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この日も「北京散歩」の姜さんの運転で北京市内の観光です。気分は従兄と一緒に旅行しているような感じです。午前中は「円明園」と「頤和園」の観光に行きました。円明園はアヘン戦争の時にどのように破壊されたのかとても興味がありました。まるでローマかギリシャの遺跡のような姿になっていました。とても修復できるような感じはしませんでしたが、傍らに置かれた模型を見ると往年の姿を想像することは出来ました。横にある東屋を中心にした「万花陣」という迷路はとても面白い物でした。唯一完全な姿で残っている夏の離宮の往年を想像させる遺構です。頤和園は昆明湖も含めてよくもこんな広大な物を造ったと感心するしかありません。東宮門から入ると仁寿殿を中心とした宮殿区が見えてきました。仁寿殿は皇帝が政務を執る所で、玉瀾堂は西太后が光緒帝を幽閉した所です。外観は一見すると周囲の建物と変わりがありませんが、窓の内側には鉛色の煉瓦が積み上げられ外部と遮断されています。これには胸が詰まりました。気分転換に昆明湖のほとりに出て、長廊を歩きました。園の中の有名な宮廷料理屋も予約無しに行ってみましたが、ちょうどテーブルが空いていて入れたのもラッキーでした。山頂からの眺めは皇帝になった気分で眺めましたが、裏側の蘇州園に行くと乾隆帝の心の表裏を見た気がしました。帰りは昆明湖から続く運河を市内までクルーズしました。後年蘇州から杭州までを運河クルーズしましたので、途中は省略していますが一応京杭運河を制覇した事になります。

北京美食之旅(8)円明園から頤和園を巡り、宮廷料理を楽しんだ後は昆明湖から運河クルーズで市内へ戻る。

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2004/10/03 - 2004/10/09

3348位(同エリア5153件中)

旅行記グループ 2004 北京美食の旅

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kojikoji

kojikojiさん

この日も「北京散歩」の姜さんの運転で北京市内の観光です。気分は従兄と一緒に旅行しているような感じです。午前中は「円明園」と「頤和園」の観光に行きました。円明園はアヘン戦争の時にどのように破壊されたのかとても興味がありました。まるでローマかギリシャの遺跡のような姿になっていました。とても修復できるような感じはしませんでしたが、傍らに置かれた模型を見ると往年の姿を想像することは出来ました。横にある東屋を中心にした「万花陣」という迷路はとても面白い物でした。唯一完全な姿で残っている夏の離宮の往年を想像させる遺構です。頤和園は昆明湖も含めてよくもこんな広大な物を造ったと感心するしかありません。東宮門から入ると仁寿殿を中心とした宮殿区が見えてきました。仁寿殿は皇帝が政務を執る所で、玉瀾堂は西太后が光緒帝を幽閉した所です。外観は一見すると周囲の建物と変わりがありませんが、窓の内側には鉛色の煉瓦が積み上げられ外部と遮断されています。これには胸が詰まりました。気分転換に昆明湖のほとりに出て、長廊を歩きました。園の中の有名な宮廷料理屋も予約無しに行ってみましたが、ちょうどテーブルが空いていて入れたのもラッキーでした。山頂からの眺めは皇帝になった気分で眺めましたが、裏側の蘇州園に行くと乾隆帝の心の表裏を見た気がしました。帰りは昆明湖から続く運河を市内までクルーズしました。後年蘇州から杭州までを運河クルーズしましたので、途中は省略していますが一応京杭運河を制覇した事になります。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
タクシー 徒歩
航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • 乾隆帝の時代には、円明園の東に長春園、南東に綺春園(万春園)が設けられます。長春園の北側には、イエズス会士のブノワやカスティリオーネらが設計にかかわった噴水が設けられ、西洋風の建物や西洋楼が建てられます。嘉慶帝の時代にも大規模な修築が行われ、揚州から最高級の建具が取り寄せられ、文源閣には四庫全書の正本が収めらます。

    乾隆帝の時代には、円明園の東に長春園、南東に綺春園(万春園)が設けられます。長春園の北側には、イエズス会士のブノワやカスティリオーネらが設計にかかわった噴水が設けられ、西洋風の建物や西洋楼が建てられます。嘉慶帝の時代にも大規模な修築が行われ、揚州から最高級の建具が取り寄せられ、文源閣には四庫全書の正本が収めらます。

