聖さんのクチコミ(16ページ)全402件
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投稿日 2015年08月18日
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投稿日 2015年08月20日
総合評価:3.0
1638年にオスマン帝国の第12代皇帝ムラト3世がバグダードを征服したことを記念して建てられた東屋です。
ムラト3世自身は1595年に死亡。
政務は名宰相や妃にまかせ、イランのサファヴィー朝に対する勝利も名宰相たちのおかげ、
本人はハレムに入り浸って快楽に溺れ、浪費と戦費で財政を傾けたもよう。
バーダット・キョシュキュ 近くの噴水の周りに花(薔薇?)の植え込みがあって
咲いていたらさぞ良い被写体(アングル)だったろうにと惜しい気持ちになりました。
バーダット・キョシュキュの開廊側もボスポラス海峡を見渡す素晴らしい眺めのハズなのですが、こちらも曇りがちで白みがかった景色だったので、
トプカプ宮殿は全般的に不完全燃焼でした。- 旅行時期
- 2013年01月
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投稿日 2015年08月20日
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投稿日 2015年08月20日
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投稿日 2015年08月20日
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投稿日 2015年08月20日
総合評価:3.0
トトメス3世が古代テーベ・カルナック(現エジプト・ルクソール)のアメン大神殿に立てさせたものを、古代ローマ帝国皇帝テオドシウス1世がこの地に運ばせたので「テオドシウス1世のオベリスク」と呼ばれています。
オベリクスの台座4面にはテオドシウス1世とその家族や側近がヒッポドロームにおけるレースを観戦しているところや、オベリスクがどのように立てられたかが浮彫として描かれています。
柱のヒエログリフは読めませんが、台座の方はなんとなく分かりました。
(柱の碑文はこの柱を作らせたトトメス3世の軍事的偉業を讃えているそうです)- 旅行時期
- 2013年01月
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投稿日 2015年08月20日
総合評価:3.0
東ローマ帝国時代に映画「ベン・ハー」のような戦車競技などが行われていたとされる場所です。
今は3本のオベリスクを中心に長細い広場になっているので
なんとなく、広場部分が競技場のトラックだったのかなぁと思う程度です。
ベネチアのサン・マルコ寺院にある「四頭の馬」像はかつてココにありました。
と、言っても、「四頭の馬」像はもともとローマのネロ皇帝の凱旋門に飾られていたのは確認されていて、
330年 遷都の際、コンスタンティノープルのヒッポドロームに移され、
1204年に第4次十字軍が戦利品としてヴェネツィアへと持つ帰ったと言うもの。
同じくヒッポドロームにねじれた柱だけが残る「蛇の柱」の蛇の頭の部分も十字軍により破壊・略奪されたと言われています。- 旅行時期
- 2013年01月
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投稿日 2015年08月20日
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投稿日 2015年08月20日
総合評価:5.0
東ローマ帝国への物資供給や援軍を遮断して、
コンスタンティノープル攻略の足掛かりに
若干19歳そこらで(再)即位した第7代オスマン皇帝メフメット2世が建設を指示した要塞です。
このメフメット2世、ルメリ・ヒサルを3人の大臣を競わせてたった4ヶ月で完成させたり、
オスマン朝におけるスルタン即位にともなう「兄弟殺し」の法令を定めとされていたり、
征服王の異名は伊達じゃない苛烈な印象の人物です。
ライトアップされたルメリ・ヒサルはそれらのエピソードを彷彿とさせる威圧感と闇を携えていると思いました。- 旅行時期
- 2013年01月
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
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投稿日 2015年08月20日
総合評価:3.0
第一ボスポラス大橋の近くにある
1854~1855年にかけて
オスマン帝国第31代皇帝アブデュルメジト1世が
アルメニア出身の建築家バラヤンに命じて建てさせた
オスマン・バロック様式のモスクです。
2013年1月に行った時は残念ながら修復中で工事用のカバーで覆われてました。
なので橋対岸のベイレルベイ宮殿や予想外のライトアップ効果のドルマバフチェ・ジャーミィの方が印象に残りました。
(2014年7月頃には白く美しい姿を取り戻して再びお目見えしたようです。)- 旅行時期
