御茶屋御殿跡展望公園
公園・植物園
3.30
クチコミ・評判
1~10件(全10件中)
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神社の脇の展望公園
- 3.0
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
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万年寺山にあります
- 4.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
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秀吉が茶会を開いた場所
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 3
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万年寺山への途中にあります
- 3.0
- 旅行時期:2017/03(約9年前)
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自在に采配を振るう秀吉の姿が思い浮かぶようです
- 4.0
- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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秀吉縁の場所
- 3.0
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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かってその昔、豊臣秀吉が建てた御茶屋御殿があった
- 3.5
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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京・大坂間を結ぶ交通の大動脈、淀川と京街道を見下ろすこの地に豊臣秀吉が御茶屋御殿を建てたのは文禄4年(1595)のことで... 続きを読むす。
三矢村に残る記録から秀吉が「御茶殿」を当地に建てたことが確認できます。伝承では、秀吉の家臣である枚方城主本多内膳正正康の娘「乙御前」をここに住まわせたとも言われています。 京都伏見と大坂に拠点を置いた秀吉は、この間をしばしば行き来していました。中間にあたる、ここ枚方の地にも立ち寄ったことでしょう。文禄5年(1596)の淀川堤防修築に際しては、対岸の大塚から枚方の工事の様子を上機嫌で眺めたとの話も残っています。
江戸時代に入ると、御茶屋御殿は幕府公用の施設となりました。元和9年(1623)には2代将軍秀忠が、寛永3年(1626)には3代将軍家光が逗留したと記録に残されています。家光来訪の際には、秀吉が建てた「大茶殿」の脇に桁行5間、梁行3間の御殿が新築されました。 その後は利用されることもなく、「大茶殿」は承応3年(1654)老朽化により解体され、新築御殿がその用材の収納庫にあてられていました。しかし、延宝7年(1679)7月1日に起こった枚方宿の火事によって新築御殿もろとも全焼し、以後再建されることはありませんでした。
閉じる投稿日:2013/06/04
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万年寺山
- 3.5
- 旅行時期:2012/06(約14年前)
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豊臣秀吉が乙御前(おとごぜん)を住まわせたとされる御茶屋御殿跡展望公園
- 4.0
- 旅行時期:2012/03(約14年前)
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大阪・枚方市の意賀美神社(おかみじんじゃ)に隣接する御茶屋御殿跡は、豊臣秀吉が寵愛する枚方城主本多内膳正政康(ほんだないぜ... 続きを読むんのかみまさやす)の女「乙御前(おとごぜん)」を住まわせたと伝承される建物。江戸時代の御茶屋御殿は大名の休泊として使用されていたが、1679年の火災で全焼した。跡地は幕府の用材を調達する御林として残され、現在は淀川を望む御茶屋御殿跡展望公園として整備されている。
御茶屋御殿あたりにあったとされる万年山古墳(まんねんやまこふん)は、前方後円墳であったと推定される古墳。1904年に銅鏡8面が出土して古墳の存在が明らかとなっている。
閉じる投稿日:2013/03/18
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人はほぼいない
- 3.5
- 旅行時期:2011/05(約15年前)
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1件目~10件目を表示(全10件中)
基本情報(地図・住所)
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