江戸東京たてもの園 日付指定 入園チケット
400円(税込)
お台場にある自由の女神像はフランス政府公認の像で、現在の女神像は復刻像ですが、はじまりは1889年フランスパリのセーヌ川のシーニュ島に設置されていた自由の女神像が109年ぶりにフランスを離れて世界ではじめてお台場に1998年4月から1999年1月に展示されたのがきっかけです。展示の間も人気が高くその後フランスで自由の女神像を型取りフランスで作られた像で日仏友好のシンボルですね。自由の女神に海にレインボーブリッジも望めお台場の素晴らしい景色です。夜はライトアップもされてます。
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関宿藩主久世家下屋敷の庭園で、明治に岩崎弥太郎が手に入れ隅田川の水を引き、泉水、築山、枯山水を主体にした回遊式築山泉水庭とした。この造園手法は、江戸時代の大名庭園に用いられた。1979年に東京都の名勝に指定された。また「清澄庭園」は、関東大震災では災害時の避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救った。
∧__∧ *★*――――*★*( ・∀・ )*★*――――*★* / つョJ 清澄庭園 清澄庭園は江戸時代の豪商・紀伊國屋文左衛門のお屋敷跡から始まり、 海運業で財を成した岩崎彌太郎(明治時代)が船で石を運んで庭造りを行い、全国各地から集められた「石の庭園」です。 名石・奇石・石灯籠・磯渡り・敷石・数寄屋造りの涼亭・芝生広場などを配し、池の周囲を巡って“ 廻遊式庭園 ”を楽しめます ∧∧ ((ヽ(゚∀゚)ノ )) 石飛び ( ヘ) < ヒョイヒョイット / ̄\ / ̄\ >゚ )))>< 大泉水は庭園の要であり、昔は仙台堀川(旧中川と隅田川を結ぶ運河のひとつ)から水を引いていましたが現在は雨水でまかなっています。 園内はクロマツが周囲を覆い、野鳥や亀や鯉の泳ぐ姿も見られ魅力ある景観資源となっていますw 東京都心に位置しながらも豊かな自然が残る公園ですぅ~ ■『清澄庭園』 開園時間:午前9時~午後5時 (入園は午後4時30分まで) 入園料金:一般150円、65歳以上70円 ※休園日は年末年始(12月29日~翌年1月1日まで) ※小学生以下および都内在住・在学の中学生は無料 ※「涼亭 清澄茶屋」の営業時間は午前10時~午後4時30分まで 11月24日(日) 地元民の我々は『清澄庭園』に行ってきた! 下町の風情ある庭園で 「涼亭 清澄茶屋」のお抹茶も頂きましたぁ~♪ お抹茶 500円 ∧ ∧ (〃-◎-) ズズ… .( ノ ヾ と_)_) ちなみに、東京都内の紅葉は色づき始めてピークはこれからです 11月下旬~12月中旬まで紅葉狩りを楽しめそうですよーww /\/\/\/\/\/\/\ ∧ ∧ クチコミ (゚Д゚∩ by ⊂/ ノ ヒサッチ&クニ 「 _ |~  ̄ ̄ ̄ ̄ ∪ ヽ l: ☆.。:・★.。:*☆ ∪ : /\/\/\/\/\/\/\
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ピックアップ特集
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とげぬき地蔵尊として有名で、4のつく日には縁日がある。
都営地下鉄の巣鴨駅を降りて巣鴨商店街を進むと高岩寺、とげぬき地蔵尊が、ありました。 山門をくぐると本堂に向かう前の左手に洗い観音様が、ありました。 観音様の洗ってお参りをしている方が、多かったです。 平日でしたので境内は、混雑も無くゆっくりとお参りが、できました。
明治15年(1882)に創業した日本の中央銀行。現在地は、江戸時代の金座(金貨鋳造所)の跡地。明治29年(1896)に竣工された本館は、明治時代の貴重な本格的洋風建築として国指定重要文化財に指定されています。
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戦争遺品、武具、宝物展示。
