1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 中国地方
  4. 山口県
  5. 萩 観光
×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記
Q&A

萩の観光スポット ランキング

1~20(全243件中)
  • 3.88
    評価詳細
    アクセス
    3.59
    人混みの少なさ
    3.50
    バリアフリー
    3.27
    見ごたえ
    3.85

    クリップ

    続きを見る

    吉田松陰が主宰した私塾「松下村塾」。世界遺産にも登録されています。松陰の叔父、玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりで、幕末には高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など日本の近代化に重要な役割を果たした名だたる人材を輩出しました。松陰は、階級や身分に関係なく塾生を受け入れました。「学は人たる所以を学ぶなり。塾係くるに村名を以てす。(学問とは、人間はいかにあるべきか、いかに生きるべきかを学ぶことである。これを学ぶ塾の名前に村名をあてた)」と『松下村塾記』に記し、知識を得るだけの学問ではなく、志ある人材を育成しようとしました。教え子たちの長所を伸ばし、講義より討論を重視した松下村塾で学んだ塾生たちが、後に明治維新を担う志士として活躍したのです。現在、松下村塾は松陰神社の敷地内にあり外観のみ見学自由です。幕末当時に建てられた建物が現存しており、当時と同じ位置にあります。室内には松陰の人物像や、ここに通っていた人物、松陰と関わりのあった人物の写真が展示されています。当時に思いを馳せながら、幕末ゆかりの松下村塾を見学してみてください。世界遺産|日本の近代化を担った多くの人材の学び舎

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    明治維新に活躍した多くの人材を育てました

    11歳の時に、萩藩主の前で兵学の講義を行った吉田松陰の私塾だった建物です。木造平屋建てで、8畳の講義室と10畳半の控室から続きを読む

    11歳の時に、萩藩主の前で兵学の講義を行った吉田松陰の私塾だった建物です。木造平屋建てで、8畳の講義室と10畳半の控室から成る小さな建物です。講義期間は1年ほどだったようですが、高杉晋作や木戸孝允、伊藤博文など、明治維新で活躍した人材を育てた歴史ある建物です。歴史の変革期だったこともありますが、短期間で多くの人材を育てたことは素晴らしいと思います。

    アクセス
    ・JR新山口駅より美東町経由(特急)約70分 /(その他)約95分
    ・JR新山口駅から車で約60分
    ・美祢東JCTより車で約40分
    ・萩・石見空港から車で約60分
  • 3.86
    評価詳細
    アクセス
    3.56
    人混みの少なさ
    3.61
    バリアフリー
    3.11
    見ごたえ
    3.84

    クリップ

    続きを見る

    維新の原動力となった吉田松陰を祀る神社で、明治40年(1907)伊藤博文らによって建立されました。境内には、松陰が主宰した私塾「松下村塾」や松陰の遺墨や遺品類などを展示する「至誠館」、松陰の生涯をつづる「歴史館」などがあります。

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    吉田松陰の功績を知ることができる神社です

    明治維新で活躍した多くの人材を育てた吉田松陰を祀る神社です。境内には松陰が講義を行った松下村塾や、海外渡航に失敗した松陰が続きを読む

    明治維新で活躍した多くの人材を育てた吉田松陰を祀る神社です。境内には松陰が講義を行った松下村塾や、海外渡航に失敗した松陰が謹慎生活を命じられた幽囚の旧宅、松陰の遺品や遺墨が展示された至誠館、松陰の生涯を紹介した歴史館なども建っています。吉田松陰の功績を知ることができる神社と資料館です。

    アクセス
    1) JR山陰本線東萩駅から徒歩で10分
    2) 中国自動車道美祢東JCTから車で20分
    - 小郡萩道路絵堂ICから車で20分
  • 3.58
    評価詳細
    アクセス
    3.46
    人混みの少なさ
    3.53
    バリアフリー
    2.98
    見ごたえ
    4.03

