幕末から明治の歴史を感じる洋風建築 グラバー園入園チケット
620円(税込)
大浦天主堂の横,長崎港を見下す南山手にある。広さ3万平方メートルの園内に,旧グラバー住宅を中心にして9棟の明治の洋館を集めている。さまざまな形の洋館が,明治期の長崎を再現している。長崎くんちの資料を展示した長崎伝統芸能館や,歌劇「蝶々夫人」を演じた三浦環像もある。
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中島川にかかる日本最古のアーチ型石橋。興福寺2代目住職黙子如定の作。川面に映った姿からその名がある。
長崎観光の名所の1つ「眼鏡橋」を訪れました。 天気も良かったので川面に橋が映り込み橋の名前の様に眼鏡の形をした光景を観ることが出来ました。 長崎市の公式観光案内HPで 眼鏡橋は1634(寛永11)年、興福寺の黙子如定(もくす にょじょう)禅師が架設したとされている眼鏡橋。川面に映る影が双円を描き「メガネ」に見えることからこの名前がついたと言われ、東京の「日本橋」、山口の「錦帯橋」と並び日本三名橋に数えられます。 1982年の長崎大水害で一部崩壊しましたが翌年復元され、国の重要文化財に指定されています。 と書かれていましたがこういう機会でないと名前と景色だけで終わってしまいますが 歴史を知ることによりその役割や後世への影響等を少し知識として持つことが出来ました。
長崎市街の好展望台。淵神社よりロ-プウェイ5分。
車でも行けますが、混雑が予想されたので、夜景ツアーバス(2000円)を利用して行きました。 泊まっていたホテル前にバスが停まるので、大変便利でしたし、ガイドさんのお話し&説明がとても楽しく、このツアーに参加して良かったと思いました。 午後6時半出発、8時ホテル着で、夜景鑑賞は約30~40分程でした。 スロープカーに乗って頂上まで行き、展望台に登って見た夜景は世界三大夜景に選ばれるだけあって、とても印象的でした。
ピックアップ特集
長崎港の南西20km,旧海底炭田の島。別名軍艦島。【規模】面積0.1km
ずっと行きたかった軍艦島へ。前日までの数日は、波が荒くて接岸できなかっということで、上陸できないかもと心配しましたが、無事に接岸できました。クルーズ船のガイドさんの説明を聞きながら、島内の見学ルートを回りました。少し遠くからではありますが、端島の歴史を感じることができました。上陸には同意書を書いたり、持ち物や履き物に制限があったりしますので、クルーズ船の案内を事前にチェックすることをお勧めします。
鎖国時代,海外に向けて開かれた唯一の窓口であった出島。復元整備が進行しており、平成18年には新たに5棟が復元された。
国指定の史跡に認定されています。 現在の出島の建物はほとんどが復元された物ですが、明治期に建てられた神学校や長崎内外倶楽部は現存しています。 観光には時間がかかるかと思っていましたが、予想外にコンパクトで、1時間あれば見て回れる感じでした。これから何年もかけて、まだまだ復元が続くそうです。 カピタン部屋、ヘルト部屋など大きな建物は無料の観光ガイドさんの説明を聞きながら回ったので、分かりやすく歴史を学び直す良い機会になりました。 旧内外倶楽部はレストランになっているので、こちらで名物のトルコライスとミルクセーキをいただきました。 私達は車で行きましたが、近くにはたくさん駐車場(民間駐車場)もありましたし、路面電車やバスなどもすぐ近くに停まるので便利です。
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中国料理店、中国工芸・中華菓子を売る店が並ぶ。原色の飾り付けが鮮やかな、賑やかな一角。横浜、神戸と並ぶ三大中華街のひとつ。【規模】面積900平方メートル
長崎の異国情緒を代表する石畳道。幕末から明治にかけて長崎に住んだ西欧人の人を、長崎の人たちは“オランダさん”と呼び、彼らがよく上り下りした坂を一般的に“オランダ坂”と名付けた。その代表的な坂が、ホテルニュータンダ横から活水女子大学に通じる切通し。
