2004/10/03 - 2004/10/10
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kojikojiさん
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郊外の1日ツアーを「北京散歩」の劉さんにお願いしました。前日にホテルまで確認の電話をくれたので安心もできました。劉さんは築地の魚屋で何年間か働いて、お金を貯めて北京で車を買ってガイド兼ドライバーとして頑張っている人でした。同郷で幼馴染の姜さんと一緒に仕事をしています。築地でも一緒に働いていたのですが、1か月の給料が出ると全額持って二人で府中の競馬場に行ってすってしまった話や、お金が無くなると二人で数百個の餃子を作って毎日食べていた話など面白かったです。子供のころは劉さんの家が貧しくて、姜さんの家は両親が政府の仕事をしていて裕福だったこと、その当時誰も持っていなかった卓球のラケットを姜さんが買ってもらったのだけど、両親に頼んで劉さんの分も買ってもらった話など彼らの友情の深さを教えてもらいました。この日は姜さんから話を聞いたのですが、翌日は劉さんから話を聞いたのですが、それぞれ言い分が違ったりして微笑ましかったです。
初めに着いた「居庸関」も「八達嶺長城」も国慶節の休みの最中だったので物凄い人の数で、長城至ってはまるで生きている龍のように見えました。
お昼は基本的に姜さんにお任せですが、地元の人が食べに入る美味しいレストランとリクエストしたら、十数年経っても美味しかったと思いだせるような店でした。かなり遠回りしてくれたのだと思います。当然3人分支払ったのですが、全部で50元くらいと信じられない安さでした。「明十三陵」もどうしても来たかった場所ですが、墓所までの参道を妻と歩いたのは良い思い出になりました。ここは風情があって良かったのですが、翌日行った清東陵にいたっては歩いても歩いてもたどり着かない巨大さに清国の巨大さを肌で感じました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー タクシー 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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早朝から「北京散歩」の妾さんの運転で居庸関の関所に向かいます。
車はバンタイプだったので二人ではもったいないくらいのスペースで快適でした。
前の晩に劉さんから連絡の電話を貰っていたので安心してホテルで待っていられました。予約をお願いしていた「羊房11号/ぐう家菜」というレストランの予約もできたということで併せて安心しました。高速で市外の北へ向かいますが、郊外に出ると空気も澄んで気持ちよい秋の景色が続きます。 -
「居庸関」の入口で妾さんと別れて二人で観光です。時間の縛りはありませんが、1時間程の時間で充分でした。歩こうと思えば長城をグルリと一周出来そうでしたが、一日がかりになるでしょう。
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居庸関(きょようかん)は「天下第一雄関」とも呼ばれ、難攻不落の九塞の一つに数えられたそうです。確かに狭い峡谷を塞ぐような、ダムのような姿をしています。
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北京から約50キロの八達嶺長城へ向かう途中の峡谷に位置し、明代以前の北京の最終防衛線であったため、この付近の長城は何重にも複雑な建造となっています。
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二人とも万里の長城へ来るのは初めてです。その長大さには驚かされました。
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物凄い人の流れに乗って30分ほど長城を登ってみました。これ以上登っても次へ進む時間もあるので、立ち止まれるところで一休みして戻ることにしました。下に居庸関の全容が見えます。
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この一帯だけでもどれだけの観光客が来ているのでしょう。皆さん黙々と登ってきますがどこを目指してるのでしょう。昔雑誌の特集で「盲流」という言葉を知りました。出稼ぎ先もないままに中国の内陸部から出てきた人たちが広州駅前の広場を埋め尽くして、どこへも行き場がない状態をその言葉で表していました。そんなことを思い出しました。
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長城は居庸関の周りを幾重にも囲っているように見えます。明の時代によくこんなものを造ったと驚かされます。テレビの画面で観るのでは、実際にこの場に立ってみないと分からないことだと思います。
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まあ凄い人出でした。
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水が流れるように立ち止まることはできません。ただただ歩き続けました。
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長城から人が溢れ、まるで岩肌の上をうごめく龍のように見えました。
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日本的な柿のなる風景のバックに長城があるのが不思議に見えました。
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修復された建物ですが、鉛色の甍にほっとします。紫禁城の黄色い瑠璃瓦ばかり見ていた目には安らぎます。
