2017/10/13 - 2017/10/16
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hayaojisanさん
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10月の初め、キエフを訪れた。紅葉(黄葉)の始まった大河ドニエプル河畔のこの都市は立派な建築物が多く、数々の修道院、そこを訪れる人々の信仰深さと相まって印象深かった。
ここには物見遊山で行く楽しい場所や、格別のグルメがあるわけではないが、現代の歴史を知る上で、見ておかなければならない場所がある。私はそれまで、ヨーロッパでもっとも悲惨な運命を味わった国はポーランドと思っていたが、この国に来てウクライナはそれを上回るということを知った。何しろ復活したポーランドが迫害する側になったこともあるのだから。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ホテルズドットコム
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初めての国は緊張する。まして言葉が分からず文字が全く読めないキリル文字とあってはなおさらだ。英語もあまり通じないだろう(旅行中何かたずねても逃げていく人もいた)。
空港からはタクシー、それも案内所を通して予約票をもらっていく。支払いも済ませたかったがメーターでということだった。11ミラーズ・ホテルまで34km、430UAHは日本円で1900円くらいと安い。このホテルは案内書や旅行サイトで評判のいいホテルで、我々には少しぜいたくなのだが、夜オペラ劇場へ行くので歩いて至近であるのが選んだ理由だ。 -
デザインが売り物のホテルで、面白く感じる点が多く、また居心地はとてもよい。部屋の壁にはバー設備が整えられている。酒瓶も並んでいるが、こういうものには手を付けられない。高くつくので。
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窓からの景色は平凡。
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ミニマリスト・ホテルの面目?ロビーのトイレの手洗いが黒い!
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せっかく早く着いたのでぐずぐずせず出かけることにする。街頭のコーヒー屋さんに出会う。
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木造の由緒ある建物、「黄金の門」(ゾロティ・ヴォロタ)、1037年にコンスタンティノープルの同名の門をモデルに建てられ、モンゴルに破壊されたものを1982年に再建した。私はどうしてもムソルグスキーの「展覧会の絵」の終曲、壮大な「キエフの大門」を思い浮かべる。直接関係がないのは分かっているが。
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門があるからには城壁もあったのだろう。
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聖ソフィア寺院。これまたコンスタンティノープルのアヤ・ソフィア寺院にちなみ名付けられた。ロシア的な美しい教会である。
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現存するキエフの最古の教会で、内部もゴシック式の教会などとは全く違う空間になっているが、写真は許されない。11世紀にさかのぼるフレスコ画やモザイクも興味深い。この教会を建設したキエフ公国のヤロスラフ賢公の墓もある。
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次いでマイダン広場へ向かう。翼のある女性が柱頭にある独立記念塔が見える。この広場は1990年代の独立運動の中心となった場所であり、また2013年から14年にかけての反大統領運動(ユーロマイダン)の中心ともなった。後ろに見えるのは典型的なスターリン時代の建築、ホテル・ウクライナだ。
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「自由が我々の宗教だ!」
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マイダン広場
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周りには武張ったスターリン時代のビルが立ち並ぶ。
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この辺は活動家のテントでいっぱいだったそうだが、今は大きな袋を持った買い物客が行きかい、平和に見える。
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あのガラスのドームは何だろう?