靖国神社参拝のおり、遊就館を訪れた。英霊の遺書や遺品を中心に、日本人としてぜひ見ておきたいものが数多く展示されている。すべてをゆっくり見たら半日はかかるだろう。今回は2度目の見学だったが、ご遺書を見ると、やはり目頭が熱くなる。また、立派に使命を果たさんとする若者の気丈夫さを感じ、自分はこれでいいのかと思わされる。戦争体験者が減ってきている今日、こうした展示は非常に有用だ。なお、館内では一部を除き、撮影はできない。
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現地保存が不可能な文化的価値の高い建造物を移築・復元保存・展示し文化遺産として継承することを目的とした施設。特に江戸末期・明治初期の商家などもある。 三井八郎衛門邸、八王子千人同心組頭の家、前國男邸、高橋是清邸、西川家別邸、伊 達家の門、鍵屋(江戸の居酒屋)、そのた昔の銭湯・仕立て屋・文具店・生花店・交 番・荒物屋など。
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武蔵野の面影が残る園内で、四季を通じて草木の姿や花の美しさを味わうことができます。この公園はもともと、東京の街路樹などを育てるための苗圃でした が、戦後、神代緑地として公開されたあと、昭和36年に名称も神代植物公園と改め、都内唯一の植物公園として開園されました。現在、約4,800種類、10万本・株の樹木が植えられています。園内は、ばら園、つつじ園、うめ園、はぎ園をはじめ、植物の種類ごとに30ブロックに分け ており、景色を眺めながら植物の知識を得ることができるようになっています。また、古くから伝わる日本の園芸植物の品種の保存や植物・園芸に関する催しや 展示会を開き、都民の緑に対する関心を高めるのに一役買っています。平成28年5月年には大温室がリニューアルオープンし、珍しい熱帯の植物が集められ、彩り鮮やかな花々を 鑑賞できるようになりました。
これまでバラの時期に何度か訪れている公園ですが、今回ツツジが最盛期を迎えているというネットニュースを目にし、ツツジの時期に初めて訪れました。広いつつじ園には270種、12000株の色とりどりのツツジが咲き、1mほどの仮設の展望台が設置され、多くの人がツツジの鑑賞に訪れていました。ボランティアガイドの方の説明を聞きながら巡ったため、香りのするツツジや二重の花びらを持つツツジ、小さなバラのような形をしたツツジなどがあることを知りました。つつじの時期、園内にはボタンや藤もきれいに花をつけていました。
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1927年に完成した関東大震災の復興橋の一つで、長さ92.0m、幅22.0mの鉄骨コンクリ-ト製のアーチ橋です。 神田川、JR中央線や総武線、東京メトロ丸の内線、そして外堀通りをまたぐ、長くて重要な橋で、大きな放物線を描くアーチが美しく、ヨーロッパの水道橋を彷彿とさせます。 名前の由来は、神田川を挟んで、北の湯島聖堂と南のニコライ堂を結んでいることからだそうです。
赤穂義士が討ち入った吉良邸の一部が、現在の両国にある本所松坂町公園内に残っています。公園には首洗い井戸や、赤穂義士についての説明板などがあります。討ち入った後、吉良の首を主君の墓に供えるため、泉岳寺へ向かったため、泉岳寺に向かう道中には、忠臣蔵にまつわる石碑などが複数あります。
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昭和15年(1940)に完成した、全長246m・幅員約26mの双葉跳開橋。完成時には東洋一の可動橋と呼ばれ、平成19年(2007)国の重要文化財に指定されました。当初は1日5回開閉しましたが、船舶運航量の減少などから次第に減少し、昭和45年(1970)11月を最後に開閉を停止しています。勝鬨橋横の「かちどき橋の資料館」では勝鬨橋をはじめ隅田川の橋に関する貴重な資料や関連情報を展示しています。また、資料館の近くには「かちどきのわたし」の石碑があります。
