2015/08/05 - 2015/08/05
16位(同エリア189件中)
こあひるさん
盛美園を見て・・・まだ正午にもなっていないので・・・歩いて1kmもないところにある神社やお寺にも寄ってみることにした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- タクシー 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
盛美園から、猿賀神社へと向かいます。
盛美園の受付の人に聞いた通りに、公園の遊歩道をしばらく歩いていくと・・・やがて「見晴ヶ池」に突き当たります。この池は、猿賀神社の境内の一部であり、猿賀神社の境内は、2つの池を含む1万6千坪もの広さがあります。
ここからは、池に沿って回るように神社へと向かいます。
地図だと1kmもないと思うのですが、影ひとつないカンカン照りの下、かなり遠く感じられます。
見晴ヶ池は行楽向けの池で、ボートなども浮かんでいます。
超高感度のままになったカメラで・・・相変わらず・・・汚い写真続きです。 -
見晴ヶ池に隣接して「鏡ヶ池」があります。鏡ヶ池中央の島に、朱い胸肩神社の社殿が見えています。
鏡ヶ池は、猿賀神社信仰の中心となっている神池で、中島周辺は散供(さんご)占いの霊場だそうです。
また、北限の蓮の花の群生地として広く知られています。
伝説によると、津軽二代藩主・信牧公が、霊夢により造った・・・と云われています。 -
胸肩神社の社殿後面から・・・になりますが、中島の社殿は、蓮に包まれているよう・・・。
朱い社殿の右側に見える小さな祠は、日吉(ひえ)神社で、事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀っています。海の神さま、商業の神さまだそう。 -
や〜〜っと・・・猿賀神社の社殿があるエリアにたどり着いたようです。あまりに暑いので・・・すご〜く遠かったわ〜。
まずは、先ほどから見えていた胸肩神社にいってみます。中島へ渡る神橋が架かっています。
高感度設定のままなので〜〜・・・白飛び激しいですが・・・~>゜)〜〜〜なんでこんなに真っ白く写っちゃうんだろう〜〜といぶかしく思ってはいましたけどねぇ・・・(爆)。 -
橋のまわりは・・・伸び放題の元気な蓮で埋め尽くされています。
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朝なら、もっと開いているのかな〜。
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橋の先に、胸肩神社(弁天宮)があります。
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市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀っています。海の神さまだそうです。
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橋を戻り・・・猿賀神社社殿へ・・・。こちらは拝殿。
本殿はここからは見えませんが、文政9年(1826)に建てられたものだそうです(←ちゃんと裏のほうまで周れば、外観は見れたようなんですが・・・つい端折っちゃって・・・)。猿賀神社 寺・神社・教会
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入母屋造りの拝殿は、昭和13年の造営。
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日本書紀によれば・・・仁徳天皇55年(367)、上毛野君田道命(かみつけぬのきみたみちのみこと)は、勅命を受け、北夷の反乱を平定しに東北地方に兵を進めましたが、伊寺水門で戦死しました。
家臣が田道命を埋葬しましたが、賊が墓を暴くと、そこから大蛇が現れ、賊を一蹴しました。
それを見ていた地元の民は、田道命の祟りを恐れ、猿賀野の産土神として祀りました。
それから約200年後の欽明天皇28年(567)、大洪水がおこった際、田道命の神霊が白馬にまたがり、漂木を舟として流れに従い、当地に移遷なさったので、当地の住民は、神霊を迎え奉り、古木(鏑木)の洞穴に祀ったと言われています。
さらに約200年後、延暦12年(793)、坂上田村麻呂が蝦夷を征伐するため、田道命に戦勝祈願をしたところ、大勝を収めることができたため、感謝の意を込め、現在地に祠を祀りました。
その趣を天皇に奏上したところ、勅命により、大同2年(807)に社殿を造営、奥州猿賀山深砂大権現として勧請しました。
以来、猿賀の深砂宮(神蛇宮)として崇められてきました。
このように古くから神仏習合し、別当寺院として神宮寺が祭祀を司ってきましたが、津軽初代藩主・為信により、天台宗の神宮寺は排斥され、かわりに大浦氏の祈願所である曹洞宗の最勝院が別当となりました。
