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日本100名城巡りを始めました。

【日本100名城】No.78 丸亀城

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2026/09/20 - 2026/09/20

397位(同エリア687件中)

旅行記グループ 日本100名城

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tenko__mori

tenko__moriさん

この旅行記のスケジュール

2026/09/20

  • 徳島駅→高松駅→丸亀駅

  • 丸亀駅→丸亀城

  • 丸亀城→丸亀駅

この旅行記スケジュールを元に

日本100名城巡りを始めました。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
交通
4.0
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 徳島駅から特急うずしおで高松駅へ移動し(8:24発-9:31着)、そこから特急いしづちで丸亀駅まで来ました(9:42発-10:04着)。

    徳島駅から特急うずしおで高松駅へ移動し(8:24発-9:31着)、そこから特急いしづちで丸亀駅まで来ました(9:42発-10:04着)。

  • 向かうは丸亀城です。<br />…結構高いところに天守あるな。

    向かうは丸亀城です。
    …結構高いところに天守あるな。

  • お堀です。

    お堀です。

  • 石垣。<br />下部は野面積み、上部は打込接です。<br />工法が混在してる理由は廃城と再建によるものです。

    石垣。
    下部は野面積み、上部は打込接です。
    工法が混在してる理由は廃城と再建によるものです。

  • 手前は野面積みが残っていますが、向かいは打込接です。

    手前は野面積みが残っていますが、向かいは打込接です。

  • この石垣が組まれた時代には切込接の技術も浸透してましたが、排水性を考慮して打込接で組まれてます。

    この石垣が組まれた時代には切込接の技術も浸透してましたが、排水性を考慮して打込接で組まれてます。

  • 10:18<br />この橋を渡って入城します。<br />目の前に見えているのは大手二の門。<br /><br />※実際には多くの観光客が居たんですがAIで消してます。

    10:18
    この橋を渡って入城します。
    目の前に見えているのは大手二の門。

    ※実際には多くの観光客が居たんですがAIで消してます。

  • 大手二の門の先は枡形になっています。<br />右手に見える櫓門は大手一の門です。

    大手二の門の先は枡形になっています。
    右手に見える櫓門は大手一の門です。

  • 城内から見た大手一の門です。

    城内から見た大手一の門です。

  • 丸亀城の説明。<br />生駒→山崎→京極の系譜が書かれています。

    丸亀城の説明。
    生駒→山崎→京極の系譜が書かれています。

  • 三の丸まではこの急勾配の坂(見返り坂)を登っていきます。<br />かなりしんどい坂です。<br />立ち止まって振り返りたくなることから振り返り坂と呼称されています。急勾配の目的は侵入者の体力を奪うことです。

    三の丸まではこの急勾配の坂(見返り坂)を登っていきます。
    かなりしんどい坂です。
    立ち止まって振り返りたくなることから振り返り坂と呼称されています。急勾配の目的は侵入者の体力を奪うことです。

  • 坂下の観光案内所には杖が置かれてたので体力に自信がない人は杖の利用をお勧めします。

    坂下の観光案内所には杖が置かれてたので体力に自信がない人は杖の利用をお勧めします。

  • 坂の途中で右手に高石垣が現れます。この上には三の丸があります。<br /><br />この石垣、上下で角が婉曲しているのが分かります。<br />これには土圧対策と武者返しの効果があります。<br />また、よく見ると長方形の石が交互に積まれているのが分かります。算木積みと言う、石垣を美しく見せる工法です。

    坂の途中で右手に高石垣が現れます。この上には三の丸があります。

    この石垣、上下で角が婉曲しているのが分かります。
    これには土圧対策と武者返しの効果があります。
    また、よく見ると長方形の石が交互に積まれているのが分かります。算木積みと言う、石垣を美しく見せる工法です。

