ねこにゃんさんのクチコミ(109ページ)全2,914件
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投稿日 2013年06月06日
総合評価:3.5
メガネのタナカが展開するジージーです。いやはやりの安い値段帯のメガネ屋さんです。5000えん程度からオール・インワーンでメガネが作れます。2本などセールも偶にやってます。22時まで営業してますので、お仕事帰りにもお気軽によれます。
- 旅行時期
- 2013年06月
- アクセス:
- 4.0
- お買い得度:
- 3.5
- サービス:
- 3.5
- 品揃え:
- 3.5
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投稿日 2013年06月06日
総合評価:3.5
なんとハンコの売上が日本一がはん 印刷のOTANIなんだそうです。知りませんでした。印材を大量に仕入れることでコストを下げ、最新鋭の大型彫刻機を導入することで、全国に展開する店舗の受注を本社工場で一括して大量に生産しているそうです。
- 旅行時期
- 2013年06月
- アクセス:
- 4.0
- お買い得度:
- 3.0
- サービス:
- 3.0
- 品揃え:
- 3.0
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外環に大きな看板がよく目立つ
投稿日 2013年06月06日
総合評価:3.5
外環状(国道170号線)と府道14号が交わる地点にドン キホーテ (高槻店)があります。遠くからもよく分かる看板が目印で大型の駐車場が完備されています。デジカメやテレビ、クリーナなどの電機製品、時計、ブランド用品、服など色んな物が揃っています。
- 旅行時期
- 2013年05月
- アクセス:
- 4.0
- お買い得度:
- 3.0
- サービス:
- 3.5
- 品揃え:
- 3.5
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投稿日 2013年06月06日
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オオムラサキ、俗称ヒラドツツジで、昭和58年(1983年)に大阪府の指定天然記念物に
投稿日 2013年06月06日
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古川は、古事記・日本書紀に記述がみえる最古の堤防である茨田の堤共に出てくる
投稿日 2013年06月06日
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投稿日 2013年06月05日
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投稿日 2013年06月05日
総合評価:3.5
東見附は天野川に接する枚方宿の東端で、道の両側に柵で囲われた松が植えられていました。「河内名所図会」(享和元年−1801)には、淀、伏見方向に向かう大名行列が天野川の橋に差しかかり、見送りに出た宿役人が東見附で待ち受ける光景が描かれています。 元文2年(1737)の「岡新町村明細帳」によると、天野川には長さ17間、幅3間1尺の板橋が架かっていて、岡・岡新町両村が共同管理していましたが、修繕・架替の費用は幕府が負担していました 紀伊徳川家は、参勤交代の際枚方宿に宿泊しましたが、天野川渡河にあたっては、既設橋の上流に専用の仮橋を架けさせました。
- 旅行時期
- 2013年06月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2013年06月05日
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明治18年6月枚方市伊香賀で堤防が切れ大洪水になったそうです
投稿日 2013年06月05日
総合評価:3.5
明治18年の水害は、淀川流域では枚方市伊香賀で堤防が切れ北河内全域まで浸水が拡がり、大阪市公邸あたりの堤防を人工的に開いて北河内全域の水を大川に戻しました。その後、暴風雨が来て、さらに被害が拡大したそうです。大変な大惨事だったようです。近くに淀川資料館が有り、そこで当時の決壊などを記録したものなどが見れます。
- 旅行時期
- 2013年06月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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約100 本ある梅の中には、一本の木に紅白の花をつける珍しい源平咲き分けの梅がある
投稿日 2013年06月05日
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投稿日 2013年06月05日
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歴史街道の西端の桜町にある水面回廊 淀川からの用水路を整備した散歩道
投稿日 2013年06月05日
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投稿日 2013年06月05日
総合評価:4.0
国内でただ一つ、 江戸時代の姿のままで残る鋳物工場の跡である枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館です。
大阪府指定有形文化財である「旧田中家鋳物工場及び主屋」を利用しているそうです。鋳物工場には鋳物や鋳物師に関する資料を、主屋には農具や民具などの民俗資料を展示しています。また、市内の遺跡で発掘された弥生時代の移設住居跡や復元された弥生時代の竪穴住居があります。
なんと無料です
開館時間
午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分)
休館日
毎週月曜日(祝休日の場合は翌日)
年末年始(12月29日~1月4日)
入館料
無料
住所
大阪府枚方市藤阪天神町5-1
JR学研都市線「藤阪」下車、徒歩7分
京阪電車南口ターミナル1番乗場から、京阪バス「長尾駅」行き乗車、「藤阪」下車、徒歩5分
コースとしては、枚方駅を降りて、枚方宿を見学、枚方八景の万年寺山を見学して、山を下れば枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館です。- 旅行時期
- 2013年06月
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2013年06月05日
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投稿日 2013年06月05日
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投稿日 2013年06月04日
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投稿日 2013年06月04日
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投稿日 2013年06月04日
総合評価:3.5
京・大坂間を結ぶ交通の大動脈、淀川と京街道を見下ろすこの地に豊臣秀吉が御茶屋御殿を建てたのは文禄4年(1595)のことです。
三矢村に残る記録から秀吉が「御茶殿」を当地に建てたことが確認できます。伝承では、秀吉の家臣である枚方城主本多内膳正正康の娘「乙御前」をここに住まわせたとも言われています。 京都伏見と大坂に拠点を置いた秀吉は、この間をしばしば行き来していました。中間にあたる、ここ枚方の地にも立ち寄ったことでしょう。文禄5年(1596)の淀川堤防修築に際しては、対岸の大塚から枚方の工事の様子を上機嫌で眺めたとの話も残っています。
江戸時代に入ると、御茶屋御殿は幕府公用の施設となりました。元和9年(1623)には2代将軍秀忠が、寛永3年(1626)には3代将軍家光が逗留したと記録に残されています。家光来訪の際には、秀吉が建てた「大茶殿」の脇に桁行5間、梁行3間の御殿が新築されました。 その後は利用されることもなく、「大茶殿」は承応3年(1654)老朽化により解体され、新築御殿がその用材の収納庫にあてられていました。しかし、延宝7年(1679)7月1日に起こった枚方宿の火事によって新築御殿もろとも全焼し、以後再建されることはありませんでした。
- 旅行時期
- 2013年06月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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東海道五十六番目の宿場町である枚方宿 古い街並みが大変綺麗です
投稿日 2013年06月04日




