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居庸関まで戻ってきました。平らな地面に立つと安心します。こんなことでは長城を守備する兵隊にはなれそうもありません。
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中国では古代から陰陽五行などを通して色に意味を見出しています。赤い柱と壁や梁や肘木は青や緑で彩られています。
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姜さんに記念写真を撮ってもらいました。
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居庸関の中心部に元代に建築されたラマ塔遺跡が残され「雲台」と呼ばれています。1342年から5年かけて建築され、3基の仏塔がそびえていたと言われます。
白大理石の美しい建物です。 -
高さ約10メートル幅約27メートルで中央はトンネル状になっています。トンネルは南北に貫く形になっており、南側の上にはガルーダ北側の上にはナーガのレリーフが彫られています。
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トンネルの上には確かにガルーダの姿があります。アンコール遺跡で見てきた数々のレリーフを思い出させます。アンコールは柔らかい砂岩で彫られたものが多かったですが、ここでは白大理石に彫られています。
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「雲台」のトンネル内部には四天王のレリーフと陀羅尼経文と雲台建設の由来を記した造塔功徳記が刻まれています。この経文と造塔功徳記は漢字とランジャナー文字、ウイグル文字とチベット文字、パスパ文字と西夏文字の6種類の文字で刻まれており、後の西夏文字解読の手がかりとなったとされます。
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中国版ロゼッタストーンは建物だったと言う訳です。
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居庸関を過ぎて更に北に向かうと「八達嶺長城」に着きました。と言っても駐車場です。ここで巡回バスに乗ってロープウェイ乗り場まで移動です。ロープウェイ乗り場で案内してくれた姜さんと別れて二人で山頂まで登ります。
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長城の上は人で埋まり、龍がうごめいているように見えました。登りも混んでいましたが、下りも混んでくる時間なので早めに降りてくるように言われていました。
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長城がどこまで続いているのか目で追いますが、どこまでも霞の向こうまで続いてゆきます。肉眼で確かめるには限りがあります。
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「百聞は一見にしかず」とはよく言ったもので、凄い物を造ったものだと感心します。後年になって西安から北京へ戻る際に飛行機の窓から延々と続く長城を見ることが出来ましたが、その時も興奮しました。
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「明十三陵」の見学に行く前に途中の町で食事になりました。
まあ普通のツアーでは使わないだろうし、個人では絶対に来ないであろう小さな町の店でした。ビールを飲んで料理3品とスープを頼んで50元(650円)くらいでした。妾さんは最初は別々に食べようとしますし、自分の分のお金も払おうとします。 -
多分一緒に食事をするのを好まない人が多いのでそういう事になっているのだろうけど違和感を覚えました。これ以降の旅では必ずガイドさんやドライバーさんと一緒に食事をするようにしています。一緒に食べた方が楽しいですし、観光客が食べないような料理も食べることが出来ます。
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鶏肉とナッツの辛味炒めも椎茸の旨煮と青梗菜も八角の効いた肉団子も絶品でした。
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花が咲いたような卵と海苔のスープに白ご飯まで入れて総額50元なんて日本人からしたらただみたいな金額です。更に中国のいろいろな話が聞けて楽しい食事でした。
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「明十三陵」に着きました。姜さんはこの先の石像群の終わる所まで車で先回りして待っていてくれます。我々はブラブラと散歩がてらの見学です。
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「明十三陵」は成祖である永楽帝以後の皇帝13代の皇帝の陵墓があるためこの通称になったそうです。
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「碑亭」この中には石碑を背負った巨大な贔屓(ひいき)の像がありました。贔屓は龍が生んだ9頭の神獣の「竜生九子」のひとつで姿は亀に似ています。重きを負うことを好むといわれ、そのため古来石柱や石碑の土台の装飾に用いられます。日本の諺「贔屓の引き倒し」の語源になっています。碑亭の石碑は「大明長陵神功聖徳碑」とあります。
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「明十三陵」は天寿山の南麓に位置し、中国に現存する最大の皇帝陵墓群です。南側に開けて東と西と北の三方を山に囲まれる地形は、「坐北朝南」に倣っているのでしょう。北極星は皇帝を表す星とされ、皇帝は南面して政治を行うとされています。