  • 坂を登り切ると若干の踊り場を経由して右手に曲がる形でもう少し坂が続きます。その左手にも石垣が現れます。石垣に挟まれるような感じです。

    坂を登り切ると若干の踊り場を経由して右手に曲がる形でもう少し坂が続きます。その左手にも石垣が現れます。石垣に挟まれるような感じです。

  • 高石垣を見上げるとこんな感じです。迫力があります。

    高石垣を見上げるとこんな感じです。迫力があります。

  • 高石垣の説明。20m以上あるそうです。

    高石垣の説明。20m以上あるそうです。

  • この角度からは算木積みがよくわかります。

    この角度からは算木積みがよくわかります。

  • 登りきって後ろを振り返ったところです。

    登りきって後ろを振り返ったところです。

  • 10:26<br />三の丸に着きました。

    10:26
    三の丸に着きました。

  • 三の丸からの景色。瀬戸内海が見えます。

    三の丸からの景色。瀬戸内海が見えます。

  • まだそれほどの高さでは無いですが、坂一つ登っただけでこの高さ。勾配のキツさを感じます。

    まだそれほどの高さでは無いですが、坂一つ登っただけでこの高さ。勾配のキツさを感じます。

  • 三の丸の説明。

    三の丸の説明。

  • 続いて二の丸に向かいます。

    続いて二の丸に向かいます。

  • 二の丸の入口は大手門と同じく枡形になっています。

    二の丸の入口は大手門と同じく枡形になっています。

  • 二の丸の説明。

    二の丸の説明。

  • 二の丸井戸。

    二の丸井戸。

  • 二の丸井戸に伝わる羽坂重三郎伝説。<br /><br />石工の棟梁だった羽坂重三郎が鉄の棒一つで石垣を登ってしまうのを見て、口封じのため生駒親正もしくは山崎家治が羽坂に井戸の調査を依頼し、井戸の底に下りた羽坂に石を落として殺害した、というものです。が、史実ではないみたいです。

    二の丸井戸に伝わる羽坂重三郎伝説。

    石工の棟梁だった羽坂重三郎が鉄の棒一つで石垣を登ってしまうのを見て、口封じのため生駒親正もしくは山崎家治が羽坂に井戸の調査を依頼し、井戸の底に下りた羽坂に石を落として殺害した、というものです。が、史実ではないみたいです。

  • そんな伝説が記載されてます。

    そんな伝説が記載されてます。

  • この石垣の上に本丸があります。

    この石垣の上に本丸があります。

  • 高石垣ほどでは無いですが迫力があります。

    高石垣ほどでは無いですが迫力があります。

  • ここにも算木積みが確認できます。

    ここにも算木積みが確認できます。

  • では、本丸に向かいます。

    では、本丸に向かいます。

  • 天守閣です。<br /><br />丸亀城は讃岐の国主だった生駒親正、一正親子により1597年に着工、1602年に完成しました。<br />築城中の1600年、関ヶ原の戦いが勃発します。豊臣の中老だった親正は西軍、一正は東軍に付きました。どちらが勝っても生駒家を残すと言う真田家と同じ作戦です。関ヶ原後、一正は家督を継ぎ、親正は高野山で出家します。また、一正の武功により親正はお咎めなしの特赦を受けました。

    イチオシ

    天守閣です。

    丸亀城は讃岐の国主だった生駒親正、一正親子により1597年に着工、1602年に完成しました。
    築城中の1600年、関ヶ原の戦いが勃発します。豊臣の中老だった親正は西軍、一正は東軍に付きました。どちらが勝っても生駒家を残すと言う真田家と同じ作戦です。関ヶ原後、一正は家督を継ぎ、親正は高野山で出家します。また、一正の武功により親正はお咎めなしの特赦を受けました。

  • 1615年、一国一城令により丸亀城は廃城となります。<br /><br />1640年にはお家騒動が勃発し、生駒家は出羽国(秋田県)に転封となります。生駒家が去ったあとに領主になったのは山崎家治です。その少し前に島原では1637年、キリシタンによる島原の乱が勃発し、幕府は海外への警戒を強めることになります。そこで、瀬戸内海の海上警備として丸亀城の再建が許可されます。山崎家は石垣から再建を進めますが、三代で跡継ぎが絶えます。その後を継いだのが京極高和です。現代に残る天守閣は京極氏により再建されたものです。