    クリップ

    続きを見る

    1604年に毛利輝元が萩城を築いて以来、260年間にわたって36万石の城下町として栄えた萩市は日本有数の史跡都市。重厚な武家屋敷、夏みかんがのぞく土塀やなまこ壁、鍵曲など、町並みには今なお城下町の風情が色濃く残っています。2015年7月世界遺産登録(明治日本の産業革命遺産)

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    江戸時代の町並み

    • 4.0
    • 旅行時期: 2025/03
    • by pocky
    江戸時代の町並みが残る「萩の城下町」 萩の観光の定番と言えば定番だけど 見どころもあり 楽しく散策できました 町の中は続きを読む

    江戸時代の町並みが残る「萩の城下町」 萩の観光の定番と言えば定番だけど 見どころもあり 楽しく散策できました 町の中は歩いての散策になるが 見どころも凝縮されていて  木戸孝允旧宅 高杉晋作誕生地 幕末 そして明治維新と歴史好きでなくても知っている人物を輩出した地 途中 萩城下町のガイドさんに会い 町並みとしては美しい通りを教えてもらい 再度じっくりと撮影に戻った 菊屋横町はとても美しい通りだ

    アクセス
    1) JR東萩駅から徒歩で20分
    2) 中国自動車道美祢東JCTから車で20分
    - 小郡萩道路絵堂ICから車で30分 JCTと直結する小郡萩道路利用で萩市街地へ
  • ピックアップ特集

  • 3.48
    評価詳細
    アクセス
    3.34
    人混みの少なさ
    3.97
    バリアフリー
    2.98
    見ごたえ
    3.50

    クリップ

    続きを見る

    1604年(慶長9年)、関ケ原の戦いに敗れた毛利輝元は、指月山に萩城を築城しました。萩城は、江戸時代には珍しく周囲を石垣と土塀で囲った本格的な山城で、指月山に築城されたことから「指月城」とも呼ばれていました。1874年(明治7年)に解体されてしまいましたが、敷地内には城ファン必見の石切り場の跡や志都岐山神社、花江茶亭などが残り、当時の様子をうかがい知ることができます。2015年には、城下町と一緒に世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産に登録されました。また、桜の名所としても有名で、華やかな着物を着た人々と舞い散る桜のコラボレーションは萩の春の風物詩となっています。世界遺産|指月山から萩の町を見守る城跡

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    旧跡が多く見所満載

    萩城跡は指月公園として整備、城跡の構造をよく残していることが特徴で旧跡が多くあります。 「萩城跡指月公園」は、敷地面積が続きを読む

    萩城跡は指月公園として整備、城跡の構造をよく残していることが特徴で旧跡が多くあります。 「萩城跡指月公園」は、敷地面積が約20万平方メートルもある広大な公園です。 背後に見える「指月山」が美しい。 公園内では、お堀の一部や立派な石垣を見ることができます。 萩城の天守は桃山時代初期の様式で、白亜5層の壮麗なものでした、現在は礎石と台座のみを残しています。 萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城、別名指月城とも呼ばれます。 城跡は国の史跡に指定されています。 城下町と一緒に世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産に登録されました。

    アクセス
    ・JR東萩駅から徒歩30分
    ・小郡萩道路絵堂ICから車で約20分、萩市指月第一駐車場から徒歩約4分
    ・萩城跡・指月公園入口バス停から徒歩約5分(萩循環まぁーるバス西回りコース)
  • 3.45
    評価詳細
    アクセス
    3.50
    人混みの少なさ
    3.47
    バリアフリー
    2.82
    見ごたえ
    4.10