しかし、2代藩主・信枚は徳川家と近づく為、幕府に大きな影響力のある天海大僧正に師事し天台宗に改宗、これを機に、猿賀神社の別当寺院には、天台宗だった神宮寺を復帰させ、津軽天台四山の1つとして篤く庇護しました。
又、猿賀神社の境内が弘前城の東方に当たることから、四神相応の青龍に位置づけられ、津軽家歴代の祈願所となりました。
明治時代に発令された神仏分離令により、仏式が廃され、明治4年(1871)に猿賀神社と社号を改称し、明治6年(1873)に郷社、明治13年(1880)には県社、昭和34年(1959)に神社本庁別表神社に列せられています。
祭神:上毛野君田道命(かみつけぬのきみたみちのみこと)
国土開発・農業・漁業・諸産業・交通などの守護神
相殿神:保食神(うけもちのかみ)
五穀農耕の主宰神 -
なかなか立派な拝殿です。
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社務所。
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御朱印。
境内にはいくつもの境内社があるのですが、バテバテで・・・もういいや・・・って気分です。
しかしながら・・・社務所のそばにあったらしい「猿賀石」は、坂上田村麻呂が征夷の際、賊首大丈丸(一説に大田丸)を射止め、その頭を葬り、上に据え置いたと言われる大石・・・というもので・・・少なくともそれを見てこなかったのは残念だったな〜(←いつもありがちな見落とし)。
興味あればHPでどうぞ・・・
猿賀神社
http://saruka.webcrow.jp/index.html -
ほんとうは、こちらが表玄関である石鳥居。
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参道にはあと2つ鳥居があります。日陰ないし・・・向こうまで行く気もしない・・・。
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猿賀神社から出てすぐ・・・右手にあるのが「猿賀山長命院神宮寺」。
神宮寺の創建は不詳ですが、古くから猿賀神社の別当となっていたため、猿賀神社と同じ様な由緒を持っています。
猿賀神社の別当だった神宮寺は、国家守護の祈願寺、天台密教の拠点として、寺運も隆盛し、歴代領主にも庇護され、藤原秀衛、北畠顕家、安部師季、安部教季がそれぞれ堂宇の修復などを行いました。
天正14年(1586)、津軽為信が祈願所としますが、南部家との対立もあり、猿賀神社十二坊が破却、神宮寺の僧侶は追放され、天台宗から曹洞宗へ改宗されられ、別当は弘前市・最勝院(曹洞宗)が務めるようになります。
その後、元和6年に2代藩主・信枚によって再び天台宗に戻され、猿賀神社の別当に復権、支院十二坊と社家4人を配されました。
明治時代に発令された神仏分離令により、猿賀神社と改められ、神宮寺とその支院は破棄。支院の中で、寺院として残された東光院と蓮乗院のうち、東光院が神宮寺の名跡を継ぎ、現在に至っています。 -
仁王門に安置されている金剛力士像(像高2.7m)は、文政6年(1823)、弘前鍛治町・秋田屋五郎の作と言われています。
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すき間がちっちゃい+網張りだから・・・こんなもん。
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仁王門をくぐって・・・お庭を通って・・・本堂へ・・・ありがちの・・・敷居の高い雰囲気ですが・・・。
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お庭にある地蔵堂。
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あれ・・・?これ何だっけ・・・?
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ま、とにかくね・・・ここらで中へ入って参拝でも・・・とずうずうしく、脇の玄関からお邪魔することに・・・。
連れ合いは、寺の中は暑いので嫌がり、外で待つって・・・外も暑いよ、この時間でこの天気。 -
まずは本堂真正面へ(ずうずうしい・・・)。
これはなんとも・・・(;゚Д゚)・・・不動明王が安置されている前に、御幣や鏡のような物(ボケボケ写真なので拡大してもよくわからない〜〜!)、そして鳥居まであります。
別当寺院だったとはいえ、神仏分離後なのに、これだけ神がかりな仏殿は初めて見ました。 -
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津軽一代様といって、生まれ年による守り本尊が定められていて、その干支のご本尊を祀っているお寺を参拝する習慣があります。
この神宮寺には、どの干支のご本尊であってもお参りできるように、一代様がすべてそろって安置されています。便利です!
