魅々さんのクチコミ(5ページ)全380件
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ここで赤穂浪士に甘酒をふるまった「ちくま味噌」の主人は男を上げ、休息を断った回向院は男を下げた、と評されました。
投稿日 2013年12月19日
総合評価:4.0
永代橋のたもとに「赤穂義士休息の碑」があります。
石碑には「ちくま味噌の初代作兵衛が、赤穂浪士の大高源吾と俳句の友で、泉岳寺に向かう赤穂浪士一行を、店内に招き、甘酒粥をふるまった」と書かれています。
当時の江戸っ子たちは、「休息を断った回向院は男を下げ、甘酒をふるまった「ちくま味噌」の主人は男を上げた」と、評されたようです。
毎年、ちくま味噌は、討ち入りのあった12月14日は、訪れた人々に甘酒がふるまっています。私もいただきました。- 旅行時期
- 2013年12月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年12月19日
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投稿日 2013年12月19日
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忠臣蔵では悪役の吉良上野介は、本当は良いお殿様だっ たらしいので、両国では義士祭と吉良祭の両方が行われます
投稿日 2013年12月19日
総合評価:5.0
義士祭と吉良祭は、12月の第2土曜と日曜に、両国の吉良邸跡で行われます。
忠臣蔵では吉良上野介は悪役になっていますが、本当はいいお殿様だっ たらしいので、両国では両方やるようになりました。
この日、両国の松坂公園のあたりでは「元禄市」が開かれ、旧松坂町の町会や地元企業の人たちが出店して、バザーが開かれます。- 旅行時期
- 2013年12月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 催し物の規模:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
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投稿日 2013年12月18日
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前原伊助が吉良邸裏門近くに「米屋五兵衛」として店を開き、吉良家の動向を探った跡です。
投稿日 2013年12月18日
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回向院での休息を断られた赤穂浪士たちが、追撃に備えながら、休息をとった場所です。
投稿日 2013年12月18日
総合評価:3.0
回向院での休息を断られた赤穂浪士たちが、追撃に備えながら、休息をとった場所です。
隅田川沿いの地で、案内板には地名が「広小路」と書かれていました。
浪士たちは休息の後、この近くの両国橋を渡らず、一之橋、永代橋を経由して泉岳寺に向かっています。
両国橋は大名たちの登場路になっているため、大名との無益な衝突を避けたためだったと書かれていました。- 旅行時期
- 2013年12月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年12月18日
総合評価:4.0
石碑群は、回向院の参道左側の玉垣のなかにあって、最も大きい「力塚」と刻まれた石碑を中心に5基が立てられています。内容は次の通りです。
(1)角力記=相撲記者慰霊のために建てられた碑
(2)法界万霊塔=初代梅ヶ谷が建立した碑
(3)力塚=歴代相撲・年寄慰霊のために建てられた碑
(4)回向院相撲記=江戸時代からの相撲の歴史を刻んだ石碑
(5)東京相撲記者碑=角力記の続きを記した石碑
墨田区と相撲の関わりは、明和5年(1768年)9月の回向院における初の興行に始まります。
のちに、回向院境内は天保4年(1833年)から定場所となり、明治42年(1909年)に国技館が境内北側に竣工するまで興行が行われました。- 旅行時期
- 2013年12月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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一之橋は、赤穂浪士が泉岳寺に引き上げる際に、最初に渡った橋として有名です。
投稿日 2013年12月18日
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泉岳寺山門は天保3年(1832年)に再建されたもので、赤穂浪士討ち入りの時には無りませんでした。
投稿日 2013年12月17日
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現在の中門は天保7年(1836年)に再建され、昭和7年に大修理を施されています。
投稿日 2013年12月17日
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吉良上野介義央の上屋敷跡の一部を、地元町内会の有志が購入し史跡公園として東京市に寄付したものです。
投稿日 2013年12月17日
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長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が盛んです。
投稿日 2013年12月17日
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両国国技館では、お相撲のほか、プロレスやロボコン大会などいろいろ使われています。
投稿日 2013年12月17日
総合評価:4.0
現在の建物は、国鉄バス駐泊場(旧両国貨物駅跡地)に1984年11月30日完成し、翌年1月9日、盛大に落成式が催されました。
地上2階、地下1階。総工費150億円(全てを借金なしでまかなった)です。
現在では大相撲の本場所、引退相撲、NHK福祉大相撲などで相撲協会自らが使用するほか、新日本プロレスや、高専ロボコンの全国大会、全日本ロボット相撲大会が開催されるほか、毎年2月には国技館5000人の第九コンサートも行われています。
2020年東京オリンピック構想ではボクシング競技会場になる予定です。- 旅行時期
- 2013年12月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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この神社の場所は東新橋ですが、創建時に日比谷にあったことから今も日比谷神社と呼ばれています。
投稿日 2013年12月17日
総合評価:3.5
この神社は、元は現在の日比谷公園内の大塚山に鎮座して、「日比谷稲荷明神」と呼ばれていました。
その後、移転を繰り返し、2009年(平成21年)に現在の東新橋2丁目の国道15号(第一京浜)沿いに遷座しました。
豊受大神(稲荷神)・祓戸四柱大神(瀬織津比売大神・速開都比売大神・気吹戸主大神・速佐須良比売大神)がおまつりされています。
別名を「鯖稲荷」といいます。かつては近くまで海がせまっており、鯖などの魚がよく獲れたようです。虫歯に苦しむ人は鯖を断って当社に祈願すると霊験があるとされ、成就すると鯖を奉納する習わしとのことです。- 旅行時期
- 2013年12月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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浅野内匠頭と赤穂浪士が葬られていて、毎年4月初旬と12月14日には義士祭が催されています。
投稿日 2013年12月17日
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江戸の南の入口として、治安の維持と交通規制の役割をはたしていました。
投稿日 2013年12月17日
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投稿日 2013年12月17日
総合評価:4.0
国道15号線に面したビルに大きく「御田八幡神社」と書かれています。
このビルの横の道を進むと、神社があります。
この神社と泉岳寺に向かう赤穂浪士についてのお話が有名です。
赤穂浪士の引き揚げの途中、この御田八幡神社の前で、高田郡兵衛が現れ、お祝いを述べたと言われています。
しかし、高田郡兵衛は江戸急進派の一人でありながら、討ち入りから脱落したため、赤穂浪士一行は無視したそうです。
しかし、堀部弥兵衛だけは、討入りが成功し吉良上野介の首を泉岳寺に持っていくところと話したようで、郡兵衛は、それを聞き安堵したとのことです。- 旅行時期
- 2013年12月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年12月17日
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投稿日 2013年12月17日