    クリップ

    春秋限定公開の庭園も見事。

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    萩藩を支えた豪商の住宅です

    萩藩の御用商人として、幕府の使者や賓客をもてなす宿として、藩を支えてきた方の住宅です。400年程前に建てられた建物で、重要続きを読む

    萩藩の御用商人として、幕府の使者や賓客をもてなす宿として、藩を支えてきた方の住宅です。400年程前に建てられた建物で、重要文化財に指定されている主屋や金蔵、米蔵などの他、伊藤博文からもらったゼンマイ仕掛けの柱時計や、銀製食器、喫煙具などの美術品や生活用具、当時の書籍なども展示されていました。2000坪ある敷地内には、手入れが行き届いた広々とした2つの庭園があり、伊藤博文を迎えるために増設された御部屋も建ち、豪商だったことがよくわかる住宅です。

    アクセス
    ・JR山陰本線東萩駅から徒歩25分
    ・中国自動車道美祢東JCTから車20分 → 小郡萩道路絵堂ICから車30分(JCTと直結する小郡萩道路利用で萩市街地へ)→ 萩博物館駐車場から徒歩3分(最寄駐車場利用の場合)
    ・まぁーるバス西回り「萩博物館前」から徒歩3分
  • 3.44
    評価詳細
    アクセス
    3.45
    人混みの少なさ
    3.51
    バリアフリー
    2.88
    見ごたえ
    3.71

    クリップ

    幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地。現在は、南側半分が公開されており、産湯に使ったと伝えられる井戸や自作の句碑などがあります。

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    なかなか立派な家です。

    現代人の目から見ると一見質素に見えるかもしれませんが、実際はかなり立派な家であったことがうかがわれます。高杉晋作はええとこ続きを読む

    現代人の目から見ると一見質素に見えるかもしれませんが、実際はかなり立派な家であったことがうかがわれます。高杉晋作はええとこの坊ちゃんだったんですね。生家がきちんとのこっているということは、やはり明治時代以降も高杉晋作が萩の町でリスペクトされていたからなのでしょうね。

    住所
    山口県萩市南古萩町23
  • 3.43
    評価詳細
    アクセス
    3.46
    人混みの少なさ
    3.52
    バリアフリー
    3.29
    見ごたえ
    3.78

    クリップ

    続きを見る

    松陰は、実家杉家の4畳半の一室で前後2回幽囚生活を送り、読書のかたわら家族や弟子に書を講じ続けていたといわれています。隣接して、松下村塾、松陰神社があります。

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    吉田松陰の実家。広く立派な建物です。

    松陰神社の境内にありますが、この家が元々この地にあって、明治時代になって、神社のほうが建立されたといのが正しいのでしょう。続きを読む

    松陰神社の境内にありますが、この家が元々この地にあって、明治時代になって、神社のほうが建立されたといのが正しいのでしょう。松陰自身は3畳半の部屋で幽囚の身だったそうですが、家自体は部屋数も多く広くてりっぱな建物です。江戸時代そのままに残っている建物としても貴重なものではないかと思います。

    アクセス
    ・JR山陰本線東萩駅から徒歩10分
    ・中国自動車道美祢東JCTから車20分
    → 小郡萩道路絵堂ICから車20分
    (JCTと直結する小郡萩道路利用で萩市街地へ)
    → 松陰神社から徒歩1分
  • 3.43
    評価詳細
    アクセス
    3.42
    人混みの少なさ
    3.64
    バリアフリー
    2.91
    見ごたえ
    3.73

    クリップ

    続きを見る

    桂小五郎の名でも知られ、“維新の三傑”と詠われた木戸孝允が、20歳まで過ごした木造2階建て、瓦葺きの家。誕生の部屋など12部屋があり、当時のままの姿をよく残しています。幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています。?実父の和田昌景は藩医だったので、藩医の生活を知る資料でもあります。建物内にはボランティアガイドが常駐し、詳しい説明を聞くこともできます。◆木戸孝允は、天保4年(1833)、萩藩医・和田昌景の長男として生まれました。後に藩士・桂家の養子となり“桂小五郎”の名でも知られています。藩校明倫館に通い吉田松陰の兵学門下となり、文久2年(1862)藩の要職に就き京へと出て国事に奔走。慶応元(1865)年、藩命により姓を“木戸”と改め、翌年、坂本龍馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと“薩長同盟”を結び明治維新に尽力。維新後は、五箇条の御誓文の起草、版籍奉還、廃藩置県などの推進に功績を残しました。明治10(1877)年、西南の役の途中で病死。享年45歳。幕末維新三傑の一人、木戸孝允誕生の地