  • アロー戦争(第二次アヘン戦争)の際に北京までフランスとイギリス連合軍が侵入し、フランス軍が金目のものを全て略奪してしまいます。遠征軍司令官エルギン伯の命を受けたイギリス軍が「捕虜が虐待されたことに対する復讐」として徹底的に破壊して円明園は廃墟となります。

    アロー戦争(第二次アヘン戦争)の際に北京までフランスとイギリス連合軍が侵入し、フランス軍が金目のものを全て略奪してしまいます。遠征軍司令官エルギン伯の命を受けたイギリス軍が「捕虜が虐待されたことに対する復讐」として徹底的に破壊して円明園は廃墟となります。

  • 長春園北側の西洋楼庭園の海晏堂前の噴水時計に設置されていた十二支像がこの時破壊され略奪されたとされますが、実際には被害を免れ移設されたそうです。1930年ごろに北京近郊でこの12の像の写真が撮影されており、その後首を切断され流出したものと考えられる。

    長春園北側の西洋楼庭園の海晏堂前の噴水時計に設置されていた十二支像がこの時破壊され略奪されたとされますが、実際には被害を免れ移設されたそうです。1930年ごろに北京近郊でこの12の像の写真が撮影されており、その後首を切断され流出したものと考えられる。

  • この十二支の像は「円明園十二生肖獣首銅像」と呼ばれ、ジャッキー・チェンの「ライジング・ドラゴン」という映画のモチーフにもなっています。

    この十二支の像は「円明園十二生肖獣首銅像」と呼ばれ、ジャッキー・チェンの「ライジング・ドラゴン」という映画のモチーフにもなっています。

  • 略奪された円明園の3つの牛首と猴首と虎首と呼ばれる銅像のほか、2012年までに馬首と猪首も保利集団が買い戻し、どれも保利芸術博物館に展示されています。

    略奪された円明園の3つの牛首と猴首と虎首と呼ばれる銅像のほか、2012年までに馬首と猪首も保利集団が買い戻し、どれも保利芸術博物館に展示されています。

  • 現在の中国の国力を考えるとすぐに修復できるのだと思いますが、あえてしないのではないかと思いました。

    現在の中国の国力を考えるとすぐに修復できるのだと思いますが、あえてしないのではないかと思いました。

  • 円明園の中にある「万花陣 」を最初に見た時は何かと思いました。完璧な中国風の迷路なんて物を見たのは後にも先にもこれだけです。

    円明園の中にある「万花陣 」を最初に見た時は何かと思いました。完璧な中国風の迷路なんて物を見たのは後にも先にもこれだけです。

  • 妻と競争して中央の東屋を目指します。

    妻と競争して中央の東屋を目指します。

  • 迷路の高さはそんなに高くないのですが、かえってなかなか進めない感じがします。

    迷路の高さはそんなに高くないのですが、かえってなかなか進めない感じがします。

  • 到着しました。このときつ使っていたCANONのEOSがパノラマのボタンを誤って押しやすく、撮りたくもないアングルの写真がたくさん残っていました。

    到着しました。このときつ使っていたCANONのEOSがパノラマのボタンを誤って押しやすく、撮りたくもないアングルの写真がたくさん残っていました。

  • 結構たくさんの方がレンガの壁の中を楽しそうに迷子になっています。一見煉瓦を積んだだけのように見えますが、壁の装飾も凝ったものです。

    結構たくさんの方がレンガの壁の中を楽しそうに迷子になっています。一見煉瓦を積んだだけのように見えますが、壁の装飾も凝ったものです。

  • 置いてきぼりにされてしまったおばさんが一人。

    置いてきぼりにされてしまったおばさんが一人。

  • 円明園から一度車に戻って頤和園に移動しました。観光ルートとしては万寿山を上って、蘇州街へ降りた出口で待ち合わせをします。お昼もこの中で食べる予定なので、4時間後にピックアップをお願いしました。ここも国慶節の休み中なのですごい人出でした。東宮門から入ると仁寿殿を中心とした宮殿区が見えてきます。仁寿殿は皇帝が政務を執る所で、玉瀾堂は西太后が光緒帝を幽閉した所です。

