約35000人もの遺骨が山のように集められた場所
- 3.5
- 旅行時期:2013/11(約11年前)
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by T04さん(男性)
糸満・ひめゆり クチコミ:15件
戦後、米須原に集められた真和志村民は、アメリカ軍の食糧増産計画に基づいて開墾を命じられたものの、沖縄最南部に位置する米須原は多くの人々が命を失い、その遺体が放置されていた場所。開墾しようにも次から次から遺骨が掘り出されるため、ついに大きな穴を掘って遺骨を収めようとしました。しかし穴にも収まりきれず積み上げられ、大きな骨の山が築かれたようです。そこで周囲から石をかき集めて納骨堂が完成し、「魂魄の塔」と名付けられたということです。そう考えると、「魂魄の塔」の形状にも納得できます。摩文仁の丘や「魂魄の塔」がある米須を中心に、全国すべての都道府県の慰霊碑がありますが「沖縄県の碑」は存在しないため、この「魂魄の塔」が 沖縄県の碑に相当するものという考えもあるそうです。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 糸満バスターミナルからタクシーで色々回ったので、良く分かりませんが、交通至便でないことだけは確かです
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- あまり知られていない場所ということで、誰にも会うことはありませんでした…少し寂しいですね
- 見ごたえ:
- 4.0
- 約35000人もの遺骨が山のように集められた場所…想像できない光景です
クチコミ投稿日:2013/11/07
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