- 2013年01月
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投稿日 2015年08月19日
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投稿日 2015年08月19日
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投稿日 2015年08月19日
総合評価:3.0
「聖なる平和」を意味する旧アヤ・イリニ教会。
アヤ・ソフィアよりも歴史が古く(現存の建物自体はアヤ・ソフィアと前後して再建されたもの)、ローマ帝国がコンスタンティノープルに遷都した時に最初の総主教座がおかれた教会です。
オスマン帝国時代にイスラム教のモスクに改装されたアヤ・ソフィアと違い、
トプカプ宮殿の敷地内にあった為モスクには転用されず、倉庫として利用されたことにより内装等が比較的ビザンチン時代のまま残る事になりました。
トプカプ宮殿の入場料がまだかからない第一庭園にあり、今はコンサート会場になる事もあるようです。- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
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投稿日 2015年08月19日
総合評価:3.0
「ラーレリ」は「チューリップ」の意 。
オランダのイメージが強いチューリップはトルコが原産国で、トルコの国花でもあります。
このモスクに限らず、チューリップをあしらったタイルはいたるところで見かけました。
ラーレリ・ジャーミーは1759~1763年にかけてオスマン帝国の第26代皇帝ムスタファ3世の命により、建築家メフメット・タヒール・アーが建設したバロック様式のモスクです。
偶然、宿泊したホテル目の前にあったモスクでしたが、
ホテルの防音が優れていたのか、旅の疲れでぐっすりだったのか、モスクからのアザーンには気づきませんでした。- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
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投稿日 2015年08月19日
総合評価:3.0
もともとビザンティン帝国時代にはゼウキッポス公衆浴場があった場所で、
オスマントルコ帝国時代にはスレイマン大帝の寵妃ヒュッレムがミマール・シナンに同じ場所にハマムを造らせました。
刑務所・倉庫・絨毯屋等ハマムとは関係のない施設に転用される事もありましたが、
2011年6月に1,700万トルコリラの資金をかけてリニューアルされ、完全予約制のラグジュアリーハマムとなりました。
どこまでミマール・シナンの設計部分が残っているのかわからないけど、寵妃気分でリラックスもいいですね。(当時にしては珍しくスルタンと法的に結婚した妃とは言え、ヒュッレムがハレムからホイホイ出てきてたかは謎ですが…)- 旅行時期
- 2013年01月
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投稿日 2015年08月19日
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投稿日 2015年08月19日
総合評価:3.0
ボスポラス海峡ナイトクルーズで海から見てきました。
夜はライトアップされ、ライトの色も何色か変化し、点灯パターンも多様、変化のスパンも短く、いろんな姿で楽しませてくれます。
渋滞する事で有名なようで、新市街側ホテルから空港に向かう時は要注意との添乗員さん談。
ヨーロッパ大陸とアジア大陸を結ぶこの橋は
全長1,510m 幅39m 水面からの高さは64mの吊り橋です。
1973年10月30日トルコ共和国建国50周年記念日の翌日に開通したとの事。- 旅行時期
- 2013年01月
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投稿日 2015年08月18日
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投稿日 2015年08月18日
総合評価:3.0
有名ドコロではトプカプの短剣・スプーン職人のダイヤモンドが展示されている宝物館です。
宝物館の混雑&一応列は形成されているものの人だかりと言ってもいいような無秩序ぶりを見るに、
かつて行ったイギリス・ロンドン塔のジュエル・ハウスの動く歩道での強制移動鑑賞は
各人が公平な距離感で見れるという点で一つの手だなと、
数年を経て異国で妙な納得したのでした。
撮影禁止ですが、「トプカプの短剣」はアヤ・ソフィアの2階にミュージアムショップでレプリカ(土産品?)を写真に収める事ができます。- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 展示内容:
- 2.5
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投稿日 2015年08月18日

























