キエフ
今日は 小生も10月U社のツアーでキエフを訪れました。ツアーを離団して大祖国戦争記念館のみ訪れました。「バビ・ヤール」には地下鉄を乗っていけるんですね。残念ながら市内の『チェルノブイ離博物館」などにも時間が無くいけませんでした。レーニン像が倒されたのは、革命戦争〔レーニン率いる部隊)で多くのウクライナ人〔含むポーランド系・ユダヤ系など)が殺されたこと、革命後のレーニンの時代に経済政策の失敗でウクライナ農民おおよそ200万人が、後にスターリンの時代に集団農場化〔個人の資産を奪って)と収穫したばかりの穀物を政治局員〔例,二キータ・セルゲビッチ・フルシュチョフ)に命じて強奪し、600万から800万前後の農民が餓死したこと、その穀物は都市労働者の口へ、それと輸出〔外貨獲得)により、重化学工業化〔実際は軍備の増強,例戦車・航空機・野砲など)を進めたこと,言い換えればウクライナを内なる植民地化を進めたことにあります。
なお、独逸の警官と書いてありますが、必ずしもドイツ人ではないでしょう。現地の人間は生き残るためには独逸に協力する人間が多数いたことです。含むユダヤ人。また、1936-39年スターリン政府はスペイン内戦に加わりましたが、それも外貨(金)獲得が目的です。1939年ノモンハン・ついでポーランド東部侵攻・バルト諸国侵攻・第1次ソ連フィンランド戦争と続きます。では
Re: キエフ
読んでいただいてありがとうございます。文中「ドイツの警官」とあるのは、パネルに書かれたGerman policemenを訳したものですが、より詳しくはwikipediaを引用すると「バビ・ヤール大虐殺の実行は、フリードリヒ・イェケルン総指揮の下、ブローベル率いるゾンダーコマンド4aがあたった[6]。この部隊はSD(警護部隊)および治安警察(Sipo)、武装親衛隊の特別任務大隊第3中隊、そして警察第9大隊からの小隊から構成されていた。また警察第45大隊、第305大隊およびウクライナ警察の支援も受けていた。ベッサー少佐率いる警察第45大隊は、親衛隊の支援のもとユダヤ人の殺害にあたり、ウクライナ警察はユダヤ人をかき集め、峡谷へ向かわせる任にあたった[4]。」とあります。ドイツ軍に付随して民政のため警察もドイツから出動したことが分かります。このような事実は私も今回調べて初めて知りました。