    1615年、一国一城令により丸亀城は廃城となります。

    1640年にはお家騒動が勃発し、生駒家は出羽国(秋田県)に転封となります。生駒家が去ったあとに領主になったのは山崎家治です。その少し前に島原では1637年、キリシタンによる島原の乱が勃発し、幕府は海外への警戒を強めることになります。そこで、瀬戸内海の海上警備として丸亀城の再建が許可されます。山崎家は石垣から再建を進めますが、三代で跡継ぎが絶えます。その後を継いだのが京極高和です。現代に残る天守閣は京極氏により再建されたものです。

  • 石垣の上部はこんな感じになってます。

    石垣の上部はこんな感じになってます。

  • 本丸からの景色。<br />柵も無いので落ちると怪我します。

    本丸からの景色。
    柵も無いので落ちると怪我します。

  • 本丸の説明。<br /><br />では天守閣に入ります。入城料は200円。<br />スタンプ、御城印も天守閣の中でゲットできます。

    本丸の説明。

    では天守閣に入ります。入城料は200円。
    スタンプ、御城印も天守閣の中でゲットできます。

  • 天守閣は三階建。<br />こちらは二階に上がったところです。

    天守閣は三階建。
    こちらは二階に上がったところです。

  • もちろん階段は急です。

    もちろん階段は急です。

  • 三階まで来ました。

    三階まで来ました。

  • 眺めはこんな感じ。

    眺めはこんな感じ。

  • 眼下にはお堀が見えます。

    眼下にはお堀が見えます。

  • 二階に戻りました。

    二階に戻りました。

  • 広くは無いので展示とかはありません。

    広くは無いので展示とかはありません。

  • 一階に降ります。

    一階に降ります。

  • 一階です。

    一階です。

  • 天井はこんな感じ。

    天井はこんな感じ。

  • 天守閣の説明。<br /><br />では、他の遺構を見に行きます。

    天守閣の説明。

    では、他の遺構を見に行きます。

  • 二の丸の天守閣下辺りです。

    二の丸の天守閣下辺りです。

  • 見上げるとこんな感じです。

    見上げるとこんな感じです。

  • そのまま三の丸まで降ります。

    そのまま三の丸まで降ります。

  • 三の丸から見上げた天守閣。

    三の丸から見上げた天守閣。

  • この辺りには照明器具が設置されてました。<br />夜になるとライトアップされるようです。

    この辺りには照明器具が設置されてました。
    夜になるとライトアップされるようです。

  • 反時計回りに三の丸を一周しようとしたんですが立ち入り禁止区域がありました。

    反時計回りに三の丸を一周しようとしたんですが立ち入り禁止区域がありました。

  • なので、時計回りに三の丸を回って振り返り坂を登ったところまで移動します。

    なので、時計回りに三の丸を回って振り返り坂を登ったところまで移動します。

  • 北側の石垣の前を通って

    北側の石垣の前を通って

  • 角を曲がると目的地に着きます。

    角を曲がると目的地に着きます。

  • 三の丸南側にある延寿閣別館の説明。

    三の丸南側にある延寿閣別館の説明。

  • 延寿閣別館は昭和8年に丸亀市の迎賓館として建てられた「延寿閣」の別館です。現在は一日一組限りの一棟貸切ホテルとして利用されています。<br />ホームページには<br />「城内において唯一の宿泊施設であるこの場所では、一般の観光客が立ち去った閉門後の静まり返った城内を散策し、夜空にライトアップされた美しい天守を仰ぎ見るという、宿泊者だけの特権が許されています。」<br />と記されています。宿泊費高いけどうれしい特権です。

    延寿閣別館は昭和8年に丸亀市の迎賓館として建てられた「延寿閣」の別館です。現在は一日一組限りの一棟貸切ホテルとして利用されています。
    ホームページには
    「城内において唯一の宿泊施設であるこの場所では、一般の観光客が立ち去った閉門後の静まり返った城内を散策し、夜空にライトアップされた美しい天守を仰ぎ見るという、宿泊者だけの特権が許されています。」
    と記されています。宿泊費高いけどうれしい特権です。

