winterreiseさんへのコメント一覧全15件
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懐かしいハイガーロッホの名を見て
winterreiseさん、
今晩は。
懐かしいハイガーロッホの名を見て、拝読させて頂きました。
日本人の方が訪れる事は無いだろうと思っていましたので、
意外に思ったものです。
私共は武骨な城塞ハイガーロッホ城を目指していきましたので、
下の町の木組みの家並みなどの様子を見てきませんでした。
古い、手持ちのドイツの観光本で見かけた、かつてローマ軍団の
城塞だったハイガーロッホ城、ローマの城砦都市であったロットバイル
の町が若い頃から気になっておりましたが、定年後の旅で、2015年
に初めて訪れる事が出来ました。
城はこの町の高台、教会の上にありましたから、帰る際に下の町
をレンタカーで走り抜け、次の予定地に向かってしまいました。
時間に余裕があれば、もう少し町の観光も楽しめたのでしょうが。
お好きな教会でのコンサート、しかも合唱をお楽しみになられた
様子は誠に素晴らしく、私には少々驚きでした。
良い写真を拝見して、かつての旅の不足分を充足できました。
尚、間違えて、もう一つコメントを送ってしまいました。
お手数をおかけしますが、削除をお願い申し上げます。
また、フォロー頂き有り難うございます。
当方も先ほどフォローさせて頂きました。
ざっと旅行記の題名を見ますと、興味の湧く場所ばかりで、
又立ち寄らせていただきます。どうぞ宜しくお願いいします。
jijidaruma
RE: 懐かしいハイガーロッホの名を見て
jijidaruma 様
感想コメントをいただいたところ、投稿に気付かなく返信が遅くなり申し訳ありません。
ハイガーロッホの教会演奏会は、音楽祭のプログラムでたまたま見つけました。ハイガーロッホの名前も聞くのはもちろん初めてでしたし、街を地図を調べるとやけに遠方の教会で演奏会をやるなあと感じておりました。
長年趣味で合唱をしており、ドイツの教会で歌える機会もそう有る訳ではないので、多少の不安を持ちつつ参加しましたが、本当にいい体験となりました。
私はドイツ語圏の国が好きなので、jijidaruma 様の旅行記はたいへん興味深く拝見しております。特にフォートラベルの旅行記は新しい旅行時期のものが多く、80年代のドイツの様子や資料など、なかなか得られない情報だと思いますので、今後も是非ご投稿を続けていただけたらと存じます。
なお、フォローもしていただきありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。
winterreise
2025年11月09日02時00分 返信する -
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懐かしくて、お邪魔させて頂きました。
winterreiseさん、こんにちは。
初めまして。
主人の病気もあり、4トラ投稿してませんが、時々新着記を見せて貰ってます。
海外旅行記初めてです。主人がドイツが好きで何度も旅しました。
ミッテンバルトは、私も雰囲気が好きでした。バイオリン作りの街ということで
テレビで知った主人が、旅に選びました。
教会内に入られたのですね。丁寧に楽しまれた様子ですね。
広い街ではないと記憶してましたが、撮られたお写真で見てない所が多くて
少し残念な思いです。
旅行記は前に投稿したのですが、訳あって削除しました。
懐かしくてお邪魔させて頂きました。ありがとうございました。
toraobasan
、2023年08月05日18時16分返信する -
ビロード革命直後のプラハの様子拝見しました
はじめましてwinterreiseさん
貴重なビロード革命直後のプラハですが、風景は今とほとんど変わっていない様子。
しかし、それまでドイツの占領やプラハの春後の共産主義の時代を経て、ビロード革命でやっと民主化されチェコスロバキアの人々の気持ちは大きく変化したのだと思います。
私達は10年ほど前にプラハに旅行し、その時にトラブルがあり親切にしていただいたご家族とお付き合いをしています。
2016年9月にもプラハのご家族宅にお世話になっておりました。
その一月前の8月30日に東京オリンピックの体操女子の金メダルリストのベラ・チャフラフスカさんが亡くなられており、プラハの町を散策中に国民劇場の扉に「ベラ・チャフラフスカ」さんの追悼の催しが行われるチラシが貼られていました。
チャフラフスカさんはプラハの春で民主化を求める「二千語宣言」に署名し、政治的に抑圧されスポーツ界からも排除され、ビロード革命までの20年余り厳しい状況に置かれました。
チェコスロバキアの民主化に尽くされオリンピックでの国民的英雄の追悼の催しのときに私たちがプラハに滞在しているのも何かのご縁がありるものと感じ、友人にロウソクを準備していただき、当日は国民劇場横の広場でロウソクをお供えしてきました。
Re: ビロード革命直後のプラハの様子拝見しました
ひびき56さん 様
こんばんは。
ビロード革命のことを覚えている方も
そんなにいないのかなと思っておりましたので
コメントへのご投稿、たいへんうれしく受け取りました。
ありがとうございました。
チャフラフスカさんの名前も懐かしいですね。
オリンピックの時は、まだほんの子供でしたが
記憶に残っています。
追悼の催しがされるほど国民には愛されていたのですね。
また海外旅行に行きたい思っていますが、
コロナの収束までは、まだ時間がかかりそうですね。
どうぞご自愛くださいませ。
2021年02月23日00時22分 返信する -
ドイツ旅行記拝見しました。
ドイツの旅行記、拝見しました。
ツアーではなく、個人旅行で行かれるのはかなり慣れておられるのですね。
実は、私も妻とと旅行社のツアーで、11月30日から、ドイツ、オーストリアのクリスマスマーケットが見たくて、行くことになりました。
夏には何度か行ったことがあるのですが、冬のドイツやオーストリアは初めてなので、寒さと天候をとても気にしています。
年によっても違うと思うのですが、気温や天気予報などを見ていると、かなり、低温で雨や雪の日が多いように思うのですが、実際に行かれて、いかがですか?