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    木戸孝允旧宅

    • 4.0
    • 旅行時期: 2025/03
    • by pocky
    萩城下町は、初めてでなく 何度目かの訪問になるので 少し町並みを楽しんで一か所くらい入ろうかと 西郷隆盛と大久保利通と共に続きを読む

    萩城下町は、初めてでなく 何度目かの訪問になるので 少し町並みを楽しんで一か所くらい入ろうかと 西郷隆盛と大久保利通と共に「維新の三傑」と呼ばれた木戸孝允旧宅に入りました 維新ファンでも、なくてもぜひ行ってほしい場所だ 木造建築なので古民家感はかなり感じるが とてもりっぱなお宅で素敵な間取り これからも保存をして頂きたい場所だ

    アクセス
    ・JR山陰本線東萩駅から徒歩25分
    ・中国自動車道美祢東JCTから車20分 → 小郡萩道路絵堂ICから車20分(JCTと直結する小郡萩道路利用で萩市街地へ)→ 中央公園駐車場から徒歩3分(最寄り駐車場利用の場合)
  • 3.43
    評価詳細
    アクセス
    3.39
    人混みの少なさ
    3.94
    バリアフリー
    2.14
    見ごたえ
    3.41

    クリップ

    続きを見る

    安政5年(1858)に築かれたもので、艦船銃砲等の材料熔解製造に用いられていました。炉は玄武岩とレンガを使用し、基底は長方形で上部が漸次狭くなり、2本の煙突にわかれていて、高さは11.5mあります。世界遺産に登録されている西洋式の金属溶解炉2015年7月世界遺産登録(明治日本の産業革命遺産)

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    見つけにくいです

    • 4.0
    • 旅行時期: 2023/09
    • by ぺん
    車で行きましたが、駐車場がわかりにくく目印もあまりなくて少し迷ってしまいました。 駐車場に車を置いて、階段をのぼっていき続きを読む

    車で行きましたが、駐車場がわかりにくく目印もあまりなくて少し迷ってしまいました。 駐車場に車を置いて、階段をのぼっていきます。 韮山の反射炉とかを見ていたので、思ったよりずっとずっと小さくてちょっと驚きました。 1部しか残っていないみたいです。 無料で見られますが、入り口のところには事務所の窓口があって人もいました。

    アクセス
    ・JR東萩駅から徒歩で約20分
    ・中国自動車道美祢東JCT経由、小郡萩道路絵堂ICから車で約20分
  • 3.41
    評価詳細
    アクセス
    3.66
    人混みの少なさ
    3.97
    バリアフリー
    2.89
    見ごたえ
    3.92

    クリップ

    続きを見る

    長州藩の藩校跡で、亨保4年(1719)毛利吉元が城内三の丸の創設、嘉永2年(1849)毛利敬親が江向に移しました。明倫小学校・萩商業高校・萩裁判所の約14,349坪がその跡地で、現在明倫小学校の敷地内に剣槍場の有備館、遊泳術、水中騎馬の行われた水練池、その傍に、聖廟の東塾・西塾を合併して移した聖賢堂があります。なお明倫館聖廟の建物は、現在北古萩町の海潮寺の本堂に移され、また南門は本願寺院の表門、観徳門は明倫小学校に現存しています。