  • 延寿閣別館の脇を直進すると、ここも立ち入り禁止。<br /><br />ですが、左手には搦手口に抜ける道があります。

    延寿閣別館の脇を直進すると、ここも立ち入り禁止。

    ですが、左手には搦手口に抜ける道があります。

  • 下り坂になります。

    下り坂になります。

  • 食い違いの地形が見えてきました。<br /><br />当時、この辺りには栃の木御門と言う門がありました。目の前の石垣の辺りには多聞櫓が、さらに先には高麗門が二カ所にあったそうです。

    食い違いの地形が見えてきました。

    当時、この辺りには栃の木御門と言う門がありました。目の前の石垣の辺りには多聞櫓が、さらに先には高麗門が二カ所にあったそうです。

  • 搦手口に向かってずんずん進んで行きます。

    搦手口に向かってずんずん進んで行きます。

  • この辺りの石垣も立派です。

    この辺りの石垣も立派です。

  • この辺りに1つ目の高麗門がありました。

    この辺りに1つ目の高麗門がありました。

  • 少し進んだこの辺りに2つ目の高麗門。<br />2つの高麗門で枡形を形成していました。

    少し進んだこの辺りに2つ目の高麗門。
    2つの高麗門で枡形を形成していました。

  • このあたりの石垣は下段が生駒時代の野面積み、上段が山崎時代の打込接で組まれています。

    このあたりの石垣は下段が生駒時代の野面積み、上段が山崎時代の打込接で組まれています。

  • 搦手口まで来ました。<br /><br />搦手口と言われてますが、山崎時代まではこちらが大手だったそうです。京極時代に瀬戸内海監視のため、北側を大手にしそうです。

    搦手口まで来ました。

    搦手口と言われてますが、山崎時代まではこちらが大手だったそうです。京極時代に瀬戸内海監視のため、北側を大手にしそうです。

  • 搦手口から時計回りに歩いていくと石垣の工事が行われていました。2018年の豪雨や台風で石垣が崩落してしまったそうです。三の丸の立ち入り禁止地域はこの工事によるものです。

    搦手口から時計回りに歩いていくと石垣の工事が行われていました。2018年の豪雨や台風で石垣が崩落してしまったそうです。三の丸の立ち入り禁止地域はこの工事によるものです。

  • なんか要塞みたいです。

    なんか要塞みたいです。

  • 崩落した石材が並べられていました。

    崩落した石材が並べられていました。

  • こんなんが上から落ちてきたら恐怖でしかないです。

    こんなんが上から落ちてきたら恐怖でしかないです。

  • これが一番重い石だそうです。<br />角石ということなので算木積みのあの部分に使われてた石でしょうか。

    これが一番重い石だそうです。
    角石ということなので算木積みのあの部分に使われてた石でしょうか。

  • 刻印石。<br /><br />甲府城では刻印を見つけられませんでしたがこちらの刻印はしっかり確認できます。

    刻印石。

    甲府城では刻印を見つけられませんでしたがこちらの刻印はしっかり確認できます。

  • 神楽桟。<br /><br />当時の人は縄とこの道具を使って重いものを持ち上げたり移動したりしていたそうです。

    神楽桟。

    当時の人は縄とこの道具を使って重いものを持ち上げたり移動したりしていたそうです。

  • 五輪塔。<br /><br />石垣の中から丸や四角い石が見つかりました。<br />それらを積み上げるとお墓に使われる五輪塔の形になりました。石垣の中からこれらの石材が出土した理由は分かっていません。

    五輪塔。

    石垣の中から丸や四角い石が見つかりました。
    それらを積み上げるとお墓に使われる五輪塔の形になりました。石垣の中からこれらの石材が出土した理由は分かっていません。

  • ご注意<br />この石、ほんまの石垣に使う石やきんな。優しぃに触ってつかな。傷やつけたら がいにおんかれるきんな<br /><br />とあります。後半(中盤?)から意味が分からない。

    ご注意
    この石、ほんまの石垣に使う石やきんな。優しぃに触ってつかな。傷やつけたら がいにおんかれるきんな

    とあります。後半(中盤?)から意味が分からない。

  • 裏込石が積み上げられてました。<br />石垣の表面ではなく奥に積まれる石です。<br />これを積んでおかないと雨などで水分を吸った土の重さで石垣は決壊します。

