2010/09/13 - 2010/09/21
168位(同エリア448件中)
kojikojiさん
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長春から和階号に乗って、今回の旅の最終地である哈爾濱には夜遅く到着しました。駅の周辺道路は柵で覆われ、通りの前にある旧ヤマトホテル(龍門貴賓楼酒店)に行くのは迷路の中を手探りで進むようでした。本当に中国の繁華街の通りを渡るのは疲れます。
到着した瞬間このホテルには1泊で明日の朝にはチェックアウトするには惜しいなと思いました。今回滞在した4つの旧ヤマトホテルの中では最高のホテルでした。飛行機で大連まで戻るのであればもう1泊出来たのですが、夜行寝台列車に乗るというのも今回の旅の目的でもあるので仕方ありません。それ以上に飛行機の1/4の金額で宿泊費も浮いてしまう夜行寝台は魅力でした。哈爾濱の街歩きはもう1日あっても良かったと思いました。中央大街と太陽島は1日で十分ですが、哈爾濱ならではの買い物にもう少し時間をかけても良かったと思いました。心残りがある分次回は冬の氷祭りに来てみようと言う新しい目的も出来ました。今まで何となく避けてきた中国東北部の旧満州を旧南満州鉄道で巡る旅でしたが来て良かったです。それも個人旅行であることで地元の人にも沢山接することが出来たのが楽しく、今回も沢山の方が我々の旅を支えてくれたと思います。そしてこの地で苦労した叔父たちの事を思い出す良いきっかけになったと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 船 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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夜の長春火車站の候車室です。今日は日曜日なので結婚式帰りの若者がホテルの紙袋を持って並んでいます。(そう言えば今朝のホテルの朝食会場のは簡単な仕切りの向こうで結婚式の披露宴を行っていて、朝8時だというのに大盛り上がりでした。一体1日に何組披露宴を入れているのでしょうか?)
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同じ動車(新幹線)で哈爾濱へ行く列は日本の新幹線駅で見かける光景と同じです。シンデレラエキスプレス的な光景はまだ無いでしょうが。
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出発の10分前に出札になり、荷物を持って階段を上り下りしてホームで待つと列車はすぐに入線してきました。ホームでのんびり列車を待つなんてことは出来ないのが中国の鉄道です。以前NHKの番組で中国中の列車を乗り継ぐ番組がありましたが、もっとディープでリアルな中継をして欲しかったです。
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すぐに列車が到着しますが12号車がどの辺なのか何も表示はありません。ホームにいる係員に聞いても「あの辺り。」と曖昧な返事なので、列車と一緒に走る羽目になります。今日の列車も満席で、無座の人が我々の席に座っていましたがチケットを見せるとすぐに席を空けてくれました。そして我々の荷物を網棚に上げるのを手伝ってくれました。1人では持ち上げられない重さになっていたので助かります。座席は取れても荷物の置き場が困るのが中国の鉄道です。
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車窓の景色は真っ暗で何も見えませんでしたが、高速鉄道は予定通りの2時間弱でハルピンに到着しました。途中駅での停車が無いのが早い秘訣でしょうか。暗いホームを荷物を持ってガラガラ歩きますが、表に出るまで階段が無かったのが幸いでした。
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高速鉄道は哈爾濱までですが、この先を進めばロシアまで行けると思うと旅情を感じます。いつかウラジオストックからモスクワまでシベリア鉄道を走破してみたいともいながら青年は荒野を目指せ無いまま壮年になりました。
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あっという間に乗降客の姿は無くなり、置いてきぼりを食った感じがします。ホテルは駅前なので安心していたのですが、横断歩道が無くて怪しい地下道を渡らなければなりませんでした。しかもエスカレーターも無いので重い荷物を担ぎました。
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通りを渡っても駅に面した側では無い「龍門貴賓楼酒店」に向かいます。元々の建物に車寄せのキャノピーを後から付けたのだと思いましたが竣工時のオリジナルでした。
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イルミネーションがちょっと俗っぽいですが、周りに何もないので異様に輝いて見えます。
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暗くて見えにくいですが、アールヌーヴォーのデザインが美しいです。寒い地方なので観音開き扉の中に更に回転ドアが設けられています。
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到着が午後11時過ぎだったので、街中にも人影はありませんがロビーひと気がありません。
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パスポートを出すと簡単にチェックイン。今回のホテルは桂林の旅行会社に手配をお願いしましたが、いつも問題なく良い部屋を押さえてくれるので助かります。
鍵と一緒に翌日の夜行寝台のチケットも渡されましたので、列車のチケットの手配とデリバリーも完璧です。 -
列車のチケットも代行してもらって結果は良かったです。時間の有効利用と予定通りの列車の手配が可能だったからです。多分夜行列車の軟臥は当日行っても買えなかったでしょう。手数料は中国の物価を考えると高かったですが。