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    一番見学したかったスポット

    萩藩校明倫館は、萩で一番見学したかったスポット。 享保4年(1719)に5代藩主吉元が毛利家家臣の子弟教育のために開いた続きを読む

    萩藩校明倫館は、萩で一番見学したかったスポット。 享保4年(1719)に5代藩主吉元が毛利家家臣の子弟教育のために開いた藩校です。 案内図を頂いたので、見落とさないようにします。 立派な木造校舎は小学校として使用されていた教室を復元、懐かしい光景です。 歴代校長が執務した校長室も復元。 2・3・4号館には、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」を紹介する「世界遺産ビジターセンター」や、幕末の歴史をひもとく貴重な資料を一堂に紹介する「幕末ミュージアム」などがあります。  

    アクセス
    ・JR山陰本線東萩駅から徒歩20分
    ・中国自動車道美祢東JCTから車20分
    → 小郡萩道路絵堂ICから車20分
    (JCTと直結する小郡萩道路利用で萩市街地へ)
    → 萩市立明倫小学校内から  分
    (萩市中心部)
  • 宿公式サイトから予約できる山口のホテルスポンサー提供

  • 3.40
    評価詳細
    アクセス
    3.45
    人混みの少なさ
    3.79
    バリアフリー
    3.25
    見ごたえ
    3.45

    クリップ

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    晋作広場。

    元々は家もあったのでしょうか、今は門だけが残っていて、中に入ると広い広場(公園)になっています。そこに高杉晋作の銅像が建っ続きを読む

    元々は家もあったのでしょうか、今は門だけが残っていて、中に入ると広い広場(公園)になっています。そこに高杉晋作の銅像が建っています。中央公園の駐車場から高杉晋作の生家へ行く途中にありますので、寄って行かれるとよいと思います。

    住所
    山口県萩市南古萩町11
  • 3.39
    評価詳細
    アクセス
    3.52
    人混みの少なさ
    4.19
    バリアフリー
    2.65
    見ごたえ
    4.37

    クリップ

    続きを見る

    元禄4年(1691)に、3代藩主毛利吉就が萩出身の名僧慧極を開山として創建した全国屈指の黄檗宗の寺院で、大照院と並ぶ毛利家の菩提寺です。総門、三門、鐘楼、大雄宝殿は、いずれも国の重要文化財に指定されており、名刹の面影を残しています。本堂裏の毛利家墓所は、山口市の香山墓所、萩市の旧天樹院墓所、大照院墓所とともに、長州藩36万石の藩主の墓地。吉就から11代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族、関係者の墓があり、墓前には藩士が寄進した500余基の石灯籠が立ち並びます。このほか殉難十一烈士墓、維新志士慰霊墓八基などがあります。寺宝類も多く、長州藩御用絵師の雲谷派の絵画、県指定有形文化財の木額、柱聯、傍牌などが所蔵されています。毎年8月15日に行われる「万灯会」の送り火では、藩主の墓前に家臣が献じた約500基の燈籠に灯が入り、幽玄の世界が広がります。秋には、参道や大雄宝殿周辺、墓所にて美しい紅葉が見られます。

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    毛利奇数代藩主と夫人の墓所があります

    東萩駅から東方向へ15kmほどのところに建つ黄檗宗寺院です。三代藩主毛利吉就は1691年に赤い総門を、十代藩主毛利斉煕は1続きを読む

    東萩駅から東方向へ15kmほどのところに建つ黄檗宗寺院です。三代藩主毛利吉就は1691年に赤い総門を、十代藩主毛利斉煕は1812年に二階二重門の三門を、四代藩主毛利吉広は1698年に大雄宝殿を建立しました。どれも国指定重要文化財です。大雄宝殿の棟の中央に宝珠と両端に鯱が、堂内土間は漆喰叩き仕上げになっていて黄檗宗建築物の特徴を見ることができます。大雄宝殿の後ろの森林の中に三代から十一代の毛利藩主と夫人の墓所があります。毛利家一族と関係者の墓が40基、500数基の石燈籠が並んでいて壮観です。

