2011/04/10 - 2011/04/10
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鎌倉市山ノ内にある建長寺には川村瑞賢墓がある。瑞賢は、元和4年(1818年)に伊勢に生まれ、江戸に出て実業家となった。日本海西廻り航路などの海運、最上川の舟運を開くとともに、淀川などの治水、利水事業にも活躍した。元禄12年(1699年)に亡くなり、建長寺内に葬られた。右隣には、息子の河村通顕のお墓、瑞賢の追悼碑、顕彰の碑がある。
半僧坊旧道と鎌倉学園グランドに通じる山道の間に川村瑞賢墓参道がある。鎌倉学園グランドは頭塔跡かと思われたが、部活の顧問の先生はお尚からは頭塔があったとは聞いていないという。グランドに通じる山道は確かに古いものだ。河村瑞賢の墓のあるところが金剛院跡であるという。もっと広い谷戸が使われなかった訳がない。
(表紙写真は建長寺にある川村瑞賢墓)
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「川村瑞賢遺跡登り口」。
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鎌倉学園グランド旧道の青面金剛王。
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鎌倉学園グランド旧道の青面金剛。川村瑞賢墓へ引き返す。
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金剛王。「大庭村宮本傳左エ門 吉光」長兵エ」と奉納者名が彫られている。
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(猿田)彦大神。上部が破損している。
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青面金剛。
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庚申塔。
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庚申塔。「濱松町 籠屋善助」と奉納者名が彫ってある。
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川村瑞賢墓の墓地入口横にある井戸。
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河村通顕墓。墓石に屋根を掛けているのは珍しいだろう。
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河村通顕墓。
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「河村通顕墓碑銘」。
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河村瑞賢顕墓。
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河村瑞賢顕墓。
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「川村瑞賢顕彰之碑」。
「運業界の祖治河事業の先駆者河村瑞賢の墓石は元禄十二年獅子通顕により建立され、更に通顕の墓石は享保六年義篤によって建立されたものであり二百有余年の長い間風霜に晒されて建長寺境内塔頭金剛院跡に眠りつづけていました。自然の磨損の甚だしい所偶偶関東大震災によつて墓石は倒れ墳墓は破損されてしまいました。その惨状を見、傷心の情深き菅原時保管長猊下を中心に官財界の有志相い集い「河村瑞賢墳墓保存会」を設立し、昭和九年九月墓石等の保存工事、追憶碑を建立して河村瑞賢の優れた業績を永く後世に伝えるべくご努力なされましたが、時は流れ、国家社会の現状は変遷し更めて海運・治河事業の重要性が叫ばれて参りました。私達関係者は過去の偉大なる河村瑞賢の業績に憶いをはせ平成五年十月「河村瑞賢墳墓平成保存会」を設立し、平成六年六月十六日毎歳瑞賢忌を期して吉田正道管長猊下を大導師に拝請し、鍬入れ式等を挙行いたし境内整備等につとめて参りました。茲にその意志を確認し、永く保存に関する諸行事等をいたし祟敬顕揚の念を深くするものである。
平成七年六月十六日
河村瑞賢墳墓平成保存会 」 -
後の崖のやぐらには掃除道具が。
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河村瑞賢追悼碑。
封建時代ニ於テ姓名ヲ歴史ニ留ムルモノハ 衣冠束帯ノ縉伸力功城野戰ノ勇士ノミ 尋常平人ニ至リテハ 其事業ニヨリテ惠澤ヲ後世ニ施ス者アルモ 其姓名埋沒シテ記サレザルモノ多シ 然ルニ此間ニ於テ河村瑞賢ノ姓名ノミ喧傳セラルルヲ見テハ 其事業人物ノ如何ニ一時ニ傑出シタルカヲ想見スルヲ得ベシ 瑞賢ハ元和四年二月十五日伊勢度會郡鵜倉村東宮ニ生ル 幼名ハ七兵衛 後十右衛門ト改ム 十三歳ニシテ江戸ニ出デ車力 日雇頭ヨリ材木商トナリ 機略縦横 才思湧クガ如ク 爲ス所人ノ意表ニ出デ 企テテ成ラザルナク 四十歳頃ハ其財力巴ニ海内無双ト稱セラル 幕府其才ヲ重ンジテ委任スル所多シ 其中最モ大ナルハ寛文十一年奥羽諸國ト江戸トノ航路ヲ改メ 船舶ヲ強大ナラシメ 海難救助ノ法ヲ定メ 船頭水夫ノ待遇ヲ改善シ 海運ノ方法ヲ根本ヨリ變革シタルニアリ 従来奥羽ヨリ江戸ニ米ヲ送ルニ一ヶ年ヲ要セシガ 之ヨリ後東廻リ路ハ三ヶ月 北廻り路ハ五ヶ月ニシテ足リ 而シテ仙臺ニ於ケル米價ハ金一兩ニ七石ナリシモノ 此後二石四斗ニ上リテ農民ノ得ル所 舊ニ倍シ 江戸ノ民マタ物資ノ缺乏ヲ免レ 地方經濟ヨリ國民經濟ニ移ルノ大勢ヲ促進ス 天和貞享ノ間マタ幕命ヲ奉ジテ淀川ヲ修理シ溝渠ヲ通ジ 排水ノ法ヲ講ジテ數百年来ノ患害ヲ除ク 元禄十年将軍綱吉之ヲ召見シ 次デ百五十俵ノ禄米ヲ給シテ若年寄ニ属セシム 之ヨリ名ヲ改メテ平太夫ト稱ス 瑞賢ハ其号ナリ 元禄十二年攝津河内ノ治水工事成リ 三月江戸ニ歸リシガ病ヲ得 六月十六日八十二歳ニシテ死ス 彼身ヲ勞働者ヨリ起シタルニ似ズ 學問ヲ重ンジ萬巻ノ書ヲ家ニ藏シテ學者ノ觀ルニ任セ マタ私カニ學者ニ給與スルコト少カラズ 新井白石ノ如キモ其一人ニシテ後 機内治河記 奥羽海運記ヲ著シテ彼ノ功績ヲ傳フ 別ニ瑞賢ノ著ハシタルモノ疏瀹提要 本朝河攻略記アリ 瑞賢マタ開境展土ノ志アリ 浪人小笠原長啓ニ資ヲ供シ太平洋ノ無人嶋ヲ開カシメントセシガ病ヲ以テ果サズ 是レ後ノ小笠原嶋ナリ彼ノ一生ヲ見ルニ喬木ノ種子ガ風ニ弄セラン 雨ニ打タン 不毛ノ地ニ落チテ芽ヲ發シ 遂ニ岩石ヲ劈キテ參天ノ大樹トナリシガ如ク 一人ノ力ガ 如何ニ社會ノ因襲ト積威ヲ凌イデ為シ得ルカヲ示ス記念塔ト云フヲ得ベシ中島真雄君彼ノ墓ガ蔓草ニ掩ハン 其文字風霜ニ磨損セランテ讀ムベカラザルヲ見 傷心ノ情禁ズベカラズ 建長寺ノ菅原管長 近藤總理 松井七夫 栗田傳兵衛四君ト謀ツテ爲メニ墳墓保存會ヲ起シ 衆人ト力ヲ合セテ碑ヲ建ツ 余曽テ日本經濟史ニ於テ瑞賢ノ功ヲ傳ヘタル縁アルヲ以テ茲ニ文ヲ撰シテ以テ其事ヲ記ス
昭和九年九月
竹越與三郎撰
松本英一書
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