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 青春18切符の3日間用を使って、島根県と山口県北部を旅行しました。主な訪問先は次のとおりです。<br /><br />1日目∶姫新線・芸備線・木次線の秘境駅<br />    巡り<br />2日目∶萩市内の明治維新胎動の地・吉田<br />    松陰ゆかりの地を散策<br />3日目∶土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム<br />    と下関市の唐戸市場を訪問<br /><br /> 2日目は早朝に、JR山陰本線に乗って日本海を眺めながら、出雲市駅から東萩駅(10:45着)まで行きました。<br /><br /> 東萩駅に到着した後、近くの皮膚科の病院で診察を受けて、薬をいただきました。その後、昼食を取った後、明治維新胎動の地である「松陰神社エリア」と「城下町エリア」を中心に散策して、次のような観光スポットを訪問しました。<br /><br />(松陰神社エリア)<br />松陰神社、松下村塾、吉田松陰幽囚ノ旧宅、伊藤博文の旧宅と別邸、吉田松陰歴史館<br /><br />(城下町エリア)<br />高杉晋作立志像、高杉晋作誕生地、田中義一誕生地、田中義一銅像、北の総門、江戸屋横町、菊屋横町、木戸孝允旧宅<br /><br /> その後、長門市駅に移動して、近くの宿舎で1泊しました。<br /><br /> なお、細かい日程、訪問地は、一緒に載せているスケジュール表でご確認ください<br />

2024/12 島根県・山口県北部への旅行 2日目(萩市内の歴史観光スポットを訪問)

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2024/12/21 - 2024/12/21

235位(同エリア941件中)

放浪ラォレン

放浪ラォレンさん

この旅行記のスケジュール

2024/12/21

この旅行記スケジュールを元に

 青春18切符の3日間用を使って、島根県と山口県北部を旅行しました。主な訪問先は次のとおりです。

1日目∶姫新線・芸備線・木次線の秘境駅
    巡り
2日目∶萩市内の明治維新胎動の地・吉田
    松陰ゆかりの地を散策
3日目∶土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム
    と下関市の唐戸市場を訪問

 2日目は早朝に、JR山陰本線に乗って日本海を眺めながら、出雲市駅から東萩駅(10:45着)まで行きました。

 東萩駅に到着した後、近くの皮膚科の病院で診察を受けて、薬をいただきました。その後、昼食を取った後、明治維新胎動の地である「松陰神社エリア」と「城下町エリア」を中心に散策して、次のような観光スポットを訪問しました。

(松陰神社エリア)
松陰神社、松下村塾、吉田松陰幽囚ノ旧宅、伊藤博文の旧宅と別邸、吉田松陰歴史館

(城下町エリア)
高杉晋作立志像、高杉晋作誕生地、田中義一誕生地、田中義一銅像、北の総門、江戸屋横町、菊屋横町、木戸孝允旧宅

 その後、長門市駅に移動して、近くの宿舎で1泊しました。

 なお、細かい日程、訪問地は、一緒に載せているスケジュール表でご確認ください

  •  早朝5:50に、出雲市駅から大田市駅に向かう電車に乗りました。

     早朝5:50に、出雲市駅から大田市駅に向かう電車に乗りました。

    出雲市駅

  •  下調べはしていませんでしたが、どう見ても秘境駅と思える駅に近づいて来ました。後で調べてみると、久代(くしろ)駅だと分かりました。待合室は見えますが、民家や道路は全く見えません。

     下調べはしていませんでしたが、どう見ても秘境駅と思える駅に近づいて来ました。後で調べてみると、久代(くしろ)駅だと分かりました。待合室は見えますが、民家や道路は全く見えません。

    久代駅

  •  夜もかなり明けて、日本海の穏やかな海面が見えて来ました。島根県の大田市駅から山口県の東萩駅までのJR山陰本線区間は鉄道線路が海に隣接しており、美しい日本海の眺めを楽しむことができます。

     夜もかなり明けて、日本海の穏やかな海面が見えて来ました。島根県の大田市駅から山口県の東萩駅までのJR山陰本線区間は鉄道線路が海に隣接しており、美しい日本海の眺めを楽しむことができます。