旧白金迎賓館。絵画・彫刻等の展示品だけでなく、20世紀初めにヨーロッパで流行したアールデコ様式を取り入れた建物は必見。広い西洋庭園と和風庭園は、自由に散策することができ庭園だけの入場も可。【料金】 大人: 200円 庭園のみの入場料、入館料は展覧会により異なる 大学生: 160円 庭園のみの入場料、入館料は展覧会により異なる 高校生: 100円 庭園のみの入場料、入館料は展覧会により異なる 中学生: 100円 庭園のみの入場料、都内在住在学生は無料。入館料は展覧会により異なる 小学生: 0円 庭園のみの入場料、入館料は展覧会により異なる
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江戸城の鬼門鎮護の目的で寛永二年(1625)天海大僧正により創建されました。徳川歴代将軍の祈祷寺と菩提寺を兼ね、全盛期は上野公園のほとんどが寺域で、30余の堂塔伽藍と36の子院を誇っていました。現本堂は、明治12年(1879)天海僧正ゆかりの埼玉県川越喜多院から本地堂を移築したものです。本尊は薬師如来です。清水観音堂、輪王寺門跡、御本坊表門、徳川将軍霊廟勅額門等重要文化財に指定されています。山号は東叡山。
「寛永寺」は天台宗の「別格大本山」のお寺で、正式名称は「東叡山寛永寺」です。ちなみに、「東叡山」は「東の比叡山」の意味で、平安時代に桓武天皇の帰依を受けた天台宗の宗祖「伝教大師最澄上人」が開いた「比叡山延暦寺」が、京都御所の鬼門に建立されたことにならったものです。また、「寛永寺」は創建時の元号を使っています。かつては元号を冠するには朝廷の許可が必要でした。延暦7年(788年)創建の「延暦寺」を皮切りに、京都の「仁和寺」や鎌倉の「建仁寺」と「建長寺」など、勅許を得た「元号寺」は数えるほどしか残っていません。それでは、ここで「寛永寺」の歴史と概要を紐解いてみると、寛永2年(1625年)に、江戸城の鬼門(東北)にあたる「上野の山」に徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、「徳川家康」、「徳川秀忠」、「徳川家光」の3代にわたる将軍から深く信奉され、幕府の指南役として活躍した「慈眼大師天海大僧正」によって建立されました。その総本堂にあたる「根本中堂」は、元禄11年 (1698年)に現在の上野公園内「大噴水」(竹の台噴水)に建立されました。その後、第4代将軍「川家綱」の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。以後は5代将軍「徳川綱吉」、8代将軍「徳川吉宗」、10代将軍「徳川家治」、11代将軍「徳川家斉」、13代将軍「徳川家定」の豪華な霊廟が、次々と造営されました。幕末、最後の15代将軍「徳川慶喜」は、鳥羽・伏見の戦いで敗れた後、「寛永寺」で謹慎生活を送りました。江戸城の無血開城までの2カ月間を過ごした「葵の間」には、今でも愛用の品などが残されている。「徳川慶喜」は神道式の葬儀を望んだため、谷中霊園内の寛永寺墓地にある一橋家墓所の隣で永眠しています。そして、東叡山主を皇室(「輪王寺宮」)から迎えたことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となりました。慶応4年年(1868)、「上野戦争」の際に焼失してしまいた。その後、明治12年 (1879年)に「川越喜多院」の本地堂を山内子院の「大慈院」(現在の「寛永寺」)の地に移築し、再建したのが現在の「根本中堂」になります。御本尊は、「伝教大師最澄上人」がみずから彫ったと言われる「薬師瑠璃光如来像」(国指定重要文化財)を秘仏としてお祀りしています。また、「東叡山寛永寺」は、かつては、「清水観音堂」、「不忍池辯天堂」、「 五重塔」、「開山堂」、「大仏殿」など36もの子院などを有する大寺院でした。「寛永寺」の境内は「上野公園」の土地を中心に30万5000坪に及び幕府から与えられた寺領は小藩の大名に匹敵する1万5000石を誇りました。 