    円明園から一度車に戻って頤和園に移動しました。観光ルートとしては万寿山を上って、蘇州街へ降りた出口で待ち合わせをします。お昼もこの中で食べる予定なので、4時間後にピックアップをお願いしました。ここも国慶節の休み中なのですごい人出でした。東宮門から入ると仁寿殿を中心とした宮殿区が見えてきます。仁寿殿は皇帝が政務を執る所で、玉瀾堂は西太后が光緒帝を幽閉した所です。

  • 玉瀾堂の建物は外観は一見すると周囲の建物と変わりがありませんが、窓の内側には鉛色の煉瓦が積み上げられ外部と遮断されています。光緒帝はこの中でどんな思いで過ごしたのでしょう。大清光緒年製の磁器をいくつか持っているので、清の最後であるこの時代には思い入れが強いです。

    玉瀾堂の建物は外観は一見すると周囲の建物と変わりがありませんが、窓の内側には鉛色の煉瓦が積み上げられ外部と遮断されています。光緒帝はこの中でどんな思いで過ごしたのでしょう。大清光緒年製の磁器をいくつか持っているので、清の最後であるこの時代には思い入れが強いです。

  • いろいろなことを感じながら「長廊」を歩くと「佛香閣」が望めました。乾隆帝は「燕山の何処が最も情があり、無双の風月が昆明に属する」とこの庭園を賛美したそうです。

    いろいろなことを感じながら「長廊」を歩くと「佛香閣」が望めました。乾隆帝は「燕山の何処が最も情があり、無双の風月が昆明に属する」とこの庭園を賛美したそうです。

  • 「昆明湖」は約220ヘクタールにも広がる湖で、庭園の全体の四分の三を占めています。湖には遊覧船やボートが行き交います。この当時から電動ボートがポピュラーでした。この昆明湖は杭州にある西湖を模して作られとされる人造湖で、この湖を掘った残土で万寿山を築いています。冬場には凍結してアイススケートも出来るそうで、義妹は学生時代にこの湖でスケートをして、氷が割れて水に浸かって寒い思いをしたと言っていました。

    「昆明湖」は約220ヘクタールにも広がる湖で、庭園の全体の四分の三を占めています。湖には遊覧船やボートが行き交います。この当時から電動ボートがポピュラーでした。この昆明湖は杭州にある西湖を模して作られとされる人造湖で、この湖を掘った残土で万寿山を築いています。冬場には凍結してアイススケートも出来るそうで、義妹は学生時代にこの湖でスケートをして、氷が割れて水に浸かって寒い思いをしたと言っていました。

  • 万寿山へ上る途中に宮廷料理で有名な店があります。頤和園は共産党の革命聖地とされ1949年に中央党校が設置されます。その後も毛沢東の4番目の妻である江青女史などがここに住んだそうです。

    万寿山へ上る途中に宮廷料理で有名な店があります。頤和園は共産党の革命聖地とされ1949年に中央党校が設置されます。その後も毛沢東の4番目の妻である江青女史などがここに住んだそうです。

  • 文字化けしてしまうので書けませんが店の名前です。「聴麗鳥館」麗偏に鳥で「り」と読み、中国に生息する鶯のことだそうです。<br />

    文字化けしてしまうので書けませんが店の名前です。「聴麗鳥館」麗偏に鳥で「り」と読み、中国に生息する鶯のことだそうです。

  • 食事した建物には扁額が掛かり「金糸秀華」とありました。西太后は自分の陵墓の陵恩殿を全て銘木の「金絲楠木」と「花梨」で建て替えたくらい好きなので、西太后に由来する建物なのかもしれません。

    食事した建物には扁額が掛かり「金糸秀華」とありました。西太后は自分の陵墓の陵恩殿を全て銘木の「金絲楠木」と「花梨」で建て替えたくらい好きなので、西太后に由来する建物なのかもしれません。

  • ようやくお昼になりました。予約していなかった高級店なので食事できないかと思いましたが、以外にも「どうぞ。」と案内されました。周辺はすごい人ですが、この店の中は別の空気と時間が流れているようでした。

    ようやくお昼になりました。予約していなかった高級店なので食事できないかと思いましたが、以外にも「どうぞ。」と案内されました。周辺はすごい人ですが、この店の中は別の空気と時間が流れているようでした。