    土田海岸 ビーチ

  •  9:12に益田駅に到着して、9:33の東萩駅行きの列車に乗りました。

     9:12に益田駅に到着して、9:33の東萩駅行きの列車に乗りました。

    益田駅

  •  益田駅を過ぎて少しすると、写真では分かりにくいですが、後方に風力発電所が見えて来ました。

     益田駅を過ぎて少しすると、写真では分かりにくいですが、後方に風力発電所が見えて来ました。

  •  11:45に東萩駅に到着しました。2日前から身体に発疹が出てきたので、東萩駅近くの皮膚科の病院に行って診察を受け薬を貰いました。

     11:45に東萩駅に到着しました。2日前から身体に発疹が出てきたので、東萩駅近くの皮膚科の病院に行って診察を受け薬を貰いました。

    東萩駅

  •  病院での診察後、カツ丼とうどんで有名な「どんどん 土原店」を訪問しました。

     病院での診察後、カツ丼とうどんで有名な「どんどん 土原店」を訪問しました。

    どんどん 土原店 グルメ・レストラン

  •  割安な「カツ丼とうどん小のセット」を注文しました。850円でとてもコスパが良く美味しいセット料理でした。

     割安な「カツ丼とうどん小のセット」を注文しました。850円でとてもコスパが良く美味しいセット料理でした。

    どんどん 土原店 グルメ・レストラン

  •  何よりもびっくりしたのは、薬味で提供されたネギです。これ程、沢山のネギを準備されているのは初めてです。何と言う気前の良さでしょう!

     何よりもびっくりしたのは、薬味で提供されたネギです。これ程、沢山のネギを準備されているのは初めてです。何と言う気前の良さでしょう!

    どんどん 土原店 グルメ・レストラン

  •  松本川に架かる雁島橋から見る河口です。

     松本川に架かる雁島橋から見る河口です。

    松本川 (阿武川) 自然・景勝地

  •  雁島橋を渡る頃から雨が降り始めたので、橋を渡って近くにある喫茶店で雨宿りをしました。

     雁島橋を渡る頃から雨が降り始めたので、橋を渡って近くにある喫茶店で雨宿りをしました。

  •  喫茶店のマスターと話が弾み、ドーナツをご馳走になりました。ありがとうございます!

     喫茶店のマスターと話が弾み、ドーナツをご馳走になりました。ありがとうございます!

  •  雨も上がり、10分程歩いて松陰神社エリアに到着しました。

     雨も上がり、10分程歩いて松陰神社エリアに到着しました。

    松陰神社 寺・神社・教会

  •  今回訪問の一番のメインスポットである松下村塾にたどり着きました。幕末に長州萩城下に存在した私塾です。吉田松陰が同塾で指導した時期に、伊藤博文や山縣有朋、高杉晋作等の明治維新前後の指導者を輩出したことでよく知られています。

     今回訪問の一番のメインスポットである松下村塾にたどり着きました。幕末に長州萩城下に存在した私塾です。吉田松陰が同塾で指導した時期に、伊藤博文や山縣有朋、高杉晋作等の明治維新前後の指導者を輩出したことでよく知られています。

    松下村塾 名所・史跡

  •  別のアングルから写してみました。建物は木造かわらぶき平家建です。

     別のアングルから写してみました。建物は木造かわらぶき平家建です。

    松下村塾 名所・史跡

  •  部屋の中の様子です。

     部屋の中の様子です。

    松下村塾 名所・史跡

  •  講義室と思われる場所を写してみました。

     講義室と思われる場所を写してみました。

    松下村塾 名所・史跡

  •  部屋の中の写真を拡大しました。この小さい城下町から、明治維新の原動力となった逸材をこれ程多く生み出したことは、時代の要請だったのでしょうか。これは薩摩藩の鹿児島市加治屋町を訪問した時も、同じ様なことを考えました。

     部屋の中の写真を拡大しました。この小さい城下町から、明治維新の原動力となった逸材をこれ程多く生み出したことは、時代の要請だったのでしょうか。これは薩摩藩の鹿児島市加治屋町を訪問した時も、同じ様なことを考えました。

    松下村塾 名所・史跡

  •  松下村塾の次は吉田松陰幽囚ノ旧宅です。<br />吉田松陰は、安政元年(1854) 3月27日に伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗して捕らえられました。その後、父の実家である杉家で謹慎生活を送るように命じられました。後に、ここで多くの若者を教育するようになり、これが松下村塾に発展する礎になりました。

