2004/10/03 - 2004/10/09
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kojikojiさん
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北京2日目は一度竹園賓館をチェックアウトして、タクシーで侶松園賓館に移動しました。しばらくはこちらのお屋敷ホテルに滞在します。
荷物をホテルに預けた後はブラブラ歩いて景山公園に行きました。国慶節の休みなので公園の中も凄い人でした。小高い山の山頂の万春亭にたどり着くとそこからは紫禁城の全景が見渡せました。明や清代の皇帝の庭園となった山で、明代に紫禁城を造ったとき、元の宮殿であった延春閣の跡地に、堀を掘った時の残土で五つの峰を形成する形に作られました。紫禁城に邪気が入ることを防ぐために、紫禁城の真北に造られたと言われています。これは背山面水という風水の考え方を実現したもので、中華民国時代以降は景山は公園として開放されています。 そのまま山を降りて故宮博物院に入りましたが、北側から入ったので、チケット売り場が空いていたのはラッキーでした。当然中は凄い人でした。北側から入って東側に抜けましたが、正面からもう一度入ると途中からは戻れずに東門まで延々と歩く羽目になりました。紫禁城と言えばベルナルド・ベルトリッチ監督の「ラスト・エンペラー」を思い出さずにはいられなく、太和門から太和殿を望む広場に出ると感無量の気分になりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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竹園賓館からタクシーで侶松園賓館に移動しました。ここも細い板厂胡同の路地の中にあります。通りには国慶節のお休みなので国旗が掲揚されています。
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ホテルについてはまた別の旅行記で紹介します。板厂胡同には立派な四合院のお屋敷が並んでいました。ただ、どこも保存状態はあまりよくなく、門扉も閉じられていました。
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ホテルから景山公園までは歩いて20分くらいでした。観光地というよりは地元の人が集うような雰囲気でした。菊が盆栽仕立てに植えられていたり。
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植木は龍のように設えられていました。手足や顔をつけないと何だか分からないところが面白いです。
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景山公園は紫禁城に殺気が入ることを防ぐために、真北に造られたと言われています。背山面水という風水の考え方を実現したものです。
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山頂からの眺めは圧巻でした。霧に煙っているのであれば風情もありますが、排気ガスの光化学スモッグが正体です。子供の頃の東京でも光化学スモッグ注意報が発令されましたが、オリンピックは大丈夫?と思いました。
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昭和30年代に東京で生まれ育った人間にはなんてことなかったですが、風光明媚な富士山の麓で育った妻にはきつかったそうです。
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山頂の万春亭から一望する故宮の景色は有名で、特に夕方になって夕陽に照らされて紫禁城の屋根が黄金色に輝く様子は圧巻だそうですが、お昼前では逆光になってしまいました。
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景山公園の北側はきれいに見えました。紫禁城の中心線が更に北へ延びて、鼓楼まで続いていることが分かります。
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山頂の万春亭の辺りはものすごい人が集まっていました。皆さん同じことを考えているわけです。
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中国では菊の花は古来より気高い花として人々に愛されています。草木が枯れ始めた晩秋に、菊の花の寒い風や霜をものともせずに凛として花開く心意気に、不屈の忍耐力を感じさせます。そのため、昔から多くの文人が菊の花を題材にして詩文を詠んでいます。
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国慶節の花の飾りが美しく置かれてありました。
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「慶」の字の簡体字を初めて知りました。初めて見ても読めて、意味が分かるのが不思議です。
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次に紫禁城へ向かうので、景山公園の南側に下りてきました。
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南側から山頂の万春亭を望んでみます。
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通りの反対側に故宮博物院の北門の入り口が見えます。
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通りを渡ると神武門と呼ばれる故宮博物院の入口ですが、北側の方が人が少ないようでチケットもすぐに買えました。扁額の文字は中国文学では有名な郭沫若さんの書だそうです。
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水の中の神仙にお金を贈って願いをかなえてもらうのは中国で長く続く風習ですが、こうなると願いなんて叶えたくなくなりますね。何故紙幣なのかと思いますが、硬貨で環境破壊するよりは良いかもしれませんね。
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長春宮当たりはまるで迷路のような所です。あまりに広大で場所によっては誰もいなくなる瞬間があります。
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御花園(ぎょかえん)は紫禁城最大の花園で、歴代皇帝が后妃達と遊楽をした場所だそうです。御花園の円形の建物は千秋亭で、紫禁城の中では丸い建物は珍しいそうです。
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枝先が不思議な形に捻じれた木がたくさんありましたが、確か槐(槐)ではなかったかと思います。
