長崎県の寺・神社・教会 ランキング
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4.29
評価詳細
- アクセス
- 3.70
- 人混みの少なさ
- 3.41
- バリアフリー
- 2.64
- 見ごたえ
- 3.82
現存する日本最古のカトリック教会。ゴシック風白亜の天主堂。ステンドグラスの光が神々しい。
- アクセス
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長崎駅 路面電車 15分
大浦天主堂下 徒歩 3分
- 予算
- 【料金】 大人: 1000円 高校生: 400円 中学生: 400円 小学生: 300円
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4.02
評価詳細
- アクセス
- 3.38
- 人混みの少なさ
- 3.74
- バリアフリー
- 3.15
- 見ごたえ
- 3.88
原爆のため焼失後、1959年に再建された鉄筋コンクリート建ての大堂。一つ残されたアンジェラスの鐘が荘厳に鳴りひびく。
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る忘れてはいけない原爆の爪痕が至る所に残されています。
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4.0
- 旅行時期: 2024/06
- by Lily-junjun
長崎県長崎市本尾町にある「浦上天主堂」についての情報を発信していきます。今回、「浦上天主堂」を訪れたのは2024年6月21続きを読む
長崎県長崎市本尾町にある「浦上天主堂」についての情報を発信していきます。今回、「浦上天主堂」を訪れたのは2024年6月21日です。「浦上天主堂」へのアクセスは、長崎県営バスの中にある県営バスターミナルの「長崎駅前」バス停から「一本木(長崎県)寺井田方面行」に乗り、「浦上天主堂前] バス停で下車します。徒歩2分140mほど「浦上天主堂」に着きます。 「JR武雄温泉駅」から13:58発の「JR西九州新幹線 かもめ29号 長崎行」に乗り、「JR長崎駅」にとんぼ返りしました。「長崎空港」行きのバスが、17:35なので、残された時間は約3時間です。これからもう一つの有名な天主堂である「浦上天主堂」へ行き、それと「日本二十六聖人殉教記念碑」、「日本二十六聖人記念館」を見学し、帰途につきます。時間が押し迫ったので、タクシーでの移動となりました。「JR長崎駅」からタクシーに乗ること7~8分で「浦上天主堂」に着きました。タクシーでは、乗り入れることができないので、手前で降り坂を上って行きました。坂を半分ほど上ると右手に「聖母子像」さらに進むと左手に原爆で無残に破壊された「旧浦上天主堂の遺構」がありました。その先に大きくそびえ立つのが「浦上天主堂」です。「浦上天主堂」に向かって右手の植え込みには、「信仰の礎碑」と「拷問石」が置かれていました。そして、「浦上天主堂」の入口の右手には、昭和56年(1981年)2月25日に来日した「教皇ヨハネ・パウロ二世」の像もありました。「浦上天主堂」の正面入口から聖堂の中に入ります。残念ながら聖堂の中は撮影禁止です。それと「大浦天主堂」と違い、祭壇まで行くことができませんでした。また、「浦上天主堂」は大きいので、写真1枚に収まりませんでした。 「浦上天主堂」の歴史を紐解いてみると、「浦上天主堂」は、明治28年(1895年)に「フレノ神父」の設計による教会の建設が開始され、大正3年(1914年)に双塔の高さが約26mある東洋一のレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式が行われました。昭和20年(1945年)に投下された原爆により建物は破壊され、周囲には被爆遺構の石像などが置かれ、当時の悲惨な状況を今に伝えています。また、境内には熱線で黒く焼け焦げ鼻や頭部を欠いた聖人の石像、また外壁や石垣には天使の像や破壊を免れた像が飾られていますが、「浦上天主堂」の外観正面の入口にも原爆遺構である「悲しみの聖母」、「使徒聖ヨハネ」像があります。これは「旧浦上天主堂」を設計した「フレノ神父」が自ら彫刻したもので、中央の「十字架のキリスト」像は原爆で破損したため複製したもので、旧天主堂の面影を残している部分です。 01_【「浦上天主堂」の一口メモ】 ⑴ 所在地…〒852-8112 長崎県長崎市本尾町1-79 電話:095-844-1777 ⑵ 内覧時間… 9:00~17:00 ※年内無休 ⑶ 拝観料・入館料…無料(※献金箱への寄付) 02_【「浦上天主堂」へのアクセス】 ⑴ 路面電車を利用して ① [長崎駅前]⇒[平和公園]≪長崎電気軌道1、3系統「赤迫行」≫ ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。 ・8停留所目(「にしはまのまち原爆資料館」の次の停留所) 所要時間約12分 ・9時から17時の間に1時間平均17~18便 ・「平和公園」電停で下車し、「浦上天主堂」まで徒歩9分600mほど ⑵ バスを利用して ① [長崎駅前]⇒[浦上天主堂前]≪長崎バス:江平線「下大橋(江平高部経由)行」≫ ・バスのりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋を渡り「県営バスセンター」の中 ・10停留所目(「医学部前」の次の停留所) 所要時間約11分 ・9時から17時の間に1時間平均1~2便 ・「平和公園」電停で下車し、「浦上天主堂」まで徒歩2分140mほど ② [長崎駅前]⇒[浦上天主堂前]≪長崎県営バス:一本木(長崎県)寺井田方面行」≫ ・バスのりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋を渡り「県営バスセンター」の中 ・10停留所目(「平和町」の次の停留所) 所要時間約12分 ・9時から17時の間に1時間平均2便 ・「浦上天主堂前」電停で下車し、「浦上天主堂」まで徒歩2分140mほど
- アクセス
- 長崎駅 バス 15分
- 営業時間
- 9:00~17:00
- 休業日
- (月)
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3.77
評価詳細
- アクセス
- 3.72
- 人混みの少なさ
- 3.96
- バリアフリー
- 2.65
- 見ごたえ
- 4.11
福州僧超然開基の黄檗寺院。長崎の唐三箇寺の代表。明朝末黄檗様の建築で本堂、第一峰門は国宝。
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る長崎三福寺の一つ
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4.0
- 旅行時期: 2024/10
- by まめ夫婦
「崇福寺」に行きました。江戸時代初期に長崎に創建された唐寺の長崎三福寺の一つだということでした。「竜宮門」ともいわれる重要続きを読む
「崇福寺」に行きました。江戸時代初期に長崎に創建された唐寺の長崎三福寺の一つだということでした。「竜宮門」ともいわれる重要文化財の「三門」を入り、国宝の「大一峰門」をくぐると本堂で国宝の「大雄宝殿」がありました。ここで拝観料300円を納めました。本尊は釈迦如来だということでした。重要文化財の「護法堂」には向かって左に韋駄天、右に関帝(関羽)、中央に観音が祀られていました。他には天和年間の飢餓の時に施粥をしたという大釜なども見ることができました。
- アクセス
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長崎駅 路面電車 12分
崇福寺下車 徒歩 3分
- 予算
- 【料金】 大人: 300円 高校生: 200円 その他: 小・中学生無料
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ピックアップ特集
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3.66
評価詳細
- アクセス
- 3.51
- 人混みの少なさ
- 3.67
- バリアフリー
- 2.26
- 見ごたえ
- 3.79
長崎の総氏神。長崎市北東の玉園山全域を占める壮大な社殿。10月の大祭、長崎くんちは日本三大祭りのひとつ。
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る長く続く石段を上り終えると、長崎市内を臨む素晴らしい眺望が待ち構えています.