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ホテルは2階建てなのでエレベーターはありません。でもクラシックな制服を着たベルボーイが階段を運んでくれ、翌日の荷物も同じ彼に預かってもらいました。到着の夜と翌朝と翌晩にも働いていましたが、どんなローテーションなのか心配になります。
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階段を上がるとL字型に両翼に広がった廊下が見事で、思わず感嘆の声をあげました。旅順監獄の見張り台からの眺めを思い出しましたけど。
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部屋に入ってから1度ビールを買いに表に出て、哈爾濱ビールで深夜の乾杯をしました。今回の目的の旧ヤマトホテルを全部泊まることと、列車で旅順から哈爾濱までを走破することが達成できました。
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翌朝はゆっくりして、少し遅い時間に朝食に向かいました。
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瀋陽から長春とずっと寒かったのですが、哈爾濱の朝は気持ちの良い暖かさでした。
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何ともいえない雰囲気を持った内装です。今回の旅では数多くの素晴らしい照明器具を見ることが出来ました。
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溥儀や著名人が宿泊した巨大なスイートの先に部屋はありました。本当にこんな部屋が2人で5,000円でいいの?と思うことが多い中国のホテルです。今回最後のホテルが1番良かったのは幸いです。特にバスルームなど水廻りは綺麗でした。
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朝食会場はロビーの奥の通路の先にあるということでした。廊下に敷かれた絨毯がふかふかでした。
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朝食はロビー横のレストランですが、入った瞬間に圧倒されるインテリアです。奥にはバーまで設けられ、お酒と一緒にマトリョーシカが置かれているのがロシアの近くに来たと感じさせます。
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瀋陽の張作霖のお屋敷や長春の偽満皇宮の溥儀の住んだ部屋の中で食事をしているような錯覚に囚われます。
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これでは円形の大きなお盆が必要です。ほんの一部ですが点心の種類も豊富で、出来立ての熱々が嬉しい限りです。
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妻も美味しい朝ご飯に大満足のようです。よくここまで荷物を持って、たくさん歩いてついて来てくれました。
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部屋へ戻る廊下の途中に溥儀が宿泊したスイートルームがありました。部屋の見学ツアーなどは無かったですが、イスタンブールのペラ・パレスホテルを思い出させます。
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部屋の横には溥儀の弟の溥傑や張学良が宿泊したと説明するプレートが掲げられていました。
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これはホテルのロビーに置かれた駅周辺の模型です。70年から80年前の哈爾濱の駅前です。駅舎は変わってしまってもこのホテルは当時のままです。駅前通りを進んだ先の広場には巨大なロシア正教の大聖堂があったようです。
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このホテルの歴史は1903年(明治36年)に哈爾濱駅前に東清鉄道ホテルとして建てられたところから始まります。日露戦争が勃発するとロシア軍の野戦病院や軍司令部として使用され、終戦後はロシア軍将校クラブや中東鉄路理事会館として使用されます。 1935年の北満鉄路の買収により満鉄の所有となり、1937年(昭和12年)に客室数56室のホテルとして開業します。この改修工事は北満鉄路技師のスピリドフ・セルゲーウィチが担当しました。
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第2次世界大戦後は哈爾濱軍事工程学院から鉄路医院を経て1968年より哈爾濱鉄路局招待所として使用されましたが、1996年に哈爾濱鉄路局が経営するホテル龍門大厦に統合され、改修された後に1997年より「龍門大厦貴賓楼」として営業しています。
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昨晩は夜遅くて真っ暗だったので哈爾濱火車站の写真を1枚撮っておきます。場合によると夜まで戻れないと思ったのですが、何度もこの前を通ることになりました。
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駅前の駐車場には軍用のトラックが停められていました。
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ホテルに戻ってチェックアウトをしてから荷物を預かってもらいました。身軽になった後は哈爾濱市内を1日掛けて観光します。
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駅前の紅軍路の大通りは慢性的に大渋滞です。驢馬の荷車もその被害にあっています。って言うか何でこんな大都会に驢馬がいるのか不思議です。瀋陽の二人転の劇場からやってきたのでしょうか?
