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日本百名城の一つ、岐阜城紹介の続きです。天守閣続いて、城内の展示品の紹介です。

2009秋、日本百名城・岐阜城(3/7):天守閣、展示品(刀、槍、鏃、火縄銃、大砲)

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2009/10/31 - 2009/10/31

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旅人のくまさん

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日本百名城の一つ、岐阜城紹介の続きです。天守閣続いて、城内の展示品の紹介です。

交通手段
高速・路線バス JRローカル
  • 干支で時刻を表した古い時計です。昼時の午の刻を指しています。

    干支で時刻を表した古い時計です。昼時の午の刻を指しています。

  • これも正門前にあった古い石碑です。風化していますが、壁面の金華山・海抜高三二八米や面積などの文字が読み取れます。現在の海抜表示(329m)とは少し違うようです。

    これも正門前にあった古い石碑です。風化していますが、壁面の金華山・海抜高三二八米や面積などの文字が読み取れます。現在の海抜表示(329m)とは少し違うようです。

  • 票席の上の部分です。こちらには方角が干支と東西南北で記してありました。子(ね)の方角が北、酉(とり)の方角が西等です。

    票席の上の部分です。こちらには方角が干支と東西南北で記してありました。子(ね)の方角が北、酉(とり)の方角が西等です。

  • 真下から見上げた岐阜城天守閣です。岐阜城は、慶長6年に廃城となり、天守閣・櫓などは取壊されて加納城に移築された経緯を持ちます。

    真下から見上げた岐阜城天守閣です。岐阜城は、慶長6年に廃城となり、天守閣・櫓などは取壊されて加納城に移築された経緯を持ちます。

  • 同じく真下から見上げた岐阜城天守閣です。全座位の建物は昭和31年(1956年)の再建ですが、その後の改築工事で建ったばかりのお城に見えます。

    同じく真下から見上げた岐阜城天守閣です。全座位の建物は昭和31年(1956年)の再建ですが、その後の改築工事で建ったばかりのお城に見えます。

  • 正面に向かって右側の軒先光景です。垂木に木材は使われていませんが、漆喰を思わせる白い仕上げになっています。

    正面に向かって右側の軒先光景です。垂木に木材は使われていませんが、漆喰を思わせる白い仕上げになっています。

  • 天守閣の壁にあった案内看板です。記されているのは岐阜城由来です。鎌倉時代の建仁元年(1201年)、幕府の執事の二階堂氏が築いた砦に始まるとされます。

    天守閣の壁にあった案内看板です。記されているのは岐阜城由来です。鎌倉時代の建仁元年(1201年)、幕府の執事の二階堂氏が築いた砦に始まるとされます。

  • 正面に向かって左側の二段の軒先光景です。この地を訪れたフロイスの書簡により、当時、世界に知られるお城となりました。

    正面に向かって左側の二段の軒先光景です。この地を訪れたフロイスの書簡により、当時、世界に知られるお城となりました。

  • お城の格子窓のアップです。弓狭間を兼ねた構造でしょうか。金色の飾りが、モノクロのお城のアクセントになっています。

    お城の格子窓のアップです。弓狭間を兼ねた構造でしょうか。金色の飾りが、モノクロのお城のアクセントになっています。

  • お城の下部のコーナーのアップです。少しオーバーハングに造られていますが、石落しの構造ではないようです。

    お城の下部のコーナーのアップです。少しオーバーハングに造られていますが、石落しの構造ではないようです。

  • 石積の構造はよく分かりませんが、昭和31年の天守閣再建の際には、石垣内部の補強工事が大々的に行われたようです。

    イチオシ

    石積の構造はよく分かりませんが、昭和31年の天守閣再建の際には、石垣内部の補強工事が大々的に行われたようです。

  • 正面入口に右側の軒下光景です。北面になるようです。壁の表面だけは木材が使われていました。

    正面入口に右側の軒下光景です。北面になるようです。壁の表面だけは木材が使われていました。