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4.0
- 旅行時期: 2024/06
- by Lily-junjun
長崎県長崎市上西山町にある「諏訪神社」についての情報を発信していきます。今回、「諏訪神社」を訪れたのは2024年6月21日続きを読む
長崎県長崎市上西山町にある「諏訪神社」についての情報を発信していきます。今回、「諏訪神社」を訪れたのは2024年6月21日です。 「長崎空港」の「5番バス乗り場」から長崎空港リムジンバスに乗ること約45分で「JR長崎駅」前へ着きました。長崎空港リムジンバスは、座席の予約は不要で、並んだ順に乗車し、運賃は後払い方式です。ただ、長崎は人気の観光地なので、長崎市内に向かう長崎空港リムジンバスは、非常に混雑し一台見送らなければならない場合もあります。当日、私の二人後ろに並んでいた人は、満席のため次のバスになってしまいました。「4番バス乗り場」からも時間はかかりますが、「長崎駅前行き」のバスが出ていますので安心してください。また、全国相互利用交通系ICカード(nimoca、Suica、PASMO、ICOCAなど)なども利用できますので便利です。ICカードを利用する場合は、乗車時(バス入口右側)と降車時(運転手側)にカード読取部に交通系ICカードをタッチします。最初の目的地は、「諏訪神社」です。「諏訪神社」へのアクセスは、「長崎駅前」電停の路面電車の長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」を利用すると便利です。「長崎駅前」電停から乗車して「諏訪神社」電停で下車します。「長崎駅前」寄りに「諏訪神社」へ通じる地下道がありますので、地下道を通り階段を上がると右斜め前に「諏訪神社」の第一の鳥居があります。「諏訪神社」は、「鎮西大社」と称えられ、地元では厄除け、縁結び、海上守護の神社として崇敬され「おすわさん」と親しまれる長崎の総氏神様です。「諏訪神社」の歴史を紐解いてみると、「諏訪神社」は、かつて長崎市内に祀られていた「諏訪神社」、「森崎神社」、「住吉神社」の三社を寛永2年(1625年)に、初代宮司である肥前唐津の「青木賢清」が、長崎奉行の「長谷川権六」に願い出て、西山郷円山(現在の「松森神社」)に造営し、長崎の産土神としたのが始まりです。ちなみに、「産土神」とは、日本の神の区分のひとつで、その者が生まれた土地の守護神を指し、その者を生まれる前から死んだ後まで守護する神とされています。そして、慶安元年(1648年)には徳川幕府より朱印地を得て「社殿」が造営されました。「諏訪神社」は、安政4年(1857年)の火災で、社殿のほとんどを焼失しましたが、孝明天皇の勅命により、明治2年(1869年)に約10年の歳月をかけて以前に勝るとも劣らぬ「社殿」が再建され、さらに、昭和59年(1974年)の「御鎮座360年祭」、平成6年(1994年)の「御鎮座370年祭」を記念して、二度の造営を行い現在の「社殿」が完成しました。毎年10月7~9日の3日間にわたって行われる「諏訪神社」の秋季大祭「長崎くんち」は、龍踊、鯨の潮吹き、太鼓山など豪華絢爛で異国情緒溢れ、長崎独特の文化的伝統を伝える祭として日本三大祭の一つに数えられ、昭和54年(1979年)2月3日に「国の重要無形民俗文化財」に指定されています。「長崎くんち」は、寛永11年(1634年)に、二人の遊女が「諏訪神社神」前に謡曲「小舞」を奉納したのが祭りの始まりと言われています。現在、奉納踊を披露するのは町ごとになっており、7年に一度の当番の町は「踊町」と呼ばれています。 《「諏訪神社」のお薦め参拝巡路》 ①《社号碑》⇒②《大灯籠》⇒③《一の鳥居》⇒④《陰陽石(男石)》⇒⑤《二の鳥居》…「松の森通り」…⇒⑥《大正四年石灯籠》⇒⑦《陰陽石(女石)》⇒⑧《四の鳥居》⇒⑨《大正十二年石碑》⇒⑩《まよひ子志らせ石》⇒⑪《大狛犬》⇒⑫《五の鳥居》⇒⑬《福沢諭吉先生之像》⇒⑭《祓戸神社》⇒⑮《大門》⇒⑯《神馬像》⇒⑰《さざれ石》⇒⑱《両性合体石》⇒⑲《拝殿》⇒⑳《止め事成就の狛犬》⇒㉑《こま犬の井戸》⇒㉒《トゲ抜き狛犬》⇒㉓《願掛け狛犬》⇒㉔《酒田恒山顕彰碑》⇒㉕《祖霊社》⇒㉖《高浜虚子句碑》⇒㉗《蛭子神社》⇒㉘《八坂神社》⇒㉙《厳島神社》⇒㉚《玉園稲荷神社》⇒㉛《齋館諏訪荘》⇒㉜《舞殿》⇒㉝《神輿庫》⇒㉞《よか獅子》⇒㉟《猪目(ハートの文様)の石垣》⇒㊱《太鼓楼》⇒㊲《病魔退散大楠》 では、早速「諏訪神社」に参拝します。「諏訪神社」の「拝殿」に着くまでには、五つの大鳥居を潜り、石段は何段あるか数えませんでしたが、長く続く階段を上らなければなりません。「一の鳥居」の前には、両脇に「大灯籠」と左手に「社号碑」があります。次の「二の鳥居」の手前付近には、「陰陽石」である丸い形をした「男石」があります。分かりにくいので、注意して見つけてください。ちなみに、「諏訪神社」の「陰陽石」の御利益としては、参道を通る時に、男性は「女石」を、女性は「男石」を踏んだあと、「拝殿」前にある「両性合体石」を踏むと縁結びの願いが叶うとされています。「二の鳥居」を潜り、「松の森通り」を渡ると「三の鳥居」の両側に立派な「大正四年石灯籠」があります。さらに進むと「四の鳥居」がありその手前には、六角形の「陰陽石」である「女石」があります。「五の鳥居」付近には、「まよひ子志らせ石」、「大狛犬」、「福沢諭吉先生之像」、「祓戸神社」などがあります。見どころが沢山あるので、確かに長く続く石段ですが疲れを感じませんでした。「五の鳥居」を潜ると「長坂」と呼ばれる「大門」に続く坂があり、最後の石段を上れば、「大門」に到着します。「大門」は、「諏訪神社」の顔というべき門で、「大門」の下の「長坂」は、坂の町長崎を象徴するものだそうです。「大門」の内側から臨める長崎市内の眺望は絶景でした。「大門」を潜ると「拝殿」の左手に、「平和祈念像」の制作者である彫刻家の故「北村西望」の「神馬像」があります。ちなみに、この「神馬像」は故「北村西望」の102歳時の作品だそうです。100歳を過ぎてもなおこのような立派な作品を残せるとは偉大な彫刻家ですよな。そして、「拝殿」の右手には、「さざれ石」があります。ちなみに、「さざれ石」は、国歌「君が代」に「さざれ石の巌となりて」と詠われ、細かい石が長い年月をかけて固結してできた霊石のことです。