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駅前大通の中央分離帯には刈り込まれた植栽がきれいでした。緑と赤茶色の葉のコントラストがとても綺麗です。そこはかとなくロシアを想像させると同時にセンスの良さも感じます。
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町の一番大きなロータリーの紅博広場に「黒龍江省博物館」があります。
ここまで来て妻に「どこに行くの?」と尋ねられたので「博物館だよ。」というと「今日は月曜日だよ。」 -
「黒龍江省博物館」の入り口まで来たのに残念です。
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ソビエト連邦時代は対日戦勝記念日は9月3日でした。これはソビエト連邦政府が降伏文書調印の翌日9月3日に戦勝記念式典を開いたことに因み、この記念碑にもその日にちが記されています。 継承国のロシア連邦でも当初はソビエト連邦と同じく9月3日を対日戦勝記念日にしていましたが、2010年に連邦議会が9月2日を「第2次世界大戦が終結した日」とする法案を可決し、ドミートリー・メドヴェージェフ大統領が署名して9月2日を「第2次世界大戦終結の日」とする法改正案は成立しています。
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「旧中東鉄路理事務所兼住宅」1908年に建てられた木骨レンガ造りの建物です。中東鉄路理事務所兼住宅として使われましたが、1932年以降は日本人に使用されます。
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1950年から1952年は前ソ連専家楼として使われ、それ以降は鉄路職員宅として使用されていたと案内板にありました。瀟洒なロシア風の建築ですが、アール・ヌーヴォーの影響も感じられる美しい建物です。
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ホテルにあったジオラマ模型ではこのロータリーの中心には緑色の大きなロシア正教の大聖堂はあったはずですが、今は大きな地下街になっていました。
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哈爾濱にも「秋林公司(チューリンデパート)」がありました。隣には新館も出来ていて、日本で言うと三越みたいなものですかね。そう言えば大連の秋林は元三越の建物でした。現在はZARAになっているそうです。
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秋林公司は哈爾濱に本部を置く会社で、1908年にロシア人のイヴァン・チューリンが「秋林洋行」を作り、その後日本から中国へと経営が渡った老舗の企業です。 哈爾濱最大の百貨店なのでほぼ何でも売っていますが特に食料品が有名で、観光客もハルビン名物のロシア式ソーセージ(紅腸)やロシア式黒パン(大列巴)を買うためにすごい列が出来ていました。
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内部は美しい吹き抜けがあり、最上階まで行って降りてこようということになり、上がってみると最上階は毛皮とレザーの店しかありませんでした。妻が「毛皮が安い!」と喜びますが、安いといっても十数万円から上は限りがありません。ところがレザーに目を向けるとこれが良い物なのに安いのです。
昔はなめしが悪かったり継ぎ接ぎだったりで魅力はありませんでしたが今は違います。イタリアの有名ブランドの品と見まごうような品が10,000円くらいで沢山並んでいます。土地柄必要なのかフード付が多いですが、凄く気に入った物を見つけることが出来ました。すると妻は「私はね。」と擦り寄ってきます。薄いレザーのロングコートまで買う羽目になりました。 -
買い物で荷物が増えてしまったので一度ホテルに戻って、フロントのベルボーイにお願いして追加で預かってもらいました。長春でキャリーバックを買っておいてよかったですが、満州を旅しながら買い物ばかりしています。
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妻が「将軍様こっち向いて。」と呼ぶので流石にコートを買ってあげたら対応が違うなと思いましたが、写真を見て分かりました。北の将軍様って意味だったようで、9月の上旬にも専用列車でハルピンに来ていましたね。
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月牙街から霽虹街に入り、線路の上に掛かった橋を渡りました。霽虹橋頭の碑に1926の文字があり、哈爾濱市文物保護単位に認定されていました。
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ホテルから2キロくらい歩いてようやく「中央大街」の入り口に到着しました。歩かないでタクシーにすれば良かったと思うくらい遠かったです。途中に特に見所も無いのに何で歩こうとしたのでしょう。
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ネパールから来た家族連れの写真を撮ってあげたらお返しに我々の写真を撮ってくれました。
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「中央大街」は思っていたよりも綺麗に整備されている印象を受けました。何より歩行者天国なのが良いです。この1週間で車道を横断するのに疲弊しましたから。
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「旧哈爾濱市公署」晴れ渡った青空に屋根の水色が映えて、ようやくハルピンに来たと実感する建物です。「中央大街」はロシア統治時代は「中国人街(ロシア語でキタイスカヤ)」と呼ばれました。南北の直線の通りで全長1,450メートルで、ロシア統治時代の建築物が数多く残され、「東方のパリ」とも称される西洋風の街並みが一直線に北の松花江に向かっています。
