はちのすけさんのクチコミ(109ページ)全3,564件
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投稿日 2020年03月08日
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投稿日 2020年03月08日
総合評価:3.5
橘寺の境内にある高さ、幅とも1メートル強の岩だ。説明版によると、右善面、左悪面とあり、人間の心の二面性を表現したものという。裏側は平らに加工してあり、他の石と組み合わせて使われていたのではないかと推測されている。ただ、橘寺との関連がないことから近世になって付近から運ばれてきたとの観測がもっぱらだ。飛鳥村を代表する謎の石造物の一つ。これで何を表現しようとしたのだろうか。他の町に明日香村のような石造物がないのはなぜだろうか、など謎がますます深まった。
- 旅行時期
- 2019年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月08日
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投稿日 2020年03月08日
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投稿日 2020年03月08日
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投稿日 2020年03月07日
総合評価:3.5
橿原神宮に自動車で向かうと、うっそうとした社叢に出合う。この社叢を見ると「神宮に来た!」ことを実感する。これが森林遊苑だ。神宮と橿原公苑の間に広がる「森」で、約10ヘクタールあるという。1940年の紀元2600年祭を記念して全国各地から寄進されたカシワ、クスノキ、シラカシ、マツ、キンモクセイなど約450種類、約15万本が植わっている。戦後、1954年に森林植物園としてオープンし、現在の姿となった。神宮のオーラを高めるようなエリアだ。
- 旅行時期
- 2019年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月07日
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投稿日 2020年03月07日
総合評価:3.5
戦国時代、いつ襲われるかわからないだけに商人とはいえ常在戦場だったのだろう。都市の自立性を保つために防御を固めなければならなかった。それが環濠だ。仮に大軍の前では歯が立たなくとも、自立した都市を内外に宣言する象徴的な施設だともいえる。この堀を見るたびに、町民にはある思いがわき上がったのではないか。戦国時代、環濠集落は全国に造られたはずだが、高度成長期に消滅。奈良県は積極的に保存していることから多数残っている。その中でも今井町は典型として有名だ。
- 旅行時期
- 2019年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月07日
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投稿日 2020年03月07日
総合評価:3.0
橿原市が町家のモデルハウスとして整備した建物。耐震や採光、冷暖房、環境性など現代的な要素を考慮したという。まちづくり組織「今井町並み保存会」に管理を委託し、活動拠点として運営されている。おしゃれな室内だが、庭もいい。称念寺の反対側にある。
- 旅行時期
- 2019年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月07日
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投稿日 2020年03月07日
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投稿日 2020年03月07日
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投稿日 2020年03月07日
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投稿日 2020年03月03日
総合評価:3.5
もともとは寺内町として繁栄し、その後は経済的な活動で重きをなした街だ。東西約600メートル、南北約310メートル。戦乱の時代も環濠で周囲を囲み、独立性を維持した。現在は重要伝統的建造物群保存地区で、建物約1500棟のうち約500棟が伝統的建造物として存続しているという。国の重要文化財も9棟ある。家々が立ち並ぶ様子や環濠、城下町のように食い違いの通りなど町の造りそのものにも自治都市の面影が残されている。歩いて楽しむまちだ。
- 旅行時期
- 2019年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年03月03日
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投稿日 2020年03月03日
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投稿日 2020年03月03日
総合評価:3.0
金峯山寺の中千本側にある施設だ。今は金峯山が運営しているという。観光案内所のようなものだと思うが、7月に行った時は閉まっていた。土曜日で休日なのだが、夏は人が少ない。秋の観光シーズン以外は閉鎖しているのかもしれない。
- 旅行時期
- 2019年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2020年03月03日
総合評価:3.0
吉野神宮を過ぎて下千本駐車場の手前付近にある。道路沿いに細い石碑があり、ようやくそれとわかる。道沿いから少し石段を上がった所だ。幕府軍に攻め立てられた大塔宮護良親王を逃すため、義光は親王の鎧を着て切腹。打ち捨てられた遺体を里人があわれに思い、弔ったのがこの墓だという。建武の新政を実現した忠臣の一人だ。現地は森の中で、苔むした宝篋印塔が立っている。よく手入れされており、墓前には花と小さな鎧が置かれていた。親王の鎧を着ての悲劇にちなんだのだろう。隣りには忠魂碑が立っていたが、江戸時代に地元の武士が建立したものだ。
- 旅行時期
- 2019年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年02月29日
総合評価:4.0
山辺の道の成立は弥生時代とも古墳時代の初期ともいわれる古代道路だ。沿線には数多くの古墳群や石上神宮、大神神社などの神社もあり、重要な幹線道路だったことがうかがえる。周辺は国定公園や東海自然歩道に指定されており、トイレなどの設備もある。今回は雨に見舞われ、途中で引き返した。石上神宮と大神神社を往復するのが願いだが、なかなか行けないので沿道にある神社仏閣や古墳をめぐる一環で部分部分を歩くことにしている。
- 旅行時期
- 2020年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5























