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桂小五郎潜居跡

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桂小五郎潜居跡 クチコミ・アクセス・周辺情報

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クチコミ・評判

1~20件(全22件中)

  • 出石資料館のすぐ近く

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/09(約2年前)
    • 0

    幕末の長州藩志士、「維新の3傑」の1人桂小五郎(木戸孝允)は、池田屋事件、蛤御門の変のあと、この出石に隠れ住んでいました。...  続きを読む
    その寓居跡です。
    なお、彼は出石の町中でも点々としていたようで、ほかの場所にも桂小五郎関係の石碑がいくつもたっています。  閉じる

    投稿日:2023/09/20

  • 石碑

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/09(約3年前)
    • 0

    桂小五郎が禁門の変に敗れた長州藩の朝敵となり追われていた時に、この出石に潜伏していた場所です。現在は建物はなく石碑がたって...  続きを読むいます。出石にはこの他にもいくつかの潜伏場所もあり、幕末好きには興味深い場所です。  閉じる

    投稿日:2022/09/19

  • 蕎麦屋さんの隣りです

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/09(約6年前)
    • 0

    出石城下町を東西に貫く宵田通り沿いに「桂小五郎潜居跡」の史跡があります。出石蕎麦のお店が多く並ぶ通りで、私たちはすぐ隣の「...  続きを読むよしむら」というお店で食事をした後、たまたま見つけました。石碑が4つと木製の案内書きがありますが、あまり目立たないので見逃してしまいそうでした。植え込みの松が印象に残りました。  閉じる

    投稿日:2020/04/12

  • 桂小五郎が潜伏

    • 2.5
    • 旅行時期:2019/01(約7年前)
    • 0

    桂小五郎潜居跡は、城下町出石の中心にある駐車場から北へ5分ほど歩いた道端にあります。「よしむら」という蕎麦屋の隣に石碑と案...  続きを読む内の立て札がありますが、注意していないと見過ごしてしまうかも。禁門の変に敗れた桂小五郎は、一時ここに潜伏していたそうです。  閉じる

    投稿日:2021/01/18

  • 荒物屋を営んでいた

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/11(約7年前)
    • 0

    出石皿そばのお店「よしむら」さんのお隣に、桂小五郎潜居跡の石碑が建っています。
    ここは、桂小五郎が出石に潜み、営んでいた...  続きを読むといわれる廣江屋跡とあります。
    西郷隆盛・大久保利通と並んで「維新の三傑」と称される桂小五郎(のちの木戸孝允)。
    京都を追われ、出石に落ち延びて荒物屋を営んでいたそうです。
    明治維新の指導者もこんな時期があったのですね。
       閉じる

    投稿日:2019/02/11

  • 桂小五郎潜居跡は、出石の中心部。潜居していたにしては、近くにはそば屋さんが何軒かあったりする賑やかな一角です。というのも、...  続きを読むここにじっと隠れていたのではなく、ここで広江屋という荒物屋を開かせて、それでカモフラージュしてたのだとか。長州藩は禁門の変で敗れて、朝敵となった時期。とにかく再起を期して生き延びるしかなかったのですが、なかなか思い切ったことをやるものです。  閉じる

    投稿日:2018/01/10

  • 普通の民家

    • 2.5
    • 旅行時期:2017/05(約9年前)
    • 0

    桂小五郎あらため 木戸孝允は維新3傑といわれるほどの人なので
    さぞかし立派な商家にでもかくまわれていたのかとおもいきや
    ...  続きを読む
    石碑と立札がなければ前を通り過ぎてしまいそうな普通の民家でした
    地図をみていても通りがわかりにくいのでまよいそうでう  閉じる

    投稿日:2017/06/03

  • 碑がたっています。

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/04(約9年前)
    • 0

    桂小五郎はこの出石で潜伏していました。この場所以外にもあったようです。碑が立っているのは宵田通りで伝統的町家景観通りの一角...  続きを読むです。碑がたってるる建物に潜伏したのではないようです。ただこの地で新しい時代を見つめていた時期があったのです。  閉じる

    投稿日:2017/05/07

  • 歴史が感じられる場所

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/04(約10年前)
    • 0

    明治維新の三傑の一人【木戸孝允=桂小五郎】が禁門の変に敗れ再出発を期して隠れ住んだ場所との事で今は碑と説明札が残っているだ...  続きを読むけでした。辰鼓楼から2本目の道を左に曲がりすぐですが、注意しないと見落としてしまいます。出石の町人兄弟の助けで匿われていたそうです。歴史が感じられる場所です。  閉じる

    投稿日:2016/04/29

  • 桂小五郎再生の地!

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/10(約10年前)
    • 0

    桂小五郎と木戸孝允が同一人物とは知らずに説明を読んでいました。
    民家の入口の一角に説明の書かれた立て札と「桂小五郎再生の...  続きを読む地」の石碑があるだけです。
    出石には勝r小五郎に関する観光地が何か所かあるのでいろいろ回るのも楽しいです。  閉じる

    投稿日:2016/01/25

  • 石碑と説明板のみ

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/10(約11年前)
    • 0

    出石城跡の前の駐車場から北に歩いて5分ほど、出石そばで有名な“よしむら”の隣りに石碑と説明板があります。
    “禁門の変”で...  続きを読む敗れ、追われる身となった桂小五郎が京都を脱出して、一時潜伏した住居の跡です。
    ここから東に3分ほど歩いたところに昌念寺と言うお寺があります。小五郎が出石に潜んでいたときに、碁を打つのが心の慰めだったというお寺です。小五郎ファンの方は、合わせて観て周られることをオススメします。


