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 鎌倉市扇が谷3にある薬王寺は日蓮宗の寺で大乗山薬王寺という。元は真言宗に属し、梅嶺山夜光寺と称していたが、永仁元年(1293年)日像聖人が時の住僧と論難し改宗して法華経受持の寺院となった。<br /> 日達聖人は有力な外護者の援助を得て、衰微していた当山を忽ちにして七堂伽藍完備の立派な寺院となし、山号寺号を大乗山薬王寺と改称した。<br /> 寛永年間、非業の最期を遂げた駿河大納言徳川忠長公の追善供養の為、奥方松孝院殿(織田信長の孫/信良の娘)は莫大な金子と広大な土地を寄進し、三千坪の境内に立派な諸堂を造営したが、享保5年(1720年)の火災で悉く焼失している。<br /> 徳川忠長公供養塔が建ち、徳川・蒲生家ゆかりの寺として寺紋に三葉葵が用いられていたために、一般住民の埋骨が許されない格式由緒のある寺であった。今では檀家が300といったところか。<br /> 本堂の屋根瓦は新しく、唐獅子の飾り瓦と橘の花の飾り瓦も上がっていた。<br /> 寺に登る参道中ほどには墓地を分譲中であったがほとんど売れたようだ。入口付近で法事を行っていた。この墓地裏の崖にはやぐらがあるが、中央のやぐらの中には石仏が安置されたばかりだ。薬王寺も以前よりもなぜか活気が出てきた感じがする。<br />(表紙写真は駿河大納言徳川忠長公供養塔)

薬王寺-2011年秋

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2011/09/24 - 2011/09/24

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉市扇が谷3にある薬王寺は日蓮宗の寺で大乗山薬王寺という。元は真言宗に属し、梅嶺山夜光寺と称していたが、永仁元年(1293年)日像聖人が時の住僧と論難し改宗して法華経受持の寺院となった。
 日達聖人は有力な外護者の援助を得て、衰微していた当山を忽ちにして七堂伽藍完備の立派な寺院となし、山号寺号を大乗山薬王寺と改称した。
 寛永年間、非業の最期を遂げた駿河大納言徳川忠長公の追善供養の為、奥方松孝院殿(織田信長の孫/信良の娘)は莫大な金子と広大な土地を寄進し、三千坪の境内に立派な諸堂を造営したが、享保5年(1720年)の火災で悉く焼失している。
 徳川忠長公供養塔が建ち、徳川・蒲生家ゆかりの寺として寺紋に三葉葵が用いられていたために、一般住民の埋骨が許されない格式由緒のある寺であった。今では檀家が300といったところか。
 本堂の屋根瓦は新しく、唐獅子の飾り瓦と橘の花の飾り瓦も上がっていた。
 寺に登る参道中ほどには墓地を分譲中であったがほとんど売れたようだ。入口付近で法事を行っていた。この墓地裏の崖にはやぐらがあるが、中央のやぐらの中には石仏が安置されたばかりだ。薬王寺も以前よりもなぜか活気が出てきた感じがする。
(表紙写真は駿河大納言徳川忠長公供養塔)

  • 薬王寺入口。

    薬王寺入口。

  • 「薬王寺」説明看板。

    「薬王寺」説明看板。

  • 薬王寺。

    薬王寺。

  • 薬王寺門柱。

    薬王寺門柱。

  • 鐘楼。

    鐘楼。

  • 鐘楼。

    鐘楼。

  • 枝垂れ桜。鐘楼脇から移植したために元気がない。

    枝垂れ桜。鐘楼脇から移植したために元気がない。

  • 「駿河大納言 徳川忠長公 供養塔」。

    「駿河大納言 徳川忠長公 供養塔」。

  • 駿河大納言徳川忠長公の供養塔。駿河大納言徳川忠長公(徳川3代将軍家光公の弟)の奥方(織田信長の孫・織田信良の娘)松孝院殿妙行日久が功徳主で建立。<br />駿河大納言徳川忠長公の供養塔は京都・金戒光明寺(黒谷)でも見た。

