かってその昔、豊臣秀吉が建てた御茶屋御殿があった
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- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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by ねこにゃんさん(男性)
寝屋川・枚方・交野 クチコミ:262件
京・大坂間を結ぶ交通の大動脈、淀川と京街道を見下ろすこの地に豊臣秀吉が御茶屋御殿を建てたのは文禄4年(1595)のことです。
三矢村に残る記録から秀吉が「御茶殿」を当地に建てたことが確認できます。伝承では、秀吉の家臣である枚方城主本多内膳正正康の娘「乙御前」をここに住まわせたとも言われています。 京都伏見と大坂に拠点を置いた秀吉は、この間をしばしば行き来していました。中間にあたる、ここ枚方の地にも立ち寄ったことでしょう。文禄5年(1596)の淀川堤防修築に際しては、対岸の大塚から枚方の工事の様子を上機嫌で眺めたとの話も残っています。
江戸時代に入ると、御茶屋御殿は幕府公用の施設となりました。元和9年(1623)には2代将軍秀忠が、寛永3年(1626)には3代将軍家光が逗留したと記録に残されています。家光来訪の際には、秀吉が建てた「大茶殿」の脇に桁行5間、梁行3間の御殿が新築されました。 その後は利用されることもなく、「大茶殿」は承応3年(1654)老朽化により解体され、新築御殿がその用材の収納庫にあてられていました。しかし、延宝7年(1679)7月1日に起こった枚方宿の火事によって新築御殿もろとも全焼し、以後再建されることはありませんでした。
- 施設の満足度
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- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2013/06/04
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