国立科学博物館 前売り電子入館チケット(常設展)
630円(税込)
∧__∧ *★*――――*★*( ・∀・ )*★*――――*★* / つョJ UENO ZOOLOGIAL GARDENS 東京都恩賜上野動物園は1882年に開園☆彡 ※上野動物園は日本で最初に、そして最も長くパンダを飼育した動物園です! 1972年、日中国交正常化と友好のシンボル(パンダ外交)として 最初に上野動物園にジャイアントパンダ「カンカン」と「ランラン」がやってきました。 (●^∀^●)<歴代のパンダたち>↓↓ ♂カンカン-康康(Kang Kang)1972.10.28来園 1980.6.30死亡(推定9歳) ♀ランラン-蘭蘭(Lan Lan)1972.10.28来園 1979.9.4死亡(推定10歳) ♂フェイフェイ-飛飛(Fei Fei)1982.11.9来園 1994.12.14死亡(推定27歳) ♀ホァンホァン-歓歓(Huan Huan)1980.1.29来園 1997.9.21死亡(推定25歳) 上野動物園生まれ ♂チュチュ-初初(Chu Chu)1985.6.27誕生 1985.6.29死亡 上野動物園生まれ ♂ユウユウ-悠悠(You You)1988.6.23誕生 2004.3.4 死亡(15歳9か月) ♀トントン-童童(Tong Tong)1986.6.1誕生 2000.7.8死亡(14歳1か月) ♂リンリン-陵陵(Ling Ling)1992.11.5来園 2008.4.30死亡(22歳7か月) ♀シュアンシュアン(Shuan Shuan)2003.12.3~2005.9.26まで上野動物園に滞在 2022.7.6死亡 ♂リーリー-力力(Ri Ri)2011.2.21来園 2024.9.29中国に返還 ♀シンシン-真真(Shin Shin)2011.2.21来園 2024.9.29中国に返還 上野動物園生まれ ♀シャンシャン‐香香(Xiang Xiang)2017.6.12誕生 2023.2.21中国に返還 上野動物園生まれ ♂シャオシャオ-暁暁(XiaoXiao)2021.6.23誕生 ♀レイレイ-蕾蕾(LeiLei)2021.6.23誕生 ※「シャオシャオ」と「レイレイ」の返還期限が近づいきています、、 (´;ω;)ノ 今年は2025年6月28日にアドベンチャーワールド(和歌山県白浜町)の4頭が返還されました。 そして上野動物園生まれの双子のシャオシャオとレイレイも2026年2月20日に、間もなく中国への返還期限を迎えます。。 (´;ω;`)ウゥゥ この2頭が中国へ行くと日本からパンダが消える!? 東京都恩賜上野動物園にいるパンダが2頭とも返還されたら日本には1頭もいなくなる!! 中国側がどの国に対しても「パンダ貸し出し」という所有権を握っているんだそうです・・・ 中国めっ!! キィィ━━ヾ(#`⌒´#)ノ━━━ィィ!! 11月30日(日) 我々は上野動物園に行ってきた! パンダのもり公開時間10:00~16:00(観覧列整理は15:30で〆切) 「シャオシャオ」は屋外放飼場C 「レイレイ」は屋外放飼場B 頂いたフードはこちら↓↓ ・竹皮パンダ弁当 750円 ・パンダまん 500円 ・パンダだんご(シャオシャオorレイレイ カード付き) 500円 ・カワウソまん 500円 ・牛肉うどん 1000円 などなど 只今、動画を作成中 → 完成 動画YouTubeはこちら↓↓ https://www.youtube.com/watch?v=bqbsgTCBFGM /\/\/\/\/\/\/\ ∧ ∧ クチコミ (゚Д゚∩ by ⊂/ ノ ヒサッチ&クニ 「 _ |~  ̄ ̄ ̄ ̄ ∪ ヽ l: ☆.。:・★.。:*☆ ∪ : /\/\/\/\/\/\/\
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昭和34年(1959)に設立。実業家松方幸次郎氏のコレクション、19世紀~20世紀前半の絵画、彫刻を中心に展示している。クールベ・モネ・ルノワールなどフランス印象派の作品や、ロダンの「考える人」「地獄の門」などの彫刻など。昭和54年には新館もオープンし、レンブラントの作品が展示されている。なお、本館はフランスの建築家ル・コルビュジエによって設計されたものである。2016年、世界文化遺産に登録される。
オルセー美術館は、10年以上前に一度だけ、さらっと観たくらいでした。 日本で観れるならと雨の中行ってみました。 先にチケットは、買ってありましたので、並ばないではいれました。 室内をめぐる物語とあるように、ガラス製品だったり、お皿、一番印象的だったのが、玄関の絨毯のような毛織物に描かれたモネの睡蓮でした。こちらは、モビリエ ナショナル パリの所蔵と書いてありました。他の睡蓮とは違って、色が抑えられた茶色系で、近くでみますと毛織物とわかります。今回この展覧会に行かなかったら、見れなかったと思いました。 ルノワールの作品も何点かあって興味深く拝見しました。 写真が可の作品も何点かあって、最近の傾向かなと感じました。
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大正15年(1926)5月1日に開館した東京府(都)美術館は、半世紀にわたって新作発表の場として、都民に『上野の美術館』と親しまれてきた。また、戦前には回顧展や名作展などの様々な企画展や新しい美術の動向を伝える外国美術展が開催され、美術の殿堂としての役割を担ってきた。
多くの文化施設がある上野公園にあり、年間通じてさまざまな企画展を実施しています。 今回は「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」に行きました。日時予約制のチケットではなく、会期終了近い土曜日の午後という、一番混みそうな時間に行ったところ、適度な混み具合で、ストレスを感じることなく鑑賞できました。 スウェーデン絵画、というかそもそも北欧の絵画に今までふれる機会がほとんどなかったのですが、やはりフランスで学んだ画家も多いようで、その流れを感じました。
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1627年に藤堂高虎の屋敷内に創建された、徳川家康、吉宗、慶喜を祭神とする神社です。1651年に徳川家光によって造営され、社殿は金色に輝き、四脚の唐門は透塀で昇り龍と降り龍の彫刻が施されています。唐門近くには諸国の大名が家康の霊前に奉納した、大名の氏名と役職、奉納年月日が刻字された50基ほどの銅燈籠が並んでいます。参道脇にも銅燈籠と同じような220基ほどの石燈籠が並んでいて、いつ訪れても落ち着きが感じられます。テレビの撮影ではいつも社殿の中に入っている様子が映し出されますが、一般の参拝客は入ることができず残念に思っています。
前から訪れたかった「旧岩崎邸庭園」。「庭園」となっていますが、メインは洋館の見学です。明治維新以降日本の海運事業を支えた岩崎弥太郎さん、三菱グループの創業者です。その3代目久弥さんが、イギリス人建築家のジョサイア・コンドルに設計を依頼した洋館です。洋館はお客様との会合の場として利用され、岩崎家の人々は和の空間を住居とされていたようです。残念ながら、和の建物は現在広間など3部屋のみとなっておりほとんど残っていません。びっくりしたのがイスラム風の様式や模様が取り入れられていた部屋があった事。明治時代の財閥になった気分で広い芝生のお庭をゆっくり眺める事ができます。和室エリアにはカフェもあり休むことも出来ます。
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上野恩賜公園の南側に位置する天台宗寺院。寛永8年(1631)天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師・天海大僧正によって建立され。京都清水寺に模して本堂正面が舞台作りで、不忍池の弁天堂が眺められます。御本尊は清水寺より迎えた千手観音像で国の重要文化財指定です。
日本の美術団体としては最も古く、明治12年(1879)に設立された財団法人日本美術協会が設置する私立美術館として昭和47年(1972)に開館しました。重要文化財の公開をはじめ国際展や多くの企画展の開催、画壇への登竜門として定評のある春の「上野の森美術館大賞展」など独自の展覧も開催しています。
オランダの「クレラー・ミュラー美術館」はアムステルダムの「ゴッホ美術館」に次ぐ、世界第2位の規模となる約90点のゴッホ作品を所蔵しています。そこから多くの作品が今回来日していて、目玉は「夜のカフェテラス」です。昨年末に「クレラー・ミュラー美術館」に行ったときには「夜のカフェテラス」すでに日本に行っていて見られなかったので、今回見に行きました。 日時指定のチケットは、結構早い時期に残り少なくなっていたので、あわてて購入しました。指定時間のちょっと前に行くと外で少し並ぶので、時間内に行った方が並ばずにすぐ入れたのかなと思います。平日だったので混んでない方だったと思いますが、それでもちょっとストレスに感じる程度は混んでいました。特に「夜のカフェテラス」は撮影可ということもあって並ばないと正面から見られなくて20分ぐらい並びました。 ミュージアムショップはいったん外に出て、また並ばないといけなくて、その待ち時間が40分になっていたので、入らなかったです。
「寛永寺」は天台宗の「別格大本山」のお寺で、正式名称は「東叡山寛永寺」です。ちなみに、「東叡山」は「東の比叡山」の意味で、平安時代に桓武天皇の帰依を受けた天台宗の宗祖「伝教大師最澄上人」が開いた「比叡山延暦寺」が、京都御所の鬼門に建立されたことにならったものです。また、「寛永寺」は創建時の元号を使っています。かつては元号を冠するには朝廷の許可が必要でした。延暦7年(788年)創建の「延暦寺」を皮切りに、京都の「仁和寺」や鎌倉の「建仁寺」と「建長寺」など、勅許を得た「元号寺」は数えるほどしか残っていません。それでは、ここで「寛永寺」の歴史と概要を紐解いてみると、寛永2年(1625年)に、江戸城の鬼門(東北)にあたる「上野の山」に徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、「徳川家康」、「徳川秀忠」、「徳川家光」の3代にわたる将軍から深く信奉され、幕府の指南役として活躍した「慈眼大師天海大僧正」によって建立されました。その総本堂にあたる「根本中堂」は、元禄11年 (1698年)に現在の上野公園内「大噴水」(竹の台噴水)に建立されました。その後、第4代将軍「川家綱」の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。以後は5代将軍「徳川綱吉」、8代将軍「徳川吉宗」、10代将軍「徳川家治」、11代将軍「徳川家斉」、13代将軍「徳川家定」の豪華な霊廟が、次々と造営されました。幕末、最後の15代将軍「徳川慶喜」は、鳥羽・伏見の戦いで敗れた後、「寛永寺」で謹慎生活を送りました。江戸城の無血開城までの2カ月間を過ごした「葵の間」には、今でも愛用の品などが残されている。「徳川慶喜」は神道式の葬儀を望んだため、谷中霊園内の寛永寺墓地にある一橋家墓所の隣で永眠しています。そして、東叡山主を皇室(「輪王寺宮」)から迎えたことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となりました。慶応4年年(1868)、「上野戦争」の際に焼失してしまいた。その後、明治12年 (1879年)に「川越喜多院」の本地堂を山内子院の「大慈院」(現在の「寛永寺」)の地に移築し、再建したのが現在の「根本中堂」になります。御本尊は、「伝教大師最澄上人」がみずから彫ったと言われる「薬師瑠璃光如来像」(国指定重要文化財)を秘仏としてお祀りしています。また、「東叡山寛永寺」は、かつては、「清水観音堂」、「不忍池辯天堂」、「 五重塔」、「開山堂」、「大仏殿」など36もの子院などを有する大寺院でした。「寛永寺」の境内は「上野公園」の土地を中心に30万5000坪に及び幕府から与えられた寺領は小藩の大名に匹敵する1万5000石を誇りました。 「本堂」内も見学することができます。しかし、秘仏のため「薬師瑠璃光如来像」は拝観することはできませんでしたが、その代わり、堂内には御本尊さんの他に、「日光・月光菩薩像」や「十二神将像や四天王像」など迫力ある仏像が安置され見ごたえ十分でした。パワーをもらったうえに、無料なので得した気分でした。 本堂から出て上を眺めると「瓦」には「寛永寺」の文字が施され、「棟」には金色の「三つ葉葵」が装飾されていました。また、門にも「三つ葉葵」が装飾されていました。上野公園から少し歩きますが、途中にも歴史的建造物やモニュメントもありますので、必見の場所です。「根本中堂」の見どころ等の情報は下に箇条書きにしてありますので、合わせてご覧ください。 01_【「寛永寺」の一口メモ】 ⑴ 所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園14 ⑵ 問い合わせ 寛永寺 電話:03-3821-1259 ⑶ 開門時間 9:00〜17:00 ⑷ 本堂の拝観時間 10:00〜16:00 02_【「寛永寺」へのアクセス】 ⑴ 電車を利用した場合 ① JR「上野駅」公園口から徒歩13分1km ② 京成電鉄「京成上野駅」池の端出口から徒歩18分1.4km ③ 東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」から徒歩18分1.4km ④ JR「鶯谷駅」北口から徒歩8分650m ⑵ 台東区循環バス「東西めぐりん」を利用した場合 ① [台東区役所] ⇒[永寿総合病院行]≪東西めぐりん≫「寛永寺バス停」下車から徒歩すぐ 03_【「寛永寺根本中堂」の見どころ】 ⑴ 「本堂」(根本中堂) 天台宗の寺院では、比叡山にならって「本堂」を「根本中堂」と呼ぶことがあります。「寛永寺」の「根本中堂」は、以前は上野公園の噴水広場にありましたが、幕末の上野戦争で焼失し、明治時代に現在の場所に再建されました。そして、国の登録有形文化財に指定されている「本堂」(根本中堂)には、国指定重要文化財の「薬師瑠璃光如来像」が安置されており、「寛永寺」の秘仏となっています。「本堂」(根本中堂)の「木鼻」には、「獏」と「獅子」そして「蟇股」には「鶴」が彫刻されていました。また、「瓦」には「寛永寺」の文字が刻まれていました。「棟」には金色の「三つ葉葵」が装飾されていました。それもそのはず、「寛永寺」は徳川家の菩提寺なので、徳川家の「家紋」を「寺紋」として使っているからです。 ⑵ 「鐘楼」 「鐘楼」は天和元年(1681年)に建立され、「高さ」が177.2cm、鐘の「口径」は91.8cmの「銅鐘」です。この「鐘楼」は歴史があり、徳川幕府4代将軍「徳川家綱」の1周忌に奉献されたものだそうです。この「鐘」は、もともと「徳川家霊廟」の「鐘楼」に吊るされていましたが、明治時代に「寛永寺根本中堂」に移設されました。そして、「「寛永寺」の除夜の鐘は、境内にある「鐘楼」と、旧境内である上野公園内に残る「時鐘堂」の両方で撞かれます。ちなみに、上野公園にある「上野大仏」の近くある「時鐘堂」は、大晦日以外もいまでも毎日3回時を告げている時の鐘です。 ⑶ 「了翁禅師堂」 「寛永寺根本中堂」の境内には「了翁禅師堂」という「お堂」があります。「了翁禅師」は、江戸時代前期の僧侶で秋田県出身です。貧しい農家に生まれ、11歳の若さで出家し、修行をしながらたくさんの書物を集めていたそうです。そして、諸国を巡るうちに霊薬の処方を夢に見たことから、不忍池付近の薬屋で「錦袋円(きんたいえん)」と命名した薬を売ります。その利益で「了翁禅師」は、難民救済や「不忍池」に経堂を建てて文庫を創設し、さらには「寛永寺」の境内に「勧学寮」と「文庫」を建立しました。何とこれが日本で最初に一般公開された「図書館」と言われています。 ⑷ 二つの大きな「鬼瓦」 「寛永寺根本中堂」の境内には、大きな「鬼瓦」が二つありました。どうやらこの「鬼瓦」は、もともと「寛永寺」の「旧本坊表門」と「根本中堂」の鬼瓦据えられていたものらしいです。特に、向かって右側にある「鬼瓦」は、現在「黒門」と通称される国の指定重要文化財である「寛永寺旧本坊表門」に据えられていたものです。「旧本坊表門」は、寛永元年(1624年)に「天海大僧正」により建てられたもので、歴代の「輪王寺宮」が住んだ場所の門として知られていました。昭和12年(1937年)に、現在の「東京国立博物館」の地から「両大師堂」の隣に移築されています。 ① 「旧本坊表門」の「鬼瓦」 ② 「根本中堂」の鬼瓦 ⑸ 「銅燈籠」 大きな「銅燈籠」が2基ありますが、残念ながら。記銘が見当たりません。元はどこにあったのか所在は不明です。 ⑹ 「石燈籠」 大きな「銅燈籠」ばかりでなく、「社務所」の前には大きな「石燈籠」が1基のみあります。この「石燈籠」は南部重直盛岡藩主が奉献したものです。「石燈籠」には、「奉献石燈籠両基 武州東叡山 大猷院殿尊前 慶安四年辛卯歳十二月廿日 従五位下南部山城守源重直」と刻まれていました。 ⑺ 「水盤」 「水盤」は元禄11年銘がきされています。コケが薄らと外側を覆い歴史を感じます。 ⑻ 「慈海僧正墓」(都旧跡) 「慈海僧正墓」は「寛永寺根本中堂」に向かって右側にあります。「了翁禅師堂」に比べると、「学頭」の割には小さく、質素なものです。「慈海僧正」は、「寛永寺一山」を統括する「東叡山凌雲院」の4代目の学頭でした。「慈海僧正」は、「法華経」「薬師経」の翻刻や「四教義算注」「標指鈔」三十巻などの著作があります。聖観世音菩薩像である墓石は、当初「凌雲院」境内墓地にありましたが、東京文化会館の建設のため「寛永寺」に移築されました。 ⑼「尾形乾山墓碑・乾山深省蹟」 「慈海僧正墓」の隣には、「墓」と「尾形乾山」を讃える「顕彰碑の写し」があります。「尾形乾山」は江戸時代を代表する画家であった「尾形光琳」の弟で、絵師や陶芸家として活躍した人物です。入谷に開いた入谷窯の作品は「入谷乾山」として高く評価されています。光琳を敬慕する江戸時代後期の絵師の「酒井抱一」の手によって探り当てられ、この「乾山深省蹟」顕彰碑が建てられたといわれています。 ⑽ 「上野戦争碑記」 ひときわ大きく、誰の眼にもとまるのが「上野戦争碑記」です。幕末の明治維新のとき、現在の上野公園の一帯では、幕臣たちが結成した「彰義隊」と「明治政府軍」との間で、いわゆる「上野戦争」が行われました。この石碑は、「彰義隊」という名前を発案した人物として知られる「阿部弘蔵」が、「上野戦争」の経緯を記したものです。寛永寺はこの上野戦争で被災し、明治時代初期に敷地の大部分は上野公園となりました。 ⑾ 「虫塚」 「虫塚」は、伊勢長島藩主であった増山雪斎が写生に使った昆虫の慰霊のために建てた碑です。「増山雪斎」は、江戸の文人「大田南畝」や大坂の豪商「木村兼葭堂」など広く文人墨客と交流を持ち、写実的な画法で多くの花鳥画を描きました。中でも虫類写生図譜「虫豸帖(ちゅうちじょう)」は、指定有形文化財として指定されています。その昆虫も碑を建ててもらえるとは幸せですよね。
『東京都美術館』で【春季二期展】を鑑賞後、ランチに毎回利用している『RESTAURANT MUSE』へ行くと1時間近く待つとの事でした。仕方なく他へ移動する事になりました。作品を解説してくれた知人に案内され訪れたのが『国際こども図書館』内の『カフェBell』でした。食券を購入して直ぐにランチを楽しめました。更にリーズナブルで美味しくて大満足でした。
上野恩賜公園内の上野大仏の下のさくら通りから不忍池に向かう坂の途中に鎮座する神社。医薬の道祖神として尊崇されている古社です。健康祈願や病気平癒、学業成就の御利益で知られます。大己貴命、少彦名命を主祭神に、菅原道真公を相殿にお祀りしています。日本武尊が東征の折上野忍岡に祀ったとされる由緒ある神社です。
上野恩賜公園を訪れた時に正岡子規記念球場も見学しました。 正岡子規記念球場は、東京都が管理する草野球用の野球場で、上野恩賜公園開園式130周年の記念事業の一つとして、 平成18年から 「正岡子規記念球場」という愛称で呼ばれることになりました。 正岡子規は、明治時代に活躍した、詩人、歌人でしたが、野球が好きで、上野恩賜公園の空地でよくプレイし、ベースボール用語を日本語訳し、それが現在も使われたりした功績で、2002年に野球殿堂入りを果たしました。
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