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「碑亭」を超えると後ろには延々と柳並木と神獣像が続く神道が始まります。とてもきれいに整備された公園のようにも見えます。
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明の十三陵の見学をして、翌日の清東陵もこんなものだろうと勝手に想像していたら大変なことになりました。神道の幅は10倍以上あり、長さも霞んで見えなくなるほどの距離でした。
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楼門を過ぎると神道には皇帝の死後も権力を守り続ける象徴としての象や馬や駱駝などの動物と功臣官や文臣官や武将像など重厚な石像が並んでいます。
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左右一対になった石像が延々と続きます。
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「蹲姿獅子」これなどは日本に渡ると狛犬になるのでしょうか。「蹲」には這いつくばるという意味がありますが、空想上の動物には「蹲」を使い、実在する動物には「臥」で伏せるを使い分ける意味が分かりませんでした。
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「立姿獅子」神道に並ぶ石像を順に写真に収めますが、白黒写真の方が迫力があります。
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今に向後来そうな迫力があります。妻と比べてもかなりのボリュームです。
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「蹲姿解豸(かいち)」
姿は大きいものは牛に似て、小さいものはヒツジに似ているとされ、全身には濃くて黒い体毛が覆うとされます。頭の真ん中には長い一角を持つことから一角獣とも呼ばれ、この角を折った者は死ぬと言われます。 -
「立姿解豸(かいち)」
麒麟に似た姿をし、水辺に住むのを好むと言われ、人の紛争が起きると角を使って理が通っていない一方を突き倒すそうです。 -
「臥姿駱駝」こちらは実在の動物なので安心です。
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この十数年後エジプトでラクダに乗りましたが、後ろ脚から立ち上がるので前後に体を振られて怖かったです。
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妻と比べると巨大な駱駝の像でした。
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ここで写真を撮っておいたのでラクダに乗れたのでしょう。
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「立姿駱駝」
実際のラクダのバランスとはちょっと違うような気がします。 -
「臥姿象」
タイを旅行した際には何度も乗せてもらいました。確かにこんな座り方するなと感心します。 -
俵屋宗達の描いた京都の養源院の杉戸絵に似ています。視線と牙の生えている感じが絵から抜け出したようです。
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「立姿象」象の像。
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これは日本人なら知っている麒麟です。
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「蹲姿麒麟」
麒麟の形は鹿に似て大きく背丈は5メートルほどあり、顔は龍に似て牛の尾と馬の蹄をもち、麒角を供え、背毛は五色に彩られ、毛は黄色く、身体には鱗がある。基本的には一本角ですが、二本以上の角を持つ姿でも表されます。 -
「立姿麒麟」
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「立姿麒麟」
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「臥姿馬」
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「立姿馬」
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神獣像が終わると武人と文官の像が続きます。
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「将軍」
キルティング加工を施したコートのように見える「綿甲」(めんこう)は、分厚い綿や絹の布地の中に、鉄の甲片を仕込んで銅の釘を打って固定した鎧です。全身を覆うので防寒性にも優れており、北方の寒冷地でよく使用されていたようです。
もともと唐の時代に作られていた絹布の鎧を原型としており、中に仕込まれた鉄と分厚い生地によって防御力を持っていた鎧です。 -
「将軍」
北京へ来る2年前にベトナムを旅して立ち寄ったフエの啓定帝廟(カイディン帝廟)にも陵前石像生がたくさん並んでいました。 -
人と獣の石像を「石像生」と呼ぶ意味は、古代の皇帝は儒家「死を生と視する」という理念を信じて、人が亡くなってもあの世では依然として人間の衣食住を求めると考えていたからです。あの世の生活に応じて生きている時の生活を再建しなければならず、「石像生」はこれらの石像が生きているものを意味し、死者を生前のように護衛する象徴としています。
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柳の木々の向こうの突き当りに白い龍鳳門が見えます。終わりが見えてきました。姜さんはあの辺りで待っているはずです。