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欧風建築物が71棟立ち並び、そのうちルネサンス様式やバロック様式や折衷様式など中国でも珍しい多種多様な市指定建築物が13棟と保護建築は36棟が残されています。現在の花崗岩で敷き詰められた歩道でさえ1924年に建設されたものです。
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「旧アグロフ洋行」の建物は1923年に竣工され、 元々は地上3階建てでしたが、1951年に増築され4階建てとなった木骨レンガ造りの折衷様式の建築です。
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今は観光客ばかりですが往時はいろいろな国との取引などで賑わったのでしょう。居並ぶ建物でも交差点に面するとコーナー部に独特の意匠を施し競い合っているようです。
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2階から上だけを見るとバルト3国辺りの町並みのようですが、1階に入っている商店の看板がそれを台無しにしているような気がします。ここまで統一して保存した建物群なので、外構のサインの規制をしてもよいと思います。
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9月だというのに街路樹の足元のツツジが満開でした。
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「中央大街」から東に2ブロック歩いた索非?広場に出るといきなり空が開けました。
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広場には鉄骨で造られた教会のような建物がありました。「聖ソフィア大聖堂(聖索非?大教堂)」の屋根の緑色と同じ塗装が施されています。元々ここにあった教会を鉄骨で再現したのかと思いましたが違うようです。
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青空に尖塔がそびえて、とてもきれいなオブジェに感じられました。
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「聖ソフィア大聖堂」は金胎の旅でどうしても来てみたいところの1つでした。池袋西武の7階にある北京の同仁堂薬局に置かれてある無料の雑誌「チャイナビ」のハルピン特集の表紙で見て以来の願いが叶いました。
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湯島のニコライ堂以外でロシア正教の聖堂を見るのは初めてでした。哈爾濱で見たことにより、この年の12月には函館を旅するきっかけになりました。
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ロシアにもいつかは行きたいと漠然と考えていますが、まだ計画化されていません。
91年から始めたビザンチン美術の旅もギリシャ正教会からトルコ中部まで進んで、そこから先の国々の旅は止まったままです。トルコ東部からまた始めないとと思いながら何年経ったでしょう。 -
この聖堂は1907年3月に帝政ロシアの兵士の軍用教会として創建されました。日露戦争の終戦2年後のことで、その後もロシアの茶商人などが出資して拡張工事が行われれ、1932年に現在の姿になっています。
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高さ53.35メートルでビザンチン建築の影響を強く受けており、平面がラテン十字形になっています。約2000人が収容できる規模で、最上階の鐘楼には音の異なる7つの鐘があるそうです。
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ドームの大きなものを「クーポル」小さなものを「ルーコヴィツァ」と呼びますが、その形はロウソクの炎をかたどったもので、教会での祈りが神様に届く様子や、神様が空へと昇っていく様子を表したものだといわれています。聖堂の平面がラテン十字の形なのも、天におわす神からその形が分かるようにです。現在の神はグーグル社におわします。
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この聖堂のクーポルの中央がキリストで、それを取り囲む4つは新約聖書の使徒のマルコとマタイとルカとヨハネを表すものだと思います。
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まだ小さいのにカッコつけて鳩に餌をやっている子供がいました。あまりに大人びた動きをするのでみんなが写真を撮っていました。
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内部の壁は痛みが激しくて色褪せ、所々剥落して古色蒼然たる雰囲気です。窓ガラスにはステンドグラスは一切使われず、祭壇の位置にはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のレプリカなどが飾られ、豪華なシャンデリアが吊られてあります。
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教会の内部は宗教施設としての役目を終えています。北キプロス辺りの打ち捨てられた教会を思い出します。昔のハルピンに関わる写真や模型も展示されています。
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我々の宿泊した龍門貴賓楼酒店の写真もありました。驚くほど現在と変わっていいないので、大通りに面した泊まった部屋も分かります。
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この8年後に2人でモスクワの赤の広場に立つことが出来ました。
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近くにいた人にお願いして2人の記念写真を撮っていただきました。これが翌年の年賀状の写真に決定です。これで年末に悩まなくて済みます。