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後三宮の建物中を抜けて歩いていると、すぐにどこだか分からなくなってしまいます。敵が攻めてきても地図があっても攻め込むのは大変だと実感します。
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黄色い牡丹の花と緑の葉はディティールも実に精巧に緻密に造られています。誰が指示して造らせたのでしょうか?皇帝がいちいち詳細に指示したとは思えません。
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蝙蝠やたなびく雲などのおめでたい意匠が続きます。この雲は形がきのこの一種である霊芝(れいし)に似ていることから霊芝雲と呼ばれ、不老を象徴する瑞雲です。蝙蝠は「蝠」が「福」と同じ発音であることから、幸福のシンボルとなるのです。
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吉祥紋の中心におめでたい人に立っていただきました。
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中国の明清時代の宮殿や寺院の屋根には「走獣」という魔除けの飾りがついています。先頭は「騎鳳仙人(鳳凰に跨った仙人)」で、その後に龍や麒麟など想像上の動物が続きます。そして最後は火よけの意味をなす「旁吻(口を開けた魚)」という構造です。仙人と旁吻の間の動物の数は建物の格式が高くなるほど増えていきます。中国で一番数が多いのが紫禁城の太和殿の10匹です。
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「内左門」からは景山公園の頂が見えました。
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1985年に表紙を飾った「アフガニスタンの少女」など、ナショナル ジオグラフィック誌の展示会が開かれていました。チベットや新彊ウイグルなどを抱えた中国で開催されていることが面白いなと思いました。写真の前をリヤカーが横切っていきます。
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東六宮の展示室には台北で買った我が家の茶碗のオリジナルが展示してありました。見れば見るほどよく似てます。
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我が家の茶碗にも同じように大清康煕年製と書かれています。この茶碗で中国茶をいただくと北京の旅や台湾の旅を思い出せます。
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素晴らしい陶器の数々が陳列されていますが、台湾の故宮博物院の収蔵品の方が数も多くて、貴重なものが多いように思えました。
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黄色い釉薬で焼かれた煉瓦の壁にも吉祥模様の陶板がはめ込まれています。モチーフを見ていると古代エジプトの遺跡にも描かれているものと共通しているのが面白いと思いました。
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同じようなデザインで緑色の釉薬で焼かれた壁もありました。
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交趾焼(こうちやき)は、中国南部で生産された陶磁器の一種で、清の時代の龍や鳳凰が描かれた焼き物も広い意味では交趾焼とされます。総じて黄色と紫色と緑色と青色と白などの細かい貫入の入る釉薬のかかった焼き物の事を指します。
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「乾清門」の前の塗金青銅獅子像が一対置かれてありました。
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後ろ姿の方がフォトジェニックです。金メッキの傷跡は英仏連合軍の兵士たちの銃剣でこそぎ取られた跡です。
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同じくメッキされた金が剥がされてしまった痛々しさを感じます。
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乾清宮(けんせいきゅう)の甍の黄色が美しかったです。本当はここから皇帝が私的生活を送る「内廷(ないてい)」の建物となりますが、北側から入ったので逆ルートと言えます。
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清の第四代康熙帝(こうきてい)までは、皇帝がここで寝ており、第五代雍正帝(ようせいてい)からは、養心殿で寝泊まりするようになります。それにより、ここは皇帝が大臣の謁見を受けたり、上表文の処理をしたりする場所となります。
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宮殿中の玉座の上の第3代皇帝順治帝の「正大光明」の扁額の後ろに、皇帝は次期皇帝にする者の名を書いて箱に入れて隠して置いたそうです。別に書いた同文のものを手元においておき、皇帝の死後に大臣が2枚を照合して次の皇帝を決めるという習慣が第五代雍正帝から始まったそうです。雍正帝自身が康熙帝の子として激しい継承争いを経験し、その反省からこの方式を取ることにしたそうです。
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西六宮の通路辺りだと思います。行き止まりなので先を歩く人はいませんが、路地を眺めていると不思議な気持ちになってきます。
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場所は違いますが、ラスト・エンペラーの映画で観たような溥儀が自転車に乗って走っていた頃と変わらない風景なのだと思います。
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ここも行き止まりなので先に進めません。
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北側から南に向かって見学を進めていて、後大三殿のひとつの保和殿までやってきました。この辺りまで来るとさすがに人が増えてきました。
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保和殿の裏側(北側)にある雲龍階石です。
写真中央の石は一枚石で、紫禁城内で最大の石造物です。 -
この石は北京西郊外50キロメートルの房山から切り出され、冬に道路に水を撒いて凍結させた上を2万人以上の人手をかけて28日間かけて運んだそうです。同じような方法は皇帝の碑文を背負った贔屓という巨大な龍子(亀のような姿をした)を移動する際も使われています。