ちなみに・・・
子・千手観音、丑&寅・虚空蔵菩薩、 卯・文珠菩薩、辰&巳・普賢菩薩、午・勢至菩薩、未&申・大日如来、酉・不動明王、戌&亥・八幡大菩薩です。
津軽に限らず・・・私がお寺によく行くようになったのは今年になってからですが、宮城でも、干支の守り本尊が同様に決まっていて、干支の本尊のお守りが売られていたりします。 -
脇に置かれているこちらも、神道っぽい衣装ですね。
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仁王門の内側にも大わらじが吊るされています。
これは住民たちが、仁王様の守護を祈願するために、大わらじを編んで祈願するようになったものです。大わらじに因んで、足の健康を祈願する人々もあります。 -
さて・・・神宮寺を出て・・・そろそろ正午をまわったけど・・・見える範囲では休憩できるようなお店は見当たらない・・・。
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神宮寺の向かいにあるのは、猿賀十二院で残り続けた2寺のもうひとつ「天台宗猿賀山蓮乗院」。
こちらの寺院の創建も不詳ですが、猿賀深砂大権現宮の別当寺院だった神宮寺の支院として開かれました。
明治時代に発令された神仏分離令により、猿賀深砂大権現宮の仏教色は一掃され、正式な神社として社号を猿賀神社に改められ、支院は蓮乗院と東光院だけが寺院として残され、東光院が神宮寺の名跡を継いで、こちらの寺院が猿賀山蓮乗院となっています。 -
山門には四天王である毘沙門天、持国天、増長天、広目天が安置されています。津軽八十八ヶ所霊場第34番札所です。
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柵は太いし、ガラスで反射するので・・・四天王のうち2体しか写しませんでした。
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本殿。
この時期は、お盆前のせいか、お庭の手入れやなんらかの修繕などを行っているお寺が多かったなぁ。ここも、お庭の手入れ中〜〜。 -
超高感度設定のままなので・・・ボケボケでよく判別できない鐘楼。
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境内には、いくつかの小さなお堂もありました。
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時間もあるので、またしてもずうずうしく、脇の玄関から参拝させていだだこう。連れ合いは、外で待つ・・・。
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ご本尊の一光三尊来迎阿弥陀如来像は、鎌倉時代の作と言われています。光背、台座、脇侍は文政時代の作だそうです。・・・といっても、お寺ではたいがいそうですが、小さな仏像は、外陣からははっきり見えませんね。小さな真っ黒いシルエットにしか見えません。残念・・・。
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こちらはご本尊ではないのですが・・・阿弥陀如来かなぁ・・・???
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ここの不動明王も、神社のようになってる〜。今まで気づかなかっただけで、ほかのお寺でも・・・不動明王って、こんな風な飾りつけ(って失礼な言い方・・・)だっけ?
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百万遍念仏・・・と言うんだっけ?大きな数珠を回して念仏を唱える儀式の様子・・・かな。
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こっちは・・・不動明王の出現・・・かねぇ・・・???
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まだ12時半頃で・・・予定では、もうちょっとこの街を散策したかったのですが(生け垣の町並みのところがあるようで)・・・もうこれ以上歩けない・・・と諦め・・・早々に撤退することにしました。
タクシーを呼んで・・・(弘前のタクシー会社なので、やって来るまでにちょっと時間かかります。迎車料金はかかりません)その間・・・お寺の前でぼ〜っと待つ・・・。 -
お寺の周囲も、なかなか風情のある家並みがあります。
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こちらなんて、生け垣がとってもキレイな路地。
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弘前駅よりも、新青森駅のほうが、おみやげ屋さんなどが多いので(といっても特になんにも買いませんが・・・)、弘前から、さっさと新青森まで出てしまいました。
14時半・・・やっと少し小腹が空いてきたので・・・新青森駅内の黒石焼きそばの店で、黒石つゆ焼きそばを食べました。
黒石つゆ焼きそばというのは、ソース焼きそば+おそばのつゆのような出汁スープがかかったもの。
今回の旅では、黒石を訪れながらも、現地で黒石つゆ焼きそばを食べるタイミングがなかったので・・・。
でも・・・以前に新青森駅を通った時にも、このお店で黒石つゆ焼きそばを食べたので・・・わが家は、このお店の黒石つゆ焼きそばしか知りません・・・。
黒石や
http://tabelog.com/aomori/A0201/A020101/2006091/黒石や グルメ・レストラン
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新青森駅は、青森ねぶたの観光客でごった返して熱気ムンムンでした。弘前よりも多くの団体客を受け入れやすいんだろうな〜(有料席が多い)。外国人もいっぱい訪れていました。
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ハネトさんもお出迎え〜。いいな〜、また青森ねぶたも見たくなっちゃった。
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弘前ねぷたを見ている最中などに頂いたちっちゃな金魚ねぷたがいっぱい集まりました。
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新寺町にあるしかないせんべいで買った焼き菓子。
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弘前城の東側にある小山せんべいのおせんべい。
これ、すごく美味しいです!南部せんべいのように固くなく、もうちょっと厚みがあって甘味もあって・・・ちょうどいい歯ごたえで、大粒のピーナツ(ピーナツ以外の豆もあります)がおいしい!