また、「さざれ石」は私たち国民の一人一人をさしていて、一人の力は微力であるが、国民が力を合わせることで、大きな力(大きな巌)となることを意味しているそうです。そして、「拝殿」に進むと「陰陽石」のひし形の「両性合体石」があります。「拝殿」で参拝を終え、右方向に進むと「大門」の右手の廻廊(西回廊)のところに「本殿前休憩所」がありました。この「本殿前休憩所」の天井を見上げると「天井絵」がありました。この「天井絵」は、長崎美術協会会員75名により描かれたもので、目をなごませてくれました。実は、「西回廊」は、平成3年(1991年)9月に長崎地方を襲った台風17、19号により大門横の回廊(東西の廻廊)は倒壊してしまったそうです。そして、「伊勢神宮」の古材を利用し、平成7 年(1995年)11月に再建されました。「拝殿」と「社務所」の間の道を進んでいくと、私が興味があり、見たかった変わり種の「狛犬」のオンパレードです。「止め事成就の狛犬」、「こま犬の井戸」、「トゲ抜き狛犬」、「願掛け狛犬」と続きます。説明板によると「止め事成就の狛犬」は、昔から、家出の足止め、借金止め、受験のすべり止め、さらに禁酒禁煙などの願い事に、コヨリを狛犬の足に巻き祈願する信仰があったそうです。「止め事成就の狛犬」の右手には、小さな滝が流れている「神池」もありました。「こま犬の井戸」は、江戸時代から高麗犬の井戸と呼ばれ、名水としての評判も高く、どんな旱魃にも枯れることがなかったそうです。この水を飲めば安産に効き目があるともいわれています。また、別名「銭洗い狛犬」とも称され、この水でお金を洗えば倍に増えるとの信仰もあるそうです。私の家内もここぞとばかりにお金を取り出し洗っていました。「願掛け狛犬」は、江戸時代長崎の遊女街に登楼した船員に翌日海が荒れて出航できず、もう一晩泊ってもらうことを願い、遊女が「狛犬」を海の方向に廻して願いを懸けたことに由来するそうです。「狛犬」は廻せるそうですが壊れるんじゃないかと思い挑戦はやめました。「トゲ抜き狛犬」は、すごい顔のこの狛犬は、昔から厄払いの信仰があり、狛犬の口の中に手を触れると心に突き刺さっているトゲを抜いてくれるそうです。「トゲ抜き狛犬」の先には、「齋館諏訪荘」がありました。「諏訪荘」は、大正9年(1920年)に長崎の豪商である「永見寛二」が建築したもので、無節の日本栂材を用い、釘を一本も使用しない大正時代を代表する日本建築です。昭和11年(1936年)から「諏訪荘」の商号により和式旅館として営業を開始し、内外の著名人が多数利用したそうです。ちなみに、天皇皇后両陛下は、皇太子時代に宿泊したそうです。昭和59年(1984年)の廃業に当たり、保存を望む市民の熱意により当神社に移築奉納されたそうです。中を見学できなかったのが心残りです。「本殿」脇の坂を下ると「舞殿」、「神輿庫」があります。「神輿庫」は「東回廊」にあり、平成3年(1991年)9月に長崎地方を襲った台風17、19号により「大門」横の回廊(東西の廻廊)は倒壊してしまったそうです。しかし、「伊勢神宮」の古材を利用し、平成7 年(1995年)11月に再建されました。「神輿庫」には、神輿が3基ありました。「狛犬」のほかにもう一つ見たかったものがあります。それは「猪目(ハートの文様)の石垣」で、「社務所」の先に石垣があり、案内板も出ていたので、すぐに見つけることができました。案内板には、「神さまのいたずら?」と書いてありました。自然の力とはすごいものだと感心しました。「猪目」にふれることで御利益を得ることができるそうです。ちなみに「猪目」とは、形状そのままに「心臓型(ハート型)」とも呼ばれる文様のことだそうです。坂を下って行くと「太鼓楼」があります。「太鼓楼」は、平成の「御大典記念」として多くの氏子崇敬者の募財をもって平成4年(1992年)4月7日に完成しました。「太鼓楼」の中には、胴回り4.25メートルの「大太鼓」があり、朝夕に太鼓の音をもって、氏子地域をお祓いしているそうです。ちなみに、「御大典」とは、譲位の翌日から皇太子殿下が新天皇となられるために一連の儀式のことです。そして、「諏訪神社」の最後は、「病魔退散大楠」です。空高くそびえ立っている大楠で500~600年前のものといわれています。ここで病魔退散を願い、次の目的地の「眼鏡橋」に向かいます。 01_【「諏訪神社」の一口メモ】 ⑴ 所在地…〒850-0006 長崎県長崎市上西山町18-15 電話:095-824-0445 ⑵ 御祭神 ①主祭神 諏訪大神(武神・厄除けの神) ②建御名方神 ③八坂刀売神 ④相殿神 住吉大神(海上安全・大漁満足の神) 02_【「諏訪神社」へのアクセス】 ⑴ 路面電車を利用して [長崎駅前]⇒[諏訪神社]≪長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」≫ ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。 ・3停留所目(「大波止」の次の停留所) 所要時間約9分 ・9時から17時の間に1時間平均6~7便 ・「諏訪神社」電停で下車し、地下道で神社の参道方面へ出ます。「諏訪神社」入口まで徒歩1分50m ⑵ 「JR長崎駅」かもめ口から徒歩24分1600m 03_【「諏訪神社」の見どころ】 ⑴ 「本殿」 安政4年(1857年)の火災で焼失しましたが、明治2年(1869年)に再建され、さらに、昭和57年(1972年)の改修工事では、桧皮から銅板への葺き替えを行いました。 ⑵ 「祝詞殿」 「祝詞殿」は、安政4年(1857年)の火災で焼失しましたが、明治2年(1869年)に再建され、昭和57年(1972年)の改修工事で増改築されました。 ⑶ 「拝殿」 「拝殿」は、明治2年(1869年)に再建された社殿を残し、それを増築する手法にて昭和58年(1973年)に増改築されました。 ⑷ 「大門」 「大門」は、諏訪神社の顔というべき門です。「大門」の下の坂は「長坂」と呼ばれ、坂の町長崎を象徴するものです。 ⑸ 「太鼓楼」 「太鼓楼」は、平成の「御大典記念」として多くの氏子崇敬者の募財をもって平成4年(1992年)4月7日に完成しました。「太鼓楼」の中には、胴回り4.25メートルの「大太鼓」があり、朝夕に太鼓の音をもって、氏子地域をお祓いしているそうです。ちなみに、「御大典」とは、譲位の翌日から皇太子殿下が新天皇となられるために一連の儀式のことです。 ⑹ 「神馬像」(しんめぞう) 「神馬像」は、「平和祈念像」の作者である彫刻家の故「北村西望」が102歳の時に手がけた作品です。昭和59年(1974年)の「第16回日展」に出品され、昭和天皇の「御在位60年」を記念して昭和60年(1985年)10月に奉納されたものです。「諏訪神社」には、明治3年(1870年)に三菱重工業長崎造船所の前身である長崎製鉄所より創業記念として「神馬像」が奉納されておりましたが、残念ながら大東亜戦争時に国へ供出されてしまいました。 ⑺ 「枝垂れ桜」 「枝垂れ桜」は、「長崎しにせ会」(長崎老舗43店の会)の30周年記念に平成元年(1989年)4月に奉納され、4月下旬から5月上旬にかけて花をつけるそうです。 ⑻ 「さざれ石」 「さざれ石」は、国歌「君が代」に「さざれ石の巌となりて」と詠われ、細かい石が長い年月をかけて固結してできた霊石のことです。また、「さざれ石」は私たち国民の一人一人をさしていて、一人の力は微力であるが、国民が力を合わせることで、大きな力(大きな巌)となることを意味しているそうです。 ⑼ 「天井絵」 「天井絵」は「西回廊」にあり、長崎美術協会会員75名により描かれたものです。実は、「西回廊」は、平成3年(1991年)9月に長崎地方を襲った台風17、19号により大門横の回廊(東西の廻廊)は倒壊してしまったそうです。「伊勢神宮」の古材を利用し、平成7 年(1995年)11月に再建されました。 ⑽ 「神輿庫」 「神輿庫」は「東回廊」にあり、やはり、平成3年(1991年)9月に長崎地方を襲った台風17、19号により大門横の回廊(東西の廻廊)は倒壊してしまったそうです。「伊勢神宮」の古材を利用し、平成7 年(1995年)11月に再建されました。「東回廊」に神輿3基を常時展示できる「神輿庫」を設営しました。 ⑾ 「玉園稲荷神社」 境内社の「玉園稲荷神社」は、商売、漁業関係の方々など多くの人々から信仰されています。例大祭日は4月9日で、毎月(十二支)「午の日」が祭り日です。 ⑿ 「かえる岩」 「玉園稲荷神社」の鎮座当時より本殿の上方にありました。この巨大な岩は、形がかえるに似ているころから「かえる岩」、「どんく岩」と呼ばれ、注連縄を廻して信仰されていました。ところが、昭和57年(1982年)7月23日の長崎大水害の際に、本殿の裏山が崩れて、「かえる岩」も本殿近くまですべり落ちましたが、本殿への土砂をくい止めました。このことから災難除けの「かえる岩」として信仰されているそうです。 ⒀ 「稲荷神社の抱き大楠」 「稲荷神社」の大楠は、「玉園稲荷神社」が創建された頃からここに自生ししていました。この玉園稲荷の神と共に生きている大楠を抱くことで稲荷の神の力が授かれるらしいので、手を大きく広げ大楠を抱いて、パワーを授かりましょう。 ⒁ 「諏訪荘」 「諏訪荘」は、大正9年(1920年)に長崎の豪商である「永見寛二」が建築したもので、無節の日本栂材を用い、釘を一本も使用しない大正時代を代表する日本建築です。昭和11年(1936年)から「諏訪荘」の商号により和式旅館として営業を開始し、日本三指に数えられました。内外の著名人が多数利用したそうです。ちなみに、天皇皇后両陛下には、皇太子時代に御宿泊されております。昭和59年(1984年)の廃業に当たり、保存を望む市民の熱意により当神社に移築奉納され、現在に至っております。 ⒂ 「本殿前休憩所」 「本殿前休憩所」にも天井絵が描かれていました。 ⒃ 「東照宮」 末社である「東照宮」は、徳川家歴代将軍を祀っています。かつては。「安禪寺」境内(現在の丸馬場公園一帯)に祀られていましたが、明治22年(1889年)5月に現在の地に遷座しました。 ⒄ 「陰陽石」 「陰陽石」は、長く続く参道の石段に配置されています。まず、参道のスタート地点にある「二の鳥居」付近にある丸い石が「男石」、「四の鳥」居付近にある六角形の石が「女石」です。さらに「拝殿」の前にはひし形の石のなかに円形の石がはめ込まれている「両性合体石」があります。「諏訪神社」の御利益としては、参道を通る時に、男性は「女石」を、女性は「男石」を踏んだあと、「拝殿」前にある「両性合体石」を踏むと縁結びの願いが叶うとされています
- アクセス
-
長崎駅 路面電車 8分
諏訪神社 路面電車
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3.62
評価詳細
- アクセス
- 3.35
- 人混みの少なさ
- 3.77
- バリアフリー
- 3.01
- 見ごたえ
- 3.97
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勝尾岳北山麓に昭和6年に建設され、昭和46年ザビエルの平戸来訪を記念して教会脇に「ザビエル記念像」が建立され、名称も「平戸ザビエル記念教会」と改められました。平戸ザビエル記念教会は寺院に囲まれており、寺院と教会の見える風景としても知られています。※新型コロナウイルス感染症防止のため拝観できません。
- アクセス
- 平戸桟橋 徒歩 15分
- 予算
- 【料金】 無料
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3.47
評価詳細
- アクセス
- 3.48
- 人混みの少なさ
- 3.94
- バリアフリー
- 3.08
- 見ごたえ
- 4.00
中国僧真円開基の黄檗寺院。本堂大雄宝殿は国の重要文化財。異国情緒に満ちた寺域は県の史跡。別名「あか寺」。
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る隠元禅師を描いた山門左側にある絵はインパクトがあります。興福寺は南京寺、あか寺とも呼ばれています。
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4.0
- 旅行時期: 2024/06
- by Lily-junjun
長崎県長崎市にある「興福寺」についての情報を発信していきます。今回、「興福寺」を訪れたのは2024年6月21日です。「興福続きを読む