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「中央大街」に戻って続きの建築を見ていきます。こちらは「旧ユダヤ国民銀行」1923年 に竣工した建物です。
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「旧イー・グレヴィッチ商店」は1921年の建物です。
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ここまで来てお腹が空いてきたのでお昼にすることにしました。ガイドブックに載っていたロシア料理の「華梅西餐庁」(旧マルス)はこんなファサードでした。よく見るとモデルンホテルが映り込んでいます。
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瀋陽で行った回教のレストラン以上にロシア料理の中国語メニューは理解できません。廻りの人はほぼ全員がナポリタンスパゲティを注文していますが、美味しそうではないし食べたくないので注文が出来ません。漢字からイマジネーションを広げ注文するしかありません。
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「紅菜湯」我々の想像ではボルシチでしたがキャベツスープでした。
よく考えたら紅菜ってトマトでしたが、さっぱりして美味しかったです。 -
「俄羅斯肉餅」ロシア風の肉餅・・・これはピロシキだ!と思ったらハンバーグのようなものでした。これも美味しい!
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「俄羅斯沙拉」ロシア風サラダ。これは分かりましたがどんなサラダかと楽しみでした。オリヴィエ・サラダが出てきたのでこれは正解でした。ポテトとゆで卵と叉焼をサイの目に切ったようなものが入っていて胡椒が効いてスパイシーで美味しい!
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パンが欲しくなったので隣のテーブルを指差して持ってきてもらいます。哈爾濱のパンは中国でも美味しい部類に入ると思います。
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「牛排椒」は想像していた通りの料理でした。妻は「絶対ステーキよ!ステーキよ!」と念仏のように唱えていましたから。バター風味が効いていてずっと中華味に染まっていた胃袋が引きつりそうになるほどの美味しさでした。
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2階のインテリアが美しいとガイドブックに書いてあったので入店時に2階で食事したいと申し出ましたが、お昼時を過ぎていたので使っていませんでした。折角なので覗きに行くと店の女の子が食事中でした。私の姿を見ると二言三言言いながら席を立ってカウンターに入っていきます。
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何だろうと思っていると真っ暗だった店内に明かりが灯りました。
手にしていたカメラを見て「写真撮るなら電気をつけますよ。」と言ってくれていたようです。食事の邪魔をしたのに電気を点けてくれるなんてと思い、お礼とお詫びを言って席に戻りました。 -
豪華な2階に比べ1階は不思議なレイアウトです。後で考えるに真ん中はダンスでもするスペースだったのではと思いました。そうでもないと納得がいきません。見ての通り食事をするなら2階のほうが良いと思います。
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ロシア料理のレストランの正面が「馬迭爾賓館(モデルンホテル)」です。本当はここにも1泊したいなと思っていたのですが、予定が合わずに削除してしまいました。趣のある建物ですが1階はいきなりレストランになっています。中央大街側は歩行者天国で車が着けられないので、脇に入り口を移したたそうです。
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「馬迭爾賓館(モデルンホテル)」は1906年にロシア人が開いた哈爾濱で初の豪華ホテルです。中央大街の真ん中にある有名なクラシックホテルで、エドガー・スノーや愛信覚羅溥儀や郭沫若や宋慶齢も泊まったことがあるそうです。
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今回ヤマトホテルを訪ねるというテーマが無ければ絶対に泊まりたいホテルでした。何よりも中央大街は夜遅くまでにぎわっているからです。
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次に哈爾濱に来るとすれば冬の氷祭りの時だと思います。その時は必ずここに泊まると決めました。
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併設された喫茶室の写真を撮ろうと思ったら人が横切りました。おばさん邪魔だよと思ったら妻でした。
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このアイスクリームの店は1日中混雑していましたので、太陽島に行った帰りに立ち寄ることにしました。
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中央大街もだいぶ進みましたがまだまだ先は長いようです。
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緑色の建物は「道里秋林(チューリン)洋行」の建物で1910年に竣工しています。フランス籍のユダヤ人であるサムソノフスキー兄弟の創設した商会でしたが、1915年に南崗区にある秋林商行で大成功を収めたロシアの富豪イワン・チューリンが買い取り、秋林洋行道里支店を開設しました。1937年以降は何度か持ち主が変わりますが、それ以降1945年以前はソ連が管理して1953年に中国に移管されます。