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革命の犠牲者に花をささげる人も。
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まだ完全に復旧してはいないようだが・・・
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地下はショッピングセンターになっていた。
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先ほど見たドームは地下広場の明り取りであった。
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タラサ・シェブチェンコ通りの末端にはキエフの最後のレーニン像があったが、2013年にユーロマイダンの活動家たちによって、引き倒され、粉々にされたとか。
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LENINという文字に、赤いペイントが掛けられている。ウクライナの人々には恨み骨髄に徹していたのだろう。
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記念写真を撮る人人
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レーニン像が見下ろしていた広場にはベッサラブスキー市場が見える。
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周りにはロシア的な建物が並ぶ。
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市場の中 装飾が面白い。
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花屋もある。
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反政府運動で亡くなった人のようだ。
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マイダン。昨日も来たが今日は様子が違っている。軍隊の記念日なのか、パネルが色々。
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午前中のせいか、あまり人出はない。
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案内書にあるレストランを探したが、どうしても見つからないので、ピザ屋に入る。妻はボルシチを取る。ボルシチはウクライナが本場だとか。ビールにスープではお腹がダブダブになってしまう。
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独立記念塔
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大統領官邸の方へ登って行くと道端に沢山の記念碑が見られる。
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これらは全て墓標で革命運動の犠牲者たちだ。
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若い人から老人まで多くの人が犠牲になった。しかし、この文字は読めない。
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ヤヌーコヴィチ大統領を退陣に追い込むため82人が犠牲になった。
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この文字なら読める。「2013年ー2014年の気高い革命において、自由とウクライナの尊厳のために死んだ、英雄たちのための場所」
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この歌は何なのだろう。メロディーの作り方からは、素人の作品のようだ。ウクライナの国歌を聞いてみたら、4拍子の曲だったので、3拍子のこれとは違う。文字を読めないし、ネットで検索も不能なのでどなたか教えてくれないだろうか。
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キメーラ・ハウス キメーラとはギリシャ神話で頭はライオン、胴はヤギ,尾はヘビの火を履く怪獣だ。この建物は、1903年建築家ホロデッキが自分のために建てた、アールヌーボー様式のビルで、当時としては革命的なコンクリートを使用した。大統領官邸の正面にあり、迎賓館として使われているので、厳重警戒中。なかなか近くに行けなかった。行事が行われていたらしい。
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この建物を探していると、子供連れの女性が立ち止まり親切に教えてくれた。その上、回り道になるのに子供の手を引きつつ案内してくれた。ありがとう。
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この白亜の建物が大統領官邸だ。
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近くの木には巣のようなものがいっぱい。しかし、枝の細い部分にあるので折れてしまいそうだ。
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2日目の観光を終えて今日はオペラ見物。立派な建物だ。ここでは1911年、強権を振るったロシアの首相ストルイピンが暗殺され、ロシア革命が不可避になったとか。
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劇場の内部も他のヨーロッパ諸国のオペラハウスに遜色ない。しかし入場料は信じられないほど安いのだ。