     松下村塾の次は吉田松陰幽囚ノ旧宅です。
    吉田松陰は、安政元年(1854) 3月27日に伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗して捕らえられました。その後、父の実家である杉家で謹慎生活を送るように命じられました。後に、ここで多くの若者を教育するようになり、これが松下村塾に発展する礎になりました。

    吉田松陰幽囚ノ旧宅 名所・史跡

  •  別の角度から旧宅を写してみました。かなりの部屋数を持つ邸宅です。吉田松陰はこの旧宅のどこかの部屋に幽囚されていたのですね。

     別の角度から旧宅を写してみました。かなりの部屋数を持つ邸宅です。吉田松陰はこの旧宅のどこかの部屋に幽囚されていたのですね。

    吉田松陰幽囚ノ旧宅 名所・史跡

  •  東に進むと吉田松陰と木戸孝允の人物像が画かれた松陰神社の看板がありました。

     東に進むと吉田松陰と木戸孝允の人物像が画かれた松陰神社の看板がありました。

    松陰神社 寺・神社・教会

  •  明治維新の数多くの立役者を育てた吉田松陰をお奉りする神社です。明治40年(1907)に建てられました。因みに、東京にも松陰神社と名の付く神社があります。

     明治維新の数多くの立役者を育てた吉田松陰をお奉りする神社です。明治40年(1907)に建てられました。因みに、東京にも松陰神社と名の付く神社があります。

    松陰神社 寺・神社・教会

  •  松下村塾の門下生で、後に初代内閣総理大臣になった伊藤博文の旧宅です。松陰神社を出て、歩いて5分程の所にありました。

     松下村塾の門下生で、後に初代内閣総理大臣になった伊藤博文の旧宅です。松陰神社を出て、歩いて5分程の所にありました。

    伊藤博文旧宅 名所・史跡

  •  ここには、伊藤博文が明治元年(1868年)に兵庫県知事になるまで居住していました。

     ここには、伊藤博文が明治元年(1868年)に兵庫県知事になるまで居住していました。

    伊藤博文旧宅 名所・史跡

  •   斜めから写してみました。

      斜めから写してみました。

    伊藤博文旧宅 名所・史跡

  •  部屋の中の様子です。しっかりとした造りです。

     部屋の中の様子です。しっかりとした造りです。

    伊藤博文旧宅 名所・史跡

  •  飾られている写真を拡大してみました。

     飾られている写真を拡大してみました。

    伊藤博文旧宅 名所・史跡

  •  隣の伊藤博文別邸の前に、等身大の伊藤博文の銅像が建っています。

     隣の伊藤博文別邸の前に、等身大の伊藤博文の銅像が建っています。

    伊藤博文別邸 名所・史跡

  •  松陰神社の境内にある松陰歴史館に戻って来ました。吉田松陰の生涯を、20の場面で70余体の等身大の蝋人形で再現しています。

     松陰神社の境内にある松陰歴史館に戻って来ました。吉田松陰の生涯を、20の場面で70余体の等身大の蝋人形で再現しています。

    吉田松陰歴史館 美術館・博物館

  •  吉田松陰関係系図です。松陰は5歳の時に吉田家の仮養子となり、吉田家を継ぐことになりますが、引き続き杉家で生活しています。

     吉田松陰関係系図です。松陰は5歳の時に吉田家の仮養子となり、吉田家を継ぐことになりますが、引き続き杉家で生活しています。

    吉田松陰歴史館 美術館・博物館

  •  「杉一家の紹介」です。両親の間には三男四女がいました。

     「杉一家の紹介」です。両親の間には三男四女がいました。

    吉田松陰歴史館 美術館・博物館

  •  「御前講義」の様子です。僅か11歳の時に藩主、毛利敬親に対して「武経全書」戦法篇の講義をしました。

     「御前講義」の様子です。僅か11歳の時に藩主、毛利敬親に対して「武経全書」戦法篇の講義をしました。

    吉田松陰歴史館 美術館・博物館

  •  「下田踏海」です。1854年に伊豆の下田でアメリカの軍艦に密航、乗艦はできましたが、追い返されて、幕府に自首したということです。これが大きな影響を及ぼし、明治維新への端緒になったそうです。