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こちらは「万国洋行」の建物です。通りの途中にあるので奥へ引き込むようなデザインが面白いです。
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「露西亜(ロシア)」というカフェはちょっと覗いておいて、帰りに寄ることにしました。
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「哈爾濱防洪紀念塔」は1957年に発生した大洪水を乗り越えた記念として、1958年に造られた記念碑です。1997年にはロシアのエリツィン大統領が訪れたことでも知られています
「海抜120.3m」と刻まれているのは、1957年に起きた大洪水の最高水位を示しています。松花江の近くにあるハルビンの街の歴史を知ることができる観光スポットです。 -
観光客のいる塔の正面には噴水があり、ハルビン市民の勇気と知恵を称えています。「水を恐れることなく、末長く栄え、幸せを市民が創造する」という願いが込められています。
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中央大街はからこの辺りまでは少し暑いくらいでしたが、松花江の川辺に近づいた途端に風が強くなり肌寒くなりました。
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太陽島へ渡る船の往復10元のチケットを客引きのおじさんから買いましたが、集票処で買っても同じ値段なので儲けはあるのでしょうか?
船のチケットもぎりのおじさんもポーズをとってくれました。 -
松花江を渡る船着き場はいくつもあるようで、何艘もの船が行き来しています。
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松花江の満州鉄路橋を渡る列車が見えました。我々が今回の旅でこの橋を渡って北に向かうことはありません。このまま300キロも北に向かえばロシアとの国境があります。いつかロシアの鉄道の旅をしてみたいなとそんな想いで列車を見送ります。
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出航時間は特に決まっていないと言うことは席がある程度埋まらないと出航しないようでした。まあ急ぐ旅では無いので、他のお客が来るのを待ちます。
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いくつも埠頭がありますが行き先もどこか分かりません。太陽島に行くのは間違いありませんが。
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ロシアから来た観光客の団体さんがやってきて、途端に船の中が賑やかになりました。
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ようやく出航しました。
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冬はここが全面凍結して歩いて渡れるのですから余程寒いのでしょう。また、この松花江の川下にはロシアのハバロフスクがあります。ウラジオストックも南東の方向なので、ずいぶん北まで来たなと思います。
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川岸には瀟洒な建物や船のレストランが並んでいます。この船は一度大きくロープウェイの下を通って対岸の太陽島の埠頭に停泊しました。太陽島は松花江の川の中の大きな中州のような場所です。
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「俄羅斯風情小鎮」の入口にはこんな人形が置かれてありました。隠れなくても痩せて見えますよ。もう夕方だし面白そうでもないので中には入りませんでした。
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生き別れていた姉との再会です。この後数年もするとどんどんお姉さんに似てきました。
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テーマパークに入らなくても昔のロシア人の別荘がたくさん残っていました。その多くはレストランやカフェになっているようでした。
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ロシア語でダーチャはダーチ(与える)という動詞に由来し名詞で、ダーチャは与えられたものを意味します。これは1700年代にピョートル大帝が庭園付き別荘を家臣の貴族たちに下賜したことに由来しますが、現在のような大衆的ダーチャは第2次世界大戦中から大戦後の食糧不足の対策として、市民に対し土地を与えるようになったそうです。1960年代にフルシチョフ政権が1家族に最低600ソートック(平米)の土地を与えるよう法制化しています。
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太陽島は初めロシア人の別荘地で、20世紀初頭の東清鉄道の建設により中国に居住している多くの外国人が次々とハルビンに来ました。彼らは地形に高低の起伏があり、川の流れが縦横の網状になっている太陽島が避暑にふさわしいことに気付き、多くの別荘を建てたそうです。
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家族とともにここで野外での食事をしたり【野餐】、野外での遊び【野游】や野外での水浴び【野浴】などを好み、これらはエキゾチックな生活習慣となり、太陽島のみならずハルビン全体の一種の文化現象にもなりました。太陽島の【三野】の風情と称されました。
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ロシア風のガゼボがあったので少し休憩しました。
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ロシアの場合はガゼボと呼んだ方が良いのかキオスクと呼んだ方がいいのでしょうか?