坂道の案内板にはかって長崎の人々は出島に住むオランダ人の影響か開国後も東洋人以外の人を「オランダさん」と呼んでいました。そのため当時「オランダさんが通る坂」という意味で外国人居留地にある坂はすべてオランダ坂と呼んでいたと考えられています。と書かれていました。 現在は、主に活水女子大学下の坂、活水坂、誠孝院(じょうこういん)前の坂がオランダ坂と呼ばれています。 長崎観光の名所として2日目の観光で訪れました。
私が子供の頃まで実際に人が生活していたと考えると感慨深いものがあります。 30数年前に長崎旅行をした時には、その存在すら知りませんでした。 私たちが利用したのは株式会社シーマン商会という会社が運行する観光船でした。 当日は天候にも恵まれ、無事に上陸もできましたが、天候や波の具合によっては上陸許可が出ないことも多いそうです。長崎の港から出港して船内で長崎港の説明などを聞きながら、いよいよ軍艦島が見えてきると気分も高揚してきます。上陸後は立ち入り場所が限られているので、団体行動でガイドの解説を聞きます。 当時の島の人々の生活に思いを馳せながら、充実の時間を過ごすことができました。
通称は森岳城。元和4年(1618)から松倉重政が7年の歳月を費やして島原半島中央部の森岳に築城。子の勝家は島原の乱の責任を問われて所領没収・断罪。以後,高力忠房,松平忠房らが城主となり,松平氏の時代に明治維新を迎えた。昭和39年に,天守閣が復元されたほか,巽の櫓や丑寅の櫓が復元され,それぞれ北村西望記念館や民具資料館になっている。◎松倉重政(1573-1630)江戸初期の大名。家康に仕え,大坂の陣の後は島原領主。領内キリシタンの弾圧は有名。その苛政は島原の乱の因ともなった。平成26年度に、島原城復元50周年を迎えた。
島原鉄道島原駅から天守閣が良く見えます。ですから迷うことはありません。入り口は駅側とは反対側なのでちょっと歩かなければなりません。天守閣入り口では侍の扮装の女性スタッフが愛想よく迎えてくれました。この天守の変わっているところは破風が無いということです。この城を築いた松倉氏は所領4万3千石でありながら分不相応な城を築いたことで領民を虐げ島原の乱を招いたそうです。
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長崎県長崎市伊良林にある「風頭公園」についての情報を発信していきます。今回、「風頭公園」を訪れたのは2024年6月21日です。「風頭公園」へのアクセスは、「長崎バス」を利用するのが便利です。「JR長崎駅」東口の「歩道橋」があるので、「歩道橋」を上り「ホテルニュー長崎」方面に向かいます。「大波止め通り」を横切る「歩道橋」を降りるとすぐ先に「長崎駅前南口」バス停があります。「風頭山」バス停で下車し、そこから右方向に200mほど進むと4つ目の角があり「風頭公園」、「亀山社中跡」の案内板がありますので、そこを右折し100mほど進むと左手に「風頭公園ハタ揚げ広場」があります。 「風頭公園」は、長崎港を望む標高151.9mの「風頭山」にあり、長崎名物「ハタ揚げ(凧揚げ)」の名所として有名です。春には、約350本の桜、初夏には約2,500本ものあじさいが咲き誇り、四季折々の花々が楽しめます。春には「風頭公園桜まつり」が行われ、夜はぼんぼりが灯され、ライトアップされ幻想的な雰囲気を醸し出すそうです。私たちが行った日には、まだ、もう少しで散りはじめだと思いますが、あじさいの花がきれいに咲き誇っていました。その美しく咲き誇る姿を見ると疲れが癒されました。 お目当ての「坂本龍馬之像」は、「風頭公園」の「小広場」にあります。そして、そこには腕組みをしてブーツを履き長崎湾を眺める「坂本龍馬之像」があります。この「坂本龍馬之像」は、平成元年(1989年)に長崎在住の彫刻家である「山崎和國」によって製作され、市民の募金により建てられたそうです。また、この「坂本龍馬之像」は、「坂本龍馬」本人に良く似ていると評判です。「風頭公園」周辺には、「坂本龍馬」の姿をカメラに収めた日本最初の職業写真家「上野彦馬の墓」や「風頭公園ハタ揚げ広場」の先には、「長崎ハタ資料館( 小川ハタ店)」もあります。 01_【「風頭公園」の一口メモ】 ① 所在地…〒850-0802 長崎県長崎市伊良林3丁目4-510 ② 電話:095-821-095-829-1184(長崎市地域整備2課) 02_【「風頭公園」へのアクセス】 ⑴ バスを利用して ① [長崎駅前南口]⇒[風頭山]≪矢の平線[70]田上ゆき [大波止:中川町:風頭山:白木経由]:長崎バス≫ ・バスのりば:「JR長崎駅」東口の「歩道橋」があるので、「歩道橋」を上り「ホテルニュー長崎」方面に向かいます。