沖縄戦に於ける最初の鎮魂碑です。
- 5.0
- 旅行時期:2015/06(約11年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
糸満・ひめゆり クチコミ:207件
沖縄島南部糸満市の米須霊域にある魂魄之塔は、沖縄戦に於ける戦没者約35,000名の遺骨を、この米須の地に強制移住させられた旧真和志村民の手によって日米軍民問わず収集し、昭和21(1945)年2月27日に真和志村長金城和信氏が建立された沖縄戦に於ける最初の鎮魂碑になります。
金城村長ご夫妻も2人の娘を戦死させているため、米須という沖縄戦の中でも激戦が繰り広げられた場所に累々として遺体が放置されている有様を痛喫されて、?先ず弔わねば?という決心をされ、村民の協力を得て遺骨収集を始められました。しかし言葉でいう程簡単なものではなく、最初は米軍に遺骨収集作業を要請しましたが、それが反米活動や皇軍主義に繋がることを危惧した米軍は許可を出しませんでした。しかし?食料確保?という目的でこの地に強制移住をさせたものの、掘っても掘っても出てくるものは遺骨しかないという状態では、結果として食糧確保の農作業ができないため、米軍側も折れるしかなかったようです。
現在?魂魄之塔?付近には立派な?慰霊碑?が立ち並んでいます。その中で69年前に米軍から払い下げられたセメントと付近の石ころを用いて作られた?魂魄之塔?は見劣りがするのかも知れません。しかし質素なので戦後すぐの混乱期を髣髴させるような趣も感じます。昭和54(1979)年2月に摩文仁の丘に国立沖縄戦没者墓苑が完成したため、ほとんどの遺骨は同墓苑に分骨して安置してあります。
敷地内には金城和信氏の胸像と、元真和志市市長翁長助静氏の?和魂(にぎたま)となりてしづもるおくつきの み床の上をわたる潮風?の歌碑があります。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- バス停から5分位です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 慰霊の日の翌日は清掃の方だけでした。
- バリアフリー:
- 4.0
- 少々坂はあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 質素ではあるものの重みがあります。
クチコミ投稿日:2015/07/08
いいね!:10票
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