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島の中には貸し自転車もあり、元気な中国の若者が走っていました。更に先には有料の「太陽島公園」もありますが時間も無いので今回はパスします。次に哈爾濱に来るときは氷祭りだと思いますが、その会場はこの太陽島になります。
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河岸からは対岸のハルピンの町が見渡せます。ロープウェイもありますが往復100元と日本人にとっても高いです。
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往路と別の船着き場から乗った帰りの船は3元でした。先に買った半券は使えましたが2元損してしまいました。
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帰りも「中央大街」を通りましたが、思ったほどライトアップはしていませんでした。秋林公司の出店のパン屋さんがあったのでいくつか買いました。焼き立てが1個2元と安さにビックリします。多少甘いパンで、紅腸もありましたが買いませんでした。
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まだ時間もあったので「露西亜」でお茶を飲むことにしました。珈琲が18元でロシアンティーが12元とお手ごろな値段でした。
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ロシアンティーとはロシア圏での紅茶の飲み方のことをいいます。 昔砂糖が大変貴重なものだった時代に、砂糖の代わりに完熟果実から作ったジャムを舐めながら濃い目の紅茶を飲んだのが、ロシアンティーのはじまりだそうです。
ロシアでは紅茶をティーポットでかなり濃く煮出し、ティーカップ半分ほどまで注ぎます。そこにサモワールという湯沸かし器から熱湯を加えて紅茶の濃さを調整します。そしてジャムを舐めながら紅茶をいただくのが本場ロシアの「ロシアンティー」です。 -
日本では紅茶の中に直接ジャムを入れるの見方がロシアンティーと思われていますが、これはウクライナやポーランドの飲み方だそうです。ロシアでそれをやらないのは、ジャムを直接紅茶に入れると紅茶の温度が下がって冷めてしまい、体を温めることができないからだそうです。
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夜の「中央大街」の様子です。写真で見ると綺麗ですが実際の肉眼ではもっと薄暗い印象です。変なイルミネーションなどが無いので中国的ではありません。
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「馬迭爾賓館(モデルンホテル)」まで戻ってきました。
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驚くことにホテルの2階がステージになりライブが楽しめます。
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「馬迭爾冷餐庁」は空いていたので入ることにしました。
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最初に奥のカウンターでお金を払って、おばさんにチケットを渡してカップに盛ってもらいます。1カップ15元と意外に高いです。ラムレーズンのように見えますが、バニラに小豆が入っています。とっても美味しい濃厚な小倉アイスです。
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妻は疲れすぎて壊れてきました。
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さあ帰ろうと思ったら後ろから「お金。お金。」と声がかかります。
今アイス食べ終わったところなのに表で売っているアイスも食べるようです。 -
往時のモデルンホテルのエントランスは西洋料理のレストランになっています。
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有名なアイスキャンディーなので寒いけど食べることにしました。前は1本1元だったようですが今は2元です。
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さっきまで「寒い。寒い。」と言っていたのにげんきんなものです。
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西十四道街を曲がって聖ソフィア大聖堂に向かいます。ライトアップがきれいだろうと思ったからです。
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マイカルも中国資本になっていますが、1階はエルメスなど超一流ブランドショップになっています。
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広場では中秋節を翌々日に控えて月餅の販売に熱が入り、特設ステージでは歌と踊りのショーが催されています。テレビ局も中継に入っているほどです。
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全く知らない歌手ですし、立ち止まっていると寒いので先を急ぎます。
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聖ソフィア教会の広場に到着しましたが、昼間より綺麗な広場に変わっていました。
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ほとんど丸い朧月(おぼろづき)をバックに聖ソフィア大聖堂は美しくライトアップされていました。
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ライトアップのおかげで煉瓦の積み方までがきれいに見えました。
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とても美しい姿を眺めていたら、モスクワの赤の広場を見てみたいと言う思いが湧いてきました。
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これだけ美しく保ちながら聖堂としての役目を終えているのが残念です。もっともロシア人の住人は多くないのでしょう。
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夜景を見る人の数も少なく、もったいない気がしました。