「大波止め通り」を横切る「歩道橋」を降りるとすぐ先にあります。 ・14停留所目(「愛宕団地前」の次の停留所) 所要時間約21分 ・9時から17時の間に1時間平均1便 ★15時のみ2便 ・「風頭山」バス停で下車し、「風頭山」まで徒歩4分500mほど →「風頭山」バス停から右方向に200mほど進むと4つ目の角があり「風頭公園」、「亀山社中跡」の案内板がありますので、そこを右折し100mほど進むと左手に「風頭公園ハタ揚げ広場」があります。 ⑵ 「JR長崎駅」かもめ口から徒歩40分2700mほど
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日本キリシタン殉教史の始まりといわれる場所。
長崎県長崎市西坂町にある「日本二十六聖人殉教記念碑」と「日本二十六聖人記念館」についての情報を発信していきます。今回、「日本二十六聖人殉教記念碑」と「日本二十六聖人記念館」を訪れたのは2024年月日です。 最終の目的地である「日本二十六聖人殉教記念碑」、「日本二十六聖人記念館」へ「大浦天主堂」前からタクシーで向かいました。「日本二十六聖人殉教記念碑」は、「JR長崎駅」東側にある「NHK長崎放送局」横の坂道を180mほど上ると左手に小高い丘があります。そして、「西坂公園」の出入口がそこにあり、そこから入ると「日本二十六聖人殉教記念碑」が正面に見えてきます。「日本二十六聖人記念館」は、「日本二十六聖人殉教記念碑」裏側にあります。「西坂公園」の小高い丘で、慶長2年(1597)年2月5日に京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑されました。ちなみに、「豊臣秀吉」の命によって、京都と大阪で捕らえられ歩いて長崎まで護送されたフランシスコ会の宣教師6人、イエズス会のパウロ三木ら3人、信徒17人が磔形に処せられたそうです。よく「日本二十六聖人殉教記念碑」を見ると3人の子供も見受けられました。なんと痛ましいことですね。この「日本二十六聖人殉教記念碑」は、岩手県出身の彫刻家「舟越保武」が制作した二十六聖人のブロンズ像が花崗岩の台座に設置されものです。そして、ブロンズの十字架の縦木の部分に、詩編117とマルコ福音書8章34節が刻まれています。長崎県は昭和31年(1956年) 4月6日に史跡に指定しました。「日本二十六聖人記念館」は、昭和37年(1962)に建築家の「今井兼次」の設計に建設されました。「日本二十六聖人記念館」では、「聖フランシスコ・ザビエル」の渡来から明治時代までの日本のキリスト教の歴史、日本と南ヨーロッパとの出会いから生まれたキリシタン文化、二十六聖人をはじめとした殉教者のメッセージを紹介しています。『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』や、踏み絵と同型の16世紀の「ピエタ」、潜伏キリシタンゆかりの絵画「雪のサンタ・マリア」やステンドグラスなどの貴重な展示資料と約3,000冊の専門図書があり、2階には建築家の「今井兼次」が手がけた特別展示室「栄光の間」があります。私も入ってみましたが、すごく厳かで神聖な雰囲気に包まれている場所でした。私も日本の記念館等でこれだけのキリスト教関連の施設は初めての経験です。時間のないなか訪れて、貴重な体験ができ良かったと思いました。 01_【「日本二十六聖人殉教記念碑」と「日本二十六聖人記念館」の一口メモ】 ⑴ 所在地 ①「日本二十六聖人殉教記念碑」…〒850-0051 長崎県長崎市西坂町4 西坂公園 ②「日本二十六聖人記念館」…〒850-0051 長崎県長崎市西坂町7-8 電話:095-822-6000 ア 営業時間…9:00~17:00 イ 入館料…大人500円、中・高校生300円、小学生150円 ウ 休日…12月31日~1月2日 02_【「日本二十六聖人殉教記念碑」と「日本二十六聖人記念館」へのアクセス】 「JR長崎駅」東口から徒歩8分150mほど 03_【「日本二十六聖人殉教記念碑」の名簿】 殉教者の順序は慶長2年(1597年)の「ルイス・フロイス」 の記録によるそうです。