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今日の演目は「ドーナウを越えて」トルコの支配下にあったコサックたちが故郷へ帰るまでの物語を、歌はもちろん踊りを交えて華やかに描く。正規のオペラというより、観光客向けのミュージカル的な感じが強い。その意味で誰でも楽しめるだろう。
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カーテンコール。ソプラノ歌手と軽業を交えた踊りが素晴らしかった。この演目は定期的にやられているので、日程を調整して是非ご覧いただきたい。
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さて3日目となり、少し遠出する。地下鉄利用には、このようなトークンを買う。1回20円でどこまで行っても同じ。今でも社会主義国のようだ。
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正面のトンネルを下っていく。
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このエスカレーターは信じられないほど深く降りていく。またスピードも速く飛び乗る感じだ。これから向かうアルセナルナ駅は地下105㍍、世界一深いそうで冷戦時代核シェルターを兼ねていたのかと推察される。
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ホーム上にはシャンデリア
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ラブラ地区へ向かう。地下鉄アルセナルナ駅より歩く。ここにはウクライナで最も神聖といわれるキエフ・ペチェールシク大修道院がある。しかし、そこに向かう途中にホロドーモル記念碑を見ておかなければならない。
ホロドーモルとは共産党政権により、人工的に起こされた大飢饉である。外貨獲得のための強制的食料徴発と農業の集団化の失敗により1932年から1933年にかけて、400万人から1450万人の幅をもって算定されている餓死者を出した。 -
案内書には無料と書いてあったが、現在では入場料を取られる。内部には当時の農村の再現と各種展示だがさしたる見ものがあるわけではない。それにしても、生産者である農民を餓死させるような政策は、残酷と言われるどんなツァーリも取らなかったし、江戸時代にもなかった。農民は財産でもあるわけだから。しかしイデオロギーがからむと、話は別になる。共産党に盾突く連中は根絶やしにしてしまったほうがいいといった考えかたがあったのではないだろうか。現在ではスターリンによる計画的なウクライナ人殺戮という見方が強いようである。
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カタツムリ型のコーヒー屋さん
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キエフ・ペチェルーシク大修道院入口(至聖三者大門教会)、ここを通るとロシア、ベラルーシ、ウクライナ3国にとって最も神聖な場所となる。いくつもの教会や博物館、洞窟もある広大な場所だ。
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ウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂)戦争中、ソ連軍により爆破されたものを、2000年に再建。
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イコンがいっぱいに広がる。
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上部から。信徒たちの敬虔さには心打たれる。神父が掲げる十字架に接吻するための長蛇の列、実際に唇を当てる様。日本人としては公衆衛生が気になってしまうのだが。
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ウスペンスキー大聖堂。西欧のゴシックの仰々しい教会に比し、整った美しさを感じる。
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大鐘楼
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街路には落ち葉が積もる。
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修道院の食堂だがフレスコ画が美しい。
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東屋らしきもの
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遠くに異様なものが見えている。ロディーナ・マットといわれる像だが、後ほど行くことにする。
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教会の金色のクーポラと緑の屋根が美しい。
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途中、見かけた親子。
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参道を行く人々。
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ウクライナにも猫好きはいらー。
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沿道ではハチミツなど地域の特産品を売っている。
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レストランを探すため、元来た方へ。しかし敷地が広大なため遠いのだ。案内書ご推薦のツァールスケ・セローという店を探す。
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ツアールスケ・セロ レストラン キエボ・ペチェルスカ修道院の近くにある民族色豊かなレストラン。