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裏側から見上げても美しい姿なのはラテン十字の形をしているからだと思います。
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広場の一部は床に噴水が仕込まれ、日中にも水が出ていたようです。そのため美しい聖堂が路面の水に映り込んでこの世の物とは思えない美しさでした。
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イチオシ
今回の旅の最後にこの夜景を見る事が出来て大満足です。そろそろホテルに戻り夜行列車に乗る準備をしましょう。
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「中央大街」から大通りに出てタクシーで戻ろうと考えていましたが、これがまた全く捉まりません。困り果てているとお客を乗せた車が止まり、話しかけられたので龍門酒店貴賓楼と書いた紙を見せました。すると2人は「乗っていいよ。」と。後部座席に座るといろいろ話しかけられますが全く分かりません。「日本人だ。」と言うと「あぁ。」と納得されます。ホテル近くに着いて通りの反対側でしたが「ここで降りますよ。」と言うと「いいからいいから。」と大回りしてホテルの前に車をつけてくれました。
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2人は「再見!」と手を振りながら来た道を引き返していきます。先に乗っていたお客さんにとっては遠回りだったのだと思います。本当に今回も親切な方々に助けられて気持ち良く旅が出来たと感謝です。料金も初乗り分だけ受け取って去っていきました。
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ホテルのレストランで晩御飯と思っていましたが、閉まっていたので通りの反対側の「李先生」というチェーン店で軽い食事を取りました。ビールにきゅうりのタタキ、チキン面で腹ごしらえして出発です。
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入口を探していたら軟座用の待合室があったので、チケットを見せると中に入れてくれました。ソファが気持ち良いのですが、完備されているのトイレのアンモニア臭さがたまりませんでしたので離れたところに座りました。
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知らぬ間に荷物が倍くらいになっていました。出発の10分前になってようやく出札になり、荷物をガラガラ牽いて階段を登ると列車が待っています。コンバートメントを見つけて扉を開けるとロシア人の体格の良いご夫婦が先に入っていました。哈爾濱が始発ではなく、北から来た列車なのだと分かりました。
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扉がついてセキュリティは良いですが、軟臥の4人部屋では息が詰まりそうでした。言葉は全く通じませんが着替えるから席を外してとか寝ますとかはゼスチャーを交えて意志は通じました。こうやってロシア人の人と同室になると中国東北部はロシアに近いのだなと実感しました。
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1週間かけて旅したルートでしたが、寝ている間に長春も瀋陽も通り過ぎて定刻に大連に着きました。妻にとっては海外で初めての寝台列車の経験でした。私もイスタンブールからアンカラ経由でカッパドキアに行ったとき以来です。
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空港に行くまでに時間があったのでマッサージに行って着替えるか、最後に海鮮を食べるか迷いましたが、行き先はタクシーの運転手が決めてくれました。按摩の店の住所を見せても運転手は乗せてくれませんでした。仕方ないので「天天漁港」の住所を見せると乗せてくれました。ここは朝9時から開いているので安心です。
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ほぼ開店と同時に店に入ったので、従業員の朝礼を見ることが出来ました。日本語を話す店員さんがいたのでおすすめを尋ねながら料理を決めることが出来ました。今日は前から気になっていたアサリ炒め。葱と生姜が効いてとても美味しいです。
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早朝から大連を堪能しています。今回2回目の「天天漁港」ですが、1週間シーフード食べていないので懐かしいです。
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雲丹は生のままワサビ醤油でいただきました。
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我が家は「白灼蝦」(バイジュオシャー)は絶対に外しません。
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帆立も大連の名物なので、バター焼きにしてもらいました。大満足の朝ご飯を頂きました。。ここまではよかったのですが、ここでも問題発生です。またタクシーが捉まりません。店の駐車係のお兄さんが2人がかりで20分かけてようやく捉まえてくれました。空港など行く人はいないだろうし、大荷物では相乗りも出来なかっただろうから助けてもらえなかったらどこかホテルまで行かなければならないところでした。
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無事に大連周水子空港に到着しました。日本に帰るまで尖閣諸島の問題は全く知りませんでした。困るといつものように「リーベンレン!リーベンレン!」を連発していましたが、みなさん親切にしてくださいました。本当に感謝感謝です。また近いうちに中国を訪れたいと思います。旅行記のアップと平行して浅田次郎氏の本当の「マンチュリアン・リポート」を読んでいますが、北京を始め自分が旅してきた所が舞台なのでより深く情景が浮かんできます。本当は旅先で読みたいと思ったのですが発売日がちょうど瀋陽辺りをうろついている頃でした。まあ持って行っても読めなかったと思います。妻も司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を持って行きましたが本を開いている姿は一度も見掛けませんでしたから。
以上、満州報告書を終わります。
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