  • 1人200元(2,600円)のコースを注文しましたが、これで2人分と思うほどの量です。前菜のクラゲの酢の物から始まって、まずは大皿4皿が出てきます。もちろんどれも美味しいです。

    1人200元(2,600円)のコースを注文しましたが、これで2人分と思うほどの量です。前菜のクラゲの酢の物から始まって、まずは大皿4皿が出てきます。もちろんどれも美味しいです。

  • 特にここの海鼠の旨煮は美味しかったです。今でも写真を見ると味とプルンプルンの食感が蘇ります。

    特にここの海鼠の旨煮は美味しかったです。今でも写真を見ると味とプルンプルンの食感が蘇ります。

  • 続いて海老のフリットとスペアリブ見た通りの味でした。

    続いて海老のフリットとスペアリブ見た通りの味でした。

  • このきのこスープも美味しかったです。蓮花の裏に「大清光緒年製」なんて文字を見つけてしまうと、場所が場所だけに「本物?」なんて思ってしまいます。

    このきのこスープも美味しかったです。蓮花の裏に「大清光緒年製」なんて文字を見つけてしまうと、場所が場所だけに「本物?」なんて思ってしまいます。

  • とても2人で食べきれる量ではありませんでしたが頑張りました。

    とても2人で食べきれる量ではありませんでしたが頑張りました。

  • 建物は清朝当時のものですが、部屋のインテリアは意外と普通の中華料理屋さんのようです。料理もおいしかったですがこの店で食事が出来て良かったです。

    建物は清朝当時のものですが、部屋のインテリアは意外と普通の中華料理屋さんのようです。料理もおいしかったですがこの店で食事が出来て良かったです。

  • 昆明湖の畔に石舫がありました。別名「清晏舫」とも呼ばれる全長36メートルのすべて白色の大理石で造られています。もともと上部の建物は中国式の楼閣だったが英仏連合軍の焼き討ちの後の1893年に、慈禧太后が現在のような洋式の楼閣船に建て直した頤和園の中では唯一の洋式建築です。

    昆明湖の畔に石舫がありました。別名「清晏舫」とも呼ばれる全長36メートルのすべて白色の大理石で造られています。もともと上部の建物は中国式の楼閣だったが英仏連合軍の焼き討ちの後の1893年に、慈禧太后が現在のような洋式の楼閣船に建て直した頤和園の中では唯一の洋式建築です。

  • 「排雲殿」は山の地勢に沿って万寿山の南側に建てられ、階段を登っていくと、万寿山の最大の建築物である「佛香閣」にたどり着く。仏香閣は3階建ての建物で、八つの表と4重の軒がある。仏香閣の東には「転輪蔵」と西には207トンの銅を使って造られた「宝雲閣」があります。

    「排雲殿」は山の地勢に沿って万寿山の南側に建てられ、階段を登っていくと、万寿山の最大の建築物である「佛香閣」にたどり着く。仏香閣は3階建ての建物で、八つの表と4重の軒がある。仏香閣の東には「転輪蔵」と西には207トンの銅を使って造られた「宝雲閣」があります。

  • 「佛香閣」は頤和園全体の中心で至高点であり、中国の古い建築楼閣の代表作の一つでもあります。その高さは41メートルで、八面三層四重檐の建築です。扁額にある「雲外天香」は、ここで礼拝の香りが天外まで流れて行き、神霊に悟らせるという意味だそうです。

    「佛香閣」は頤和園全体の中心で至高点であり、中国の古い建築楼閣の代表作の一つでもあります。その高さは41メートルで、八面三層四重檐の建築です。扁額にある「雲外天香」は、ここで礼拝の香りが天外まで流れて行き、神霊に悟らせるという意味だそうです。

  • 「清漪園(頤和園)」は西太后の隠居後の居所とすべく光緒帝の名によりの再建が命令されますが、その造営は日本と軍事的緊張が高まり軍備増強の歳出を必要とする清朝には大きな負担となります。西太后が北洋艦隊を整備する海軍予算を流用していたことで、日清戦争敗北の原因のひとつとなったと言われる程国庫を圧迫するものだったそうです。その修復後に頤和園という名前に変わります。