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「品官」
中国の律令制の「品官」と呼ばれる官職群は従九品以上の官品に属する全ての官職を指すもので、日本における品官とは違うようです。 -
明時代の男性の服飾は長衣が主流となり、役人の朝服は古の制度にならい、丸い襟のシャツ、袖は広く三尺あり、長衣の色と図案でもって官職の位を区分したそうです。
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長衣の朝服の前方には四角い刺繍の図案があり、文官は鳥の図案、武官は獣の図案で、紅の長衣は1から4品の官位、青色は5から7の官位、緑色は8から9品の官位を表しました。笏を持った姿をまねて写真を撮ってみました。
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「功臣」
文字通り国や主君に功績のあった臣下の意味です。 -
ベトナムのフエで見た文官の表情によく似ています。
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この像たちはこの先も明の皇帝たちを守り続けていくのでしょう。
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途中に副葬品を陳列した宝物館があります。素晴らしく精緻な技術に驚かされます。
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金糸のような細さの籠などを見ていると、現在でもこのような物を造る技術はあるのだろうかと考えさせられます。工芸の分野では技術の頂点はもう終わっている気がします。
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いよいよ定陵が見えてきました。木立から見えるのが「明楼」です。一般公開されているのは定陵と長陵と昭陵です。定陵は第14代神宗万暦帝の陵墓で、中殿には漢白玉の王座、後殿には万暦帝と左右に2人の皇后の棺が安置されています。長陵は十三陵の中で最大規模を誇る第3代永楽帝の陵墓です。
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定陵の玄宮に入りました。日本の古代の陵墓も調査して公開すれば良いと思うのですが。始皇帝の陵墓が発掘することがあったら、死ぬまでに見てみたいですね。
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定陵の玄宮は、俗に「地下宮殿」と呼ばれます。前殿と中殿と左配殿と右配殿と後殿の5つの殿堂で組み合わせていますが、地下宮殿には1本の柱も梁もなく、天井はすべて石をアーチ型に組んだものです。後殿は最も高いところが9.5メートル、ほかの殿堂も高さ7メートルを超えています。
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万歴帝(朱翊鈞)は明代における在位期間が最長の皇帝で、在位は48年の長きに及んだが贅を尽くし財をむさぼったとされます。万暦12年(1584年)に起工し、6年の歳月をかけて、万暦18年に完工した陵墓は白銀800万両に及ぶ工費で、当時の国家税収2年分に相当したそうです。石碑には表に「神宗顕皇帝之陵」と彫られ、裏はなにも彫られていませんが、通常は次の皇帝が先帝の徳を偲ぶようなことを書くはずです。
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北城の上の「明楼」の前には「五供」と呼ばれる祭壇があります。仏教では「香」「花」「灯明」「水」「飲食」の五つがお供え物の基本といわれ、総じて「五供(ごくう)」と呼ばれ、お盆などにはこの五供で先祖供養を行います。日本のしきたりのルーツは総じて中国にあると言っても過言ではないでしょう。
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「明楼」は外側の石段から上ることができます。近くで見るとその斗拱や垂木、梁などは木材を使用せず、石材で構成されていて加工技術の高さを感じます。
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目を凝らしても全部石で出来ているようには見えません。
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お疲れさまでした。ミニチュアの「立姿象」の上に座っちゃいました。
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参道の脇の道路には周辺で採れた果実などが売られています。
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このナツメは持ち帰って、リキュールに漬込んだら美味しかったです。
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果物以外にも乾燥させたカボチャの種子やら栗のような実がありました。
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中国の人はこんな種子が大好きで、暇さえあれば食べている気がします。
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アーモンドやクルミなんかも並んでいます。ペカンナッツを探しましたが、北京では売っていませんでした。
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そろそろ北京市内に戻って「北京湖広会館」で京劇の観賞が待っています。
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