「本堂」内も見学することができます。しかし、秘仏のため「薬師瑠璃光如来像」は拝観することはできませんでしたが、その代わり、堂内には御本尊さんの他に、「日光・月光菩薩像」や「十二神将像や四天王像」など迫力ある仏像が安置され見ごたえ十分でした。パワーをもらったうえに、無料なので得した気分でした。 本堂から出て上を眺めると「瓦」には「寛永寺」の文字が施され、「棟」には金色の「三つ葉葵」が装飾されていました。また、門にも「三つ葉葵」が装飾されていました。上野公園から少し歩きますが、途中にも歴史的建造物やモニュメントもありますので、必見の場所です。「根本中堂」の見どころ等の情報は下に箇条書きにしてありますので、合わせてご覧ください。 01_【「寛永寺」の一口メモ】 ⑴ 所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園14 ⑵ 問い合わせ 寛永寺 電話:03-3821-1259 ⑶ 開門時間 9:00〜17:00 ⑷ 本堂の拝観時間 10:00〜16:00 02_【「寛永寺」へのアクセス】 ⑴ 電車を利用した場合 ① JR「上野駅」公園口から徒歩13分1km ② 京成電鉄「京成上野駅」池の端出口から徒歩18分1.4km ③ 東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」から徒歩18分1.4km ④ JR「鶯谷駅」北口から徒歩8分650m ⑵ 台東区循環バス「東西めぐりん」を利用した場合 ① [台東区役所] ⇒[永寿総合病院行]≪東西めぐりん≫「寛永寺バス停」下車から徒歩すぐ 03_【「寛永寺根本中堂」の見どころ】 ⑴ 「本堂」(根本中堂) 天台宗の寺院では、比叡山にならって「本堂」を「根本中堂」と呼ぶことがあります。「寛永寺」の「根本中堂」は、以前は上野公園の噴水広場にありましたが、幕末の上野戦争で焼失し、明治時代に現在の場所に再建されました。そして、国の登録有形文化財に指定されている「本堂」(根本中堂)には、国指定重要文化財の「薬師瑠璃光如来像」が安置されており、「寛永寺」の秘仏となっています。「本堂」(根本中堂)の「木鼻」には、「獏」と「獅子」そして「蟇股」には「鶴」が彫刻されていました。また、「瓦」には「寛永寺」の文字が刻まれていました。「棟」には金色の「三つ葉葵」が装飾されていました。それもそのはず、「寛永寺」は徳川家の菩提寺なので、徳川家の「家紋」を「寺紋」として使っているからです。 ⑵ 「鐘楼」 「鐘楼」は天和元年(1681年)に建立され、「高さ」が177.2cm、鐘の「口径」は91.8cmの「銅鐘」です。この「鐘楼」は歴史があり、徳川幕府4代将軍「徳川家綱」の1周忌に奉献されたものだそうです。この「鐘」は、もともと「徳川家霊廟」の「鐘楼」に吊るされていましたが、明治時代に「寛永寺根本中堂」に移設されました。そして、「「寛永寺」の除夜の鐘は、境内にある「鐘楼」と、旧境内である上野公園内に残る「時鐘堂」の両方で撞かれます。ちなみに、上野公園にある「上野大仏」の近くある「時鐘堂」は、大晦日以外もいまでも毎日3回時を告げている時の鐘です。 ⑶ 「了翁禅師堂」 「寛永寺根本中堂」の境内には「了翁禅師堂」という「お堂」があります。「了翁禅師」は、江戸時代前期の僧侶で秋田県出身です。貧しい農家に生まれ、11歳の若さで出家し、修行をしながらたくさんの書物を集めていたそうです。そして、諸国を巡るうちに霊薬の処方を夢に見たことから、不忍池付近の薬屋で「錦袋円(きんたいえん)」と命名した薬を売ります。その利益で「了翁禅師」は、難民救済や「不忍池」に経堂を建てて文庫を創設し、さらには「寛永寺」の境内に「勧学寮」と「文庫」を建立しました。何とこれが日本で最初に一般公開された「図書館」と言われています。 ⑷ 二つの大きな「鬼瓦」 「寛永寺根本中堂」の境内には、大きな「鬼瓦」が二つありました。どうやらこの「鬼瓦」は、もともと「寛永寺」の「旧本坊表門」と「根本中堂」の鬼瓦据えられていたものらしいです。