    アクセス
    JR山陰本線東萩駅から徒歩で20分
  • 3.39
    評価詳細
    アクセス
    3.53
    コスパ
    3.62
    人混みの少なさ
    3.65
    展示内容
    3.70
    バリアフリー
    3.30

    クリップ

    続きを見る

    建物や外観は、敷地が旧萩城三の丸にあたる堀内伝統的建造物群保存地区内にあることから、かつてこの地区内にあった規模の大きい武家屋敷の特徴にならっています。萩の歴史・文化発信拠点として、吉田松陰、高杉晋作をはじめ幕末維新関連の実物資料を展示するほか、萩の文化、自然を模型映像を駆使して紹介しています。館内には、萩の素材を使った料理が食べられるレストランやお土産ショップもあります。萩の自然、歴史、文化を学べる萩の歴史文化の発信拠点

    アクセス
    ・JR東萩駅からタクシー10分(徒歩30分)
    ・JR新山口駅からバス70分→ 萩バスセンターから徒歩20分
    ・萩バスセンターからバス10分(萩循環まぁーるバス西回り)
    ・萩・石見空港からタクシー75分(乗り合いタクシー:前日までに要予約)
    ・山口宇部空港からタクシー90分(乗り合いタクシー:前日までに要予約)
    ・小郡萩道路絵堂ICから車25分(中国自動車道美祢東JCT経由)
  • 3.39
    評価詳細
    アクセス
    3.46
    人混みの少なさ
    3.52
    バリアフリー
    3.36
    見ごたえ
    3.93

    クリップ

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    城下町らしさが感じられます

    かつて萩城下町だったエリアには菊屋横町の他、伊勢屋横町、江戸屋横町と名付けられた3本の通りが平行して残っています。菊屋横町続きを読む

    かつて萩城下町だったエリアには菊屋横町の他、伊勢屋横町、江戸屋横町と名付けられた3本の通りが平行して残っています。菊屋横町沿いには藩の豪商として藩を支えた菊屋家や、高杉晋作の誕生地、26代総理大臣だった田中義一誕生地などがあり、歴史に触れることができます。菊屋家の長く続く白壁やまなこ壁など、城下町らしさが感じられる通りです。

    住所
    山口県萩市呉服町1丁目
  • 3.37
    評価詳細
    アクセス
    3.43
    人混みの少なさ
    3.71
    バリアフリー
    2.95
    見ごたえ
    3.82

    クリップ

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    神仏混合の寺社です

    1254年に大内氏の祈願所として創建された、江戸屋横町沿いに建つ真言宗の寺です。明治時代の神仏分離にもかかわらず、天皇家ゆ続きを読む

    1254年に大内氏の祈願所として創建された、江戸屋横町沿いに建つ真言宗の寺です。明治時代の神仏分離にもかかわらず、天皇家ゆかりの品を多く所持していたこともあり、現在も神仏混合の寺社として、境内に神社と寺が建っています。山門手前の石鳥居には数珠を表す円形の石が挟まっていて、神社に建つ鳥居と寺を表す数珠が一体になり神仏混合を表現しています。病弱だった高杉晋作の母親が晋作の健康を祈願したり、伊藤博文が雑役のかたわら、読み書きそろばんなどを学んだりしていたなど、幕末から明治維新にかけて名を残した人物ゆかりの寺でもあります。社殿に施された十二支の彫刻や5mほどの大きな石灯籠、高杉晋作を勇気づけたという朱色の天狗面、晋作や博文が子供の頃遊んだ木馬、樹齢300年と言われる松など見どころが多い寺です。

    住所
    山口県萩市南古萩町6
  • 3.37
    評価詳細
    アクセス
    3.54
    人混みの少なさ
    3.66
    バリアフリー
    2.97
    見ごたえ
    3.92

