台北旅行記(ブログ) 一覧に戻る
<ニューヨークテロ事件の影響><br /> 世界を震撼させたニューヨーク世界貿易センタービルなどを標的にした過激派アルカイダによるテロ事件は、この日をもって世界が変わったとも比喩されました。2001年9月11日のことです。<br />旅客機を使ったこのテロ事件のあおりを受けて、航空業界は大きな打撃を受け、アメリカの大手会社のリストラが相次ぎました。ビジネスでの航空機使用が自粛されたり、観光客が激減したりしたためです。<br /> 日本もその例外ではありませんでした。私も9月のはじめ頃に、10月24日出発の、スイス、フランス、ドイツの格安旅行を予約しておきましたが、テロ事件後の推移を見た結果、出発1ヶ月前にキャンセルせざるを得ませんでした。<br /><br /><アジアの国へ><br /> それでも、年内に何とか海外旅行をしたい気持が強く、仕事の一段落がつく頃を見計らって、近場のアジア方面の旅行に切り替えることとしました。テロ事件後、アフガン情勢も事態収束に向かっており、関連する国際情勢も落ち着きを見せ始めていたためです。<br /> この時期には、アメリカ2万円パック旅行など、格安なツアーが売り出されていて、徐々に旅客数も戻ってきたとの、各種報道もされるようになってきていました。<br /> 念のため安全に旅行できる国として、中国、台湾、韓国、オーストラリア、ニュージーランドなどをリストアップし、旅行パンフレットを集めました。同じアジアの国でも、インドネシア、フィリピンなどは相当に危険度が高いと判断したからです。<br /> 殊に、インドネシアはイスラム教徒が国民の90%を超え、アメリカの次の標的の1つと目され、そのことが、週刊誌などで書かれていました。フィリピンも過激派組織の温床の1つで、似たような状況にあると思われました。<br /><br /><先ず日程><br /> 日程を先に決めました。12月12日(水)出発、15日(土)または、16日(日)帰国の3泊4日、もしくは、4泊5日の旅行としました。その結果、パンフレットで選定したのは、『上海、蘇州、寒山寺を巡って、上海蟹の食べ放題』といったプランでした。<br /> ところが、出発日の12日までにあまり余裕がなく、ビザ取得の関係で、募集締め切りになっていました。上海蟹はあえなく幻と消えました。そこで、申込みに出向いた旅行代理店の店先に備えてあったパンフレットを調べました。いつもの旅行代理店は、Cビル地下2階にあります。この中から選んで、旅先を即決することとしました。<br /><br /><21年ぶりの台湾旅行><br /> 旅行プランの選定基準は2つだけです。その1つは、ビザ取得が要らないことと、2つ目は、テロの影響などで催行が中止になる恐れが少ないことでした。それで、この条件に合うのは、韓国、台湾旅行などに絞られてきました。結局、1人でも催行される『台北3日間』、または『台北4日間の旅』となりました。<br /> 後日、旧いパスポートで調べたことですが、私が最初に取得したのは1980年で、21年前のことになります。その時の行先が台湾でした。Koさん、ToさんとTuさんとの短い4人旅でした。微かな記憶では、Koさんの中国語読みは、『シャウリン・カンリャン』だったようです。自分の名前の読み方は、中国語にない一字が難しく、良く分りませんでしたから、もとより記憶にありません。<br /> その旅は、確か2泊3日で10万円くらいだった記憶があります。国内線の飛行機で少し南の花蓮(ファーレン)まで飛び、断崖絶壁の道を、大理石の名産地である太魯閣(タロコ)渓谷まで行って、少数民族の踊りを見学しました。はじめての海外旅行でしたから、この辺の紀憶はかなり鮮明に残っています。<br /> 毎回、数年次のパスポートを取得していますので、今持っている5年間有効のパスポートが4冊目になります。今回は、実に21年振りの台湾旅行となりました。<br /><br /><br />*手造り旅行記『台湾旅行記1』の元資料の目次です。副題は『 台北、故宮博物院を訪ねて』です。<br /><br /><目 次><br /><br /><はじめに><br />ニューヨークテロ事件の影響(1)<br />アジアの国へ(1)<br />先ず日程(2)<br />21年振りの台湾旅行(3)<br /><br /><2001年12月12日(水)><br />名古屋出発(4)<br />中々の機内食(4) <br />台北到着(5)<br />ガイドの呉さん(5)<br />台北ヒルトンホテル(6) <br />最初の昼食(6)<br />龍山寺へ(7)<br />華西街夜市(8)<br />晩酌の店(9)<br />ウェルカム画面(10)<br /><br /><2001年12月13日(木)><br />ホテルの朝食(11)<br />都心のサッカー場(12)<br />忠烈祠、衛兵交替(13)<br />台湾の徴兵制度(14)<br />圓山大飯店(14)<br />故宮博物院(15)<br />お茶の店、そして昼食(17)<br />お決まりのお土産店(17)<br />夕食をキャンセルして龍山寺へ(18)<br />再び華西街夜市近くで晩酌(18)<br /><br /><2001年12月14日(金)><br />再び故宮博物院へ(20)<br />写真撮影(20)<br />白タク(21)<br />昼食(22)<br />賽銭のいらないお寺(23)<br />士林夜市(21)<br />3日目の華西街夜市(22)<br />呉さんからの連絡(22)<br /><br /><2001年12月15日(土)><br />228和平公園<br />(26)総統府(26)<br />植物園(27)<br />中正紀念堂(27)<br />南門市場(28)<br />帰国(28)<br /><br /><おわりに>(31)<br /><br /><br />*元資料の写真ページの目次です。<br /><br /><写真資料目次><br />1 名古屋国際空港(1)<br />2 名古屋出発、台北へ(5)<br />3 台北到着(9)<br />4 最初の昼食(13)<br />5 ヒルトン・台北とその周辺(15)<br />6 台北市内・その他(23)<br />7 忠烈祠・衛兵交替(29)<br />8 龍山寺・昼(35)<br />9 龍山寺・夜(43)<br />10 華西街夜市(51)<br />11 士林夜市(59)<br />12 孫文・国父史蹟記念館(69)<br />13 故宮博物院・外観(73)<br />14 故宮博物院・展示品(77)<br />15 地下街のポスター人気投票(105)<br />16 228和平公園(107)<br />17 総統府(113)<br />18 植物園(115)<br />19 帰国(121)<br />20 絵葉書から(125)

