2001/12/12 - 2001/12/15
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旅人のくまさんさん
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<2001年12月13日(木)>
<ホテルの朝食>
モーニングコールを7時に頼み、8時25分の出発に備えました。今日は半日余り、呉さんが市内見学に案内してくれることになっていました。私が7時25分にホテルを出発する必要があるのは、9時に始まる忠烈祠での衛兵交替を見学する事で、昨日話がまとまっていたからです。昨日呉さんが、
『明日もう一人増えて、4人で見学する事になります』
と説明していただき、それで、時間を逆算した結果です。ホテルの朝食は、2階にセットしてありました。バイキング方式で、洋食、中華食などが用意されていました。
旅行の条件は、基本的には『なんにもなし』ですが、朝食だけはミールクーポンを付けて貰いました。早い時間から朝食の場所を探すのが面倒ですし、朝から重たい中華料理は食ぺたい気持になれなかったからです。
ホテルのレストランは、ネクタイを締めたビジネスマンが目立ちましたが、欧米人と、日本人観光客を多く見かけました。欧米の方のマナーはさすがでしたが、若い日本人グループのマナーは最低でした。大声の日本語で仲間内で話し、他の人の迷惑など、全くお構い無しでした。
冷たい視線が、私を含めて、多くあったにも関わらずに、この状態が続きました。最初は、厳しい眼つきで睨みましたが、そのメンバーは、全く気に止める人がいませんでした。4人もいれば、1人くらいは気が付く人がいてもよさそうなのに、それがありませんでした。情けない気持になって、それ以後は眼を合わさないようにしました。
暫く経って、やっと静かになったと思って、その席を見渡すと、そのメンバーは、席を立った後でした。
そんな気まずい場面もありましたが、朝食はちゃんとしたものでした。ジュース、珈琲、パン、各種の料理、サラダ、フルーツ、いずれも味、種類、彩りも十分でした。ウェイトレスの方も愛想が良く、中国語ではなく、全て英語で対応してくれました。
<都心のサッカー場>
モーニングコールの前に起き出し、十分な余裕がありましたので、朝のテレビを見ながら時間を調整しました。昨日、呉さんに
『8時25分前には出発準備をしておきます』
と、話しておきましたので、早めに出発準備をしてロビーに降りました。定刻の10分程前に呉さんがホテルのロビーに迎えに来てくれました。
『ヒルトンホテル付近は駐車禁止で、取細りが厳しいので、マイクロバスは、一回りして戻ってきます』
とのことでしたから、一緒に玄関前で待ちました。予定より少し早く、次のホテルに向かいました。
次のホテルでは、女性ばかりなので、少し待たされました。それでも、最初のホテルを早く出ましたので、予定通りの時間です。マイクロバスで向かう途中のことです。呉さんが、
『右手の建物をご覧ください。国際試合の規格に合わせたサッカー場です。でも全く使用されていません』
と、説明してくれました。続いて、
『その理由は、松山空港の発着便の影響で、審判のジャッジが掻き消えてしまうから、試合に使えないからです』
とも説明してくれました。ついでに、
『手入れをしていませんので、芝生が30cm以上には伸びているでしょう。直ぐに試合をしようと思っても、出来ません』
と、駄目押しされました。ウン万人収容できる、立派な外観を持った都心部のサーカー場でした。
<忠烈祠、衛兵交替>
『忠烈祠は、日本でいえば靖国神社に当たります』
と、呉さんが最初に説明してくれました。1時間おきの衛兵交替があり、9時の衛兵交代に、各地から大型バスからマイクロバスまで、一杯集まってきました。日本からの男子高校生の団体もありました。早過ぎず、遅れもせずに衛兵交替を見ることができました。
衛兵交替は、5名単位で行われました。正門入口の両側を護る2名と、記念館の両脇を護る2名などです。あと1名は、記念館、忠烈祠の中だったようです。身長170cm台で、体重なども全て揃えてあると言います。ただし、これは全ての国の衛兵に共通した事かも知れません。
『衛兵に触ってはいけませんが、横に並んで写真を撮るのは構いません』
と言って、呉さんが私のデジカメで撮ってくれましたが、残念ながら、カメラ不調で、撮影できませんでした。この後、
『私はここで待っていますから、衛兵の後ろに付いて、交替儀式を見学してください』
と、勧められました。入口を護っていた2名と、その交替要員、その先導の5名で隊列が進みました。その脇には2、3名の迷彩服などの先輩衛兵と思しき人が付き添いました。細かい所作をチェックし、技術伝承をしているようでした。銃剣を着けたままで、同じタイミングをとって、指先でくるくる回したりと、色んな儀式を見ることができました。中々の迫力でした。呉さんの話ですと、