寒さ対策としては、セーター、ダウンなどと考えています。
行き先は、関西空港からルフトハンザでミュンヘン、フランクフルト、ニュルンベルグ、ローテンベルグ、キーンゲン、ウルム、フュッセン、ノイッシュバンシュタイン城、、インスブルッック、ザルツブルグ、ウィーンなどです。
帰りはルフトハンザでウィーンから乗り継ぎでミュンヘン、関西空港です。
何かアドバイスがあればよろしくお願いします。2019年11月24日16時20分返信する -
クリスマスのザルツブルク
パディントンさん こんにちは~
2011年 クリスマス時期のザルツブルク旅行記にお邪魔しています。
雪のザルツブルク旧市街地 今頃は こういう感じなんですね。
夏とは また 違うザルツブルクの趣きに クリスマスのザルツブルクは
静かで いいなあって思っています。
パノラマツァーも 寒かったでしょうね。
ガイドさんは おじさんだったんですね。
じゃあ トラップ大佐になりきっての ガイドだったのかしら?
マリオット劇場も 私が行ったときは 休演日に当たっていて
見れずだったので 残念です。
ザルツブルクは いろんなところで 音楽が楽しめますね。
何度も 訪れたいところです。
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同じ季節ですね
あらまあ、昨年暮れのヴィスバーデン。
昨年の12月、フランクフルトアムマインの空港から、マインツに向かう電車(S8)に乗ってすぐにうたた寝をし、そのせいで途中の行き先変更(S9に変更)の放送をピックアップできず、ヴィスバーデンまで行きました。S8とS9は両方ともヴィスバーデン行きなんですが、ライン川のどっち側をを通るかで、S9はマインツを経由しないのです。時差ぼけやら読書やらにかまけて、一体何度間違えたことか。
同じ時期のヴィスバーデンですね。駅だのクリスマスマーケット(の名残)だのカジノだの、見覚えのある場所の写真がたくさん。
ご家族でオペラも、良いですねえ。ドイツには子供を連れて行ったこともあるのですが、あまり観光もさせてやれなかったので、次回はコンサートやオペラなども観させてやりたいです。
最後になりましたが、私のドイツ記事への投票、ありがとうございました。
今後ともよろしゅう。
Zebra
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Theaterstadtテアターシュタット劇場の町
winterreiseさん
初めまして、こんにちは。お誕生日の由、おめでとうございます。
ドイツ語名(フランツ・シューベルトが作曲した冬の旅に因んだのでしょう)に気付いて立ち寄らせていただきました。
旅行記の中で大変珍しいことに、小さな町マイニンゲンを訪れた事に気づきました。
この町の郊外の高台に古城ホテルSchloss Landsberg Meiningen古城ホテル シュロス ランドスベルグ マイニンゲン(4星、客室数20)があり、昔から一度は宿泊してみたいものと思っていました。かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅をした2011年05月25日(水)にようやく念願を果たしました。少し長くなる引用で恐縮ながら、以下をご参照ください。
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ザクセン・マイニンゲン公爵家の町は“Theaterstadtテアターシュタット劇場の町”と今は称し、中心にSchloss Elisabethenburgエリザベートブルク宮殿、掘割の傍にも1895年建築の見栄えの良い木・石組み建築のレストランHenneberger Hausヘンネベルガーハウス、木組みの家、マルクト広場にStadtkirche町の教会(新教)、そしてこの教会前に新しい記念碑がある。
“Gegen das Vergessen忘れない為に”と書かれ、1982年、自由への祈りが始まり、1989年11月7日、自由への祈りと25,000人が参加したデモが行われた。1989年11月9日、Fall der Mauer壁(ベルリンの)は崩壊した・・・と碑に書かれていた。町の歴史にはこの時、8km離れた西との国境が開いたとある。
マイニンゲンには名だたる音楽家たち、バッハ、ワーグナー、ブラームス、リヒャルト・シュトラウス、マックス・レーガー(レーガーは1911年から1914年の始めまで、マイニンゲン宮廷楽団の宮廷楽長を務めた。)などがやって来て、活躍したそうです。
ブラームスは公爵とその夫人に特に好まれ、よく城を訪れ、コンサートをHofkapelle宮廷礼拝堂でおこなった。
彼の交響曲第4の初演(1885年)もHoftheater宮廷劇場でなされた。町にはブラームスの散歩道があり、劇場近くの英国庭園には胸像(写真で拝見)も残っている。
文豪シラーも静かなBauerbachバウエルバッハの田舎で過ごしていたが、時々、片道10kmを歩いて、マイニンゲンの町にやって来たと云う。
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ドイツは小さな町が文化的で、魅力的ですね。
jijidaruma