2001冬、台湾旅行記1(1):はじめに

3いいね!

2001/12/12 - 2001/12/15

24627位(同エリア28104件中)

旅行記グループ 2001冬、台湾旅行記1

0

0

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<ニューヨークテロ事件の影響>
 世界を震撼させたニューヨーク世界貿易センタービルなどを標的にした過激派アルカイダによるテロ事件は、この日をもって世界が変わったとも比喩されました。2001年9月11日のことです。
旅客機を使ったこのテロ事件のあおりを受けて、航空業界は大きな打撃を受け、アメリカの大手会社のリストラが相次ぎました。ビジネスでの航空機使用が自粛されたり、観光客が激減したりしたためです。
 日本もその例外ではありませんでした。私も9月のはじめ頃に、10月24日出発の、スイス、フランス、ドイツの格安旅行を予約しておきましたが、テロ事件後の推移を見た結果、出発1ヶ月前にキャンセルせざるを得ませんでした。

<アジアの国へ>
 それでも、年内に何とか海外旅行をしたい気持が強く、仕事の一段落がつく頃を見計らって、近場のアジア方面の旅行に切り替えることとしました。テロ事件後、アフガン情勢も事態収束に向かっており、関連する国際情勢も落ち着きを見せ始めていたためです。
 この時期には、アメリカ2万円パック旅行など、格安なツアーが売り出されていて、徐々に旅客数も戻ってきたとの、各種報道もされるようになってきていました。
 念のため安全に旅行できる国として、中国、台湾、韓国、オーストラリア、ニュージーランドなどをリストアップし、旅行パンフレットを集めました。同じアジアの国でも、インドネシア、フィリピンなどは相当に危険度が高いと判断したからです。
 殊に、インドネシアはイスラム教徒が国民の90%を超え、アメリカの次の標的の1つと目され、そのことが、週刊誌などで書かれていました。フィリピンも過激派組織の温床の1つで、似たような状況にあると思われました。