    駿河大納言徳川忠長公の供養塔。駿河大納言徳川忠長公(徳川3代将軍家光公の弟)の奥方(織田信長の孫・織田信良の娘)松孝院殿妙行日久が功徳主で建立。
    駿河大納言徳川忠長公の供養塔は京都・金戒光明寺(黒谷)でも見た。

  • 石塔。2頭の獅子が彫られている。

    石塔。2頭の獅子が彫られている。

  • 石塔。2頭の獅子が彫られている。 

    石塔。2頭の獅子が彫られている。 

  • 九輪。

    九輪。

  • 「日蓮大聖人尊像」。

    「日蓮大聖人尊像」。

  • 薬王寺本堂。

    薬王寺本堂。

  • 薬王寺本堂。

    薬王寺本堂。

  • 薬王寺本堂に掛かる「大乗山」の扁額。

    薬王寺本堂に掛かる「大乗山」の扁額。

  • 薬王寺本堂屋根に上がる唐獅子と橘の花の飾り瓦。

    薬王寺本堂屋根に上がる唐獅子と橘の花の飾り瓦。

  • 薬王寺本堂屋根に上がる唐獅子と橘の花の飾り瓦。

    薬王寺本堂屋根に上がる唐獅子と橘の花の飾り瓦。

  • 十三重石塔。

    十三重石塔。

  • 本堂横の宝篋印塔。

    本堂横の宝篋印塔。

  • 観音堂。

    観音堂。

  • 観音堂。

    観音堂。

  • 「観世音菩薩」説明板。

    「観世音菩薩」説明板。

  • 観音堂横のやぐら。

    観音堂横のやぐら。

  • 「三界萬霊」の石仏。

    「三界萬霊」の石仏。

  • 傍らの石仏。

    傍らの石仏。

  • 傍らの石仏。

    傍らの石仏。

  • ‥福院の宝篋印塔(寛文11年(1671年)正月11日没)。石段下にあり殿が付かないから松壽院の関係者か。

    ‥福院の宝篋印塔(寛文11年(1671年)正月11日没)。石段下にあり殿が付かないから松壽院の関係者か。

  • 松壽院殿(母)と梅嶺院殿(娘)の2つの蒲生家の宝篋印塔が並ぶ。

    松壽院殿(母)と梅嶺院殿(娘)の2つの蒲生家の宝篋印塔が並ぶ。

  • 松壽院殿の宝篋印塔。奥方の松壽院殿青山日縁大姉(元禄13年(1700年)6月27日没、89歳)。<br />磐城平城主・内藤左馬助政長の七女。蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)の室。

    松壽院殿の宝篋印塔。奥方の松壽院殿青山日縁大姉(元禄13年(1700年)6月27日没、89歳)。
    磐城平城主・内藤左馬助政長の七女。蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)の室。

  • 梅嶺院殿の宝篋印塔。息女の梅嶺院殿奉山日陽大童女(正保2年(1645年)3月19日没、12歳)。蒲生忠知と松壽院の娘。忠知死後、娘として生まれたために蒲生家は断絶した。<br />

    梅嶺院殿の宝篋印塔。息女の梅嶺院殿奉山日陽大童女(正保2年(1645年)3月19日没、12歳)。蒲生忠知と松壽院の娘。忠知死後、娘として生まれたために蒲生家は断絶した。

  • 歴代住職の墓。

    歴代住職の墓。

  • 熱田稲荷社。

    熱田稲荷社。

  • 「熱田稲荷社造営寄進者芳名」。

    「熱田稲荷社造営寄進者芳名」。

  • 熱田稲荷。

    熱田稲荷。

  • 熱田稲荷。

    熱田稲荷。

  • 新墓苑の崖にある右のやぐら。

    新墓苑の崖にある右のやぐら。

  • 新墓苑の崖にある中央のやぐら。最近になって石仏が安置された。

    新墓苑の崖にある中央のやぐら。最近になって石仏が安置された。

  • 新墓苑の崖にある左のやぐら。

    新墓苑の崖にある左のやぐら。

  • 新墓苑の崖にある左のやぐら。

    新墓苑の崖にある左のやぐら。

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