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ここで食べるなら「チキン・キエフ」でしょう。
たまたま、隣に日本人が来たので驚く。K氏は大学院生で、オデッサに行ってきたという。彼もチキン・キエフだ。
この時期に(11月)黒海で泳いで、寒いのですぐ上がってきたとか。酔狂な人だ。「戦艦ポチュムキン」に出てくる乳母車が転がった大階段には行ったが、まだ映画は見ていないそうだ。あまり日本人のいない所で日本人に合うとうれしいもの。彼いわく、「海外旅行は一番面白い遊びですね」。同感。 -
ロディーナ・マット(直訳すると「国の母」)の奇怪な像。このようなものが、街中から見えることをどう感じるか。今でもこの国では共産主義時代の残滓が、いたるところに残っている。
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全世界に自由をもたらそうと、高くたいまつを掲げる「自由の女神」のソ連版といいたいところだが、剣と楯を掲げ無骨な表情のこの像に対して、親しみを感じるのは無理だ。このような像はレーニン像同様スクラップにするか、それができぬのなら移設してロシア国境に立てたらどうか。今や侵略者は北方からやってくるのだから。
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ロディーナ・マット像の下には大祖国戦争博物館がある。様々な兵器や遺品が展示されている。今ではロシアとの紛争による被害も展示されている。旧ソ連の共和国同士が戦争をする時代になってしまった。
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このようなロケットは誘導されるものではないので、どこに飛んで行くか分からない面がある。「大戦略」ゲームにも出てくるが、下手すると味方に当たってしまう。
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犠牲になった将校たちの写真。
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懐かしのCCCP! 天井には巨大なソ連の国章が燦然と輝く。
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上階には特に何もない。周りをながめるだけ。
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エターナル・グローリー・パーク(永遠の栄光公園)のオベリスク。
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同接近写真
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無名戦士の記念碑
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ここからはドニエプル河がきれい。
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4日目、最終日となり地下鉄ドロホジチ駅より「バビ・ヤール」へ向かう。ここはキエフ郊外で、ユダヤ人を中心にナチスによる集団虐殺のあった場所だ。
1941年9月19日、キエフはドイツ軍により占領された。その直後、ユダヤ人の虐殺が」決定され、ロシア語、ウクライナ語、ドイツ語で以下の布告がなされた。「キエフ市内および周辺のユダヤ人は墓地近くの交差点に出頭すること。出頭せず他所で発見されたユダヤ人は銃殺される。」
これに応じて3万人を超えるユダヤ人が出頭したが、彼らは金品を取り上げられたあと、衣服を脱がされ10人単位で崖のふちに立たされて銃殺された。9月29日と30日の2日間で3万3771人が殺害されたという。 -
私が初めてこの地名を知ったのはショスタコービチの交響曲第13番が「バビ・ヤール」という表題だったからである。その曲ではエフトシェンコの詩により、以下のような言葉が歌われる。「バビ・ヤールに記念碑はない。切り立つガケがそまつな墓標だ」
国営歴史記念保存地区バビヤールのパネル 記念碑の地図 -
上掲のパネルの下部の拡大
拙訳
バビヤールは大量処刑の場所であり、様々な国籍、宗教、政治的信条の人々がここで命を奪われた。この上ない残虐さがここにありる。
私たちの苦しみ・・・私たちの記憶・・・
人間の血によって書かれた、悪と受難の記録のもっとも恐ろしいページの一つだ。 -
ここで命を奪われた子供たちの記念碑
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長い並木道を歩いていく
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説明のパネルが並んでいる。右側は英語なので、じっくりと読んでいく。
「ブラツケ墓地の入口の近くで、ユダヤ人たちは金、貴重品、身分証明書を取り上げられた。
バビヤールへ向かう通路で、ドイツの警官たちはユダヤ人を殴りつけた。それから彼らは衣服を脱がされ、谷間へ降りさせられた。そこで顔を下にして寝かされて、背後から頭へ銃撃して殺されたのである。」 -
ここには戦況不利となってきたナチスが、囚人を使って虐殺の証拠を隠滅しようとしたさまが書かれている。
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ロマの人々(ジプシーと呼ばれた)も犠牲になった。これは移動のための馬車の記念碑。
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何といっても最大の犠牲者はユダヤ人である。
メノーラー(ユダヤの燭台)形の記念碑。ソ連崩壊後にようやく認められ、1991年建立。 -
近くの移設されたユダヤ人墓地
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ソ連はユダヤ人虐殺を強調することを嫌い、1976年ソ連市民および、キエフ市民に対する犯罪の記念碑を作った。