レリーフも、この順序に従い、殉教者は、右から左へ並んでいます。 ①聖フランシスコ ②聖コスメ竹屋 ③聖ペトロ助四郎 ④聖ミカエル小崎 ⑤聖ディエゴ喜斉 ⑥聖パウロ三木 ⑦聖パウロ茨木 ⑧聖ヨハネ五島 ⑨聖ルドビコ茨木 ⑩聖アントニオ ⑪聖ペトロ・バプチスタ ⑫聖マルチノ・デ・ラ・アセンシオン(スペイン) ⑬聖フィリッポ・デ・ヘスス(メキシコ) ⑭聖ゴンザロ・ガルシア(インド) ⑮聖フランシスコ・ブランコ(スペイン) ⑯聖フランシスコ・デ・サン・ミゲル(スペイ ン) ⑰聖マチアス ⑱聖レオン烏丸 ⑲聖ボナベントウラ ⑳聖トマス小崎 ㉑聖ヨアキム榊原 ㉒聖フランシスコ医師 ㉓聖トマス談義者 ㉔聖ヨハネ絹屋 ㉕聖ガブリエル ㉖聖パウロ鈴木
目の前に九十九島が180度のパノラマで広がる展望台。佐世保でも一番人気です。展望台下の園地には、春(3月下旬~4月上旬)は菜の花、秋(10月中旬~10月下旬)はコスモスが咲き誇り、花の季節は特に大勢の人でにぎわいます。
1689年、長崎奉行所は、唐人の密貿易とキリシタン信仰を取り締まるため、十善寺村に唐人屋敷を建設した。現在は唐人屋敷はなくなっているが赤煉瓦造りの長崎市市指定文化財である土神堂、天后堂、観音堂、福建会館などが残り、今なお長崎で最もムードのある町である。
長崎新地中華街の東側に、江戸幕府が一般人と外国人との交流を避けるために造った唐人屋敷がありました。1689年に完成され、拡張後は9400坪ほどの敷地になりました。煉塀と竹矢来で二重に囲まれ、2000~3000人の中国人が住んでいました。二階建ての瓦葺長屋が20棟建ち、地主神を祀る土神堂と天后堂、観音堂が建立されました。現在はこの3堂と唐人屋敷廃止後建てられた福建会館が残っています。中国との交易に欠かせない唐人屋敷ですが、長崎商人は大門までしか入れなかったそうで、遊女のみ唐人屋敷に入れたそうです。隔離され、出入りが厳しく管理された唐人屋敷です。敷地内では伝統行事を自由に行えたことも後で知りました。
居留地時代(明治中期)に建築されたと推定される洋風住宅。現在は山手地区町並保存センター、古写真・埋蔵資料館、ワールドフーズレストラン東山手「地球館」として活用されている。
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初期洋風建築の形式で、正面中央の幅広い廊下や3つの大きな部屋、幅広いベランダに領事館当時の名残が窺がえる。現在、旧居留地私学歴史資料館として活用されている。
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明治から昭和初期に活躍した建築家,下田菊太郎が設計した国内に現存する唯一の遺構。長崎市内の石造りの洋館として最大級。
長崎港松ヶ枝岸壁、大浦天主堂の坂下に建つ見事な洋館が長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館ですが。開港して間もない幕末の長崎に代理店を置き、1892年に長崎支店を開設した「香港上海銀行」、その新社屋として建設された石造3階建て建築物で国指定重要文化財です。その建物を活用した博物館です。長崎市内に残る最大級の洋館です。長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアムが博物館に併設されています。
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長崎観光の一日目の夕食を宿泊ホテルJALシティ長崎から近くて長崎一の沢山のお店が集まる繁華街の「思案橋横丁」へ行きました。 この横丁には飲食店、スナック、クラブ、BAR、コンビニ、カラオケ、小売店、酒屋等が約60店出店していて夜は約200個の提灯が点され道を照らします。 出来るだけ沢山のお店で飲食をしたくて4店をはしごしました。 長崎観光では良くネコに出会いますがこの横丁も猫に出会うことが多い通りだそうです。
※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性もあります。
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