長崎県長崎市にある「興福寺」についての情報を発信していきます。今回、「興福寺」を訪れたのは2024年6月21日です。「興福寺」へのアクセスは、「長崎駅前」から長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」に乗車し、「市役所」電停で下車します。「市役所」電停から「興福寺」まで徒歩5分350mほどです。路面電車の進行方向へ道なりに「桜町通り」を170mほど直進します。「長崎市民会館」を過ぎると「中島川」に架かる「芊原橋」があります。「芊原橋」を渡り右斜めにある道に入ります。130mほど進むと突き当りになり、左右に走る通りが「寺町通り」で、左折し90mほど進むと右手に「興福寺」の「山門」があります。特徴的な朱色の「隠元禅師」が描かれた「山門」を潜り境内に入ります。 【「興福寺」の参拝巡路】 ①《山門》⇒②《中島聖堂遺構》⇒③《三江会所門》⇒④《東明燕(庭園)》⑤《大雄宝殿(本堂)》⇒⑥《瑠璃燈と金色の関帝(関羽)像》⇒⑦《媽姐堂》 最初に「興福寺」の歴史を紐解いてみると、「興福寺」は「南京寺」、「あか寺」とも呼ばれ、元和6年(1620年)に、中国の南京地方出身者が、「真円」を開基に迎え「媽姐堂・仏殿」を建てたのがはじまりです。「興福寺」は、わが国最初の唐寺で、かつ「日本黄檗宗」の発祥の地です。江戸時代初期の長崎は中国から渡航してきた貿易商が多く、彼らが出身地別に寺院の建立を求めたそうです。「興福寺」もそのひとつです。また、自分たちがキリスト教徒ではないことの証明と、海の守護神「媽祖」を祀ることを目的に唐寺を建立し、菩提寺としました。第2代住職で「眼鏡橋」を架橋した「黙子如定」は、寛永9年(1632年)に「本堂」である「大雄宝殿」を建立しました。その後火災や暴風で大破しましたが、明治15年(1883年)に再建されました。そして、第3代住職「逸然」は漢画を日本に伝え、のちの画家たちに影響を与えた人物です。「山門」脇に描かれた第4代住職の「隠元禅師」は、インゲン豆や野菜果物、印鑑に木魚、煎茶や普茶料理などを中国から持ち込み、日本文化に多大なる影響を与えたそうです。特筆すべきは、「興福寺」の境内には国指定重要文化財の「大雄宝殿」や「旧唐人屋敷門」、県指定有形文化財の「媽祖堂」や「鐘鼓楼」、「三江会所門」や「山門」などの文化財の宝庫です。 まず、長崎一の大きさを誇る「山門」は、二間三戸八脚の入母屋造単層屋根・総朱丹塗りの豪壮な造りとなっています。「山門」は、当初、承応3年(1654年)に「隠元禅師」が長崎に滞在していたときに、全国より寄せられた寄進により建てられました。しかし、9年後の寛文3年(1663年)3月8日に発生した「長崎大火」で「山門」など全焼しました。現在の「山門」は、元禄3年(1690年)に、日本人工匠の手で再建されたもので和風様式を基調としています。原爆で大破しましたがその後復元しました。「山門」の上部に掛けられている二つの扁額「初登宝地」、「東明山」は「隠元禅師」の筆によるものです。「山門」は、昭和34年(1959年)1月9日に長崎県の有形文化財に指定されました。 次に、「山門」を入り右方向に進むと、長崎市が所有している「中島聖堂遺構大学門」があります。「中島聖堂」は、正保4年(1647年)に儒者の「向井元升」が私財を投じて聖堂、学舎を創設しました。。長年、「中島川」のほとりにあったので「中島聖堂」と呼ばれていました。明治元年(1868年)に廃滅し、昭和34年(1954年)に、「大学門」(杏檀門)と規模を縮小した大成殿を「興福寺」境内に移築・保存し現在に至っています。「大学門」には、中国では縁起ものとなるコウモリの穴がデザインされていました。「中島聖堂遺構大学門」は、昭和35年(1960年)3月22日に長崎県の有形文化財に指定されました。 「中島聖堂遺構大学門」の左隣には、「三江会所門」があります。三江というのは、中国の江南省、浙江省、江西省の3省のことをいいます。三江出身の中国人にとって、「興福寺」は創建以来の菩提寺でした。明治元年(1868年)に「唐人屋敷」の処分が始まり、同地方出身者が明治11年(1879年)に「三江会」を設立し、事務所を「興福寺」内に設置しました。しかし、昭和20年(1945年)の原爆で大破し、撤去されてしまいました。そのため現在では「三江会所門」のみが現存しています。「大雄宝殿」と同様に細部に用いられている純中国式の建築技法を特徴とします。そして、ここでの注目すべきポイントは「豚返し」と「東明燕」です。「三江会所門」入口に設けられた敷居は高く、これは、豚などが門内に入らないよう工夫した「豚返し」と呼ぶ中国の様式で、放し飼いにされていた豚が門内に侵入できないための仕組みです。もちろん、人が出入りできるよう二段式で上部が取り外せるそうです。次に、「三江会所門」を潜るとその先に、手入れが行き届いた見事な小庭園が視界に入ってきます。これが、「東明燕」で、三江会所跡に造成されたものです。江戸時代に造られた黄檗池、竹林など素晴らしい光景が目の前に広がります。「三江会所門」は、昭和35年(1960年)3月28日に長崎県の有形文化財に指定されました。 次が、「大雄宝殿」(本堂)です。「大雄宝殿」は、寛永9年(1632年)に第二住職である「黙子如定」禅師が建立しました。その後、「大雄宝殿」は、大火や天災の惨禍から、幾度もの再建を繰り返してきました。現在の「大雄宝殿」は、明治16年(1883年)に再建したものです。ほとんどが中国工匠による純粋の中国建築で、資材も中国より運送したものだそうです。「大雄宝殿」で否が応でも目を引いたのは、「隠元禅師」筆の「大雄宝殿」と大書した「扁額」です。それと「大雄宝殿」の中国建築様式で、見逃してはならないのが、堂外の前廊にある蛇腹に組まれた「黄檗天井」と呼ばれる舟型天井と文字通り氷を砕いたような文様となっている「氷裂式組子の丸窓」です。氷裂式組子は、明末期を代表する建築様式です。屋根に目をやると魔を威嚇している狛犬の「鬼瓦」と火除けのまじないであるひょうたん型の「瓢瓶」が視界に入ってきます。また、柱や梁に彫られた人物、鳥獣、花などの彫刻も技術の高さが伺え見とれてしまうほど精巧に作られています。ちなみに、「本堂」を「大雄宝殿」と呼ぶのは「釈迦」(大雄)を本尊として祀ることからきているそうです。次に、堂内に目をやると、金色に輝く「関帝像」が安置されています。中国では商業の神として崇拝されているそうです。そして、堂内中央には、高さ2.18メートルの巨大な「瑠璃燈」が吊り下げられています。そして、「大雄宝殿」は、中国南方建築の代表作とされ、明治時代の建築でありながら、戦前より国宝に指定され、平成5年(1993年)1月23日には国の重要文化財に指定されています。