    クリップ

    続きを見る

    久保田家は、初代庄七が藩政時代後期に近江の国(滋賀県)から萩に入り、熊谷町の久保田家の分家となり、菊屋家の向かいで呉服商を開いたと伝えられています。二代庄次郎のとき酒造業に転じ、造り酒屋の「あらたま酒店」を営業していました。また明治時代、しばしば名士の宿舎としても利用されました。旧久保田家は幕末から明治前期にかけての建物として、意匠、構造、技術に優れ、酒造業で繁栄した往時の状況をよく伝えており、史都萩城城下町を形成する建物として極めて重要です。御成道に面して建つ幕末から明治時代前期にかけて建築された町家

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    豪商だったことがよくわかります

    菊屋家住宅の向かい、御成道沿いに建つ、呉服商や酒造業を営んでいた方の住宅です。江戸時代後期に建てられた建物で、表門や主屋、続きを読む

    菊屋家住宅の向かい、御成道沿いに建つ、呉服商や酒造業を営んでいた方の住宅です。江戸時代後期に建てられた建物で、表門や主屋、離れが御成道沿いに建っています。向かいに建つ藩の御用商人だった菊屋家住宅と比べ高さがあり、2階部分は使用人の寝間や物置に使用されたつし2階が設けられています。1枚板の長いケヤキの縁側や、蔵の床下に造られた隠し金庫、太い梁、屋久杉で造られた欄間など、豪商だったことが伝わってくる建物です。

    アクセス
    ・萩バスセンターからバス(まぁーるバス西回り「晋作くん」)→ 萩美術館浦上記念館から徒歩3分
    ・中国自動車道美祢東JCTから車20分 → 小郡萩道路絵堂ICから車20分(JCTと直結する小郡萩道路利用で萩市街地へ)→ 萩博物館駐車場から徒歩3分
  • 3.37
    評価詳細
    アクセス
    3.37
    人混みの少なさ
    3.73
    バリアフリー
    3.13
    見ごたえ
    3.44

    クリップ

    続きを見る

    初代内閣総理大臣・伊藤博文が14歳から13年間、両親と住んだ茅葺き平屋建ての小さな建物。この旧宅は、木造茅葺き平屋建ての約29坪の小さな家。もとは萩藩の中間 伊藤直右衛門の居宅でしたが、安政元年(1854)に伊藤博文の父・林十蔵が伊藤家の養子となったため、一家をあげて伊藤家に入家。その後、博文が明治元年(1868)に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家です。萩の松下村塾には17歳のときこの家から通いました。外観のみ見学可能です。旧宅そばには、萩焼でつくられたほぼ等身大の伊藤博文の陶像が建っています。また、隣接して東京より移築した別邸があります。

    アクセス
    ・JR山陰本線東萩駅から徒歩12分
    ・中国自動車道美祢東JCTから車20分
    → 小郡萩道路絵堂ICから車20分
    (JCTと直結する小郡萩道路利用で萩市街地へ)
    → 萩市中心部から車10分
  • 3.37
    評価詳細
    アクセス
    3.54
    人混みの少なさ
    3.90
    バリアフリー
    2.71
    見ごたえ
    3.58

    クリップ

    続きを見る

    幕末の長州藩医・青木周弼の住んでいた屋敷。医師としてだけでは無く、蘭学医としても全国でも屈指の人物。季節ごとに萩にちなんだ展示が行われる。2015年7月明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録された萩城下町にあります。

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    一分銀が発見されました

    萩城下町の江戸屋横町に建っています。萩市公開文化財9施設の一つで、一日共通券が利用できます。幕末の藩医で蘭学者の青木周弼の続きを読む

    萩城下町の江戸屋横町に建っています。萩市公開文化財9施設の一つで、一日共通券が利用できます。幕末の藩医で蘭学者の青木周弼の旧宅です。1859年に建てられました。青木周弼は藩主毛利敬親の侍医や医学館の館長を務めました。日本屈指の医師として全国的にも知られ、各地から集まった多くの弟子を育てました。床の間のある部屋は品があり、今でも使える造りでした。1990年に土蔵床下から一分銀が入った木箱と金属箱が発見され、総額293両3分ありました。青木周弼の養子青木研蔵の所有で、子孫から一部が萩市に寄贈され萩博物館に所蔵されています。