特に、向かって右側にある「鬼瓦」は、現在「黒門」と通称される国の指定重要文化財である「寛永寺旧本坊表門」に据えられていたものです。「旧本坊表門」は、寛永元年(1624年)に「天海大僧正」により建てられたもので、歴代の「輪王寺宮」が住んだ場所の門として知られていました。昭和12年(1937年)に、現在の「東京国立博物館」の地から「両大師堂」の隣に移築されています。 ① 「旧本坊表門」の「鬼瓦」 ② 「根本中堂」の鬼瓦 ⑸ 「銅燈籠」 大きな「銅燈籠」が2基ありますが、残念ながら。記銘が見当たりません。元はどこにあったのか所在は不明です。 ⑹ 「石燈籠」 大きな「銅燈籠」ばかりでなく、「社務所」の前には大きな「石燈籠」が1基のみあります。この「石燈籠」は南部重直盛岡藩主が奉献したものです。「石燈籠」には、「奉献石燈籠両基 武州東叡山 大猷院殿尊前 慶安四年辛卯歳十二月廿日 従五位下南部山城守源重直」と刻まれていました。 ⑺ 「水盤」 「水盤」は元禄11年銘がきされています。コケが薄らと外側を覆い歴史を感じます。 ⑻ 「慈海僧正墓」(都旧跡) 「慈海僧正墓」は「寛永寺根本中堂」に向かって右側にあります。「了翁禅師堂」に比べると、「学頭」の割には小さく、質素なものです。「慈海僧正」は、「寛永寺一山」を統括する「東叡山凌雲院」の4代目の学頭でした。「慈海僧正」は、「法華経」「薬師経」の翻刻や「四教義算注」「標指鈔」三十巻などの著作があります。聖観世音菩薩像である墓石は、当初「凌雲院」境内墓地にありましたが、東京文化会館の建設のため「寛永寺」に移築されました。 ⑼「尾形乾山墓碑・乾山深省蹟」 「慈海僧正墓」の隣には、「墓」と「尾形乾山」を讃える「顕彰碑の写し」があります。「尾形乾山」は江戸時代を代表する画家であった「尾形光琳」の弟で、絵師や陶芸家として活躍した人物です。入谷に開いた入谷窯の作品は「入谷乾山」として高く評価されています。光琳を敬慕する江戸時代後期の絵師の「酒井抱一」の手によって探り当てられ、この「乾山深省蹟」顕彰碑が建てられたといわれています。 ⑽ 「上野戦争碑記」 ひときわ大きく、誰の眼にもとまるのが「上野戦争碑記」です。幕末の明治維新のとき、現在の上野公園の一帯では、幕臣たちが結成した「彰義隊」と「明治政府軍」との間で、いわゆる「上野戦争」が行われました。この石碑は、「彰義隊」という名前を発案した人物として知られる「阿部弘蔵」が、「上野戦争」の経緯を記したものです。寛永寺はこの上野戦争で被災し、明治時代初期に敷地の大部分は上野公園となりました。 ⑾ 「虫塚」 「虫塚」は、伊勢長島藩主であった増山雪斎が写生に使った昆虫の慰霊のために建てた碑です。「増山雪斎」は、江戸の文人「大田南畝」や大坂の豪商「木村兼葭堂」など広く文人墨客と交流を持ち、写実的な画法で多くの花鳥画を描きました。中でも虫類写生図譜「虫豸帖(ちゅうちじょう)」は、指定有形文化財として指定されています。その昆虫も碑を建ててもらえるとは幸せですよね。
淀橋浄水場跡。8万本の樹木の間に、噴水、野外ステージ、花壇広場などがある。
日本の貨幣・紙幣を中心に、和同開珎や大判・小判の実物、貨幣に関する絵画など貴重な資料を多数展示しています。また、千両箱などの重さが体験できる展示や、さまざまな記念スタンプなども揃っています。
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ハローキティをはじめとしたサンリオキャラクターに会える、日本初の屋内型テーマパーク。館内には巨大な広場ピューロビレッジを中心にレディキティハウス、キャラクターボートライド等のアトラクション、3つのレストラン、ショッピング施設がある。キャラクターのライブショーやアトラクションを楽しめるのはもちろん、ここでしか買えないキャラクターグッズもたくさんある。
※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性もあります。
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