ちなみに堂内は撮影禁止です。 最後になりますが、「大雄宝殿」に向かって左手にあるのが「媽祖堂」です。「媽祖」は、「まそ」又は「ぼさ」と読み、中国南部で篤く信仰される航海の神のことで、その媽祖像を祀るのが「媽祖堂」です。長崎にやってくる唐船には守護神である「媽祖」が祀られ、船が長崎に入港し、荷役を終えて出航するまでの間大切な「媽祖」を安置して礼拝するお堂が必要となり、「媽祖堂」を建てたのが始まりだといわれています。「媽祖堂」の建築様式は、和風建築を基調としながらも、「隅屋根の反り」、「黄檗天井の前廊」、「内外装の鮮やかな朱丹塗」などの中国様式が違和感なく溶け込んだ重厚な造りとなっています。ここも堂内は撮影禁止です。 現在時間15時40分です。だいぶ押されてきましたので、次の目的地である「大浦天主堂」にタクシーで向かうことにしました。 01_【「興福寺」の一口メモ】 ⑴ 所在地…〒850-0872 長崎県長崎市寺町 4番32号 電話:095-822-1076 ⑵ 営業時間… 7:00~17:00 無休 ⑶ 入場料…①大人300円 ②中・高生200円 ③小学生100円 02_【「興福寺」へのアクセス】 ⑴ 路面電車を利用して ① [長崎駅前]⇒[市役所]≪長崎電気軌道3系統「蛍茶屋行」≫ ・路面電車のりば:「JR長崎駅」東口から「新浦上街道」に向かうと歩道橋がありその下にあります。 ・2停留所目(「桜町」の次の停留所) 所要時間約4分 ・9時から17時の間に1時間平均10~11便 ・「市役所」電停で下車し、「興福寺」まで徒歩5分350mほど →路面電車の進行方向へ道なりに「桜町通り」を170mほど直進します。「長崎市民会館」を過ぎると「中島川」に架かる「芊原橋」があります。「芊原橋」を渡り右斜めにある道に入ります。130mほど進むと突き当りになり、左右に走る通りが「寺町通り」で、左折し90mほど進むと右手に「興福寺」の「山門」があります。
- アクセス
-
長崎駅 路面電車 5分
市民会館下車 徒歩 5分
- 予算
- 【料金】 大人: 300円 高校生: 200円 中学生: 200円 小学生: 100円
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-
3.47
評価詳細
- アクセス
- 3.27
- 人混みの少なさ
- 3.78
- バリアフリー
- 3.30
- 見ごたえ
- 3.99
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る江戸時代からのキリスト教禁教令廃止後、五島列島で最初に建てられた教会で現在は堂崎天主堂キリシタン資料館となっている。
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5.0
- 旅行時期: 2024/09
- by 吉備津彦
江戸時代からのキリスト教禁教令廃止後、五島列島で最初に建てられた教会で現在は堂崎天主堂キリシタン資料館となっている。秀吉の続きを読む
江戸時代からのキリスト教禁教令廃止後、五島列島で最初に建てられた教会で現在は堂崎天主堂キリシタン資料館となっている。秀吉の切支丹禁教令で長崎で処刑された26聖人のひとりで五島出身の聖ヨハネ五島の像が立っています。資料館には江戸時代の踏み絵など貴重な切支丹関連の展示物がたくさんあります。
- アクセス
- 福江港から五島バス戸岐・観音平行きで21分、堂崎天主堂入口下車、徒歩10
-
3.42
評価詳細
- アクセス
- 3.50
- 人混みの少なさ
- 3.96
- バリアフリー
- 3.15
- 見ごたえ
- 3.86
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見るアントニオ・ガウディを彷彿する教会
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4.5
- 旅行時期: 2024/09
- by harusu
聖フィリッポ教会は、日本二十六聖人殉教地のある西坂公園にあります。西坂公園はJR長崎駅東側、NHK長崎放送局横の坂道を上り続きを読む
聖フィリッポ教会は、日本二十六聖人殉教地のある西坂公園にあります。西坂公園はJR長崎駅東側、NHK長崎放送局横の坂道を上り徒歩約6分の小高い丘に位置します。 ひときわ映える、二つの塔を持った教会はスペインの現代建築の巨匠、サグラダファミリアで有名なアントニオ・ガウディを日本で最初に紹介した、今井兼次氏の設計でたっぷりとガウデイを彷彿させてくれます。 この教会は26人の一人、メキシコ人の最初の殉教者に当たるフェリペ・デ・ヘスス(聖フィリッポ)の名前が選ばれたそうな。
- 住所
- 長崎県長崎市西坂町7-8
-
3.41
評価詳細
- アクセス
- 4.10
- 人混みの少なさ
- 3.94
- バリアフリー
- 2.58
- 見ごたえ
- 3.98
- アクセス
- JR佐世保駅から徒歩3分
- 営業時間
- 土19:30/日6:30・9:00・18:30
もっと見る
-
3.40
評価詳細
- アクセス
- 2.92
- 人混みの少なさ
- 3.88
- バリアフリー
- 3.38
- 見ごたえ
- 4.07
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仁位浅茅湾の東岸,彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭る海宮で、古くから竜宮伝説が残されています。本殿正面の5つの鳥居のうち2つは、海中にそびえ、潮の干満により、その様相を変え、遠く神話の時代を偲ばせる神秘的な雰囲気を漂わせています。
- アクセス
-
対馬空港 車 40分
厳原港 車 60分
-
宿公式サイトから予約できる長崎のホテルスポンサー提供
-
3.39
評価詳細
- アクセス
- 3.18
- 人混みの少なさ
- 3.93
- バリアフリー
- 2.75
- 見ごたえ
- 3.71
※教会は信者の皆さんにとって大切な祈りの場です。 見学の際は教会でのマナーをよく守り、お互いが気持ちよく過ごせるように心がけましょう。
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見るれんが色の教会堂と白亜の祈りの場が荘厳で美しい教会です。