    「清漪園(頤和園)」は西太后の隠居後の居所とすべく光緒帝の名によりの再建が命令されますが、その造営は日本と軍事的緊張が高まり軍備増強の歳出を必要とする清朝には大きな負担となります。西太后が北洋艦隊を整備する海軍予算を流用していたことで、日清戦争敗北の原因のひとつとなったと言われる程国庫を圧迫するものだったそうです。その修復後に頤和園という名前に変わります。

  • 登っても登っても山頂に着かない気がします。食事をしてお腹いっぱいの後に登るものではないかもしれません。

    登っても登っても山頂に着かない気がします。食事をしてお腹いっぱいの後に登るものではないかもしれません。

  • 「智慧海」は巨大なチベット仏教寺院でした。生まれて初めて見るチベット仏教寺院の外観は瑠璃瓦で覆われた壮麗なものでした。この後に雲南省などでチベット仏教の寺院を数々訪ねましたが、まったく違う印象です。

    「智慧海」は巨大なチベット仏教寺院でした。生まれて初めて見るチベット仏教寺院の外観は瑠璃瓦で覆われた壮麗なものでした。この後に雲南省などでチベット仏教の寺院を数々訪ねましたが、まったく違う印象です。

  • 外壁には一体どれだけの数の仏像で覆われているのでしょう。何を護っているのかは内部には入る事が出来ないのでうかがい知ることはできません。

    外壁には一体どれだけの数の仏像で覆われているのでしょう。何を護っているのかは内部には入る事が出来ないのでうかがい知ることはできません。

  • 万寿山の反対側を下ると「蘇州街」に降りてきまました。今まで見て来た頤和園とは全く違う雰囲気のところです。

    万寿山の反対側を下ると「蘇州街」に降りてきまました。今まで見て来た頤和園とは全く違う雰囲気のところです。

  • 頤和園の中で乾隆帝が最も愛したのが、万寿山の北側に位置する蘇州街です。蘇州の街を頤和園の中に再現しています。乾隆帝が江南地方に行幸した際に蘇州の美しい風景を気に入ったことがきっかけに建造されました。

    頤和園の中で乾隆帝が最も愛したのが、万寿山の北側に位置する蘇州街です。蘇州の街を頤和園の中に再現しています。乾隆帝が江南地方に行幸した際に蘇州の美しい風景を気に入ったことがきっかけに建造されました。

  • 街並みは東西300メートルに渡り、60以上の商店が軒を連ねています。その中には雑貨店や質屋、骨董品店や薬屋、茶楼などがあって、蘇州の街の華やかさを見事に再現しました。

    街並みは東西300メートルに渡り、60以上の商店が軒を連ねています。その中には雑貨店や質屋、骨董品店や薬屋、茶楼などがあって、蘇州の街の華やかさを見事に再現しました。

  • 乾隆帝はこの商店街で、店員に扮した女官や宦官を相手に買い物を楽しんでいたそうです。

    乾隆帝はこの商店街で、店員に扮した女官や宦官を相手に買い物を楽しんでいたそうです。

  • 司馬遼太郎の「中国・江南のみち」の「乾隆帝奇譚」に書かれている話ですが、<br />1981年に銭塘江の海嘯の地を訪れた帰り道に「塩官鎮」という村に立ち寄ります。そこで「陳閣老」の邸宅を見学した際に、案内役の沈先生から「この陳閣老は乾隆帝の実父であった。」という奇説を紹介されたとあります。<br />

    司馬遼太郎の「中国・江南のみち」の「乾隆帝奇譚」に書かれている話ですが、
    1981年に銭塘江の海嘯の地を訪れた帰り道に「塩官鎮」という村に立ち寄ります。そこで「陳閣老」の邸宅を見学した際に、案内役の沈先生から「この陳閣老は乾隆帝の実父であった。」という奇説を紹介されたとあります。

  • 正史に記録される乾隆帝の父は第5代皇帝雍正帝で、帝が雍親王であった時に満族の女性との間に子をもうけますがその子は女子でした。男子を欲していた王は同時期に陳閣老に生まれた男子と自身の女子を取り替えたという説です。ちょっと信じがたい話ですが、乾隆帝が4度の行幸したり、ここに蘇州を再現したと考えるとあながち嘘ではないと思えます。