『今の季節はいいですが、真夏は非常に大変です。汗が目の中に入って、みんな涙を流しています。それでも瞬きをしたり、自分では涙を拭いてはいけません』
『こんな時は、付き添っている先輩がハンカチで拭いてくれます』と説明してくれました。こんな苦労も伝承されていくのでしょう。
<台湾の徴兵制度>
呉さんは更に続けて、
『衛兵は3軍が交代で出し合うことになっています。陸軍、海軍と、何でもできる軍です』
と、補足してくれました。『何でもできる軍』とは、時の状況に応じて、陸軍でも、海軍にでも従事できる訓練を受けた人達のようです。
『自分の息子は、堆薦で国立大学に入ることができましたが、本人の強い希望でアメリカ留学の方に決めました』
と、真剣な顔で語ってくれました。
『兵役義務を果たすため、今軍隊に入っています』
とも語ってくれました。兵役義務を果たさなければ、海外留学が認可されないことから、
『息子は、進んでその義務を果たすと言いました』
の言葉には、平和ボケの日本人の一人として、次の言葉が出ませんでした。また、
『昔は陸軍、海軍、空軍で兵役期間が違っていましたが、今は全て2年になりました』
とも付け加えてくれました。少しだけ、兵役期間が短縮された様です。
<圓山大飯店>
圓山大飯店は、各国の首脳が泊る、台湾、台北きっての高級ホテルです。
『故宮博物院への途中に当たるので、立ち寄りましょう』
と言って、呉さんが案内してくれました。21年前の旅行の時も『圓山』の名前が入ったホテルだった記憶があります。このホテルだったか、圓山もどきの2流ホテルだったかは、記憶にありません。多分、2流ホテルの方だったでしょう。
ホテルのロビーはさすがに一流を思わせました。お手洗い休憩だけをとって、次の故宮博物院へと向かいました。
<故宮博物院>
21年前の時にも訪れたので、今回が2回目になります。その時にも、『中国大陸から蒋介石が台湾に運んだ貴重な品々』程度の知識か、なかっものの、観光の1つの柱にしていました。
しかし、どの文物がその時に展示してあったかは、記憶に残っていません。6、70万点あると言われる膨大な収蔵品は、展示物入れ替えの度に見学しても20年近くを要すると言われています。1点豪華主義ではなく、全点豪華主義なので、記憶に残らないのが、当たり前なのかも知れません。
今回は、ガイドの呉さんが詳しく解説してくれましたので、前回よりは記憶に残るかも知れません。しかし、この後、若い時の記憶が維持できるわけは無いので、結局は一緒かも知れません。その意味でも、この旅行記が、将来の記憶催眠に役に立てばと思っています。
呉さんの説明の概要と、強く印象に残った文物をいくつか書き記しておきます。
?乾隆帝の帽子架(焼物)
乾隆帝が
『何でこんな匂いのする帽子を自分にかぶせるのか!』
と、部下に怒りました。夏場などで、自分がかぶった帽子の汗の匂いですが、皇帝はそんな事はお構いなしです。これを受けて、部下が、下部で香が焚ける帽子掛けを造りました。
透かし彫りのカラフルで豪華な帽子掛けです。日本の『なんでも鑑定団』に出したら、いくらの値段でしょうか?ウン億は下らないでしょう。
?大正天皇の妃の誕生祝の品、屏風(メノウ等)
『誕生日のお祝いに皇帝が作らせましたが、日本へ運ぶ途中、台風に遭って船は戻ってしまいました。それで、そのまま中国に残る事になりました。もし、台風に遭わなかったら、今は日本の宝になったはずです』
と、言うその屏風には、ものすごい大きさの翠の玉がふんだんに嵌め込まれています。
?佐藤栄作夫妻の贈り物の唐三彩(焼物)
1mほどの唐三彩の像の添え書きに「日本、佐藤栄作ご夫妻寄贈」と記されています。中国から寄贈を受けた焼物を
『台湾に置いておくのが相応しい』
といって、返還されたそうです。故宮博物院の文物で、唯一日本から寄贈された品物として、特別のケースで展示されています。呉さんは、
『実は余り骨董価値が高くない品物です』
と、裏話をしてくれました。
?象牙の塔など(象牙、水牛等)
『親子2代で製作した細工はいくらでもあります。これは、おじいさんの代から三代かかって作り上げた象牙の細工です』
と言って、ガラスの展示箱を少し揺すってくれました。なんと五重塔の軒先に吊るされたリングが揺れました。全て1本の象牙で出来ていて、2代目、3代目で失敗したら、又、最初からやり直しです。
?女官100人の血で染めた壷(焼物)
明かりにかざすと、赤い模様が瓶の口のところに浮かび上がる。女官100人の血を採って彩色したと伝えられます。呉さんは
『皇帝はなんと残酷な事をしたんでしょう』
とも付け加えました。
?翠玉の白菜(翠玉)
見事な翠玉の細工なので、日本にも紹介されています。下の部分が白、上の部分が翠の玉、バッタが1匹づつ。実は、皇帝に対する憂える部下の諌言でした。
『あなたを倒そうとする部下がいます。大きな役の一人と、小さな役のもう一人です』