    アクセス
    ・萩バスセンターバス停から徒歩10分
    (城下町方面に)
    ・JR東萩駅から徒歩20分
    ・中国自動車道美祢東JCTから車20分
    → 小郡萩道路絵堂ICから車20分
    → 中央公園駐車場から徒歩3分
    (最寄の駐車場をご利用ください)
    ・まぁーるバス西回り「玉木病院前」から徒歩2分
  • 3.36
    評価詳細
    アクセス
    3.23
    人混みの少なさ
    4.26
    バリアフリー
    2.95
    見ごたえ
    3.78

    クリップ

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    霊園の奥にあります

    玉木文之進旧宅から300mほど歩くと霊園があります。霊園の奥に吉田松陰や親族、門下生などの墓が並んでいます。そばに吉田松陰続きを読む

    玉木文之進旧宅から300mほど歩くと霊園があります。霊園の奥に吉田松陰や親族、門下生などの墓が並んでいます。そばに吉田松陰銅像が建っていて、銅像の右奥に吉田松陰誕生地があります。杉百合之助の次男が吉田松陰で、19歳まで過ごしました。両親、兄弟と共に農耕に従事しました。1853年に杉家が転居した後、建物はなくなりました。後に住んでいた人の記憶をもとに1922年に敷石で間取りを復元したものがあります。萩城下町からかなり離れたところで生まれ育ったことがわかります。

    住所
    山口県萩市 椿東1433-1
  • 3.36
    評価詳細
    アクセス
    3.40
    人混みの少なさ
    3.75
    バリアフリー
    3.12
    見ごたえ
    3.92

    クリップ

    続きを見る

    伊藤博文が明治40年(1907)に東京府下荏原郡大井村(現:東京都品川区)に建てた建物の一部を、萩市が無償譲渡を受けて伊藤博文旧宅側に移築したものです。

    満足度の高いクチコミ クチコミ一覧を見る

    伊藤博文別邸 

    日本全国47都道府県 を 旅行してきて 山口県が最後の地となりました。 旅行中「松陰神社」「松下村塾」を訪れたあと 続きを読む

    日本全国47都道府県 を 旅行してきて 山口県が最後の地となりました。 旅行中「松陰神社」「松下村塾」を訪れたあと 近くにある こちら萩市指定史跡 伊藤博文旧宅地 附【 伊藤博文別邸 】にも立ち寄りました。 明治40年に東京都品川区に建てた広大なものでした。 当時の面影残す玄関、大広間、離れ座敷の3棟を移築しました。 3分の1 で これだけ広いのだから…相当な広さですね! 係の女性が 丁寧に説明してくれたので、立ち寄って良かったって思いました。 「玉座」に座ってもいいと言われたので、早速 座りました(^^) 廊下の鏡天井は一枚板だそうで、びっくりしました。 隣接して 国指定史跡 「伊藤博文旧宅」があります。 兵庫県知事に赴任するまで ここが本拠だったそうです。こちらは質素でした。

    アクセス
    ・東萩駅から車3分
    ・中国自動車道美祢東JCTから車20分
    → 小郡萩道路絵堂ICから車20分
    (JCTと直結する小郡萩道路利用で萩市街地へ)
    → 駐車場から徒歩1分
1件目~20件目を表示(全243件中)

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性もあります。

地図から探す

閉じる

山口の旅行ガイドまとめ

山口のトラベルマガジンをもっと見る

フォートラベルポイントをためよう

宝箱を探せ!

エリアに隠された宝箱を見つけてフォートラベルポイントをゲット!チャンスは一日一回。お題はトップページで発表されます。

本日のお題はこちら

フォートラベルポイントとは?

PAGE TOP