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4.0
- 旅行時期: 2024/09
- by 吉備津彦
れんが色の教会堂と白亜の祈りの場が荘厳で美しい教会です。ペルー神父が1891年、バチカンにこのルルドの洞窟が再現されたと聞続きを読む
れんが色の教会堂と白亜の祈りの場が荘厳で美しい教会です。ペルー神父が1891年、バチカンにこのルルドの洞窟が再現されたと聞き、五島の信徒に呼びかけて島内の奇岩・珍石を集め、1899年、日本で最初のルルドを作りました。この霊水を飲むと病が治ると言われ、日本全国の信者の聖地となっています。教会は長崎県五島市玉之浦にあります。 福江港から約40km。島の反対側一番遠い所にあります。
- アクセス
-
福江港からバスで80分
- 福江港から車で70分
- 営業時間
- 9:00~17:00
- 予算
- (※献金箱にご寄付をお願いします。)
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-
3.38
評価詳細
- アクセス
- 3.33
- 人混みの少なさ
- 3.91
- バリアフリー
- 2.73
- 見ごたえ
- 3.59
- アクセス
- JR長崎駅から長崎電気軌道1号系統で13分、思案橋電停下車、徒歩10分
-
3.38
評価詳細
- アクセス
- 3.37
- 人混みの少なさ
- 3.89
- バリアフリー
- 2.67
- 見ごたえ
- 3.81
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る青い空と白い教会
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4.0
- 旅行時期: 2023/05
- by うららん
レンタカーで行きました。 駐車場に到着するとレンタカーばかり駐車されてました。 階段を見上げて、白い教会。 階段を上続きを読む
レンタカーで行きました。 駐車場に到着するとレンタカーばかり駐車されてました。 階段を見上げて、白い教会。 階段を上ると、『私は門である』と 『私を通って入る人は救われる』と書かれた門の間を通って教会へ。 なかなかしゃれてますね。 行った日は、拝観可能な日であったので、中も拝見させていただきました。 ここにもルルドあります。お庭も拝見してたっぷり白い教会を堪能しました。
- 住所
- 長崎県五島市岐宿町岐宿1644
-
3.38
評価詳細
- アクセス
- 3.56
- 人混みの少なさ
- 3.83
- バリアフリー
- 3.50
- 見ごたえ
- 3.54
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る🈁のチャペルもオヌヌメ\(^o^)/‼
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4.5
- 旅行時期: 2023/11
- by Midori Nakamura
『県営球場』に(檻鷹対決の)参戦した翌日に訪問しました(⌒▽⌒)💕 赤茶色のオサレな教会堂Ϥ続きを読む
『県営球場』に(檻鷹対決の)参戦した翌日に訪問しました(⌒▽⌒)💕 赤茶色のオサレな教会堂⛪✨ 何時見ても素敵に思える空間でした\(^o^)/‼ (【地下】→❝土産もん売り場❞になってると気付いた瞬間,流石に吹きましたがwww)
- 住所
- 長崎県長崎市南山手町2-18
-
3.37
評価詳細
- アクセス
- 3.17
- 人混みの少なさ
- 4.02
- バリアフリー
- 3.08
- 見ごたえ
- 4.21
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まるで絵本の中に入ったような神秘的な雰囲気の教会です。東洋でも指折りのロマネスク様式の天主堂で、柱が少なく、外観よりも大きな規模を感じる内部は、神秘的な空間を醸し出しています。※新型コロナウイルス感染症防止のため拝観できません。
- アクセス
- 平戸桟橋 車 30分
- 予算
- 【料金】 無料
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-
3.37
評価詳細
- アクセス
- 2.93
- 人混みの少なさ
- 3.81
- バリアフリー
- 2.57
- 見ごたえ
- 3.44
- 住所
- 長崎県長崎市伊良林2丁目10-2
-
3.37
評価詳細
- アクセス
- 2.85
- 人混みの少なさ
- 4.19
- バリアフリー
- 3.25
- 見ごたえ
- 3.98
- 住所
- 長崎県平戸市宝亀町1170
-
3.37
評価詳細
- アクセス
- 3.52
- 人混みの少なさ
- 3.85
- バリアフリー
- 3.25
- 見ごたえ
- 3.74
原爆と戦争の犠牲者の冥福と平和を祈る巨大な観音像が立っている。別名長崎観音。
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る坂本龍馬と勝麟太郎(勝海舟)が宿泊したお寺
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4.0
- 旅行時期: 2023/03
- by sirokuma123
長崎市観光で立ち寄りました。分紫山「福済寺」は、黄檗宗のお寺で、説明板によると、1864年に坂本龍馬と勝麟太郎(勝海舟)が続きを読む
長崎市観光で立ち寄りました。分紫山「福済寺」は、黄檗宗のお寺で、説明板によると、1864年に坂本龍馬と勝麟太郎(勝海舟)が宿泊したお寺だそうです。長崎に投下された原爆により焼失し、原爆被災者と戦没者の冥福を祈って「万国霊廟長崎観音が建てられています。 亀の形をした霊廟の上に立つ観音像の高さは34mもあるそうです。
- アクセス
- 長崎駅 徒歩 10分
- 営業時間
-
7:00~17:00
文化財 市区町村指定史跡 昭和53年8月1日 指定
- 休業日
- 無休
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-
3.36
評価詳細
- アクセス
- 3.79