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雲龍階石の先は「乾清門」です。
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保和殿から真北を見たアングルです。景山公園は宮殿の甍の陰になってしまっています。
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この当時で年間700万人の観光客が来ていたそうですが、現在は1700万人を数え、事前に予約しなければならなくなったそうです。
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この景色を見るとようやく北京にやってきた気分に浸れます。
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保和殿明代の名称は建極殿で式典が太和殿で行われる直前に皇帝が更衣をした場所です。清朝の時代では毎年正月にモンゴルやウイグルの王侯を招いての宴会も行われ、乾隆帝以来皇帝臨席の下で官吏採用試験である文科挙の最終試験である殿試がここで行われました。
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巨大な建築も素晴らしいですが、1スパンごとに目をやっても美しい装飾で覆われていることに気が付きます。
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中和殿は太和殿の後ろ側にあり、式典が太和殿で行われる直前に皇帝が大臣らから祝辞を受けて休憩した場所です。中和殿は数ある紫禁城にある建物の中で唯一正方形の形をしているのが特徴です。
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太和殿は現存する中国最大の木造建築で、高さ35メートル幅約63メートル、奥行き約33メートルもあり、しかも3段の大きな台座の上に建っているので、数ある紫禁城の建物の中で最も大きく見えます。
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現在も清朝時代のままの宮廷の姿が残され、玉座の上には大玉が吊るされ、皇帝として不適の者が座ると玉が落ちてくるという迷信があり、袁世凱は玉座をずらして座り、現在もそのままとなっています。
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太和殿は明代の永楽18年(1420)に創建され、当時は奉天殿と名付けられます。嘉靖年間に皇極殿、さらに清代の順治年間に太和殿と変更され、現在の建物は殆ど清の康熙34年(1695)に再建されたものです。72本の巨大の柱が建物を支え、その中の6本は雲龍文様を漆で盛り上げて金箔で覆った金柱です。太和殿は故宮の中で一番大きな宮殿でもあります。
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ようやく太和殿を正面から見据える位置に来る事が出来ました
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内金水橋は金水河にかかる弓形の小さな5本の橋で、中央の橋は皇帝専用で左右の橋は王侯貴族や文武官たちが渡ったものです。
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ラスト・エンペラーの映画で観たシーンを思い出します。
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金水河から文華殿と文淵閣への水路辺りも風情があります。今まで巨大な宮殿ばかりを見て来たのでほっとします。
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人の流れについて行ったら東華門から筒子河を渡って表に出てしまいました。東華門は清代には大臣らが使っていた門で、格式が一つ低いとされるそうです。皇帝や皇后や皇太后の棺がここから出されたので「鬼門」とか「陰門」とも呼ばれます。
天安門から后門辺りを見ていないので、右に折れて南側の正面へ向かいます。 -
東側から南側へ向かうといっても、道は人で埋め尽くされているので30分以上かかります。
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初めて見る天安門です。反対側は天安門広場ですが、今はどうやって中に入るかが問題です。
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やっぱりここで記念写真は撮らないといけませんね。
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毛沢東の絵が飾られています。ベトナムのフエの王宮と同じ造りになっているのが良く分かりました。フエ王宮は胡志民(ホーチミン)の肖像が掛けられていましたが、後に行ってみると外されていました。
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門を抜けると正面には「午門」があります。この門の名称は紫禁城からして午(うま)の方角である南の方角にある事から名付けられています。この門の特徴はコの字型に両翼がせり出した独特の形をしていることで、非常に圧迫感を感じます。映画「ラストエンペラー」で生母の死を知った溥儀が外に出ようとして、門番に止められたり、溥儀に紫禁城から追放された宦官達が居たのもこの場所でした。
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座って休憩する場所も少ないので、地面に座ってしまう人もたくさんいました。端の方に座るという習慣は中国にはないようです。
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午門の上でも貸衣装屋さんが賑わっているようでしたが、どうやって登ってよいのか分かりませんでした。それくらい広くて人が多かったです。
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やっぱり南側から見学を始めた方が良かったのかもしれません。北側に抜けて夕方の景山公園からの眺めも見てみたかったです。
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午門を抜けると正面に太和門が見えました。この後も人の流れと共に東側の門を出ました。故宮博物院は半日以上掛けての見学になりました。
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2004 北京美食の旅
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