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伊藤博文旧宅

名所・史跡

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伊藤博文旧宅 https://4travel.jp/dm_shisetsu/10008296

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施設情報

初代内閣総理大臣・伊藤博文が14歳から13年間、両親と住んだ茅葺き平屋建ての小さな建物。この旧宅は、木造茅葺き平屋建ての約29坪の小さな家。もとは萩藩の中間 伊藤直右衛門の居宅でしたが、安政元年(1854)に伊藤博文の父・林十蔵が伊藤家の養子となったため、一家をあげて伊藤家に入家。その後、博文が明治元年(1868)に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家です。萩の松下村塾には17歳のときこの家から通いました。外観のみ見学可能です。旧宅そばには、萩焼でつくられたほぼ等身大の伊藤博文の陶像が建っています。また、隣接して東京より移築した別邸があります。

施設名
伊藤博文旧宅
住所
  • 山口県萩市椿東1515
電話番号
0838-25-3139
アクセス
・JR山陰本線東萩駅から徒歩12分
・中国自動車道美祢東JCTから車20分
→ 小郡萩道路絵堂ICから車20分
(JCTと直結する小郡萩道路利用で萩市街地へ)
→ 萩市中心部から車10分
駐車場
有り
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(42件)

萩 観光 満足度ランキング 20位
3.36
アクセス:
3.38
循環バス松陰神社前から徒歩で5分もかかりません。 by パリが大好きさん
人混みの少なさ:
3.73
観光客の方は見かけませんでした。 by パリが大好きさん
バリアフリー:
3.13
松陰神社前からはほぼ平坦に近い道です。 by パリが大好きさん
見ごたえ:
3.44
当時の下級武士の住宅なので、それほど見応えはないです。 by パリが大好きさん
  • リニューアル

    • 3.0
    • 旅行時期:2023/07(約1年前)
    • 0

    松陰神社周辺を散策中に訪れました。2年前に訪れた時は工事をしていましたが、きれいに修復されていました。すぐ横には立派な別邸...  続きを読むがあり、こちらは資料館になっています。うだるような猛暑の7月、別邸に逃げ込みました。  閉じる

    投稿日:2023/08/08

  • 当時の暮らしぶりがわかる小さな家でした

    • 4.0
    • 旅行時期:2023/03(約2年前)
    • 0

    伊藤博文は元は光市の農家で生まれ、父親が伊藤家の養子となり、一家で入家して、移り住んだ家で、わずか29坪の小さな家です。明...  続きを読む治元年1968年兵庫県知事に赴任するまで、ここを本拠としていたそう。小ぢんまりとしていて、質素な雰囲気で当時の暮らしぶりがわかりました。
    近くには東京の本邸が移築して並んでいました。松陰神社、松下村塾も近くにあるので、併せて行くのがおすすめです。  閉じる

    投稿日:2023/06/11

  • 伊藤博文が暮らしていた家

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/10(約2年前)
    • 0

    松陰神社から南側の住宅街へと少し入ったところにあります。隣には東京から移築された別邸もあります。
    こちらは江戸時代末期に...  続きを読む伊藤博文が一家で暮らしていた家であり、伊藤博文は明治元年に兵庫県知事に赴任するまでこちらを本拠としていたそうです。その期間は14年ほどだそうで、けっこう長い期間暮らしていたことになります。
    江戸時代の建物ということで、茅葺の屋根になっていて見事です。さほど大きくはないものの、しっかりとした造りで見ごたえがありました。  閉じる

    投稿日:2022/12/05

  • 伊藤博文は現在の山口県光市の農家、林家の子として生まれ、萩に移り住みます。17歳からこの家から松下村塾に通うことになります...  続きを読む。松下村塾では、高杉晋作、久坂玄瑞らとの交流もありました。長崎遊学、長州藩江戸屋敷詰め、英国留学などもあったため、13歳から明治維新の後に兵庫県知事になるまで、この家にいたと言っても、実際はこの家にいることはほとんどなかったようです。トイレ、風呂場は屋外にあったので、萩藩の下級武士の住宅だと思えました。  閉じる

    投稿日:2022/09/23

  • 伊藤博文旧宅

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/09(約3年前)
    • 0

    一人ドライブ旅。山口県山口市で宿泊した後、萩市へ移動。萩城跡を見に行きました。萩城跡前の「城跡ながお」の広大な無料駐車場に...  続きを読む停めて自転車で散策です。松陰神社は市内の東側にあります。無料の参拝者用駐車場がありますので安心です。奥手の本殿で参拝させていただきました。その後、境内を出て、右手奥にある伊藤博文旧宅と伊藤博文別邸に向かいました。歩いて5分ほどです。木造茅葺きの小さな旧宅は工事中で入館できませんでした。別邸は立派な構えです。長州ファィブなる説明看板がでてました。これは是非ご一読ください。  閉じる