皇帝は、玉は余りの見事さに見惚れたものの、この宝石に込められた諌言を理解できず、皇帝はやがて部下に滅ぼされたとされます。
?蝙蝠100匹の壷(焼物)
『日本では蝙蝠を不吉な動物としていますが、中国ではおめでたい動物の象徴です』
と、呉さんが解説した壷には、ちょうど100匹の蝙蝠が描かれていると言います。数え始めて、途中で諦めました。
?七福紳の木像(自然木)
顔、姿、杖など完璧なまでの自然造作による木像です。流木でしょう。杖がしっかりと手に持たれていますが、偶然に蔦のようなものが親木に取り込まれた風に見えます。物理的に後から付け加える事が出来ない造作をしています。
ほかに、細密画、文字、など10くらいまで採り上げようと思いましたが、おめでたい8の数字でお終いとします。後は、写真資料をご覧頂下さい。
<お茶の店、そして昼食>
昼食の前にはお決まりのお土産店に立ち寄りました。昼食の店はその隣です。
『お茶の専門店がありますので、昼食の前に是非、説明を聞いたうえで試飲してください』
と、呉さんに勧められては、断ることはできません。お茶は最初から買おうと思っていましたので、その気で説明をお聞きました。
『台湾は暖かいので、冬を除いて一年中、お茶が摘めます。しかし、夏や秋に摘んだお茶は美味しくありません。いいお茶は、春先に摘んだお茶だけです』
と言って、飲み比べをさせてくれました。
『いいお茶は、12回くらいは出すことが出来ます。朝煎れて、一日中お茶が楽しめます』
とも説明がありました。烏龍茶を中心に杜仲茶、ジャスミン茶なども煎れてくれました。手提げ袋一杯お茶を買い込んで、昼食が用意されている場所に移動しました。近いと言うより、同じ店の中のような場所でした。
今日の昼食は、旅行案内にも書いてあったように、飲茶料理です。次から次に出される饅頭、餃子などを楽しみました。私は飲茶より麦茶の方が良かったので、別料金でビ−ルを1本頼みました。『コップ1杯をサービスします』と言われれば、つい、誘い水になってしまいます。餃子類は蒸したものが多く、油を多く使っていないので、くどくは、ありませんでした。ビールのつまみとしてもぴったりでした。
<おきまりのお士点店>
呉さんは
『決められた予定では、もう一軒、免税店を案内する事が決められています』
と言って、スケジュール表を確認されました。
『台北では一番大きな免税店ですから、たいていのものはあります。買わなくても結構ですから、品物を見ていってください。そこで解散します』
と、今日の予定の締めくくりを説明してくれました。その店は、大理石や玉、焼物、家具など高級品から、食品も多く備えてありました。
買わない積りでしたが、つい、お土産用の獅子の置物や、ブランドのボールペンなどを買いました。店にいたのは10分か15分くらいで、早々にホテルに戻りました。地下鉄駅で台北駅まで一駅なので、地下街を歩いて台北駅にたどり着きました。兎に角歩いてみる事が、距離感や方角、街の構造などを知る早道です。
<夕食をキャンセルして龍山寺へ>
華西街夜市に近くというより、その一角に当たる昨晩の店が良かったので、今晩もその店に行くことにしました。ところが、呉さんの話だと、私のツアーコースには今日の夕食がセットになっていると言う。泊ったヒルトンホテル内での夕食です。それで、呉さんに迷惑をかけないよう、
『旅行者の都合で夕食をキャンセルします』
と、具さんがメモしてくれた横に、サインをしておきました。
<再び華西街夜市で晩酌>
昨日の店を探して晩酌をしました。夕食も兼ねてです。美人で愛想のいい女将さんが覚えていてくれて、同じ席で、同じようにして料理と飲み物を頼みました。ショーケースには剥き身の蛙の足があって、大分食欲をそそられましたが、結局、黒鯛のような魚と、蜆と野菜の方にしました。
4、5人の地元グループの人は、昨日とは少し席が入れ替わっていて、鍋物を囲んでいました。飲み物は、それぞれに違っていて、ボトルごと卓上に置いてありました。どうやらキープボトルのようです。
余り大きくない瓶に入った透明の飲み物は、小さなグラスでちびりちびりと飲まれていました。アルコール度の高い蒸留酒のようでした。焼酎のような地酒ではないかと思われる、普段、日本で見かけることがないお酒でした。
魚は尾頭付きで、野菜をたっぷり使って、あんかけ風に調理してありました。紹興酒によく合って、今日も満足がいく晩酌になりました。食事を終えようとした時、皿一杯に果物を盛ってきてくれました。頼んだわけではなく、デザートの蜜柑のサービスでした。
昨日よりほんの少しだけ高い料金でしたが、チップは強く辞退されました。結局、昨日と同じ支払いになりました。
台北駅近くの街角で
穏かな顔付の人多かりし秘たる意志の強きを思う
首輪付け大人しき犬吠もせずトコトコトコと町を歩きぬ
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 観光バス