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 3.55
- 見ごたえ
- 3.83
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る❝被爆建築物❞として,一度は訪問すべきspot⛪✨
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5.0
- 旅行時期: 2023/08
- by Midori Nakamura
(試合参戦の)翌日→建築物巡り⛪✨ 【中町教会さん】→❝被爆建築物d続きを読む
(試合参戦の)翌日→建築物巡り⛪✨ 【中町教会さん】→❝被爆建築物❞と知った時はshockでしたが,後に再建され現在に至ってると思うと,色々考えさせられました...(¯-¯٥)💧 (思わずShutter押しちゃいました📷✨)
- 住所
- 長崎県長崎市中町1-13
-
3.36
評価詳細
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 4.04
- バリアフリー
- 1.58
- 見ごたえ
- 4.04
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る「小島神社」壱岐の"モン・サン・ミッシェル"と呼ばれている海に浮かぶ神社です ♪
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5.0
- 旅行時期: 2025/11
- by Yukino
1620年(元和六年)創建 「壱岐のモン・サン・ミッシェル」と呼ばれている海に浮かぶ神社 干潮時に島へ続く参道続きを読む
1620年(元和六年)創建 「壱岐のモン・サン・ミッシェル」と呼ばれている海に浮かぶ神社 干潮時に島へ続く参道が現れます。 11月の干潮時間が微妙でして、早朝か夕方でした。 ハートの石も見つける事が出来ました♪ 干潮時には島へ続く参道が現れ、右回りで拝殿へ向かいました。 主祭神は、天照大神の弟神である須佐之男命であり、母神である伊邪那美命や、軻遇突智命、埴安姫命なども祀られています。 どこの神社でも同じかもしれませんが、壱岐島では島全体が小枝一本持ち出すことを許されない神域となっています。 晴れた日にもう一度行きたい場所となりました。
- 住所
- 長崎県壱岐市芦辺町諸吉二亦触1969番地
※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性もあります。
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1
大浦天主堂
- 4.29
- 寺・神社・教会
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2
浦上天主堂
- 4.02
- 寺・神社・教会
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3
崇福寺
- 3.77
- 寺・神社・教会
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4
諏訪神社
- 3.66
- 寺・神社・教会
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5
平戸ザビエル記念教会
- 3.62
- 寺・神社・教会
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6
興福寺
- 3.47
- 寺・神社・教会
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7
堂崎天主堂 キリシタン資料館
- 3.47
- 寺・神社・教会
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8
日本二十六聖人記念聖堂 (聖フィリッポ教会)
- 3.42
- 寺・神社・教会
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9
カトリック三浦町教会
- 3.41
- 寺・神社・教会
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10
和多都美神社
- 3.4
- 寺・神社・教会
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11
井持浦教会
- 3.39
- 寺・神社・教会
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12
梅園身代り天満宮
- 3.38
- 寺・神社・教会
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13
水ノ浦教会
- 3.38
- 寺・神社・教会
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14
カトリック大浦教会
- 3.38
- 寺・神社・教会
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15
カトリック紐差教会
- 3.37
- 寺・神社・教会
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16
若宮稲荷神社
- 3.37
- 寺・神社・教会
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17
カトリック宝亀教会
- 3.37
- 寺・神社・教会
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18
福済寺
- 3.37
- 寺・神社・教会
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19
中町教会
- 3.36
- 寺・神社・教会
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20
小島神社
- 3.36
- 寺・神社・教会