  • 天守閣の石垣です。廃城になり、天守閣は取り壊されたものの、石垣はそのまま残ったようです。山の上では、持ち去る人もいなかったようです。

    天守閣の石垣です。廃城になり、天守閣は取り壊されたものの、石垣はそのまま残ったようです。山の上では、持ち去る人もいなかったようです。

  • これから先は岐阜城内の展示品の紹介です。長良川河畔の夜景写真です。手前から下流に向かって長良橋、金華橋、忠節橋の順です。

    これから先は岐阜城内の展示品の紹介です。長良川河畔の夜景写真です。手前から下流に向かって長良橋、金華橋、忠節橋の順です。

  • 同じく長良川河畔の夜景写真です。川より北側の光景です。右端に見えるのは鵜飼い大橋です。

    同じく長良川河畔の夜景写真です。川より北側の光景です。右端に見えるのは鵜飼い大橋です。

  • 江戸時代の脇差(短腰刀)です。表の銘が陸奥守藤原、裏の銘が兼信と記されています。陸奥守藤原兼信は、関の有名刀工『兼元』に似た三本杉刃文を焼くことで有名な刀工です。

    イチオシ

    江戸時代の脇差(短腰刀)です。表の銘が陸奥守藤原、裏の銘が兼信と記されています。陸奥守藤原兼信は、関の有名刀工『兼元』に似た三本杉刃文を焼くことで有名な刀工です。

  • 江戸時代の小柄(こづか)です。銘は記されていません。家紋のような飾りがあります。

    江戸時代の小柄(こづか)です。銘は記されていません。家紋のような飾りがあります。

  • 江戸時代の短刀です。小柄よりは大きな刃物です。銘はありません。刀身だけです。

    江戸時代の短刀です。小柄よりは大きな刃物です。銘はありません。刀身だけです。

  • 室町時代の脇差(短腰刀)です。銘はありません。柄も鞘もありますが、刀身だけ外して展示してありました。

    室町時代の脇差(短腰刀)です。銘はありません。柄も鞘もありますが、刀身だけ外して展示してありました。

  • 江戸時代の鏃です。左の5本が柳茎形鉄鏃、次の3本が平根形鉄鏃、一番右の1本がじょうのお形鉄鏃です。

    江戸時代の鏃です。左の5本が柳茎形鉄鏃、次の3本が平根形鉄鏃、一番右の1本がじょうのお形鉄鏃です。

  • 火縄銃(火縄式銃砲)の銃身です。台尻の部分はありません。

    火縄銃(火縄式銃砲)の銃身です。台尻の部分はありません。

  • 江戸時代の火縄銃(火縄式銃砲)の銃身です。台尻の部分はありません。

    江戸時代の火縄銃(火縄式銃砲)の銃身です。台尻の部分はありません。

  • 戦国時代の大砲です。大砲としては、可愛らしい大きさです。赤い敷物の上に鉄球が展示されています。戦国時代では、恐ろしい武器だったことでしょう。

    戦国時代の大砲です。大砲としては、可愛らしい大きさです。赤い敷物の上に鉄球が展示されています。戦国時代では、恐ろしい武器だったことでしょう。

  • 狼煙筒と狼煙球のセットです。いずれもレプリカです。筒は木製で、鉄バンドで補強がしてあります。

    狼煙筒と狼煙球のセットです。いずれもレプリカです。筒は木製で、鉄バンドで補強がしてあります。

  • 火縄銃(火縄式銃砲)の2種類です。

    火縄銃(火縄式銃砲)の2種類です。

  • 江戸時代の直槍です。一番下の槍は、刺すだけでなく、振り払って斬りつける形状のようです。

    江戸時代の直槍です。一番下の槍は、刺すだけでなく、振り払って斬りつける形状のようです。

  • 江戸時代の直槍の全景です。一番下の槍には、笹穂槍の名前が付いていました。

    イチオシ

    江戸時代の直槍の全景です。一番下の槍には、笹穂槍の名前が付いていました。

  • 室町時代の脇差(短腰刀)です。表銘は尾州長船祐定作です。当時の名刀工とされます。

    室町時代の脇差(短腰刀)です。表銘は尾州長船祐定作です。当時の名刀工とされます。

  • 江戸時代の脇差(短腰刀)です。表の銘が尾州犬山住大蔦道幸作(包丁正宗)、裏の銘が慶応三年卯二月吉日と記されています。

    江戸時代の脇差(短腰刀)です。表の銘が尾州犬山住大蔦道幸作(包丁正宗)、裏の銘が慶応三年卯二月吉日と記されています。

  • 室町時代の脇差(短腰刀)です。裏銘は阿州海部住氏吉作と記されています。

    室町時代の脇差(短腰刀)です。裏銘は阿州海部住氏吉作と記されています。

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