    投稿日:2021/11/22

  • 後の活躍の基礎を得たところですね。

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/05(約4年前)
    • 0

    ここには北側に修復工事中の小さな旧宅、南隣に大きな別邸が並んでいました。旧宅は別邸と比べるので小さいと思いますが、約29坪...  続きを読む(約95.7㎡)もあります。博文は、1841年(天保12年)に現在の山口県光市の農家・林十蔵の長男としてに生まれています。農家なのに名字があるのは、親類が庄屋でその補佐役をやっていたからです。トラブルから父親だけは萩に移り、萩藩の中間・伊藤直右衛門の養子の口を見つけ、一家は伊藤家に入ります。中間の身分は相当低いですが、意外なほど家が大きいと思います。増築をしたと書かれたものが見付かりませんので、入家した時のままだと思います。中間の伊藤直右衛門はどんな事情があって、この家に住むことになったのでしょうかね。なお、博文は新政府の参与などをやっているときは仮住まいだった様で、兵庫県県令になった1868年(慶応4年/明治元年)にやっと本拠を持っています。   閉じる

    投稿日:2021/08/02

  • 意外なほど大きな家です。

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/05(約4年前)
    • 0

    松陰神社の入口から5、6分歩いたところに、伊藤博文旧宅がありました。ただ今、修復工事中です。建坪は29坪もあるそうなので、...  続きを読む当時としては決して小さな家ではなかったのだろうと思いました。伊藤博文が1868年(明治元年)に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家とのことです。この家は、元々は萩藩の中間・伊藤直右衛門の居宅だったそうです。中間は軽卒とも呼ばれ、足軽の下です。1854年(安政元年)に、博文の父・農家の林十蔵が伊藤家の養子になれたので、一家で伊藤家に入家して住むことになったそうです。この旧宅の北隣に伊藤博文の銅像があったので見に行ったらびっくりです。これは銅像ではなく萩焼で作った陶像でした。   閉じる

    投稿日:2021/06/22

  • 修復工事中

    • 2.5
    • 旅行時期:2021/05(約4年前)
    • 0

    松陰神社から歩いて5分ほど、境内の東側にあります。散策しながら訪れると、茅葺の修復工事で旧宅は全体がシートで覆われていまし...  続きを読むた。近くには銅像があり、どこか懐かしいお顔は昔の千円札の肖像だったからですね。  閉じる

    投稿日:2021/05/05

  • 残念ながら、修復工事中

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/01(約4年前)
    • 0

     松陰神社に参拝した際に、少しだけ足を延ばし、伊藤博文の旧宅を見学してみました。この伊藤博文の旧宅は、松陰神社から歩いて行...  続きを読むく事が出来る距離にあります。残念ながら、旧宅は修復工事中で全体の様子を見ることはできませんでした。工事中の囲いの外から見たのですが、それほど大きな屋敷ではなかった様で、それまでの家柄による出世とは関係のない世の中に変わって行った事を象徴する建物であるような気がしました。
      閉じる

    投稿日:2021/02/06

  • 2020年末現在、絶賛、保存・修理工事中でした

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/12(約4年前)
    • 0

    東光寺から松陰神社まで移動する道すがら立ち寄ったスポットの一つです。別邸と並ぶように設置されていますが、旧宅に関しては、2...  続きを読む020(令和2)年末現在で絶賛工事中で、その工期は翌2021(令和3)年末まで続く予定との掲示がされていました。再び全貌が拝めるようになるまで、少しお待ちになって下さい。  閉じる

    投稿日:2021/01/26

  • 工事中でした

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/09(約4年前)
    • 0

    伊藤博文の旧宅と別邸は隣り合っていますが、旧宅の方は2020年9月現在、工事中でした。2021年12月末まで工事予定とのこ...  続きを読むとで、それ以降はきれいに修復された旧宅が見られることを期待したいです。敷地内にある銅像は見られました。  閉じる

    投稿日:2020/09/22

  • 初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文の旧宅に、吉田松陰が講義をしていた松下村塾から歩いて訪問しました。今にも崩れ落ちそうな建物...  続きを読むは、雨漏りがしているらしくビニールシートがかぶせられていて、少し悲しく感じました。すぐ隣には、移築された物ですが伊藤博文の別邸があり、併せて見学しました。  閉じる