<先ず日程>
 日程を先に決めました。12月12日(水)出発、15日(土)または、16日(日)帰国の3泊4日、もしくは、4泊5日の旅行としました。その結果、パンフレットで選定したのは、『上海、蘇州、寒山寺を巡って、上海蟹の食べ放題』といったプランでした。
 ところが、出発日の12日までにあまり余裕がなく、ビザ取得の関係で、募集締め切りになっていました。上海蟹はあえなく幻と消えました。そこで、申込みに出向いた旅行代理店の店先に備えてあったパンフレットを調べました。いつもの旅行代理店は、Cビル地下2階にあります。この中から選んで、旅先を即決することとしました。

<21年ぶりの台湾旅行>
 旅行プランの選定基準は2つだけです。その1つは、ビザ取得が要らないことと、2つ目は、テロの影響などで催行が中止になる恐れが少ないことでした。それで、この条件に合うのは、韓国、台湾旅行などに絞られてきました。結局、1人でも催行される『台北3日間』、または『台北4日間の旅』となりました。
 後日、旧いパスポートで調べたことですが、私が最初に取得したのは1980年で、21年前のことになります。その時の行先が台湾でした。Koさん、ToさんとTuさんとの短い4人旅でした。微かな記憶では、Koさんの中国語読みは、『シャウリン・カンリャン』だったようです。自分の名前の読み方は、中国語にない一字が難しく、良く分りませんでしたから、もとより記憶にありません。
 その旅は、確か2泊3日で10万円くらいだった記憶があります。国内線の飛行機で少し南の花蓮(ファーレン)まで飛び、断崖絶壁の道を、大理石の名産地である太魯閣(タロコ)渓谷まで行って、少数民族の踊りを見学しました。はじめての海外旅行でしたから、この辺の紀憶はかなり鮮明に残っています。
 毎回、数年次のパスポートを取得していますので、今持っている5年間有効のパスポートが4冊目になります。今回は、実に21年振りの台湾旅行となりました。


*手造り旅行記『台湾旅行記1』の元資料の目次です。副題は『 台北、故宮博物院を訪ねて』です。

<目 次>

<はじめに>
ニューヨークテロ事件の影響(1)
アジアの国へ(1)
先ず日程(2)
21年振りの台湾旅行(3)

<2001年12月12日(水)>
名古屋出発(4)
中々の機内食(4) 
台北到着(5)
ガイドの呉さん(5)
台北ヒルトンホテル(6) 
最初の昼食(6)
龍山寺へ(7)
華西街夜市(8)
晩酌の店(9)
ウェルカム画面(10)

<2001年12月13日(木)>
ホテルの朝食(11)
都心のサッカー場(12)
忠烈祠、衛兵交替(13)
台湾の徴兵制度(14)
圓山大飯店(14)
故宮博物院(15)
お茶の店、そして昼食(17)
お決まりのお土産店(17)
夕食をキャンセルして龍山寺へ(18)
再び華西街夜市近くで晩酌(18)

<2001年12月14日(金)>
再び故宮博物院へ(20)
写真撮影(20)
白タク(21)
昼食(22)
賽銭のいらないお寺(23)
士林夜市(21)
3日目の華西街夜市(22)
呉さんからの連絡(22)

<2001年12月15日(土)>
228和平公園
(26)総統府(26)
植物園(27)
中正紀念堂(27)
南門市場(28)
帰国(28)

<おわりに>(31)


*元資料の写真ページの目次です。

<写真資料目次>
1 名古屋国際空港(1)
2 名古屋出発、台北へ(5)
3 台北到着(9)
4 最初の昼食(13)
5 ヒルトン・台北とその周辺(15)
6 台北市内・その他(23)
7 忠烈祠・衛兵交替(29)
8 龍山寺・昼(35)
9 龍山寺・夜(43)
10 華西街夜市(51)
11 士林夜市(59)
12 孫文・国父史蹟記念館(69)
13 故宮博物院・外観(73)
14 故宮博物院・展示品(77)
15 地下街のポスター人気投票(105)
16 228和平公園(107)
17 総統府(113)
18 植物園(115)
19 帰国(121)
20 絵葉書から(125)

同行者
一人旅
交通手段
鉄道 観光バス

PR

この旅行記のタグ

3いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

2001冬、台湾旅行記1

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

台湾で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
台湾最安 145円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

台湾の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP