上野・御徒町の寺・神社・教会 ランキング
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4.05
評価詳細
- アクセス
- 3.67
- 人混みの少なさ
- 3.48
- バリアフリー
- 3.18
- 見ごたえ
- 3.75
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る社殿の中に入って見たい
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4.0
- 旅行時期: 2023/11
- by ぷーちゃん
1627年に藤堂高虎の屋敷内に創建された、徳川家康、吉宗、慶喜を祭神とする神社です。1651年に徳川家光によって造営され、続きを読む
1627年に藤堂高虎の屋敷内に創建された、徳川家康、吉宗、慶喜を祭神とする神社です。1651年に徳川家光によって造営され、社殿は金色に輝き、四脚の唐門は透塀で昇り龍と降り龍の彫刻が施されています。唐門近くには諸国の大名が家康の霊前に奉納した、大名の氏名と役職、奉納年月日が刻字された50基ほどの銅燈籠が並んでいます。参道脇にも銅燈籠と同じような220基ほどの石燈籠が並んでいて、いつ訪れても落ち着きが感じられます。テレビの撮影ではいつも社殿の中に入っている様子が映し出されますが、一般の参拝客は入ることができず残念に思っています。
- 住所
- 東京都台東区上野公園9-88
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4.01
評価詳細
- アクセス
- 3.76
- 人混みの少なさ
- 3.30
- バリアフリー
- 2.80
- 見ごたえ
- 3.75
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る京都清水寺を模して建立
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4.0
- 旅行時期: 2023/10
- by teratanicho
上野恩賜公園の南側に位置する天台宗寺院。寛永8年(1631)天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師・天海大僧正によって建立され続きを読む
上野恩賜公園の南側に位置する天台宗寺院。寛永8年(1631)天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師・天海大僧正によって建立され。京都清水寺に模して本堂正面が舞台作りで、不忍池の弁天堂が眺められます。御本尊は清水寺より迎えた千手観音像で国の重要文化財指定です。
- 住所
- 東京都台東区上野桜木1-14-11
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3.96
評価詳細
- アクセス
- 3.64
- 人混みの少なさ
- 3.20
- バリアフリー
- 3.13
- 見ごたえ
- 3.57
- 住所
- 東京都台東区上野公園2-1
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3.83
評価詳細
- アクセス
- 3.51
- 人混みの少なさ
- 3.80
- バリアフリー
- 3.25
- 見ごたえ
- 3.61
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る寛永寺は36の子院からなり、その総本堂が「根本中堂」でした。
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4.5
- 旅行時期: 2023/11
- by Lily-junjun
「寛永寺」は天台宗の「別格大本山」のお寺で、正式名称は「東叡山寛永寺」です。ちなみに、「東叡山」は「東の比叡山」の意味で、続きを読む
「寛永寺」は天台宗の「別格大本山」のお寺で、正式名称は「東叡山寛永寺」です。ちなみに、「東叡山」は「東の比叡山」の意味で、平安時代に桓武天皇の帰依を受けた天台宗の宗祖「伝教大師最澄上人」が開いた「比叡山延暦寺」が、京都御所の鬼門に建立されたことにならったものです。また、「寛永寺」は創建時の元号を使っています。かつては元号を冠するには朝廷の許可が必要でした。延暦7年(788年)創建の「延暦寺」を皮切りに、京都の「仁和寺」や鎌倉の「建仁寺」と「建長寺」など、勅許を得た「元号寺」は数えるほどしか残っていません。それでは、ここで「寛永寺」の歴史と概要を紐解いてみると、寛永2年(1625年)に、江戸城の鬼門(東北)にあたる「上野の山」に徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、「徳川家康」、「徳川秀忠」、「徳川家光」の3代にわたる将軍から深く信奉され、幕府の指南役として活躍した「慈眼大師天海大僧正」によって建立されました。その総本堂にあたる「根本中堂」は、元禄11年 (1698年)に現在の上野公園内「大噴水」(竹の台噴水)に建立されました。その後、第4代将軍「川家綱」の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。以後は5代将軍「徳川綱吉」、8代将軍「徳川吉宗」、10代将軍「徳川家治」、11代将軍「徳川家斉」、13代将軍「徳川家定」の豪華な霊廟が、次々と造営されました。幕末、最後の15代将軍「徳川慶喜」は、鳥羽・伏見の戦いで敗れた後、「寛永寺」で謹慎生活を送りました。江戸城の無血開城までの2カ月間を過ごした「葵の間」には、今でも愛用の品などが残されている。「徳川慶喜」は神道式の葬儀を望んだため、谷中霊園内の寛永寺墓地にある一橋家墓所の隣で永眠しています。そして、東叡山主を皇室(「輪王寺宮」)から迎えたことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となりました。慶応4年年(1868)、「上野戦争」の際に焼失してしまいた。その後、明治12年 (1879年)に「川越喜多院」の本地堂を山内子院の「大慈院」(現在の「寛永寺」)の地に移築し、再建したのが現在の「根本中堂」になります。御本尊は、「伝教大師最澄上人」がみずから彫ったと言われる「薬師瑠璃光如来像」(国指定重要文化財)を秘仏としてお祀りしています。また、「東叡山寛永寺」は、かつては、「清水観音堂」、「不忍池辯天堂」、「 五重塔」、「開山堂」、「大仏殿」など36もの子院などを有する大寺院でした。「寛永寺」の境内は「上野公園」の土地を中心に30万5000坪に及び幕府から与えられた寺領は小藩の大名に匹敵する1万5000石を誇りました。 「本堂」内も見学することができます。しかし、秘仏のため「薬師瑠璃光如来像」は拝観することはできませんでしたが、その代わり、堂内には御本尊さんの他に、「日光・月光菩薩像」や「十二神将像や四天王像」など迫力ある仏像が安置され見ごたえ十分でした。パワーをもらったうえに、無料なので得した気分でした。 本堂から出て上を眺めると「瓦」には「寛永寺」の文字が施され、「棟」には金色の「三つ葉葵」が装飾されていました。また、門にも「三つ葉葵」が装飾されていました。上野公園から少し歩きますが、途中にも歴史的建造物やモニュメントもありますので、必見の場所です。「根本中堂」の見どころ等の情報は下に箇条書きにしてありますので、合わせてご覧ください。 01_【「寛永寺」の一口メモ】 ⑴ 所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園14 ⑵ 問い合わせ 寛永寺 電話:03-3821-1259 ⑶ 開門時間 9:00〜17:00 ⑷ 本堂の拝観時間 10:00〜16:00 02_【「寛永寺」へのアクセス】 ⑴ 電車を利用した場合 ① JR「上野駅」公園口から徒歩13分1km ② 京成電鉄「京成上野駅」池の端出口から徒歩18分1.4km ③ 東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」から徒歩18分1.4km ④ JR「鶯谷駅」北口から徒歩8分650m ⑵ 台東区循環バス「東西めぐりん」を利用した場合 ① [台東区役所] ⇒[永寿総合病院行]≪東西めぐりん≫「寛永寺バス停」下車から徒歩すぐ 03_【「寛永寺根本中堂」の見どころ】 ⑴ 「本堂」(根本中堂) 天台宗の寺院では、比叡山にならって「本堂」を「根本中堂」と呼ぶことがあります。「寛永寺」の「根本中堂」は、以前は上野公園の噴水広場にありましたが、幕末の上野戦争で焼失し、明治時代に現在の場所に再建されました。そして、国の登録有形文化財に指定されている「本堂」(根本中堂)には、国指定重要文化財の「薬師瑠璃光如来像」が安置されており、「寛永寺」の秘仏となっています。「本堂」(根本中堂)の「木鼻」には、「獏」と「獅子」そして「蟇股」には「鶴」が彫刻されていました。また、「瓦」には「寛永寺」の文字が刻まれていました。「棟」には金色の「三つ葉葵」が装飾されていました。それもそのはず、「寛永寺」は徳川家の菩提寺なので、徳川家の「家紋」を「寺紋」として使っているからです。 ⑵ 「鐘楼」 「鐘楼」は天和元年(1681年)に建立され、「高さ」が177.2cm、鐘の「口径」は91.8cmの「銅鐘」です。この「鐘楼」は歴史があり、徳川幕府4代将軍「徳川家綱」の1周忌に奉献されたものだそうです。この「鐘」は、もともと「徳川家霊廟」の「鐘楼」に吊るされていましたが、明治時代に「寛永寺根本中堂」に移設されました。そして、「「寛永寺」の除夜の鐘は、境内にある「鐘楼」と、旧境内である上野公園内に残る「時鐘堂」の両方で撞かれます。ちなみに、上野公園にある「上野大仏」の近くある「時鐘堂」は、大晦日以外もいまでも毎日3回時を告げている時の鐘です。 ⑶ 「了翁禅師堂」 「寛永寺根本中堂」の境内には「了翁禅師堂」という「お堂」があります。「了翁禅師」は、江戸時代前期の僧侶で秋田県出身です。貧しい農家に生まれ、11歳の若さで出家し、修行をしながらたくさんの書物を集めていたそうです。そして、諸国を巡るうちに霊薬の処方を夢に見たことから、不忍池付近の薬屋で「錦袋円(きんたいえん)」と命名した薬を売ります。その利益で「了翁禅師」は、難民救済や「不忍池」に経堂を建てて文庫を創設し、さらには「寛永寺」の境内に「勧学寮」と「文庫」を建立しました。何とこれが日本で最初に一般公開された「図書館」と言われています。 ⑷ 二つの大きな「鬼瓦」 「寛永寺根本中堂」の境内には、大きな「鬼瓦」が二つありました。どうやらこの「鬼瓦」は、もともと「寛永寺」の「旧本坊表門」と「根本中堂」の鬼瓦据えられていたものらしいです。特に、向かって右側にある「鬼瓦」は、現在「黒門」と通称される国の指定重要文化財である「寛永寺旧本坊表門」に据えられていたものです。「旧本坊表門」は、寛永元年(1624年)に「天海大僧正」により建てられたもので、歴代の「輪王寺宮」が住んだ場所の門として知られていました。昭和12年(1937年)に、現在の「東京国立博物館」の地から「両大師堂」の隣に移築されています。 ① 「旧本坊表門」の「鬼瓦」 ② 「根本中堂」の鬼瓦 ⑸ 「銅燈籠」 大きな「銅燈籠」が2基ありますが、残念ながら。記銘が見当たりません。元はどこにあったのか所在は不明です。 ⑹ 「石燈籠」 大きな「銅燈籠」ばかりでなく、「社務所」の前には大きな「石燈籠」が1基のみあります。この「石燈籠」は南部重直盛岡藩主が奉献したものです。「石燈籠」には、「奉献石燈籠両基 武州東叡山 大猷院殿尊前 慶安四年辛卯歳十二月廿日 従五位下南部山城守源重直」と刻まれていました。 ⑺ 「水盤」 「水盤」は元禄11年銘がきされています。コケが薄らと外側を覆い歴史を感じます。 ⑻ 「慈海僧正墓」(都旧跡) 「慈海僧正墓」は「寛永寺根本中堂」に向かって右側にあります。「了翁禅師堂」に比べると、「学頭」の割には小さく、質素なものです。「慈海僧正」は、「寛永寺一山」を統括する「東叡山凌雲院」の4代目の学頭でした。「慈海僧正」は、「法華経」「薬師経」の翻刻や「四教義算注」「標指鈔」三十巻などの著作があります。聖観世音菩薩像である墓石は、当初「凌雲院」境内墓地にありましたが、東京文化会館の建設のため「寛永寺」に移築されました。 ⑼「尾形乾山墓碑・乾山深省蹟」 「慈海僧正墓」の隣には、「墓」と「尾形乾山」を讃える「顕彰碑の写し」があります。「尾形乾山」は江戸時代を代表する画家であった「尾形光琳」の弟で、絵師や陶芸家として活躍した人物です。入谷に開いた入谷窯の作品は「入谷乾山」として高く評価されています。光琳を敬慕する江戸時代後期の絵師の「酒井抱一」の手によって探り当てられ、この「乾山深省蹟」顕彰碑が建てられたといわれています。 ⑽ 「上野戦争碑記」 ひときわ大きく、誰の眼にもとまるのが「上野戦争碑記」です。幕末の明治維新のとき、現在の上野公園の一帯では、幕臣たちが結成した「彰義隊」と「明治政府軍」との間で、いわゆる「上野戦争」が行われました。この石碑は、「彰義隊」という名前を発案した人物として知られる「阿部弘蔵」が、「上野戦争」の経緯を記したものです。寛永寺はこの上野戦争で被災し、明治時代初期に敷地の大部分は上野公園となりました。 ⑾ 「虫塚」 「虫塚」は、伊勢長島藩主であった増山雪斎が写生に使った昆虫の慰霊のために建てた碑です。「増山雪斎」は、江戸の文人「大田南畝」や大坂の豪商「木村兼葭堂」など広く文人墨客と交流を持ち、写実的な画法で多くの花鳥画を描きました。中でも虫類写生図譜「虫豸帖(ちゅうちじょう)」は、指定有形文化財として指定されています。その昆虫も碑を建ててもらえるとは幸せですよね。
- 住所
- 東京都台東区上野桜木1丁目14-11
-
3.83
評価詳細
- アクセス
- 3.66
- 人混みの少なさ
- 3.33
- バリアフリー
- 2.65
- 見ごたえ
- 3.64
- 住所
- 東京都台東区上野公園4-17
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3.63
評価詳細
- アクセス
- 3.64
- 人混みの少なさ
- 3.62
- バリアフリー
- 2.80
- 見ごたえ
- 3.51
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る医薬の道祖神として尊崇される古社
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4.0
- 旅行時期: 2023/10
- by teratanicho
上野恩賜公園内の上野大仏の下のさくら通りから不忍池に向かう坂の途中に鎮座する神社。医薬の道祖神として尊崇されている古社です続きを読む
上野恩賜公園内の上野大仏の下のさくら通りから不忍池に向かう坂の途中に鎮座する神社。医薬の道祖神として尊崇されている古社です。健康祈願や病気平癒、学業成就の御利益で知られます。大己貴命、少彦名命を主祭神に、菅原道真公を相殿にお祀りしています。日本武尊が東征の折上野忍岡に祀ったとされる由緒ある神社です。
- 住所
- 東京都台東区上野公園4-17
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3.49
評価詳細
- アクセス
- 3.84
- 人混みの少なさ
- 3.52
- バリアフリー
- 3.38
- 見ごたえ
- 3.62
- アクセス
- JR上野駅から徒歩6分
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3.49
評価詳細
- アクセス
- 3.92
- 人混みの少なさ
- 3.43
- バリアフリー
- 2.50
- 見ごたえ
- 3.52
- アクセス
- JR山手線御徒町駅から徒歩3分
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3.44
評価詳細
- アクセス
- 3.52
- 人混みの少なさ
- 3.71
- バリアフリー
- 2.98
- 見ごたえ
- 3.46
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る二人の「大僧正」を祀るのが開山堂
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4.0
- 旅行時期: 2023/11
- by Lily-junjun
「寛永寺輪王殿」で、並ぶようにして「輪王寺両大師堂」があります。実は、これが「輪王寺両大師堂」かと思い、間違えて、「寛永寺続きを読む
「寛永寺輪王殿」で、並ぶようにして「輪王寺両大師堂」があります。実は、これが「輪王寺両大師堂」かと思い、間違えて、「寛永寺輪王殿」に入ってしまいました。「寛永寺輪王殿」の山門もすごく立派で奥に大きな建物があったので、これが「輪王寺両大師堂」かと思い入ってみると「寛永寺輪王殿」でした。「寛永寺輪王殿」と「輪王寺両大師堂」の間に小さな門がありそこからどちらへも通行可能でした。実は、この門はだだの門でなく、「幸田露伴旧宅の門」で、谷中にあったものをここに移築したものです。さて、もう一度外へ出て「輪王寺両大師堂」の山門から入りました。「山門」の柱の右側には「両大師」、左側には「東叡山寛永寺 開山堂」の文字が刻まれていました。何故かと言うと、「輪王寺両大師堂」は、東叡山の開山である「慈眼大師天海大僧正」と「慈惠大師良源大僧正」の二人をお祀りしているからです。そのことから、一般に「両大師」と呼ばれています。入るとすぐ右手に「阿弥陀堂」があり、その中には三体の像が安置されていました。左から「地蔵菩薩立像」、真ん中が「阿弥陀如来坐像」そして左が「虚空蔵菩薩坐像」です。その隣には「鐘楼」、「手水舎」そして「本殿」があります。また、「本堂」に向かって左手には二千年以上の歴史ある古代「大賀蓮」の植え込みもありました。「輪王寺両大師堂」は、「上野公園」からほんの少し離れているので、静かで落ち着ける場所になっています。「輪王寺両大師堂」の見どころはまだまだ沢山あります。「輪王寺両大師堂」の見どころでまとめてありますのでご覧ください。 01_【「輪王寺両大師堂」の一口メモ】 所在地:〒110-0007 東京都台東区上野公園14-5 電話:03-3821-4050 02_【「輪王寺両大師堂」へのアクセス】 ①JR「上野駅」公園口から徒歩3分280m ②JR「鶯谷駅」南口から徒歩7分550m ③京成電鉄「京成上野駅」正面口から徒歩10分750m 03_【「輪王寺両大師堂」の見どころ】 ⑴ 「山門」 「山門」のがいつ建てられたのかの建立年は不明です。「山門」の建築様式は瓦葺の薬医門です。また、屋根の瓦には、「天海僧正」が使用していた「二引き両の紋」が施されています。そして、「山門」の右側には「両大師」、左側には「東叡山寛永寺 開山堂」の文字が刻まれていました。 ⑵ 「銅燈籠」 参道を歩いていると立派な「銅燈籠」がありました。この「銅燈籠」は、江戸時代初期に建立されたもので、もともと「大猷院殿廟」にあったものです。「銅燈籠」には、「三つ葉葵」(徳川家紋)とニ引き両の紋(天海の紋)が刻まれていました。 ⑶ 「手水舎」 「手水舎」は、江戸時代に建立され、建築様式は銅板葺の切妻造です。龍が勢いよく水を吐き出していました。「水盤」は青銅製で四隅を獅子が支えていました。 ⑷ 「鐘楼」 「鐘楼」は、建立年は不明で、建築様式は瓦葺の八脚の切妻造になっています。もともとこの「鐘楼」には慶安4年(1651年)鋳造の「梵鐘」が吊るされていたそうですが、現在は「阿弥陀堂」内に置かれています。 ⑸ 「本堂」 「本堂」は、戊辰戦争、関東大震災、東京大空襲等の苦難を乗り切ったにも関わらず、昭和64年(1989年)の火災で焼失してしまいました。現在の「本堂」は、平成5年(1993年)に再建されたものです。建築様式は、瓦葺の 入母屋造で、本尊の「阿弥陀如来像」、「慈眼大師坐像」と「元三大師画像」が安置されています。 ⑹ 「阿弥陀堂」 「阿弥陀堂」は、入口の門の近く右側に建っています。建立年は不明で、建築様式は、瓦葺、漆喰壁の宝形造です。「阿弥陀堂」の中には三体の像が安置されていました。左から「地蔵菩薩立像」、真ん中が「阿弥陀如来坐像」そして左が「虚空蔵菩薩坐像」です。 ⑺ 「幸田露伴旧宅の門」 「輪王寺両大師堂」の境内にあり「輪王寺両大師堂」と「輪王殿」を結ぶ門が「幸田露伴旧宅の門」です。谷中にあったものをここに移築しました。瓦葺の簡素な腕木門です。 その他に、山門を入ってすぐ左手の方に「法華塔」、「地蔵堂」もあります。
- 住所
- 東京都台東区上野公園14-5
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3.42
評価詳細
- アクセス
- 3.47
- 人混みの少なさ
- 3.76
- バリアフリー
- 3.06
- 見ごたえ
- 3.30
- 住所
- 東京都台東区上野公園2-1
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宿公式サイトから予約できる東京のホテルスポンサー提供
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3.41
評価詳細
- アクセス
- 3.62
- 人混みの少なさ
- 3.62
- バリアフリー
- 3.23
- 見ごたえ
- 3.26
- アクセス
- JR山手線鶯谷駅から徒歩5分
-
3.39
評価詳細
- アクセス
- 3.73
- 人混みの少なさ
- 3.59
- バリアフリー
- 3.07
- 見ごたえ
- 3.65
- アクセス
- 地下鉄入谷駅からすぐ
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3.37
評価詳細
- アクセス
- 3.36
- 人混みの少なさ
- 3.69
- バリアフリー
- 3.03
- 見ごたえ
- 3.52
- 住所
- 東京都台東区上野公園10-18
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3.35
評価詳細
- アクセス
- 3.54
- 人混みの少なさ
- 3.81
- バリアフリー
- 3.73
- 見ごたえ
- 3.68
- アクセス
- 地下鉄稲荷町駅から徒歩5分
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3.35
評価詳細
- アクセス
- 3.30
- 人混みの少なさ
- 3.62
- バリアフリー
- 3.13
- 見ごたえ
- 3.56
満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見るへちま地蔵、八万四千体地蔵と見どころ満載です。外国人の観光客が後を絶ちません。
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4.0
- 旅行時期: 2023/11
- by Lily-junjun
「寛永寺」の山門を出て、右方向に90mほど進むと突き当りに信号があります。その信号を渡れば「浄名院」の「山門」があります。続きを読む
「寛永寺」の山門を出て、右方向に90mほど進むと突き当りに信号があります。その信号を渡れば「浄名院」の「山門」があります。「浄名院」の境内に入ると欧米の外国人の観光客が目立ちます。やはりへちま地蔵、八万四千体地蔵など欧米の外国人の観光客にとっては興味を引くものなのでしょうか。 《「浄名院での」六地蔵めぐりのポイント》 ★「六地蔵巡り」と書かれた「白いのぼり旗」を順番に回ると、「浄名院」の「地蔵尊」を「第一番」から「第六番」まで全て見て回ることができます。まず、「山門」を潜り左方向に進むと「地蔵めぐり一番」があります。それから「地蔵堂」の石柱を左方向に進むと「地蔵めぐり二番・三番」があり、それからは、塀沿いに右回りで進むと「地蔵めぐり六番」まで行くことができます。 「浄名院」は、天台宗の寺院です。「浄名院」の歴史と概要を紐解いてみると、天台宗寺院の「浄名院」は、「寛永寺36坊」の一つとしてとして「圭海大僧都」が開基となり、寛文6年(1666年)に「浄円院」として創建されました。享保8年(1823年)に寺号を「浄円院」から「浄名院」へ改めました。「山門」は歴史あるもので、享保年間(1716年-1735年)に建立されたものです。「浄名院」は、四代将軍」徳川家綱」の母「宝樹院」の菩提所として栄えました。そして、「浄名院」は、ぜんそくや病気平癒を祈願する「へちま加持祈祷会」で全国的に知られており、別名「へちま寺」とも呼ばれています。なお、旧8月15日の「へちま供養」には、せき、ぜんそくに効験を願う人々で賑わうそうです。 また、1600坪を超える広い「境内」には、たくさんの「石地蔵尊」が所狭しと並べられています。これは、第38世「妙運大和尚」が、民衆の幸福と仏恩に報いるため、「八万四千体地蔵尊の建立」を発願されたもので、8万4千体地蔵尊の建立成就を目指し、現在も地蔵尊像の数は増え続けているそうです。 「境内」にある青銅製の大きな「地蔵菩薩坐像」は、かつて「江戸六地蔵第6番」の「地蔵菩薩像」があった「深川永代寺」が明治維新のとき廃寺になり、また、日露戦争の戦没者を弔うために、明治39年(1906年)に新たに建立されたものです。 見どころ等の情報については、下記に取りまとめてありますので、ご覧ください。 01_【「浄名院」の一口メモ】 ⑴ 所在地…〒110-0002 東京都台東区上野桜木2丁目6番4号 電話:03-5832-9511 ⑵ 浄名院の概要 ①山号…東叡山 ②院号…浄名院 ③宗派…天台宗 ⑶ 御本尊…阿弥陀如来・地蔵尊 02_【「浄名院」へのアクセス】 ⑴ 電車を利用した場合 ① JR「上野駅」公園口から徒歩15分1200m ② 京成電鉄「京成上野駅」池の端出口から徒歩19分1500m ③ 東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」7番出口から徒歩19分1500m ④ JR「鶯谷駅」北口から徒歩7分500m ⑤ 東京メトロ千代田線「根津駅」1番出口から徒歩約13分1000m ⑵ 台東区循環バス「東西めぐりん」を利用した場合 ① [台東区役所] ⇒[永寿総合病院行]≪東西めぐりん≫「寛永寺」バス停下車徒歩2分110m ② [亀戸駅前] ⇒[上野公園]≪都バス:上26系統≫「上野桜木」バス停下車徒歩約1分80m 03_【「浄名院」の見どころ】 ⑴ 「山門」 「山門」は、「山門」は歴史あるもので、享保年間(1716年-1735年)に建立されました。残念ながら、令和4年(2022年)に袖塀などが撤去されました。※現在は、改修保存中です。 ⑵ 「八万四千体地蔵」 1600坪を超える広い「境内」には、たくさんの「石地蔵尊」が所狭しと並べられています。これは、第38世「妙運大和尚」が、民衆の幸福と仏恩に報いるため、「八万四千体地蔵尊の建立」を発願されたもので、8万4千体地蔵尊の建立成就を目指し、現在も地蔵尊像の数は増え続けているそうです。ちなみに、第38世「妙運大和尚」は、明治12年(1879年)に、古代にインドのアショカ王が、八万四千の石塔を世界各地に建立したと伝えられることにならい、八万四千体の石地蔵建立を発願したそうです。 ⑶ 「江戸六地蔵」 「江戸六地蔵」は、明治39年(1906年)に新たに建立されたものです。この地蔵像は「江戸六地蔵」の第6番です。ちなみに、「江戸六地蔵」とは、18世紀初期に「京都六地蔵」に倣って江戸の出入口6箇所に置かれた「地蔵菩薩坐像」のことを言います。もともとは、千葉街道の出入口に位置する江東区富岡八幡宮「永代寺」にありましたが、明治政府の神道に傾倒する政策である「廃仏毀釈」、「神仏分離」により第6番の地蔵が失われたため、そして、」日清日露戦争の戦役者慰霊のためとして明治39年(1906年)に「浄名院」に復活したものです。ちなみに、「江戸六地蔵」とは、江戸市中の「品川寺」、「東禅寺」、「太宗寺」、「真性寺」、「霊巌寺」、「永代寺」の6か所に建てられた「地蔵菩薩坐像」です。 ⑷ 「へちま地蔵」 「へちま供養」は、旧暦8月15日の十五夜の日に執り行われます。この日に、「へちま地蔵」に祈願すれば喘息に効用があるというもので、へちま地蔵の前にはヘチマが供えられます。「へちま供養」は、明治初年に、痰、咳、喘息に苦しむ人々のためにへちま加持祈祷の法要をしたのが始まりとされる。ちなみに、「へちま」には、せき、たん、ぜんそく、心臓病、むくみ、小便不利、美容・美肌、腹痛などに対して薬効があることは、すでに科学的にも証明されています。 ⑸ 「うかがい地蔵」 「うかがい地蔵」は、「檀家に伺う」という意味からその名がついたそうです。数体のお地蔵さまが檀家の間を代わる代わる巡っていたといわれている。自分の願いが叶うか、おうかがいをたてながらお地蔵さまを持ち上げ、軽く感じれば願いは叶い、重く感じれば成就は難しいとされているそうです。
- 住所
- 東京都台東区上野桜木2-6-4
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3.35
評価詳細
- アクセス
- 3.64
- 人混みの少なさ
- 3.85
- バリアフリー
- 3.46
- 見ごたえ
- 3.77
- 住所
- 東京都台東区東上野6-13-13
-
3.34
評価詳細
- アクセス
- 3.87
- 人混みの少なさ
- 3.71
- バリアフリー
- 3.27
- 見ごたえ
- 3.14
- 住所
- 東京都台東区東上野5-1-2
-
3.34
評価詳細
- アクセス
- 3.81
- 人混みの少なさ
- 3.79
- バリアフリー
- 3.55
- 見ごたえ
- 3.34
- 住所
- 東京都台東区東上野3-29-8 下谷神社境内
-
3.33
評価詳細
- アクセス
- 3.50
- 人混みの少なさ
- 3.59
- バリアフリー
- 3.08
- 見ごたえ
- 3.47
- アクセス
-
東京メトロ日比谷線「入谷駅」2出口から徒歩約3分
JR「鶯谷駅」南口出口から徒歩約5分
-
3.33
評価詳細
- アクセス
- 3.65
- 人混みの少なさ
- 3.61
- バリアフリー
- 2.50
- 見ごたえ
- 3.29
- アクセス
- JR山手線・京浜東北線「鴬谷駅」 徒歩1分
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