      閉じる

    投稿日:2015/05/12

  •  出石は桂小五郎潜居の地と知ったのは、司馬遼太郎氏の小説だ。幕末の「蛤御紋の変」で負けた長州は都を落延びる他なかった。落延...  続きを読むびるにも、幕府方の警戒が厳重で易々と都を出ることが出来ない。広沢真臣は雲水の体で堂々と都を落ちた。桂は大橋の下に隠れ、出石の人々に助けられ、京を脱出し出石に潜居していた。そんな意味のことが書いてあった。それが記憶に残った。
     出石に来て、その場所を探した。地元の何人かに聞いて、辿り着いた。出石そば屋「よしむら」の隣りに石碑と案内があった。そば屋の前にも行列が出来ていた。写真を撮りたかったので、行列の人に避けて貰い、記念の写真を撮った。  閉じる

    投稿日:2014/12/08

  • 木戸孝允再生の地

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/06(約12年前)
    • 0

    元治元年1861年7月、禁門の変に敗れ朝敵となった長州藩。
    桂小五郎もとらわれる所でした。
    出石の町人甚助、直蔵兄弟の...  続きを読む義侠で京を脱出し、この地で隠匿生活を行いました。
    後に木戸孝允と名を変え、明治維新の旗頭となる前の再生の地です。  閉じる

    投稿日:2014/07/14

  • また物知りになりました

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/04(約12年前)
    • 0

    本当に全然知りませんでした。この出石に来て偶然にも「桂小五郎潜居跡」を見つけました。坂本竜馬系はテレビで見てはいますが、桂...  続きを読む小五郎の後の事を考えた事はほとんどありませんでした。この出石を再出発とし、明治維新へ向かうという、歴史の一端を見、また一つ物知りになり得した気分でした。中心近くにありますので一度みるのも良いかと思います。  閉じる

    投稿日:2014/09/30

  • ひっそりとあります

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/01(約12年前)
    • 0

    町の中の一角に有り、気をつけて見ないと見過ごす位置にあります。
    そばやさんの隣にあり、コンパクトに纏められた感じですが、...  続きを読む
    居住後の説明と解説が書いてあり
    小五郎の事が語られています。

    現在は都会の中に建っており、
    以前はこの辺りもひっそりとしていたのだと思います.  閉じる

    投稿日:2015/02/08

  • ここにも勤皇の志士がいた

    • 2.5
    • 旅行時期:2014/01(約12年前)
    • 0

    西の小京都と云われるだけあり。いろいろな見所がある。歴史散策の好きな人は最高の訪問地です。待ちのほぼ中心部に、ひっそりと石...  続きを読む柱と説明看板が立ち、うっかりしていると見逃しそうなところにある。いわずと知れた小五郎が幕府に追われ、彼の知り合いであった承認にかくまわれていた屋敷が残っています。  閉じる

    投稿日:2014/09/19

  • 桂小五郎雌伏の地

    • 4.5
    • 旅行時期:2013/11(約12年前)
    • 0

    1864年、蛤御門の変で敗れた桂小五郎は出石に逃れ、広江孝助という偽名を名乗り潜伏した。最初は広戸甚助の家に匿われ、その後...  続きを読むは番頭も丁稚もいない荒物屋を開業した。 だが桂には商売の経験はなく、甚助の妹八重が行っていた。彼女は、行動の不自由な桂の身の回りの世話も行っていた。
    1865年、甚助が京都から幾松を連れて来る。長州では奇兵隊クーデターが成功し、尊王攘夷派が再び実権を取り戻していた。桂は幾松を連れて、長州へ帰る。八重のその後の消息は、不明である。
    桂は出石滞在の10ヶ月間に、7箇所以上潜伏先を変えている。そのいくつかは今日判明しており、出石の至るところに記念碑が残されている。  閉じる

    投稿日:2015/02/16

  • 最初に桂小五郎居住跡を見学しました。長州の桂小五郎が京都を追われて、身を隠した場所の1つが出石にある桂小五郎居住跡だそうで...  続きを読むす。吉田松陰の教えを受けた尊王攘夷派の中心人物ですが、命の危険に常にさらされていたようです。名前もいろいろ使いわけていたそうです。明治維新になると、木戸孝允と言う名前で、日本の政治家として頑張っています。幕末から明治中旬くらいまでは激動の時代だったようです。  閉じる

    投稿日:2015/09/22

  • 逃げの小五郎と呼ばれていたんですね。

    • 3.5
    • 旅行時期:2012/12(約13年前)
    • 0

    2012年の12月に訪れました。

    偶然、この碑の横にある「よしむら」というそば屋さんで出石そばを食べることにしたので...  続きを読む、見かけたもので、その時に初めて知りました。

    幕末の禁門の変発生後、ここまで逃げてきたんですね。今の山陰線から少し外れたところなので、よく見つからなかったものと思います。  閉じる

    投稿日:2012/12/31

  • 逃げの小五郎・・・

    • 3.0
    • 旅行時期:2012/12(約13年前)
    • 0

    桂小五郎と言えば幕末に活躍し明治維新へと
    継っていくのですが、
    それまでは、紆余曲折の人生があったようで、
    長州で生...  続きを読むまれた時は、藩医の長男として生まれ、
    その後、桂家に養子に出て藩校「明倫館」等で
    学び頭角を表したようです。
    京で騒動を起こし池田屋事件の後、何度か捕まっては
    逃げ出して、この出石にも潜伏したようです。  閉じる

    投稿日:2012/12/14

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基本情報(地図・住所)

施設名
桂小五郎潜居跡
住所
  • 兵庫県豊岡市出石町田結庄
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
pocky さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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