小山せんべい
http://www.oyamasenbei.com/index.html -
予定していた新幹線よりも早めて帰ったので・・・仙台七夕前夜に行われる花火大会の花火が・・・自宅のベランダから見えました。今年は、こちらの花火を見ることは諦めていたのですが、自分の住まいから見えるとは意外でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- aoitomoさん 2015/09/25 11:51:35
- 神仏習合時代にトリップ〜?
- こあひるさん
旅行記を拝見して明治時代に発令された神仏分離令の影響の大きさをつくづく感じてしまいました。
『猿賀神社』
境内が弘前城の東方に当たるため四神相応の青龍に位置づけられ津軽家歴代の祈願所となったというのも興味深いです。
場所が猿賀神社を存続維持させた要因にも感じてしまいます。
『猿賀山長命院神宮寺』
庭にある地蔵堂が独特な雰囲気が漂っていて惹かれてしまいます
人形供養の和歌山の淡嶋神社みたいです。
本堂仏殿に御幣に鳥居はナニコレ珍百景な気もしますね〜
『天台宗猿賀山蓮乗院』
鳥居の後ろの不動明王もですね。
神仏習合時代にトリップした気分になります。
これからはお寺の中の神社要素、その逆も観察してしまいそうです。
面白い発見です。
『黒石つゆ焼きそば&小山せんべいのおせんべい』
つゆ焼きそばが美味しそうです。
やはり郷土料理は食べておかないとですね〜
『小山せんべいのおせんべい』は似たようなおせんべいは食べたことがあります。というか、良く似たようなのありますよね。
食べ比べる意味でも小山せんべいのおせんべいもチャレンジしてみたいです。
aoitomo
- こあひるさん からの返信 2015/09/26 22:31:22
- RE: 神仏習合時代にトリップ〜?
- aoitomoさん、こんばんは〜!
お寺や神社について調べるほどの興味をもってくると、神仏分離令の影響の大きさを毎回思い知らされますよね〜。それ以前にも、庇護してくれる人や戦争などによって盛衰はありましたが、やはり神仏分離令は大きな変化ですよねぇ・・・。神社にあった仏式の貴重な財産は、ほぼ破棄されてしまったんでしょうねぇ・・・。長年、仏教の下に格付けられたような形だったので、神道サイドが爆発したのかなぁ(笑)。
時代の流れによって、寺の宗派が変えられたり・・・ということがけっこう多いのも、最近になって知るようになり・・・そのあたりの歴史背景もからんで面白いな〜ぁと思います。
神宮寺は、もともとの神宮寺色が色濃く残っているように思われて、なかなか面白かったです。ここの寺は、一代様が勢ぞろいしているのも便利でいいですよね!
飛鳥時代から・・・長い間、神仏習合で生活に溶け込んでいる日本の宗教観は、一神教の欧米人からみると変かもしれませんが、そもそも仏と神は役割が違うと(私は)思うので・・・けっこういいことだったな〜と思っています。
黒石つゆ焼きそば・・・いい加減に・・・別のお店でも食べてみたいです!
小山せんべい・・・似たようなもの、確かにありますね〜。ここのは、南部せんべいのように硬くもなく・・・柔らかすぎず、さくさくとすごくいい感じの歯ごたえで、とっても美味しかったです。
こあひる
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