2001/12/12 - 2001/12/15
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12月13日(木)の旅行写真の続きです。故宮博物院の展示品の紹介です。大部分は、写真補遺に収録しました。
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博物院の玄関に向かって右手に咲いていた花です。日本では夏の花ですが、こちらでは満開になっていたブーゲンビリアです。
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呼吸博物館の出入口です。出口専用だったかもしれません。青いカーペットが敷いてありました。
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清 乾隆
粉彩楼空雲蝠帽架
印象に残った?乾隆帝の帽子架(焼物)です。
乾隆帝が
『何でこんな匂いのする帽子を自分にかぶせるのか!』
と、部下に怒りました。夏場などで、自分がかぶった帽子の汗の匂いですが、皇帝はそんな事はお構いなしです。これを受けて、部下が、下部で香が焚ける帽子掛けを造りました。
透かし彫りのカラフルで豪華な帽子掛けです。 -
印象に残った?大正天皇の妃の誕生祝の品、屏風(メノウ等)です。
『誕生日のお祝いに皇帝が作らせましたが、日本へ運ぶ途中、台風に遭って船は戻ってしまいました。それで、そのまま中国に残る事になりました。もし、台風に遭わなかったら、今は日本の宝になったはずです』
と、言うその屏風には、ものすごい大きさの翠の玉がふんだんに嵌め込まれています。 -
印象に残った?佐藤栄作夫妻の贈り物の唐三彩(焼物)です。
1mほどの唐三彩の像の添え書きに『日本、佐藤栄作ご夫妻寄贈』と記されています。中国から寄贈を受けた焼物を
『台湾に置いておくのが相応しい』
と言って、返還されたそうです。故宮博物院の文物で、唯一日本から寄贈された品物として、特別のケースで展示されています。呉さんは、
『実は余り骨董価値が高くない品物です』
と、裏話をしてくれました。 -
印象に残った?女官100人の血で染めた壷(焼物)です。
明かりにかざすと、赤い模様が瓶の口のところに浮かび上がる。女官100人の血を採って彩色したと伝えられます。呉さんは
『皇帝はなんと残酷な事をしたんでしょう』
とも付け加えました。 -
右が印象に残った?翠玉の白菜(翠玉)です。
見事な翠玉の細工なので、日本にも紹介されています。下の部分が白、上の部分が翠の玉、バッタが1匹づつ。実は、皇帝に対する憂える部下の諌言でした。
『あなたを倒そうとする部下がいます。大きな役の一人と、小さな役のもう一人です』
皇帝は、玉は余りの見事さに見惚れたものの、この宝石に込められた諌言を理解できず、皇帝はやがて部下に滅ぼされたとされます。
左は『清・肉形石』です。
皮がついた肉片を思わせる石です。全て自然石で出来ています。細かく見ると皮の部分に毛らしきものが観察できると言います。 -
清 宣統
(1909-1912年)
粉彩雲蝠瓶
印象に残った?蝙蝠100匹の壷(焼物)です。
『日本では蝙蝠を不吉な動物としていますが、中国ではおめでたい動物の象徴です』
と、呉さんが解説した壷には、ちょうど100匹の蝙蝠が描かれていると言います。数え始めて、途中で諦めました。 -
『清朝末期・白玉花鳥瓶』です。
細かな細工が立体的に施された白色の玉でできた瓶です。玉は硬く、細工するのは並たいていの苦労ではすみません。 -
『清・清玉福寿如意』です。
青玉で出来た17世紀清朝時代の如意です。 -
『清・翠玉白菜』です。
翠玉の白と翠の対比が綺麗な一品です。 -
真っ黒な色をしているので、黒檀に見えますが、紫檀でできているとの説明を受けました。日にさらされていない部分にその色の名残が認められます。
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こちらも一対となった宝物棚です。日本のお宝探偵団に出されたら、想像できない値段がつく高価な品物でしょう。
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七宝でできたポット、水指でしょうか。翠玉などが散りばめられていて、皇帝の所有物だったようです。
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まさに宝石だらけの容器です。変わった形をしていますが、仏器の舎利器でしょうか。清朝・乾隆らしい文字が微かに読み取れます。
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清朝、乾隆帝時代の花瓶です。庶民から皇帝になったと言う乾隆帝は、庶民の人気が高かったとの説明を聞きました。長命でもあったとも言われます。
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細かい文様が施された七宝の皿です。図柄の中央には、お目出度そうな文字が見え、その周りに2匹の龍が描かれています。
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眩いばかりの黄金色の蓋付き容器です。皇帝が使われたと思われる品々は、誠に豪華で、贅を尽くした品物ばかりでした。
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首を伸ばした家鴨の形をした容器です。可愛らしいつくりで、土産物にコピーが作られているのではないでしょうか?
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清 乾隆
(1735-1795年)
龍紋瓶
残念ながら、大分ピンぼけの写真が続きます。乾隆帝は、清朝が栄えた頃の第六代皇帝です。 -
清 乾隆
(1735-1795年)
青花釉裡紅番蓮梅瓶 -
北宋
(11-12世紀)
定窯
白磁嬰児枕 -
唐
(618-690年)
写真文字不詳ですが、唐三彩の人物立像です。 -
唐
(618-690年)
三彩騎馬女俑 -
清 同治
(1862-1873年)
紫地粉彩花鳥器
同治帝は若くして死んだ清朝第十代皇帝です。 -
金-元
(12-14世紀)
釣窯
葡萄紫花尊 -
明 洪武
(1368-1402年)
釉裏紅纏枝菊花紋玉壷春瓶 -
明 萬暦
(1572-1620年)
五彩花鳥韮(?)頭瓶
萬暦(ばんれき)帝は、明の第十四代皇帝です。隆慶帝の第3子として生まれ、10歳で即位しました。豊臣秀吉の朝鮮出兵では、宗主国として李氏朝鮮を援助しました。
明が文化的に最盛期を迎え、景徳鎮における万暦赤絵等の陶磁器の名品が生まれた時期です。 -
明 永楽
(1402-1424年)
青花四季花弁扁壷
永楽帝は1360年、洪武帝の第4子として生まれました。明の第三代皇帝です。日本の足利義満時代にで即位しました。義満は祝賀の使節を送り、以後、貿易が盛んになりました。 -
明 永楽
(1402-1424年)
青花龍紋扁壷
皇帝のシンボルである龍は、指が5本ですが、これは3本です。皇帝に献上されたものではないようです。
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