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 法華堂跡には白旗神社と源頼朝の墓が建っている。文治5年(1189年)、聖観音を本尊とした源頼朝の持仏堂として建てられ、頼朝の死後、その墓になり法華堂と称されるようになった。<br /> 現在、石段を登った山腹にある多層塔(供養塔)は、安永8年(1779年)に薩摩藩主の島津重豪(しまづ しげひで)が建てたものであったが、平成元年に心無き者が墓塔を破壊したために、平成2年に復元されたものである。いつも源頼朝会の旗が立っている。一般には、源頼朝の墓と思われているが、実際に頼朝が埋葬されたのは法華堂である。<br /> 頼朝の持仏堂(法華堂)は、白旗神社が建っている山の下の平地にあったのか、源頼朝の墓がある山の中腹の西側空き地なのか2説ある。いずれの場所も国の史跡に指定されている。どうやら山の中腹にあったが、宝治合戦以後は下の平地に移ったようだ。そして江戸時代になって中腹に源頼朝の墓が建てられた。<br /> 石段の途中には鳥居が建つが、これは昭和39年(1964年)に建立された新しいものである。明治維新後から関東大震災まで、頼朝墓前に鳥居があったかは不明である。<br /> 源頼朝は久安3年(1147年)、源義朝の三男として生まれる。<br /> 治承4年(1180年)、富士川の戦い。<br /> 文治元年(1185年)、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡する。<br /> 文治5年(1189年)、奥州合戦、奥州平泉の藤原氏が滅亡する。<br /> 建久3年(1192年)、征夷大将軍へと任ぜられ、鎌倉幕府が開かれたとされる。しかし、壇ノ浦の戦いに勝利した平家亡き後は鎌倉時代と見なす考え方が順当であろう。<br /> 建久10年(1199年)1月に死去した。享年53(満51歳没)。<br /> かつては歴史の教科書では鎌倉時代の始まりは建久3年(1192年)となっていたが、最近では文治元年(1185年)が定説になっているようだ。しかし、武士の街としての鎌倉の始まりは頼朝が鎌倉に館を構えた治承4年(1180年)とみて大過ないであろう。<br />(表紙写真は源頼朝の墓)                             

鎌倉法華堂跡(源頼朝の墓)

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2011/09/07 - 2011/09/07

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 法華堂跡には白旗神社と源頼朝の墓が建っている。文治5年(1189年)、聖観音を本尊とした源頼朝の持仏堂として建てられ、頼朝の死後、その墓になり法華堂と称されるようになった。
 現在、石段を登った山腹にある多層塔(供養塔)は、安永8年(1779年)に薩摩藩主の島津重豪(しまづ しげひで)が建てたものであったが、平成元年に心無き者が墓塔を破壊したために、平成2年に復元されたものである。いつも源頼朝会の旗が立っている。一般には、源頼朝の墓と思われているが、実際に頼朝が埋葬されたのは法華堂である。
 頼朝の持仏堂(法華堂)は、白旗神社が建っている山の下の平地にあったのか、源頼朝の墓がある山の中腹の西側空き地なのか2説ある。いずれの場所も国の史跡に指定されている。どうやら山の中腹にあったが、宝治合戦以後は下の平地に移ったようだ。そして江戸時代になって中腹に源頼朝の墓が建てられた。
 石段の途中には鳥居が建つが、これは昭和39年(1964年)に建立された新しいものである。明治維新後から関東大震災まで、頼朝墓前に鳥居があったかは不明である。
 源頼朝は久安3年(1147年)、源義朝の三男として生まれる。
 治承4年(1180年)、富士川の戦い。
 文治元年(1185年)、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡する。
 文治5年(1189年)、奥州合戦、奥州平泉の藤原氏が滅亡する。
 建久3年(1192年)、征夷大将軍へと任ぜられ、鎌倉幕府が開かれたとされる。しかし、壇ノ浦の戦いに勝利した平家亡き後は鎌倉時代と見なす考え方が順当であろう。
 建久10年(1199年)1月に死去した。享年53(満51歳没)。
 かつては歴史の教科書では鎌倉時代の始まりは建久3年(1192年)となっていたが、最近では文治元年(1185年)が定説になっているようだ。しかし、武士の街としての鎌倉の始まりは頼朝が鎌倉に館を構えた治承4年(1180年)とみて大過ないであろう。
(表紙写真は源頼朝の墓)                             

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  • 白旗神社前。

    白旗神社前。

  • 白旗神社前。

    白旗神社前。

  • 「法華堂跡」(大正13年(1924年)、鎌倉町青年団)。<br /><br /><br />「堂ハモト頼朝ノ持佛ヲ祀レル所ニシテ 頼朝ノ薨後其ノ廟所トナル 建保五年五月 和田義盛叛シテ火ヲ幕府ニ放テル時 将軍實朝ノ難ヲ避ケタルハ此ノ処ナリ 寶治元年六月五日三浦康村此ニ籠リテ北條ノ軍ヲ邀ヘ刀折レ矢尽キテ一族郎党五百余人ト供ニ自尽シ満庭朱殷ニ染メシ処トス<br />大正十三年三月建   鎌倉町青年團」<br />(建保五年は1217年、寶治元年は1247年にあたる) <br /><br />