    投稿日:2020/03/08

  • 茅葺き屋根の家屋

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/10(約5年前)
    • 1

    茅葺き屋根の家屋が雨漏りのためにシートが張られ景観は良くありませんが、ボランティアの方が庭の落ち葉やお手入れをされて、大切...  続きを読むに歴史的遺産を守られていると感じました。内部の見学や説明もして頂き旅の良い思い出になりました。  閉じる

    投稿日:2019/10/27

  • 初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文も、吉田松陰が主催した松下村塾の門下生の一人。
    松下村塾からほど近い場所にある、茅葺屋根...  続きを読むの老朽化して今にも崩れてしまいそうな家が伊藤博文の生家でした。
    隣りに品川から移築した立派な別邸があり、2つを見ることにより伊藤博文の生まれてから明治政府の中心人物として活躍し、亡くなるまでの歴史に名を遺した人物の人生を顧り見ることができ、興味深く見学できました。
    歴史好きな方には松陰神社や松下村塾に行った際には、ぜひ少し足を延ばして見学することをお勧めします。  閉じる

    投稿日:2018/09/30

  • 伊藤博文の生まれた家

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/06(約6年前)
    • 0

    萩の松陰神社・松下村塾を訪れた後に歩いて行きことができる場所にあるようなので行って見ました。この旧宅と別宅が並んで建ってい...  続きを読むます。手前が旧宅で奥が別宅です。生家の方は質素な造りをしていました。屋根が修理中なのかビニールで覆われていたのが、興ざめでした。隣の空き地には伊藤博文の銅像が建っていました。  閉じる

    投稿日:2018/07/08

  • 萩の松陰神社から真南の至近距離にあるのだが、職員用駐車場の中を通れないために、一旦神社の無料駐車場まで西に戻ってから、同じ...  続きを読むくらい東に行かないといけない。無料駐車場からは徒歩3分程度。大きな藁ぶき屋根の家だが、古めかしい家の前に飲み物の自販機を置いてあるのが興ざめだ。明治元年まで伊藤博文がここに住んでいたらしい。隣の空き地に立派な台座の割には小ぶりの伊藤博文の立像がある。  閉じる

    投稿日:2017/12/04

  • 生家は17時までしか見れません。
    よく調べずに行ったので、見れずに残念でした。
    茅葺屋根の質素な生家でした。
    すぐ隣...  続きを読むに別荘を建てたのは、昔を忘れないためでしょうか?
    銅像は思ったより背が小さいな~という感じでした。
    昔の千円札と髭のイメージで、もっとがっちりとしたイメージを
    勝手にしていました。
    自分の母方に関係があるので、じっくりと見たかったな~  閉じる

    投稿日:2017/06/04

  • 伊藤博文の家

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/04(約8年前)
    • 1

    伊藤博文が14歳から14年住んだ家だそう
    となりには別邸もあります

    旧宅は外観のみ(中は外の柵越しにみれます、パネ...  続きを読むル等がなかにあります)
    下級武士、足軽の家とはこんな感じだったのかと思いました
    ホントに昔ながらの家という感じがしました  閉じる

    投稿日:2017/07/03

  • 別邸と併せて見学したい、伊藤博文旧宅

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/08(約8年前)
    • 10

    伊藤博文は天保12年(1841)、周防国熊毛郡束毛村(今の山口県光市)の百姓・林十蔵の長男として生まれる。家が貧しかったた...  続きを読むめ、父が長州藩の蔵元付中間・水井武兵衛の養子となり、武兵衛が安政元年(1854)に足軽・伊藤弥右衛門の養子となって伊藤直右衛門と改名したため、十蔵・博文父子も足軽となったそうだ。(以上ウィキペディアより)
    伊藤直右衛門の居宅に十蔵・博文父子たちが一家をあげて居住したところが伊藤博文旧宅だ。
    旧宅は外観のみの見学自由だ。旧宅と隣接する伊藤博文別邸を併せて見学することにより、江戸末期に百姓の子として生まれた伊藤博文が下級武士の身分となり、松下村塾入門、イギリス留学などを経て明治維新を迎え、明治政府の有力者として要職に就き、初代総理大臣となった生涯の一端が伝わってくる。


      閉じる

    投稿日:2018/12/02

  • けっこうご近所の子供だったんですね

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/08(約8年前)
    • 1

    初代総理大臣である伊藤博文旧宅は、松陰の誕生地から下ったところで、玉木文之進旧宅や松下村塾からも近い場所。伊藤博文も吉田松...  続きを読む陰の門下生ですが、けっこうご近所の子供だったんですね。
    家は藁ぶき。周囲から外観を見るだけですが、まあ普通という以上のものではないでしょう。空地に伊藤の萩焼で作られた像が建っていて、その功績を伝えています。  閉じる

    投稿日:2016/09/28

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