    正史に記録される乾隆帝の父は第5代皇帝雍正帝で、帝が雍親王であった時に満族の女性との間に子をもうけますがその子は女子でした。男子を欲していた王は同時期に陳閣老に生まれた男子と自身の女子を取り替えたという説です。ちょっと信じがたい話ですが、乾隆帝が4度の行幸したり、ここに蘇州を再現したと考えるとあながち嘘ではないと思えます。

  • 乾隆帝の頃と同じく蘇州街は商店として営業しています。

    乾隆帝の頃と同じく蘇州街は商店として営業しています。

  • 北京に来る前に1度、この旅の後に2度の旅行で蘇州へ旅していますが、現在の蘇州よりよっぽど風情を残しているように思えます。蘇州街をゆっくり楽しんだ後出口で姜さんと合流して昆明湖の湖畔をドライブしました。

    北京に来る前に1度、この旅の後に2度の旅行で蘇州へ旅していますが、現在の蘇州よりよっぽど風情を残しているように思えます。蘇州街をゆっくり楽しんだ後出口で姜さんと合流して昆明湖の湖畔をドライブしました。

  • 昆明湖から流れ出る運河の畔に船着き場があり、姜さんに送ってもらいました。ここから遊覧船で運河クルーズを楽しみました。

    昆明湖から流れ出る運河の畔に船着き場があり、姜さんに送ってもらいました。ここから遊覧船で運河クルーズを楽しみました。

  • さすがにこの辺りに来る観光客は少ないようです。アーチ構造の玉帯橋は清代の乾隆帝の時代に造られています。

    さすがにこの辺りに来る観光客は少ないようです。アーチ構造の玉帯橋は清代の乾隆帝の時代に造られています。

  • 霧がかかった運河クルーズはパリのセーヌ河をクルーズしているような感じです。

    霧がかかった運河クルーズはパリのセーヌ河をクルーズしているような感じです。

  • 良く見ると屋台を引いたおじさんが橋を渡っているので、フランスではない事は分かってしまいますが。

    良く見ると屋台を引いたおじさんが橋を渡っているので、フランスではない事は分かってしまいますが。

  • 貸切船ではお茶を飲んで食事をしたり、碁を打ったり楽しそうでした。いろいろなタイプの遊覧船が行き交います。

    貸切船ではお茶を飲んで食事をしたり、碁を打ったり楽しそうでした。いろいろなタイプの遊覧船が行き交います。

  • この先にエッフェル塔のようなテレビ塔が見えてきます。

    この先にエッフェル塔のようなテレビ塔が見えてきます。

  • こんな手漕ぎ舟も楽しそうです。江南地方の水郷古鎮でよく見かけるタイプの舟です。

    こんな手漕ぎ舟も楽しそうです。江南地方の水郷古鎮でよく見かけるタイプの舟です。

  • 北京のエッフェル塔が見えてきました。中央広播電視塔は北京で一番高い構造物で、アンテナ最高部は405メートルに達し、238メートル地点に一つの展望台を持ちます。1992年に竣工した20世紀90年代十大建築の一つだそうです。

    北京のエッフェル塔が見えてきました。中央広播電視塔は北京で一番高い構造物で、アンテナ最高部は405メートルに達し、238メートル地点に一つの展望台を持ちます。1992年に竣工した20世紀90年代十大建築の一つだそうです。

  • この遊覧船でクルーズしました。途中にいくつも船着き場があるので、クルーズというには語弊があるかもしれませんね。新世紀壇の公園が終点でした。1人40元の楽しいひと時でした。

    この遊覧船でクルーズしました。途中にいくつも船着き場があるので、クルーズというには語弊があるかもしれませんね。新世紀壇の公園が終点でした。1人40元の楽しいひと時でした。

  • 他のお客さんについて講演内をぶらぶら散歩してみます。

    他のお客さんについて講演内をぶらぶら散歩してみます。

  • 金魚釣りをしたかったのですが、周りが子供ばかりだったので恥ずかしいので止めました。「北京散歩」の姜さんと合流して朝陽市場へ向かいました。

    金魚釣りをしたかったのですが、周りが子供ばかりだったので恥ずかしいので止めました。「北京散歩」の姜さんと合流して朝陽市場へ向かいました。

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