     「下田踏海」です。1854年に伊豆の下田でアメリカの軍艦に密航、乗艦はできましたが、追い返されて、幕府に自首したということです。これが大きな影響を及ぼし、明治維新への端緒になったそうです。

    吉田松陰歴史館 美術館・博物館

  •  タイトルは「松陰の松下村塾」です。杉家の傍の小舎で松下村塾を始めました。しかし、多くの人材が入塾を希望したので、小舎が手狭になりました。その為、松陰と塾生で増改築工事が始められたシーンです。

     タイトルは「松陰の松下村塾」です。杉家の傍の小舎で松下村塾を始めました。しかし、多くの人材が入塾を希望したので、小舎が手狭になりました。その為、松陰と塾生で増改築工事が始められたシーンです。

    吉田松陰歴史館 美術館・博物館

  •  母親の滝と、妹の文、そして塾生が集まっているシーンです。

     母親の滝と、妹の文、そして塾生が集まっているシーンです。

    吉田松陰歴史館 美術館・博物館

  •  山口県からは現在、8人の総理大臣を生み出しています。

     山口県からは現在、8人の総理大臣を生み出しています。

    吉田松陰歴史館 美術館・博物館

  •  右側から、伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅の御仁方です。

     右側から、伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅の御仁方です。

    吉田松陰歴史館 美術館・博物館

  •  次は、左側から田中義一、岸信介、佐藤栄作、そして、この前、銃弾に倒れた安倍晋三の御仁です。

     次は、左側から田中義一、岸信介、佐藤栄作、そして、この前、銃弾に倒れた安倍晋三の御仁です。

    吉田松陰歴史館 美術館・博物館

  •  次は西に向かって30分程、歩いて「城下町エリア」に着きました。ここはエリアの入り口にある人力車立場です。

     次は西に向かって30分程、歩いて「城下町エリア」に着きました。ここはエリアの入り口にある人力車立場です。

  •  西に向かって数分歩くと、奇兵隊を結成した高杉晋作の誕生地の近くに、「高杉晋作立志像」が立っていました。20歳頃の凛々しい顔をイメージしているそうです。

     西に向かって数分歩くと、奇兵隊を結成した高杉晋作の誕生地の近くに、「高杉晋作立志像」が立っていました。20歳頃の凛々しい顔をイメージしているそうです。

    高杉晋作立志像 名所・史跡

  •  所々に周辺案内図の看板が立っていました。散策するのに、とても助かります。

     所々に周辺案内図の看板が立っていました。散策するのに、とても助かります。

  •  高杉晋作の誕生の地です。

     高杉晋作の誕生の地です。

    高杉晋作誕生地 名所・史跡

  •  高杉晋作は1839年の生まれですが、松下村塾に入門し奇兵隊の創設、四国連合艦隊との講和談判等を行いました。しかし、1867年に28歳の若さで亡くなりました。もう少し長生きをしていれば、明治政府で素晴らしい活躍をしていたに違いありません。

     高杉晋作は1839年の生まれですが、松下村塾に入門し奇兵隊の創設、四国連合艦隊との講和談判等を行いました。しかし、1867年に28歳の若さで亡くなりました。もう少し長生きをしていれば、明治政府で素晴らしい活躍をしていたに違いありません。