    「法華堂跡」(大正13年(1924年)、鎌倉町青年団)。


    「堂ハモト頼朝ノ持佛ヲ祀レル所ニシテ 頼朝ノ薨後其ノ廟所トナル 建保五年五月 和田義盛叛シテ火ヲ幕府ニ放テル時 将軍實朝ノ難ヲ避ケタルハ此ノ処ナリ 寶治元年六月五日三浦康村此ニ籠リテ北條ノ軍ヲ邀ヘ刀折レ矢尽キテ一族郎党五百余人ト供ニ自尽シ満庭朱殷ニ染メシ処トス
    大正十三年三月建   鎌倉町青年團」
    (建保五年は1217年、寶治元年は1247年にあたる)

  • 白旗神社由緒記。<br /><br />「白旗神社 由緒記<br /><br />祭神<br />源頼朝公<br />由緒<br />この地はもと源頼朝公居館(幕府)の北隅で持仏堂があり、石橋山の合戦にあたって髻(もとどり)の中に納めて戦ったという小さな観音像が安置され頼朝公が篤く信仰していた。<br />正治元年(1199)1月13日頼朝公が亡くなるとここに葬り法華堂と呼ばれ毎年命日には将軍が参詣し仏事を執り行い多くの武将も参列した。<br />その後鶴岡八幡宮の供僧(ぐそう)「相承(そうしょう)院」が奉仕して祭祀を続け 明治維新に際し寺は白旗神社に改められ源頼朝公を祭神として今日に至っている。<br />現在の社殿は明治維新百年を記念して昭和45年に源頼朝公報恩会の方々の篤志によって造営されたものである。」 <br /><br />

    白旗神社由緒記。

    「白旗神社 由緒記

    祭神
    源頼朝公
    由緒
    この地はもと源頼朝公居館(幕府)の北隅で持仏堂があり、石橋山の合戦にあたって髻(もとどり)の中に納めて戦ったという小さな観音像が安置され頼朝公が篤く信仰していた。
    正治元年(1199)1月13日頼朝公が亡くなるとここに葬り法華堂と呼ばれ毎年命日には将軍が参詣し仏事を執り行い多くの武将も参列した。
    その後鶴岡八幡宮の供僧(ぐそう)「相承(そうしょう)院」が奉仕して祭祀を続け 明治維新に際し寺は白旗神社に改められ源頼朝公を祭神として今日に至っている。
    現在の社殿は明治維新百年を記念して昭和45年に源頼朝公報恩会の方々の篤志によって造営されたものである。」

  • 白旗神社。社殿(拝殿と本殿)は明治維新百年を記念して昭和45年(1970年)に源頼朝公報恩会の方々の篤志によって造営された。

    白旗神社。社殿(拝殿と本殿)は明治維新百年を記念して昭和45年(1970年)に源頼朝公報恩会の方々の篤志によって造営された。

  • 「源頼朝公法華堂之旧蹟」。

    「源頼朝公法華堂之旧蹟」。

  • 「頼朝公 白旗大明神」。

    「頼朝公 白旗大明神」。

  • 「源頼朝公法華堂之旧蹟」。

    「源頼朝公法華堂之旧蹟」。

  • 白旗神社拝殿。

    白旗神社拝殿。

  • 白旗神社本殿。

    白旗神社本殿。

  • 「源頼朝公顕彰碑」石碑(平成12年(2000年)7月、源頼朝会)。 <br /><br />

    「源頼朝公顕彰碑」石碑(平成12年(2000年)7月、源頼朝会)。

  • 「源頼朝の墓」説明看板。

    「源頼朝の墓」説明看板。

  • 石段。頼朝の亡くなった年(かぞえで53歳)にちなんで53段あるという。<br />お墓に鳥居がある訳だが、この鳥居は昭和39年(1964年)に建立されたものだ。

    石段。頼朝の亡くなった年(かぞえで53歳)にちなんで53段あるという。
    お墓に鳥居がある訳だが、この鳥居は昭和39年(1964年)に建立されたものだ。

  • 鳥居横には源氏の家紋の笹竜胆(ささりんどう)。

    鳥居横には源氏の家紋の笹竜胆(ささりんどう)。

  • 源頼朝の墓。

    源頼朝の墓。

  • 源頼朝の墓。

    源頼朝の墓。

  • 手水鉢。

    手水鉢。

  • 寄進目録碑。<br /><br />「奉寄進<br />玉垣一区<br />石燈籠両基<br />石露盤一箇<br />安永八年己亥ニ月<br />薩摩中将重豪」

    寄進目録碑。

    「奉寄進
    玉垣一区
    石燈籠両基
    石露盤一箇
    安永八年己亥ニ月
    薩摩中将重豪」

  • 源頼朝の墓の西側の1段下がったところの平地。

    源頼朝の墓の西側の1段下がったところの平地。

  • 源頼朝の墓の西側の1段下がったところの平地。

    源頼朝の墓の西側の1段下がったところの平地。

  • 源頼朝の墓と「奉寄進」碑。

    源頼朝の墓と「奉寄進」碑。

  • 源頼朝の墓の前の排水路跡。

    源頼朝の墓の前の排水路跡。

  • 源頼朝の墓の前の排水路跡。

    源頼朝の墓の前の排水路跡。

  • 石段。

    石段。

  • 源頼朝の墓の東側平地にある石。

    源頼朝の墓の東側平地にある石。

  • 「希義公の土と石」解説板。新たに加えられた。

    「希義公の土と石」解説板。新たに加えられた。

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