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忠列祠の文字が入った正門です。ガイドの呉さんは、日本の護国神社と同じと説明してくれました。靖国神社との違いが微妙です。
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トンネルの向こうに橙色の屋根が見えます。国の英霊を祭っています。日本の靖国神社、護国神社も英霊を祀る招魂社が始まりのようです。
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交替の衛兵の歩き方の説明です。右足を左足の真ん前に、左足を右足の真前に出して、同じリズムで進みました。
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英霊を祭った建物は、宗教的にはどんな位置付けか分かりませんが、神社と同じような彩色が施されていました。
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祭殿の中と外の両脇を守っていた衛兵と交替のために、1時間おきに次の衛兵がやって来ます。
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身長は勿論、体重、体型まで揃えた衛兵の、訓練を経ての所作は、さすがに絵になります。一番大変な時期は、真夏だそうです。眼に汗が入っても、自分で拭ったり、頻繁な瞬きが許されないと言います。
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祭壇の中の飾りです。撮影するのは妨げられませんでした。黄色の花は、日本と同じ菊の花のようです。
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衛兵に触れる事は許されませんが、横に立って記念撮影するのは自由です。次々に記念撮影の人が横に立っていました。
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扉の左右に設けた台の上で、衛兵交替が完了した後、暫くは様々な儀礼的な所作が披露されました。
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学生服の団体は、日本からの観光客です。高校生か、専門学校当たりの年代、制服でした。多分、修学旅行でしょう。
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全体としては、余分な飾りが無く、すっきりとした装いの忠列祠の域内でした。その中にも、季節の花を植えた花壇がありました。
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ガイドさんの勧めに従って、交代の衛兵の後ろについて見学しました。正門前で交替したのを見届けて終了にしました。
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まだ建ったばかりのような新館です。正面に向かって左手にありました。展示館が、まだ拡張されているようでした。
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博物院正面から、南方面を見下ろした風景です。博物院に向かって、緩やかな登りが続いています。
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中に納められた文物は、新しくても清朝時代のものですが、博物院自体はまだ新しい建物です。
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2001年、日本では元寇時代のNHK大河ドラマが放映されていました。こちらでは元の時代の特別展が開催中でした。
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中国から運ばれた文物は、最初は台中に、その後、今の台北に運ばれ、新しい博物院を建てて収められました。
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殷時代当たりと思われる青銅器が正面に飾ってありました。台座に中華民国81年の文字が刻された、レプリカ風の鋳造品です。
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緑色の文字の石碑には、蒋介石総統と、故宮博物院宝物の数奇の運命などが書かれているようです。
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