    高杉晋作誕生地 名所・史跡

  •  白壁となまこ壁や黒板塀が続き、江戸時代の町並みが残っています。

     白壁となまこ壁や黒板塀が続き、江戸時代の町並みが残っています。

    萩城下町 名所・史跡

  •  第26代内閣総理大臣 田中義一の生誕地です。陸軍大臣や陸軍大将も経験しています。

     第26代内閣総理大臣 田中義一の生誕地です。陸軍大臣や陸軍大将も経験しています。

    田中義一誕生地 名所・史跡

  •  約2000坪の敷地を有する萩藩御用商人菊屋家の住宅です。延々と白壁が続いています。

     約2000坪の敷地を有する萩藩御用商人菊屋家の住宅です。延々と白壁が続いています。

    菊屋家住宅 名所・史跡

  •  城下町エリアの西端、萩博物館のそばに立っている田中義一の銅像です。

     城下町エリアの西端、萩博物館のそばに立っている田中義一の銅像です。

    萩博物館 美術館・博物館

  •  北の総門は、城下町から萩城三の丸に入るために設けられた「大手三つの門」のひとつです。高さは7mあり、日本最大級の高麗門です。

     北の総門は、城下町から萩城三の丸に入るために設けられた「大手三つの門」のひとつです。高さは7mあり、日本最大級の高麗門です。

    北の総門 名所・史跡

  •  400年の歴史を有する菊屋家住宅の入り口に戻って来ました。現在、敷地内の3分の1が公開されています。

     400年の歴史を有する菊屋家住宅の入り口に戻って来ました。現在、敷地内の3分の1が公開されています。

    菊屋家住宅 名所・史跡

  •  明治維新の中心的な指導者である「明治維新の三傑」の1人、木戸孝允の旧宅です。もちろん、残りの三傑は西郷隆盛と大久保利通です。

     明治維新の中心的な指導者である「明治維新の三傑」の1人、木戸孝允の旧宅です。もちろん、残りの三傑は西郷隆盛と大久保利通です。

    木戸孝允旧宅 名所・史跡

  •  生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした木造瓦葺の2階建ての家です。

     生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした木造瓦葺の2階建ての家です。

    木戸孝允旧宅 名所・史跡

  •  木戸孝允は武士である為、藩校明倫館に通い吉田松陰の兵学門下となりました。その後は、藩の要職につきました。

     木戸孝允は武士である為、藩校明倫館に通い吉田松陰の兵学門下となりました。その後は、藩の要職につきました。

    木戸孝允旧宅 名所・史跡

  •  この広い家で、幼少期を過ごしました。木戸孝允は剣術の達人でもありました。

     この広い家で、幼少期を過ごしました。木戸孝允は剣術の達人でもありました。

    木戸孝允旧宅 名所・史跡

  •  縁側から見た庭です。

     縁側から見た庭です。

    木戸孝允旧宅 名所・史跡

  •  藩主の毛利元徳と写した貴重な写真です。木戸孝允の大きな業績は、坂本竜馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと“薩長同盟”を結んだことでしょう。

     藩主の毛利元徳と写した貴重な写真です。木戸孝允の大きな業績は、坂本竜馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと“薩長同盟”を結んだことでしょう。

    木戸孝允旧宅 名所・史跡

  •  写真で見るように、木戸孝允は長身で、目鼻立ちの整った、なかなかのイケメンでした。

     写真で見るように、木戸孝允は長身で、目鼻立ちの整った、なかなかのイケメンでした。

    木戸孝允旧宅 名所・史跡

  •  萩市内の航空写真です。市内は川に挟まれているのが分かります。

     萩市内の航空写真です。市内は川に挟まれているのが分かります。

  •  「城下町エリア」から1時間弱歩いて17時20分頃に萩駅に着きました。19時07分発の長門市駅行きの電車まで時間があるので、夕食を食べに出かけました。

     「城下町エリア」から1時間弱歩いて17時20分頃に萩駅に着きました。19時07分発の長門市駅行きの電車まで時間があるので、夕食を食べに出かけました。

    萩駅舎 名所・史跡

  •  駅の周辺には、飲食店は2件しかありませんでした。そのうちの1つを訪れ、ハンバーグ定食をいただきました。手作りハンバーグは勿論のこと、ご飯がとても美味しかったです。

     駅の周辺には、飲食店は2件しかありませんでした。そのうちの1つを訪れ、ハンバーグ定食をいただきました。手作りハンバーグは勿論のこと、ご飯がとても美味しかったです。

    みなみ グルメ・レストラン

  •  駅に戻って見ると、広場にイルミネーションが照らされていました。イルミネーションは綺麗でしたが、駅の乗客者は僅か数名でした。

     駅に戻って見ると、広場にイルミネーションが照らされていました。イルミネーションは綺麗でしたが、駅の乗客者は僅か数名でした。

    萩駅

  •  電車の本数も2時間に1本の割合でした。

     電車の本数も2時間に1本の割合でした。

    萩駅

  •  夜の萩駅プラットフォームです。

     夜の萩駅プラットフォームです。

    萩駅

  •  長門市駅から歩いて10分程の所にあるシェアコテージに泊まりました。

     長門市駅から歩いて10分程の所にあるシェアコテージに泊まりました。

    グラン・ジュテ 宿・ホテル

  •  部屋の中の様子です。

     部屋の中の様子です。

    グラン・ジュテ 宿・ホテル

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