた瓦屋根の伽藍が見えて斬新でもある。また、宝戒寺橋袂にある紅葉山やぐらも近代的な鉄筋コンクリート製であり、北条氏執権の古いお墓の跡であることは想像もできない。宝戒寺橋の欄干の擬宝珠がそうした史跡であることを伝えているようだ。
(表紙写真は宝戒寺の客殿・書院)

  • 宝戒寺本堂。

    宝戒寺本堂。

  • 宝戒寺本堂。

    宝戒寺本堂。

  • 宝戒寺の客殿・書院。

    宝戒寺の客殿・書院。

  • 宝戒寺の客殿・書院。

    宝戒寺の客殿・書院。

  • 宝戒寺裏の建物。庫裡。電話で尋ねたが、本堂の手伝いに来ているので分からないと言われた。行って聞くと、20年いる人は客殿ではないかと言っていた。<br />尼さんに聞いたら庫裡とのことだ。<br />宝戒寺入口に立てられている「金龍山宝戒寺伽藍復興大‥‥」には、「書院・庫裡再建−平成18年1月‥」、「再建 修理予定」には「客殿」が挙げられている。しかし、予定年は記載なれていない。

    宝戒寺裏の建物。庫裡。電話で尋ねたが、本堂の手伝いに来ているので分からないと言われた。行って聞くと、20年いる人は客殿ではないかと言っていた。
    尼さんに聞いたら庫裡とのことだ。
    宝戒寺入口に立てられている「金龍山宝戒寺伽藍復興大‥‥」には、「書院・庫裡再建−平成18年1月‥」、「再建 修理予定」には「客殿」が挙げられている。しかし、予定年は記載なれていない。

  • 宝戒寺の庫裡と本堂。

    宝戒寺の庫裡と本堂。

  • 宝戒寺橋から見た宝戒寺。

    宝戒寺橋から見た宝戒寺。

  • 宝戒寺橋から見た宝戒寺の木立。

    宝戒寺橋から見た宝戒寺の木立。

  • 宝戒寺橋の下流に架かる東勝寺橋。

    宝戒寺橋の下流に架かる東勝寺橋。

  • 宝戒寺橋袂、山側の枝垂れ桜。<br />

    宝戒寺橋袂、山側の枝垂れ桜。

  • 宝戒寺橋の滑川下流、山側の枝垂れ桜。

    宝戒寺橋の滑川下流、山側の枝垂れ桜。

  • 「せせらぎ『滑川』」。<br /><br />「せせらぎ『滑川』は、朝比奈峠を源流とし、全長5.6km。その由来は、河床をなめるように流れている−というのが原名です。なめり川は、なぜか 多くの文人墨客が好んで暮らしたまちを、ゆったりと流れ、由比ガ浜にたどりつく−。かまくらならではの古都のたたずまいと、由緒ある文化の薫りが、ここからも うかがわれます。<br /> 神奈川県は、建設省、鎌倉市、財団法人・砂防フロンティア整備推進機構の支援のもとに、平成7年<1995年>「滑川渓流再生事業検討委員会」<地域内の自治・町内会長を中心に各界各層の学識経験者 で構成>を設置。7年間にわたり、上流の華の橋から寶戒寺橋下流までの1.5kmの渓流環境を再生。 「かまくら景観百選」に選定されている当地域は、滑川再生事業の重点地域として、 全国”せせらぎ”のモデルにもなっております。また、歴史的風土特別保存地区だけに、寶戒寺橋から眺める”せせらぎ”滑川の四季おりおりの景観、若宮大路や鶴岡八幡宮のにぎわいとは無縁の静寂、それに、鎌倉唯一のライトアップ に浮かぶ史跡「紅葉山やぐら」の幻想的夜景は、まことにみごとなものです。<br /> この地域は、鎌倉幕府の実力者・旧跡「北条執権邸」内にあり、平成13年<2001年>の NHK大河ドラマ『北条時宗』<第8代執権。1251−84年>生誕の地ともいわれ、文永・弘安の役の二度にわたる蒙古襲来を撃退。”神風”とともに、日本の歴史に名跡を残しました。<br /><br />    せせらぎの 川面にゆれる 木もれ月   白 萩<br /><br />               神  奈  川  県<br /><br />               鎌倉紅葉山自治会」。<br />写真&コメントの削除<br /><br />

    「せせらぎ『滑川』」。

    「せせらぎ『滑川』は、朝比奈峠を源流とし、全長5.6km。その由来は、河床をなめるように流れている−というのが原名です。なめり川は、なぜか 多くの文人墨客が好んで暮らしたまちを、ゆったりと流れ、由比ガ浜にたどりつく−。かまくらならではの古都のたたずまいと、由緒ある文化の薫りが、ここからも うかがわれます。
     神奈川県は、建設省、鎌倉市、財団法人・砂防フロンティア整備推進機構の支援のもとに、平成7年<1995年>「滑川渓流再生事業検討委員会」<地域内の自治・町内会長を中心に各界各層の学識経験者 で構成>を設置。7年間にわたり、上流の華の橋から寶戒寺橋下流までの1.5kmの渓流環境を再生。 「かまくら景観百選」に選定されている当地域は、滑川再生事業の重点地域として、 全国”せせらぎ”のモデルにもなっております。また、歴史的風土特別保存地区だけに、寶戒寺橋から眺める”せせらぎ”滑川の四季おりおりの景観、若宮大路や鶴岡八幡宮のにぎわいとは無縁の静寂、それに、鎌倉唯一のライトアップ に浮かぶ史跡「紅葉山やぐら」の幻想的夜景は、まことにみごとなものです。
     この地域は、鎌倉幕府の実力者・旧跡「北条執権邸」内にあり、平成13年<2001年>の NHK大河ドラマ『北条時宗』<第8代執権。1251−84年>生誕の地ともいわれ、文永・弘安の役の二度にわたる蒙古襲来を撃退。”神風”とともに、日本の歴史に名跡を残しました。

        せせらぎの 川面にゆれる 木もれ月   白 萩

                   神  奈  川  県

                   鎌倉紅葉山自治会」。
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