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スターリン体制下、そしてその後もソ連自体が激しい反ユダヤ政策を取っていたからである。これがプロレタリア国際主義なるものの実態だ。この記念碑は今や訪れる人も少なく、犬の散歩場になっている。
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見物のあと、トイレに困る。やむを得ずレストランに入ったところ、何とトイレはないというので、食べずにすぐ出る。地下鉄ドロホジチ駅の出口近くに見つけたが、到着時には気が付かなかった。有料。
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チェルノブイリ博物館に向かう。途中、安そうなレストランがあったので入る。現地の人が昼食を食べる場所で、味はともかく信じられないほど安い。
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チェルノブイリ博物館
チェルノブイリ博物館を捜すがなかなか見つからない。何人かにたずねた後、乳母車を押して散歩している若夫婦にたずねると、連れて行ってくれた。ただ、何故そんなところへ行くのかとけげんな顔をされた。もっといい所があると言って、丘の上の聖ミカエル修道院を指さす。子供連れの人たちは親切だ。今度の旅行でも何度も助けられた。 -
1986年4月26日の事故の瞬間を示す時計が見える。
ここには日本語のオーディオ・ガイドがある。かなり詳しい説明を聞けたが、事故に対応した人々がはっきりした説明も受けずに投入され、犠牲となったことを聞くにつけ痛ましい気持ちになる。驚いたことに爆発した4号炉以外は発電を続け、最終的に停止されたのは2000年11月だという。 -
悲劇を物語るオブジェの数々。
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博物館の外側に展示された装甲車。どれだけ放射能を防げたのだろう。なお、キエフからは今日、チェルノブイリを訪れるツアーが催行されている。さすがに、私はそれに参加するほどのスピリットは持ち合わせていない。
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聖ミカエル修道院。行けなかったので望遠レンズで撮影。
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市街電車も活躍。
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この旅行記へのコメント (3)
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- しょうちゃんさん 2018/01/07 20:22:56
- 独逸とソ連の合間での人々
- 独逸とソ連との間で亡くなった人はおおよそ2千万人そのうち両軍の戦病死者
が約800万人です。あとの人達は民間人です。最近の学術系の本では
『ブラック・アース」および「ブラック・ランド」どちらもテモシー・シュナイダーです。一読することを勧めめます。とくにネットで書かれていることは割引いて読んでください。なぜなら新たな知見が得られたりしていますし、間違いも含まれているからです。研究者はそのまま信用していません。
以上 経営教育の元研究者より
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- しょうちゃんさん 2018/01/07 10:59:01
- キエフ
- 今日は 小生も10月U社のツアーでキエフを訪れました。ツアーを離団して大祖国戦争記念館のみ訪れました。「バビ・ヤール」には地下鉄を乗っていけるんですね。残念ながら市内の『チェルノブイ離博物館」などにも時間が無くいけませんでした。レーニン像が倒されたのは、革命戦争〔レーニン率いる部隊)で多くのウクライナ人〔含むポーランド系・ユダヤ系など)が殺されたこと、革命後のレーニンの時代に経済政策の失敗でウクライナ農民おおよそ200万人が、後にスターリンの時代に集団農場化〔個人の資産を奪って)と収穫したばかりの穀物を政治局員〔例,二キータ・セルゲビッチ・フルシュチョフ)に命じて強奪し、600万から800万前後の農民が餓死したこと、その穀物は都市労働者の口へ、それと輸出〔外貨獲得)により、重化学工業化〔実際は軍備の増強,例戦車・航空機・野砲など)を進めたこと,言い換えればウクライナを内なる植民地化を進めたことにあります。
なお、独逸の警官と書いてありますが、必ずしもドイツ人ではないでしょう。現地の人間は生き残るためには独逸に協力する人間が多数いたことです。含むユダヤ人。また、1936-39年スターリン政府はスペイン内戦に加わりましたが、それも外貨(金)獲得が目的です。1939年ノモンハン・ついでポーランド東部侵攻・バルト諸国侵攻・第1次ソ連フィンランド戦争と続きます。では
- hayaojisanさん からの返信 2018/01/07 17:26:40
- Re: キエフ
- 読んでいただいてありがとうございます。文中「ドイツの警官」とあるのは、パネルに書かれたGerman policemenを訳したものですが、より詳しくはwikipediaを引用すると「バビ・ヤール大虐殺の実行は、フリードリヒ・イェケルン総指揮の下、ブローベル率いるゾンダーコマンド4aがあたった[6]。この部隊はSD(警護部隊)および治安警察(Sipo)、武装親衛隊の特別任務大隊第3中隊、そして警察第9大隊からの小隊から構成されていた。また警察第45大隊、第305大隊およびウクライナ警察の支援も受けていた。ベッサー少佐率いる警察第45大隊は、親衛隊の支援のもとユダヤ人の殺害にあたり、ウクライナ警察はユダヤ人をかき集め、峡谷へ向かわせる任にあたった[4]。」とあります。ドイツ軍に付随して民政のため警察もドイツから出動したことが分かります。このような事実は私も今回調べて初めて知りました。
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