    裏込石が積み上げられてました。
    石垣の表面ではなく奥に積まれる石です。
    これを積んでおかないと雨などで水分を吸った土の重さで石垣は決壊します。

  • こちらは玄関御門。<br /><br />京極時代、御殿の正面に建てられました。<br />御殿は明治時代に取り壊されたため残っていませんが、現在の丸亀資料館のあたりにあったようです。

    こちらは玄関御門。

    京極時代、御殿の正面に建てられました。
    御殿は明治時代に取り壊されたため残っていませんが、現在の丸亀資料館のあたりにあったようです。

  • 門と連結しているこちらは番所長屋。<br />城への出入り管理、藩士の控所として利用されてました。

    門と連結しているこちらは番所長屋。
    城への出入り管理、藩士の控所として利用されてました。

  • 玄関御門、番所、長屋、土塀の説明。

    玄関御門、番所、長屋、土塀の説明。

  • こちらから入口側になります。

    こちらから入口側になります。

  • 土塀。

    土塀。

  • 土塀の瓦には京極氏の家紋である平四目結(ひらよつめゆい)が掘られています。<br /><br />もともと京極家は、鎌倉時代から近江国(滋賀県)を中心に繁栄した名門「佐々木源氏(宇多源氏流)」の直系子孫です。この佐々木一族は「四つ目結」を伝統の家紋として使っていました。京極家もその血統を受け継ぐ証として、お城のあらゆる瓦にこの「四角が4つ並んだ紋」を刻み込んだそうです。

    土塀の瓦には京極氏の家紋である平四目結(ひらよつめゆい)が掘られています。

    もともと京極家は、鎌倉時代から近江国(滋賀県)を中心に繁栄した名門「佐々木源氏(宇多源氏流)」の直系子孫です。この佐々木一族は「四つ目結」を伝統の家紋として使っていました。京極家もその血統を受け継ぐ証として、お城のあらゆる瓦にこの「四角が4つ並んだ紋」を刻み込んだそうです。

  • 最後に、大手一の門の中に入ってみます。

    最後に、大手一の門の中に入ってみます。

  • 大手一の門、大手二の門、東西土塁の説明。

    大手一の門、大手二の門、東西土塁の説明。

  • 大手一の門内部です。

    大手一の門内部です。

  • 石落としがありました。

    石落としがありました。

  • 太鼓もありました。<br />大手一の門は太鼓門の役割もあったそうです。

    太鼓もありました。
    大手一の門は太鼓門の役割もあったそうです。

  • 大手一の門から見た城内。

    大手一の門から見た城内。

  • 大手一の門から見た枡形。

    大手一の門から見た枡形。

  • 大手一の門の天井。

    大手一の門の天井。

  • 大手二の門。<br /><br />多くの敵が橋を渡り、二の門をくぐって城に入ってくるのを想像します。でも一の門は閉じてます。そのうちに二の門が閉じられます。袋のネズミです。

    大手二の門。

    多くの敵が橋を渡り、二の門をくぐって城に入ってくるのを想像します。でも一の門は閉じてます。そのうちに二の門が閉じられます。袋のネズミです。

  • まあ、丸亀城ではそういった戦争は起こらなかったわけですが。

    まあ、丸亀城ではそういった戦争は起こらなかったわけですが。

  • いつもの。<br /><br />11:35<br />以上で見学終了です。<br />駅に向かいます。

    いつもの。

    11:35
    以上で見学終了です。
    駅に向かいます。

  • 駅まで歩いてる時に見かけたバス停。<br />9/5をもって廃止だそう。<br />関係ないけど悲しい。

    駅まで歩いてる時に見かけたバス停。
    9/5をもって廃止だそう。
    関係ないけど悲しい。

  • 暑かったのでアーケード商店街を通って駅に向かいます。

    暑かったのでアーケード商店街を通って駅に向かいます。

  • 11:56<br />ドンキに寄ったりしつつ駅につきました。<br />この後、高松に移動します。

    11:56
    ドンキに寄ったりしつつ駅につきました。
    この後、高松に移動します。

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